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雪色エトランゼ  作者:
第1部
5/115

Act:5

 俺は言葉も出ず、ただ目の前の老貴族を見つめていた。

 今まで出会った人達が、俺を見て不自然な反応を見せたのにはそういう訳があったのか。

 亡くなったはずの侯爵令嬢に瓜二つの顔が、突然目の間に現れたら驚くのは当然だろう。

「お嬢さんの代わりということですか?」

「…そうだ」

 いくら似ているとは言え、見ず知らずの他人を実の娘の代わりにする理由が、俺には思いつかない。俺は気持ち負けしないように腹に力を入れ、レグルス侯を見返した。

「…理由をお尋ねしてもいいですか?」

 レグルス侯の目がすっと細まる。

「いいだろう…。お前にはそれを知る権利があるな」

 老貴族は疲れたように目を閉じると、クッションの中に深く身を委ねた。

「侯爵領を守るためだ。わしの後継はエリーセしかおらんかった。その娘が逝った事が知られれば、中央の王統府や他の貴族どもは、嬉々として我が侯爵領の切り取りを狙って来るだろう」

 権力争い。

 自らの権益を守るために俺を利用するのか。

「もちろんどこの馬の骨ともわからんお前に侯爵領をやる気もない。これは、わしが正当な後継を見出すまでの策だ。ブレイバーのお前には預かり知らんところではあろうがな」

 その俺に関係ない権力闘争に巻き込む代わりに、レグルス侯がこちらが欲しているノエルスフィアでの後ろ盾となってくれる訳か。

 悪くはないかもしれない。この世界で右も左も分からない俺と優人には願ってもない話かもしれない。

「…リムウェア侯爵様、その、お嬢さんの写真を見せて貰えませんか?」

 俺の申し出に、レグルス侯は訝しむように俺を見た。

 ああ、そうか。

 ノエルスフィアには写真は無いのかな…?

「お嬢さんの姿がわかる物はないですか?例えば絵とか…」

 レグルス侯は頷くと、胸元からロケットを取り出し開いて見せた。

 俺は身を乗り出してそのペンダントヘッドを覗き込んだ。

 そこには、風呂場で見た今の自分とそっくりな少女が描かれていた。

 髪の色は明るい茶色。瞳は黒。そこは違う。しかし顔立ちは双子かというくらいだし、髪型も今付けているリボンも、この服もまったく同じだった。

 ああ、なるほど。この服と髪はリリアンナさんの計らいか。俺とレグルス候が対面する場面のお膳立てというわけか。

「…エリーセ」

 俺が肖像画に見入っていると、小さく漏らすようにレグルス侯が呟いた。

 その声音に俺ははっとする。

 そこには、先ほどまで自分の領地を守る策に考えを巡らせていた狡猾で打算的で野心を潜めた老獪な貴族の雰囲気はない。

 俺は思わずレグルス侯の顔を見る。

 胸元のペンダントを覗き込んでいた俺のすぐ傍に、優しげな、でも少し悲しげな老人の顔が俺を見つめていた。

 それは俺をみる祖父の顔に似ていた。

 自分の愛する家族を見守る目だ。

 そうだよな。

 領地とか権力とかいう建て前ももちろん多分にあるだろう。

 しかし。

 娘を亡くして悲しくない親はいない。寂しくない親なんていない。

 レグルス侯は俺の中にエリーセさんの面影を見ている。

「考える時間を…いただけますか?」

 俺は身を離してレグルス侯を見た。

 優人と相談する時間が欲しい。

 既に優しげな父の眼差しはなく、鋭い目つきが俺を捕らえていた。

「いいだろう。では明日の夜、答を聞かせてもらおう。…下がるがいい」

 俺は一礼してレグルス侯のベッドを離れる。

「カナデ」

 その背に声が掛けられた。

「答えがどうであろうと、その服はくれてやろう。…良く似合っている」

 ヴェールの向こうで老人の表情は分からない。

 俺はそちらに頭を下げた。

「ありがとうございます」

 俺はリリアンナさん先導されてもとの部屋に戻る。

 白のワンピースから用意されていたパジャマに着替えると、そのままベッドに倒れ込んだ。



 小さい頃、刀の手入れをしている祖父に訪ねた事があった。

 どうしたらおじいちゃんみたいに強くなれるの?

