Act:40
目の前で湯気を立てる半熟スクランブルエッグにスプーンを突き入れたまま俺はそっとため息を吐いた。食欲をそそる焼きたて香しいパンにも色鮮やかなフルーツにも何だか手をつける気がしなくて、またため息を吐く。
「お行儀がよろしくありませんよ」
「…すみません」
背後に控えたリリアンナさんにぼそりと注意されてしまう。
昨日の夜会で、南公フェミリアン公爵と話をする事が出来た。南公からは、魔獣使役問題についてラブレ男爵審問も含めて同意しても構わないと言って頂いた。それは喜ばしいことなんだが…。
図らずも北公との対立関係に立っているという事実が、俺の気持ちをどんより重くさせる。
そのことばかり考えてしまって、夜中に何回か目が覚めてしまった。
おかげで今朝は若干寝不足気味だ。
「なんだ、元気がないな、カナデ」
当たり前のように俺の対面でコーヒーを飲んでいるシリスが俺を見る。
「…シリスは元気だけはいいですよね、いつも」
俺は半眼でその血色のいい顔を睨んだ。
「昨日の夜会。出席してたんですよね。姿が見えなかったですけど。…どこにいたんですか?」
俺は、もやもやする気分で八つ当たりでもしてやろうと難癖を付けてみる。
もちろん王弟たるシリスに、いちいち俺に構う義務などない。
しかし、何故かシリスは嬉しそうににっと笑った。
「何だ、カナデ。寂しかったのか。そうか、そうか」
その笑顔に何か苛っとする。
「タニープロック商会と西公派、北公派の対立、知ってたんですか?」
「ん?まぁな。王都じゃその2人が代理戦争してるってのは、まぁ、公然の秘密みたいなものだからな。あ、リリアンナ、コーヒーおかわり」
リリアンナさんが無表情で新しいカップを運んでくる。
…そこで転べばシリスにコーヒーがかかるのに。
「ああ、ありがとう。何だ、あの幌馬車を助けた事で、何か言われたのか?」
「…昨日南公さまに」
俺はスプーンを置いて、南公とのやり取りを話した。最後にどうしたらいいでしょうかとふと弱音が出てしまった。
黙ってコーヒーにミルクを落とし、かき混ぜていたシリスが、ふっと鼻で笑う。
…こいつ。
人が真剣に悩んでるのに…。
「カナデ。お前、あのフェミリアン公にからかわれたんだよ」
シリスがコーヒーに口をつけながら俺を見やる。
俺は理解できずに眉をひそめた。
「ふ…その捨てられた子猫みたいな顔をするな。このスコーンやるから」
シリスが俺の方に皿をずいっと差し出した。
…それ、もともと俺の朝食だし。
「貴族の頂にいる4公ともあろう者が、西公派を少し助けただけでお前を目の敵になどするものか。精々、心証が少しよろしくないって程度だ」
よろしくない…か。
「でも北公さまは、侯爵家に随分と否定的だったですけど…」
「それは北公の政治観だろう。まぁ、他にも何かあるかもしれないがな」
では、商会を巡る対立が致命的ではないとして、北公と歩み寄れる余地はあるのだろうか。
やはり不安に顔が曇る。
「あのな、カナデ」
それを見かねたように、シリスがくいっとコーヒースプーンを俺に向けた。
「お前も剣士だろ?お前の剣は、勝てる勝負しかしないのか?」
勝てる勝負…?
俺はどきりとしてシリスの顔を見た。
自信に溢れ、不敵に笑うシリス。
もし今シリスと剣を交えるとして、初めから負けると思ったら、俺は剣を抜かないのか?
