Act:4
泣きじゃくるユナを俺から引き離したフェルドは、そのまま彼女を屋敷の奥に連れて行った。角の向こうから聞こえる泣き声が、だんだんと小さくなっていく。
「何なんだ?」
「……さぁ。カナデのファンか?」
お気楽な発言に、俺は優人を睨みつける。
その後、俺と優人は別のメイドさんに案内され、応接室のような部屋に通された。
そのメイドさんも、驚いた様に俺の顔を二度見していたし……。
優人と一緒に、クラシカルで豪華な応接室で所在なさげにしていると、白くなった髪をオールバックにし、片眼鏡をかけた老人が入ってきた。黒を基調とした燕尾服。パリッとしたシャツにネクタイ、白い手袋。まさに、老紳士という形容がぴったりだった。
分かる。
俺には、彼が何者なのか。
「侯爵家で執事を勤めておりますアレクスと申します。よろしくお願い致します、新しきブレイバーの方々」
やっぱり。
執事のアレクスは深々と頭を下げた後、やはり俺を見て数秒硬化した。片眼鏡がきらりと光る。
俺達はそれぞれ一礼して名乗った。
「……カナデ様と優人様ですね。当家の主より、お二人を歓待するよう申し付けられております。お疲れでしょう」
立ち直ったアレクスは人の良さそうな笑みを浮かべた。
「お食事も用意致しました。今宵はゆっくりお休み頂き、明日主様とご面会頂く予定です」
「申し訳ありません。お世話になります」
「いいえ。困った時はお互い様、ですよ」
老執事は眩しそうな目で俺を見ると、ゆっくり頭を振った。
アレクスの案内で俺達は食堂に通された。入った瞬間、一斉に頭を下げるメイド軍団に威圧される。その中から、メガネの女性が進み出た。スラリと背が高く、艶やかな黒髪を結い上げた少し目つきの鋭い女性だ。
「当家の女中長、リリアンナと申します。」
リリアンナさんが一礼する。
きらりと光る眼鏡と鋭い視線。何か中学の現国の先生に似ている気がする……。
因みに彼女は、俺を見ても変わった様子はなかった。その普通の反応が、逆に新鮮だった。
俺たちは見たことない巨大な机に座らされた。続いてメイド軍団さん達が、俺たちの目の前に次々と料理を運んで来る。
カボチャのポタージュに似た冷製スープ。赤い葉のサラダ。なんかの魚の焼き物。キッシュもどき。どれも見たことない盛り付け、知らない味だったが、とてつもなく美味しかった。腹を空かせた体にぽんぽん収まっていく。
無心でスプーンとナイフを動かす。
ふと顔を上げると、対面席の優人がメイドさんの1人と談笑していた。
「あの、箸ってないっすか?」
「ハシ、でございますか?」
「えー、こう二本の棒で掴んで、ジャパニーズのトラディショナルな…」
「ふふふ、ございますよ」
クソ、この全自動型環境適応人間め。
対して俺のところに来るメイドさんは、明らかに様子がおかしかった。
ちらちらと俺の顔を盗み見たり、運んできた皿がカタカタ鳴るほど怯えていたり……。
何だ、この扱いの差は。
俺が何かしたのか…?
……それとも、男女がばれたのか?
理不尽さを感じながらも食事を終えた俺達は、メイドさんに案内されてそれぞれ別の部屋に案内された。
この世界で唯一の心許せる仲間、優人と離れる事に不安はあった。しかし、初めから疑って掛かるより、信じてみる事の方が建設的だと自分に言い聞かせる。それに、なんだかんだで優人に頼りっぱなしなのは不甲斐ない。
俺は女中長のリリアンナさんに案内された部屋に入った。
開いた口が、塞がらなくなった。
学校の教室より広い部屋に、一目で高級と分かる調度品。天蓋付きの巨大ベット。猫足のテーブルの上に用意されたティーセットは、まるで一枚の絵の様に整然とセッティングされていた。
……なんなんだ、このセレブリティな空間は。
「……カナデ様」
入り口で硬直している俺に、リリアンナさんが声をかける。
俺は慌てて部屋に入る。ふわりと驚くほど柔らかい絨毯の感触に、さらに驚く。
正直広すぎて落ち着かない。これなら優人と同室でも良かったのでは……。
「浴室の準備はできております。こちらです」
俺はリリアンナさんに促され、部屋に続く脱衣場に入った。高級ホテルみたいだ。
今日一日翻弄され続けた俺は、もうへとへとだった。
正直お風呂は有難い。
浴室を覗く。今までの流れだと、バスタブとかシャワーだけとか洋風な浴室のイメージだったが、案外風呂周りは日本風の様だった。
ほっと一安心。
やはり1日の終わりにはお湯につからなければ、疲れがとれないというものだ。
俺はシャツのボタンに手をかけて、そこで停止する。
「……リリアンナさん。申し訳ありませんが、お風呂に入りたいので出ていただけますか?」
俺の後ろに佇むリリアンナさん。彼女は不思議そうに首を傾げた。
「洗濯致しますので、お召し物をお預かり致します。後ほどお着替えもお持ち致しますので。お背中もお流し致しますか?」
「け、結構です!……後で呼ばせていただくので、一旦出ていただくと有り難いです……」
「承知致しました」
リリアンナさんの退室を待って、俺は深くため息を吐いた。
わかってはいたが、この金持ち感覚について行くのは一介の学生には荷が重すぎる。
俺は改めてボタンを外し、シャツを脱ごうとしてはっと気がついた。……気がついてしまった。
今の俺は、あーなっていて、こーなっていて……。
つまり。
女になってしまっているということに。
うぅぅ……、くそぅ、どうして風呂に入るだけでこんなに悩まなければいけないんだ?