 祖父はしばらく考えてからこう答えた。

 頭を使うことだ、と。

 俺が頭突き?と尋ねると、祖父は苦笑した。

 そうではない、奏士。頭を使うとは、考える事だ。

 今の己の力量。相手の力量。何のために戦うのか。何を懸けて戦うのか。何を守るために戦うのか、よくよく考えるんだ。

 ぽかんとする俺を見て、祖父は続ける。

 そうして考え抜いた結果を背負って戦うならば、奏士。お前はその時のお前が出せる最高の力で戦う事ができるだろう。その結果が他人から見れば残念なものだったとしても、お前は後悔する事はないはずだ。後悔のない負けは、次への糧と同じだしな。

 祖父は笑う。

 感情や状況に流されるな、奏士。

 お前が信じられるものを確かめながら、お前が信じた道を行け。

 祖父の優しげなな眼差し。

 レグルス侯の眼差しと重なる。

 ああ、これは夢なんだと思いながら、俺は微睡みの淵からゆっくりと浮かび上がる。



 目が覚めると、日はもう高く登った後だった。

 疲れが残っているのだろう。まだ体がダルい気がして、俺はぼんやりとベッドの上に座り込んでいた。 控えなノックの後、リリアンナさんが部屋にやって来た。着替えを置き、優人が食堂で待っている旨を伝えると、一礼して退室していく。

 優人に昨夜のレグルス侯の提案を相談しなければ。

 俺はリリアンナさんが持って来た服に着替える。

 昨夜と同じデザインラインのワンピースだった。

 着替えが終わったタイミングを見計らったようにメイド軍団が現れ、俺の髪をエリーセさん風に整えていく。

 俺の制服は?とか、ズボンがいいなぁという俺の細やかな願いは、問答無用のメイドさんスマイルの前に打ち砕かれていった。

 結局スカート姿で食堂に向かう。昨晩より違和感を感じない。

 …たった1日で随分遠いところまで来てしまったな…。色んな意味で。

 恐る恐る食堂の扉を開と、優人とラフな格好をしたフェルドが談笑しているところだった。

 二人とも俺の姿を見て停止する。

 まじまじ凝視されると堪ったものではない。穴があったら入りたい。回れ右で全力で逃げ去りたい!