違う。
刃を向けて対峙しながら、勝負が決するその瞬間まで、俺は自分の力の全てを出し切る。
諦めない。
それが剣を習う上で祖父に教えてもらった大事なことだ。
「政治は落としどころが大事だ。相手と自分の妥協点を求めて、そこを見定めろ」
シリスがコーヒースプーンをクルクル回す。
「お前には俺がついている。何せ俺たちは戦友だらな」
シリスはスプーンをふっと振ってニヤリと笑った。
「シリスさま。いささかお行儀が悪う御座います」
その背後で、リリアンナさんが冷ややかな声を落とした。
「あ、えっと…」
途端に困ったようにスプーンを戻すシリスを尻目に、俺は胸の内でシリスの言葉を反芻していた。
落としどころ。
対立する二つの意見の着地点。
それを見定める。あるいは作り出す。
作り出す、か。
「ところでカナデ、俺の両親との会食だが、明後日の夜でいいか?」
「ええ、はい…」
俺の意見を押し付けるだけじゃだめだ。北公の意見も取り入れて…。でも、北公の言葉を丸呑みするのも良くない。
「よし、決まりだな。ちゃんと着飾ってこいよ」
「ええ、はい…」
しかし北公は俺の言葉を受け入れてくれるだろうか。
「よーし、迎えに来るからな」
「ええ、はい…」
俺は冷め始めたスクランブルエッグを睨みつけながら、必死に考えた。俺に出来る事を。自分にも侯爵家にも恥じない選択を。
何故か上機嫌なシリスが、そんな俺をじっと見ていた。
俺を笑顔で迎え入れてくれた西公ウォーテニア公爵は、近所のお爺ちゃんという表現が似合う、丸顔の柔和な笑顔を浮かべた老人だった。親しみやすさは感じられても、お父さまや北公のような威厳はなく、フェミリアン公のような垢抜けた感じもしない。見た目通り、優しげな微笑みで、西公は幌馬車を助けた俺の行いを讃えてくれた。
話しやすいな、と安心して会談に臨んだ俺は、しかし直ぐにウォーテニア公爵が老獪な大貴族である事を思い出す事になった。
俺はシリスに諭されて一生懸命に考えた俺なりの「落としどころ」について相談してみた。俺の説明を聞きながら、笑顔を消して真っ直ぐ俺を見る西公の目は、先ほどとはまるで別人のように厳しくなる。
黙って話を聞いてくれた西公は、その案のいくつか修正箇所を教えてくれた。中には厳しい指摘もあったが、俺はそれを必死にメモした。
夕食の間も、お風呂に入っている間も、俺はこんな提案で大丈夫かとじっと考え込んだ。
その案を携えて、翌日、俺は再びあの大審院の演台へと登った。
「方々、静粛に。では次に、先日シリスティエール殿下並びにリムウェア侯爵家より提案のあった魔獣問題について再議をする」
俺は背筋を伸ばして議場内を見回した。
実は昨日の夜、緊張であまり眠れなかった。上手くいかなかったらどうしようかと布団の中でうんうん唸りながら転げていたのだ。そのせいで先ほどまでは眠かったが、この場に立った今、そんな眠気は緊張感が吹き飛ばしてしまった。
胸を張って前を向くのは、せめてもの俺の強がりだ。
「方々、何か意見は御座いますかな」
静かな議場に西公の厳かな声が響く。
「リムウェア侯爵領での魔獣被害が増加しているのは事実のようですな」
「ラブレ男爵の軍がそれを名目に、境界侵犯を繰り返しているというのも、確認させていただいた」
「やはり男爵の審問が必要なのではないか?」
「男爵がやはり魔獣騒ぎの元であると?」
「いやいや、そう判じるのは早計でしょう」
議場内がざわめき始めた。
俺はそっとシリスと目配せをした。
俺に会って話を聞いてくれた議員たちは、俺が話した事を踏まえて積極的に議論してくれている。手放しで俺たちの味方になってくれているというわけではないが、それでもただ北公の意見に流されるだけよりはずっといい。
「面白くないな。わしは事態の当事者たるリムウェア侯の問責が先だと言ったと思うが?」
しかし前回のように、北公の低い声が場の空気を瞬間冷凍してしまった。
「再議など不要と思うが。その辺りはどうなのかね、リムウェア嬢」
北公に見据えられ、俺は足がすくむ。
前はシリスに助けてもらった。しかし今度は、俺が先に進み出る。
ゆっくりと深呼吸する。
上席付近で、南公フェミリアン公爵が微かな苦笑を浮かべているのが見えた。そして、王陛下の足元の議長席で、西公ウォーテニア公爵が微かに頷いてくれたのが見えた。
「北公爵さまのご指摘をいただきまして、私なりに代案をご用意させていただきました」
俺は剣を抜く。そして気合いと集中を持って切っ先を北公に向ける。
そんな心持ちで、口を開いた。
「北公さまのご指摘通り、今回の件、第三者から見れば確かに我々の落ち度を見咎められてもしょうがないかもしれないです」
