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雪色エトランゼ  作者:
第1部
56/115

Act:56

 目が覚める。

 体がだるくて頭がぼんやりする。まるで頭の中に薄いヴェールがかかった様だった。

 しばらくじっと毛布にくるまっていた俺だったか、気力を総動員して、思い切って起き上がった。

 控えていた女騎士さんに起床を告げ、水を用意してもらう。

 鏡の前に立つと、ぴょんと寝癖で前髪が跳ねた冴えない表情の少女が、半眼でこちらを見つめていた。俺は頬を撫でた。白い肌がより一層蒼白に見える。

 顔を洗う。

 水が氷のように冷たかった。

 鎧は付けず、白と緑のコートだけを身につけた俺は、かつかつと踵を鳴らし、ベルモント砦の作戦室に向かった。

「お嬢さま。朝食はいかがされますか?」

 後を付いて来る女騎士さんに俺は苦笑いを返す。

「すみません、食欲なくて…」

 複数のテーブルが並び、所狭しと書類が置かれた作戦室には、早朝に関わらず多くの騎士や砦の文官達が慌ただしく行き来していた。昨日は夜半まで魔獣の襲来が続いていた。もしかして寝ていない者も多いのかもしれない。

 俺だけぐっすり眠って申し訳ないが…。

 しかも良く寝た割には頭が重い。

 俺はぐりぐりと目頭を揉む。

「ガレス、状況はどうですか?」

「ああ、おはようございます、お嬢。よく休めましたかな」

「ええ、はい、ありがとう…」

 ガレスが眉をひそめた。

「お嬢、顔色が真っ青ですぞ」

「え?いえ、大丈夫ですから…。それより状況は…」

 ガレスは顔を曇らせたまま地図を指し示した。

「昨日の魔獣襲来は第6波まで確認されました。夜中からは、打ち漏らした残存魔獣の掃討に当たっております」

 視界がぐるぐる回る。

 …やはり調子が悪いらしい。

 寝る前に軍医から風邪薬を貰って飲んでおいたが、効果はあまりないみたいだ。

 うう…。

 気分が悪い…。

「侵攻は主に主要街道沿いからですが、山野からも少数が出現しております。敵の構成は大部分が小型魔獣の大群でした。しかしお嬢が遭遇したスクリーマー型も含め、大型も複数確認され…」

 ガレスの説明が頭に入って来ない。

 駄目だ、こんな時に。

 集中しなければ…。

 俺は顔半分を手で覆い、目を瞑る。じっと暗闇の中にいると、ぐるぐる回って奈落に落ちて行きそうな錯覚に襲われた。

「…嬢」

 ふうっ…。

 しっかりしなきゃ。しっかりしなきゃ。しっかりしなきゃ。

「お嬢!本当に大丈夫ですか?」

「…はい、大丈夫、大丈夫ですから」

 俺は笑う。その笑顔がいささか弱々しくなってしまうのは、自分でも良くわかった。

「ガレス、村々の様子はどうですか?」

「…3つの村が魔獣に呑まれました。そのうち1つが避難が間に合わず、犠牲者が出ておりますな…」

「…分かりました。では、避難域を拡大させましょう」

 俺は頭を振って地図を見た。

「こことここ、それにここのライン以北は全員退避ということでいかがですか?」

「ここはこちらまで下げた方がいいでしょうな。あとは…」

 ガレスや騎士団の面々と話を詰めると、今度はロバイから救出した人々に貸し与えられた部屋に向かう。彼らから話を聞き、最近ラブレ領内で起こった事について何か手掛かりを得たかった。

 後はラウル君と話をして、魔獣の状態についても情報を得ておきたい。

 普通の魔獣と違う。ロバイの町でそう言っていたラウル君の言葉が気になった。

 一旦インベルストに戻り、査察隊に報告もしなければ…。救助した王直騎士の容態が安定すれば、直ぐにでも…。

 物思いに耽りながら階段を下りていると、最後の一段で足が滑った。

 ふらふらとよろけた俺は、そのまま壁にぽすっとぶつかり、その場にへたり込んでしまう。

 コートの裾が、床の上にスカートのように丸く広がった。

 はっ、はっ、はっ…。

 どうしてしまったんだろう。

 何もしていないのに、息が乱れる。

「カナデさま!」

 俺のお付の女騎士さんが駆け寄って来た。

 いや、大丈夫だから…。

 俺はそう言って立ち上がろうとしたが、足腰に全く力が入らない。

 あれっ…、おかしいな…。

 視界がだんだんと暗くなって来る。

 頭を支えているのも辛くて、うなだれる。

 はっ、はっ、はっ…。

「カナデさま、カナデさま?しっかりして下さい!」

 遠くで誰かが叫んでいる。

「誰か、誰か来てください!カナデさまが!」

 誰かが走り去る。

 いや、俺…は大丈夫。まだやるべき事が一杯…。

 私には沢山あって…。

 プツンと、そこで意識が途切れてしまった。



 薄く目を開ける。

 眩しい。

 頭がぼんやりして意識が定まらない。それに、少し息苦しい。

 これは夢?それとも現実?