 優人が何か言おうと立ち上がる。

「動くな、優人!誉たら殺す!けなしたら殺す!喋ったら殺す!」

 俺は優人達から一番遠い席に荒々しく腰を下ろした。

 二人の視線が突き刺さって来る気がして、気が気ではない。落ち着かない。

 やって来たメイドさんに、朝食は簡単でいい旨を伝えると、一口サイズパンのバスケットと各種ジャム。デザートのヨーグルト(のようなもの)が並べられた。

 何か言いたそうな優人を無視して俺はパンを頬張る。焼きたての甘い香りが口一杯に広がった。

「あの、カナデ…」

 俺はギロリと優人を睨む。

 威嚇だ。先制攻撃だ。

「俺、フェルドさんに騎士団宿舎とか城とか見せてもらってくるから…」

 俺の威圧にゆっくり異動する2人。しかし扉を閉めて出て行く瞬間、聞こえてしまった、二人の会話が。

「可憐ですね。驚きました…」

 …フェルド。

「ははは、俺の親友は地元で一番の美人ですからね!」

 …抹殺決定だ、優人。

 もんもんとしながら食事を終えた俺は、邸内から裏庭の方にぶらりと歩いて行く。

 結局優人に相談できずじまいだったが、レグルス侯の提案は俺個人に対するものだ。決断は俺が下さなければならない。

 リリアンナさんから表の庭園に出る事は禁じられていた。人目があるからだそうだ。

 裏庭ならばレグルス侯のプライベートな庭だから大丈夫という許可をもらい屋敷を出た俺は、裏庭の小川沿いの遊歩道を森に向かって進んでいく。

 表の庭が人の剪定が作り出した人工の美しさならば、裏庭は元の植生をそのまま利用した自然の庭だった。

小鳥のさえずりと眩しい日差しが枝葉を通って地面に落ちる。少し暑いくらいの日差しは、時折吹き抜ける涼やかな風にちょうどいい。

 風に揺れる梢が波の音の様に鳴り渡る。銀糸の髪が風に遊ばれる。

 俺は小さな池を臨む東屋で少し休憩する事にした。

 ステップを上がって東屋の屋根影に入ると、ばったりと見知った顔と遭遇した。昨日、俺の前で号泣していたメイドのユナが箒を持って立っていた。

 俺たちは数瞬見つめ合い、硬直する。そして二人同時に身構えた。

 俺はまた泣かれるんじゃないかと。

 ユナはどうだろう。亡くなったエリーセさんにそっくりな俺が目の前に現れたからか。

 先に折れたのは、俺だった。精一杯の営業スマイルで会釈し、来た道を引き返そうとする。

「あの、お待ち下さい!」

 振り返ると、ユナがかばっと頭を下げた。

「昨日は大変失礼致しました!エリーセ様に双子の妹君がいらっしゃったとは知らず、あたしったら…。全てフェルド様からお聞きしました!エリーセ様がお亡くなりになったから、遠くに養子に出されていたあなた様を再びお迎えになったと!」

 騎士フェルド…。いったいこの娘に何を吹き込んだんだ?彼女の中ではすっかりストーリーが出来上がってるようだ…。

 俺は肯定も否定もせずただ微笑む。

「申し後れました。あたし、エリーセ様付きのメイドをさせていただいておりました、ユナと申します」

 彼女はぺこりと頭を下げた。

 エリーセさん付きか。

 俺は改めて東屋のベンチに腰掛ける。

「俺はカナデ。昨日の事は気にしてないよ」

「カナデさま…。不思議な響きのお名前ですね」

「ははは…。ユナさん、エリーセさんのこと少し教えてくれないか?」

 ユナが眉を顰める。

「そ、そうだ、エ…ね、姉さんのことは小さい頃に生き分かれたから、良く知らないんだ。だから教えて欲しいなぁと…」

「あー、なるほど!」

 クソ、フェルドめ、面倒な設定を。

「エリーセさまは、とにかくお優しい方でした。お綺麗で清楚でいつもほわっと笑っておられました。お優しくて、あたしたち使用人にも必ずご挨拶して下さいました。お父様のお仕事の補佐もされていて、決してお暇ではなかった筈なのに、あたしたちメイドとお茶したりお話したり…」

 ユナは遠い目で池を見る。

「お花がお好きな方でした。高貴なご身分なのに、庭師のお手伝いをしてバラ園を剪定したり、あたしと一緒に花壇の水やりをしたり…」

 美しくて穏やかで庭仕事をするお嬢さま。多分みんなに好かれ、大切に思われていたんだ。

「どうしてお亡くなりに…?」

「お医者さまや司祭さまは、魔獣の障気から来る病だとおっしゃいました。…本当にあっという間だったんです。体調が良くないとお食事されない事が増えて、寝込まれる様になって。その後は、本当にあっという間で…。あたしたち家中の者はまだ誰も信じられません。あの日溜りの様に温かなお嬢さまが…。主様だって、その後寝込まれてしまって…」

 ユナがきゅっと箒を握りしめる。

 その頬を一筋の涙が流れ落ちる。昨日の様な号泣ではない。静かな涙でユナは泣き出した。

「みんな、心の中にぽっかりと穴が開いた様なんです…。エリーセさま…。あのエリーセさまがどうして…」

 静かに涙を流すユナを見て、俺は明確に決意を固めた。

 色々考えて考えて、ユナの涙を見て思い至った。

 俺に出来ること。俺がしなければいけないこと。俺が守らなければいけないこと。

 ならばその答えは明白だ。

 俺はそっと拳を握り締める。

 少しシリアス気味でしょうか。

 お話の進みもスローペース。

 温かく見守ってやってください。ご指摘あればよろしくお願い致します。

 ご一読いただいた方々、ありがとうございました。

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