議場が静まる。
北公がふんっと鼻を鳴らす。その鋭い眼光が俺を射竦める。
その懐に、いかに斬り込むか…。
「しかし、魔獣が何者かの意識を受けたかのように動き、そこにラブレ男爵の介在が疑われる。その点もご理解いただきたいのです」
「事実であれば、大問題だね」
南公がニヤリと笑う。正体が見えない人だ、と思う。
「その通りです、フェミリアン公爵さま。ですから私は、どうか陛下以下王統府のお力で真実を見定めて頂きたいのです。そのためならは…」
俺はそこで一拍置いて気持ちを落ち着けた。
そして、その言葉が明確に伝わるように、ゆっくりと宣言する。
「そのためならば、私たちリムウェア侯爵家は、王統府の査察も甘んじてお受けしたいと思います」
俺の言葉に、会場がどよめいた。
南公が肩をすくめ、議員たちは互いにひそひそ何かを話し出す。
北公と西公が眉一つ動かさず、俺を見据える。それと、国王陛下の鋭い視線が突き刺さってくる。
「カナデ!」
シリスが慌てたように俺の肩を掴んだ。
「落としどころを探せとは言ったが、北公の意見を丸々飲めとは言ってないぞ」
俺はシリスを一瞥してから、前を向いた。
「皆様に重ねてお願いいたします。侯爵家の査察と同時に、魔獣使役の解明と事実調査のために、ラブレ男爵への査察もお願い致したいのです」
俺は、同時に、を強調した。
会場のざわめきが高まる。
喧嘩両成敗。
対立する両方を第三者である王統府が査察する。
これが俺の考えた落としどころ、だ。
「カナデ!」
シリスが俺の肩を引いて自分の方に向き直らせた。その力が強くて、少し痛い。
「お前、わかっていないな?地方貴族が王統府の査察を受け入れると言うことは、そんな軽い話ではないぞ。統治能力に疑問を持たれると言うことだ。貴族に取ってこれ以上不名誉な事はない。リムウェアの名に傷が付く!」
俺は真っ直ぐにシリスを見上げ、静かに首を振った。そして、議場に響き渡るようにお腹に力を入れて言葉を紡ぐ。
「シリス。私は、お父さまにもリムウェア侯爵家にも誇りを持っています。領地の統治にもインベルストの街にも、誇り高く魔獣と戦った白燐騎士団にも、一片も恥ずべきところなどありません。だから査察を受けたところで後ろめたい事など何一つ無いんです。なら、何も恐れる必要なんてないでしょう?それでこの魔獣の問題が解決に進なら、リムウェア侯爵家は喜んでその身を差し出します。それが私たちの覚悟であり責務です」
俺はくるりと議員の方に振り返った。胸元のスカーフがふわりと舞う。
「いかがでしょうか、皆さま。私の代案、受けて頂けるでしょうか」
場がしんっと静まり返った。微かに俺の声の反響が耳に残る。
そっと北公を窺うと、厳つい顔に深い皺を刻んで顔をしかめている。
俺の斬撃はその身に届いただろうか。
その静けさに俺がドキドキし始めた時、静かな議場に低い音が響き始めた。初めはそれが何か分からなかった。
「くくくくっ…」
国王陛下が笑っていた。俯き、巨躯を小刻みに震わせていた。そして顔を上げると、少しの間天井を見上げ、そして愉快そうな笑顔で議場を見回した。
「小娘にこれだけの大言を吐かれてはな。否と申せば、こちらの器が疑われよう。北公。そなたの負けだな」
少し間が空いてから、北公は国王陛下に頭を下げた。
「…はっ」
北公はますます苦い顔で俺を睨む。
思わず背筋が冷たくなった。
「リムウェアのカナデ。お前が男なら、王直騎士団の騎士にしたのだがな…。惜しいな。レグルスは良い子を持った」
議場に国王陛下の低い声が響き渡る。
俺は気恥ずかしさと恐縮で、そっと頭を下げた。
「双方に査察団を送る。それで事態もつまびらかになろう。査察団の編成は後日言い渡す。諸侯よ、何か意見のある者は申せ」
国王陛下に声を上げるものはいなかった。
シリスが、そっと俺の肩に手を乗せる。今度は優しかった。
「ではこの議題については、決と致しますぞ」
柔らかな笑みで、西公が俺を見る。
俺はそっと目礼を送った。
国王が肘掛に頬杖を突きながら、愉快そうに口元を歪めた。
「レグルス・リムウェアの子、カナデよ。下がるかよい。我々に示した矜持、ゆめ忘れるでない」
俺は大きく息を吸い込む。
「はい!」
そして居並ぶ議員たちに多きく一礼すると、身を翻した。
シリスが後ろからついて来るのを感じながら、俺は議場を後にする。
これで何かが動き出すに違いない。
その確信を胸に抱きながら。
早くも40話目となりました。
いささか冗長になりました大審院編もラストです。
読んでいただいて、ありがとうございました!