「魔獣の障気かもしれません」

 声が聞こえる。

 ラウル君の声だとわかった。

「お嬢さまは、ユウトさんやナツナさんみたいなブレイバーじゃありません。シズナさんやシュバルツ隊長みたいな銀気の才があるわけでもないんですよね?」

「そうだが…」

 ガレスもいる。

「ブレイバーや銀気の才持ちの方々は、魔獣を構成する黒い気、つまり障気に対する耐性があります。しかし全く普通の一般人であるお嬢さまが濃い障気に触れたり、長時間障気に晒されると、こうして衰弱してしまうケースがあるんです…」

「小型の魔獣なら大したことなかったんでしょうけど…」

 シズナさんの声が沈んでいる。

「確かに、グロウラー型とかあのスクリーマー型か、カナデは近距離でやつらの黒い霧みたいなのを浴びてたしな」

 優人がぼそりと口を開いた。

「銀気の治癒が使えればいいんですが…」

「そうだ、侯爵さまに、唯姉を呼んでもらおうよ!そしたらカナデちゃん、直るでしょ!」

 夏奈、声でかいよ…。頭に響く…。

「どちらにせよ、お嬢の容態が落ち着いたら、インベルストに後送した方がいいな」

 はっ、はっ、はっ…。

 ごめん、みんな。

 こんな時に、面倒かけて…。

 意識が、再び闇に沈んでいく。


 ごとごとと背中を打つ振動で目が覚めた。

 気持ち悪い。

 目眩がする。

 むかむかが胸の奥に張り付いている。

 体が重くて動かない。

 低い天井、狭い空間。それにこの振動。

 ここは、馬車の中だろうか?

「大丈夫、カナデさん?」

 シズナさんが俺を覗き込んだ。

 はい…。

 そう答えようとしたが、声が引っかかって出てこない。

 シズナが馬車の窓を開ける。しんっと冷たい空気が入って来る。熱をもった体に気持ち良かった。

「シュバルツ隊長、カナデさんが目を覚ましたわ!少し休憩しませんか!」

 シュバルツ、いるのか。

 俺はどこに向かってるんだろう。

 インベルストかな。

 お父さまのところだろうか。

「カナデちゃん、大丈夫?」

 夏奈か…。

「カナデちゃん?シズナさん!」

 俺はまたゆっくり目を閉じた。



「…デ君」

 気持ちのいい微睡みから、ゆっくりと目を開ける。

 ぽかぽかと暖かい午後の陽気が満たす教室の中。私はいつの間にか居眠りしてしまっていたようだ。

 うーん、不覚。

 密かに伸びをする。そして、視界に入った自分の服装に、ふと疑問を抱いた。

 高校の夏服ズボンにワイシャツ、その胸が膨らんでいる。

 あれ、でも私、なんで男子の制服着てるのかな?

「カナデ君!今のところ聞いていたのか?」

「は、はい!」

 その言葉にはっとする。いつの間にか目の前に先生が立っていた。

 最近赴任してきたばかりの若い男の先生が、はぁと溜息を吐いた。

「すみません、シリス先生…」

 しゅんとする俺に、悪戯っぽく笑ったシリスがそっと顔を近づけて来る。そして私だけに聞こえるように囁いた。

「シリスティエール先生だろ?呼び捨ては2人きりの時だけだ」

 あわわわわ…。

 しゅーと顔が真っ赤になる。

 シリス先生がはははっと笑った。

 えーと、またからかわれた…。

 幾分疲れを引きずりながら授業が終わると、私は道場に向かう。今日も放課後は剣道部の部活だ。

 鞄を持って廊下に出ると、友人たちと馬鹿話している優人に手を振った。

「おう、カナデ。今日も一緒帰るか?」

「遅くなりますけど、今日も…」

「まぁ、俺もぶらぶらしてるから」

 …暇人め。

 道場では同学年のレティシアと打ち合い、最後に試合形式の稽古をしてから、汗を流した。レティシアと手を振って分かれ、優人と合流し、さらに途中で唯とも出会って、3人で一緒に家路についた。

 これで夏奈や陸、リコットとも帰る時間が一緒になれば、いつものメンバーなんだが…。

 いつもお父さまは仕事で遅い。お父さまは領主という大変な仕事をしているので、毎日忙しくしているのだ。

 だから晩御飯は、いつも私とおじいちゃん…と、お姉ちゃんと3人で済ますことになっていた。

 お姉ちゃんが夕食の準備をしてくれている間に、私はおじいちゃんに道場で稽古をつけてもらう。

 私の踏み込みを、全て読んでいるかのようなおじいちゃんの動き。

 鋭い眼が光を放ったように輝き、反撃の竹刀が翻る。

 1太刀、2太刀を弾き返し、3太刀目を防げないと感じた私は、大きく下がって間合いを取った。

 しかし、その距離をおじいちゃんは一足で詰めて来る。

 面が来る!

 退きながらそう思って竹刀を上げた瞬間、ぱんっと乾いた音が響いた。

 気がつくと、おじいちゃんに胴を打ち抜かれていた。

「ま、参りました…」

 私たちは竹刀を戻して一礼する。

 面を取ったおじいちゃんがにこやかに笑った。

「カナデ、強くなったな」

「そうでしょうか…」

 優人たちには及ばないし、周りに迷惑をかけてばかりだ。

「この間も優人やシュバルツたちに迷惑かけて…」

 俺は肩を落とした。

「…それで、反省したか?」

 俺はおじいちゃんの問いに、はっと顔を上げた。逡巡の後、なんとか頷く。

 反省も、そして後悔もした。

「それでいい。失敗して後悔しろ。そして、きっちり反省しておきなさい。それでお前は一歩前に進めた」

 おじいちゃんが防具を外して汗を拭く。私も黙々とそれに従う。

 でも、反省しても、また同じ過ちを繰り返してしまうのでは?

 それがちょっと怖い。

「カナデ」

 おじいちゃんが俺を見る。懐かしい、優しい目…。

 今はもういない筈の…。

「大事なのは、諦めない事だ。常に頭を使って考えろ。現状を打破する手を考えろ。考えて考えて思い付いたら実行しろ。それで間違ったらまた反省しなさい」

 俺はおじいちゃんを見つめる。

「それを繰り返していれば、ちょっとでも、ほんの少しでもお前は前進できるのだから」

 前進…。

「…はい!」

 おじいちゃんが相好を崩す。

「カナデ、おじいちゃん、ごはんができましたよ」

 お姉ちゃんが私たちを呼びに来た。

 3人で和気あいあいと夕食を済ませ、食後の片付け、お風呂を終えた私は、お姉ちゃんの部屋でテレビを見ていた。

 少女騎士が黒い魔獣と戦っているファンタジー映画だ。

 私は巨大にゃんこのぬいぐるみを抱きしめ、顎をうずめながら画面を見つめていた。主人公に妙に共感を覚えてしまう。

「カナデちゃん、最近頑張ってるわね」

 本を読んでいたお姉ちゃんが私を見た。

 私と同じ顔。

 ただ髪は私は銀色、お姉ちゃんは明るい茶色だ。

 エリーセお姉ちゃんがふふっと笑う。柔らかな笑みだった。

「本当は私がなさなければいけない事なのに、ごめんなさいね」

「いえ、そんな…」

 私はエリーセお姉ちゃんを見上げた。

「私、ちゃんとお姉ちゃんの代わり、出来てるかな?お父さまの役にたってるかな?」

 エリーセお姉ちゃんはううんと首を振った。

「カナデちゃん。あなたは私の代わりじゃないのよ。お父さまも言ってたでしょ。私の代わりじゃなくて、カナデ自身を娘にするって」

 私はにゃんこをぎゅっと抱きしめ、顔を埋める。

 ぽわぽわと暖かかった。

 まるで春の日差しに包まれているように…。

「カナデちゃん。お父さまを、侯爵領をお願いね。ちょっと変な人もいるけど、大好きな人ばっかりのあの場所を。私たちの故郷を」

 俺は小さく頷いた。

 大事なのは、諦めない事…。

 頑張れる。

 まだまだ…。

「じゃあ、そろそろ起きましょうか」

 エリーセお姉ちゃんがふわっと笑った。



 ゆっくりと目を覚ますと、インベルストの見慣れた俺の部屋だった。

 まだ薄暗い。

 何故か、涙が溢れそうな切なさが胸の奥に残っていた。何か夢を見ていたのだろうか。

 ゆっくり身を起こす。

 まだ体はだるかったが、気持ちは悪くないし頭も痛くない。

 俺のベッドの上に、僧服姿の唯が突っ伏して寝息を立てていた。

 俺の治療に来てくれたのか…。

 …ありがと。

 部屋の入り口では、椅子に腰掛けたリリアンナさんがこくりとこくりと居眠りをしていた。眼鏡が少しずり落ちている。

 ふふっ、リリアンナさんでも人前で居眠りしてしまうことがあるんだ。

 俺はそっとベッドを抜け出した。

 床を伝って素足に冷気が上がってくる。

 椅子に掛かっていたカーディガンを羽織り、そのまま窓際まで歩いていく。

 白く曇った窓をきゅっと拭う。

 そこには、一面の銀世界が広がっていた。

 重く立ち込めた灰色の空から、次々と白銀の雪が舞い降りる。

 見慣れた屋敷の庭園が、なだらかな白の雪化粧に包まれていた。行政府の尖塔も城塞も一面雪色の世界。それでも、しんしんと雪は降り積もる。

 俺はどれくらい眠っていたのだろう。

 俺が眠っている間に何かあっただろうか。

 でも、何があっても…。

 俺は胸の前で拳を握る。

 今は雪色に染まるこの街を、侯爵領を、人々を、絶対守るんだ。

 おじいちゃん、エリーセお姉ちゃん…。

 雪の日は、どうしてあんなに静寂を感じてしまうんでしょうか。

 ちなみに、シリスは教育実習生という設定です…。

 

 ご一読ありがとうございました! 

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