服を脱げば見えてしまうけど、汗まみれ、ユナの涙と鼻水まみれのままでいたくはない……。浴室から漂う湯気が、実に誘惑的だった。
一体これは何の試練なんだろうか……。
おじいちゃん……。
……大丈夫だ。おじいちゃんの様な巌の様な精神があれば、動じる事などない。
ましてや自分の体ではないか。
しばしの熟考の末、俺は入浴欲望に従う事にした。
目をつむり、なるべく見ないように服を脱ぐ。それでもちらちらと胸の膨らみや腰の丸いラインが視界に入って、俺は若干パニック状態だ。
ドキリと胸が高鳴る。
制服を脱衣籠に投げ込み、手近なタオルを体に巻いて、俺はてってってと湯船に駆けた。
浴室もやはり半端なく広かった。石造りの広い湯船は、最早温泉旅館規模だ。そこに張られたお湯は桜色をしていて、ほのかに甘い花の香りが漂っていた。
こちらの世界の入浴剤かな。
俺は適度に熱い湯船にゆっくりとつま先から入っていく。
「はぁっ……ふえぇぇ……」
体の中の黒く凝った疲れの固まりが、桜色のお湯に溶けだして行くようだった。
胸の奥の芯がほっこり温かくなっていく。お湯が桜色の濁り湯なので、下が見える心配もなく安心だ。精神衛生上、その方がいい。
「うんっっ!」
広い湯船にめい一杯手足を伸ばした。
前に伸ばした自分の腕の白さにどきりとする。艶やかな雪のように白い肌に、水滴がつぅっと流れていく。もともと色白な方ではあったが、以前とは色も艶も全然違う。
そういえば、まだ自分の顔を確認してなかったな。
俺は、浴室の壁面の鏡の前まで、湯船に浸かったまま泳ぐように移動した。
鏡に写り込んだのは、白い頬を淡く上気させた銀髪の少女の顔だった。
白雪を思わせる銀の髪が濡れて、頬に張り付いている。驚いたように見開かれる大きな瞳は深い緑。何か言いたそうに少し開いた小さな唇は桜色。鼻には昔の自分の面影があるが、全体的な顔立ちは完全に少女のそれだった。
俺は恥ずかしくなって、お湯に深く浸かる。
桜色のお湯に、銀の髪が広がる。
これじゃいくら男だと言っても信じてくれない恥だ。
俺だって、信じられない。
お湯から半分顔を出した女の子が、鏡の中で困ったような顔をしていた。
「カナデ様。お着替えをお持ち致しました」
「あ、ありがとうございます」
不意に声を掛けられ、やましいことはしていないのに、どきりとしてしまう。
脱衣場のリリアンナさんにお礼を言うと、俺は一度じゃぼんと頭までお湯につかって、上がる事にした。
問題は山積みだ。体の事、唯達の安否、そして日本に帰ること……。
でも当座の懸案事項は、これから体を拭いて服を着なきゃいけない事だ!
あー、もう自棄だ。新しいタオルでごしごしごし体を拭き、用意された新しい服を着る。
しかし。
な、なんだ、これは!
有り得ないだろ!
ス、スカートは有り得ない!さすがに!
下着まで…。
ぐぐぐっ…。
ううううっ…。
頭の中で何かが崩れる音が響く。
俺は。
お、俺は……
……結局俺は、用意された物を身に着けて浴室を出た。
リリアンナさんが持って来てくれたのは、スカートがふわりと広がった白のワンピースだった。ノースリーブで涼しい。スカートのプリーツ部分には緑が入っていて、襟元の飾りネクタイも緑だった。
女装状態の、むう、精神的にという意味だが、そんな俺を、リリアンナさんと3人のメイドさん達が取り囲む。
「カナデ様、こちらに」
「……はい」
現国教師に補習を命じられた時のように、俺は大した抵抗もできず、ドレッサーの前に座らされた。
そこからは、流れるような連携作業で俺の髪が整えられていく。濡れた髪が即座に乾かされ、ブラッシングを受け、ワインレッドと緑のリボンでポニーテールが作り上げられる。
俺は驚きと感心でその光景を見つめる事しか出来なかった。
「カナデ様、こちらに。主の下にご案内致します」
「え?明日お会いすると聞いてましたが……」
俺は、鏡越しにリリアンナさんを見上げる。
「主が特別にカナデ様とお話をされたいそうです。どうぞ」
俺は促されるまま、リリアンナさんの後を慣れないスカート姿で歩き出した。
違和感を感じる。
足元がスカスカして頼りない感じとか、リボンでまとめた髪が揺れる感じとか。
淡いランプの光が照らす廊下は薄暗く、見通しが良くない。もしあの角から優人が出て来て今の俺の姿を見たら、どうだろう。
まぁ、簡単な事だ。
俺の人生がここで終わるということだ。
……ああ、そうだ。
どうせなら優人も道連れだ。そうすれば目撃者の抹殺も達成出来るのだから。
無駄な思考を巡らせながら5分くらい歩いただろうか。
まったく、広い屋敷だ。
リリアンナさんが両開きの扉の前で立ち止まった。
「こちらへ」
扉が開かれる。
そこは、先ほど俺が通された部屋よりもさらに広い部屋だった。軽くテニスぐらいはできそうだ。
入り口の脇にアレクスが立っていた。老紳士然とした優雅な動作で一礼し、優しそうに微笑む。
「よくお似合いでございます」
「えっと、えー、ありがとうございます」
俺も頭を下げる。洗ったばかりの髪がサラサラ揺れる。
アレクスの隣には、無精髭の似合う大男がしげしげと俺の顔を凝視していた。フェルドより立派な鎧を着ている。フェルドの上司、だろうか。
「カナデ様、あちらに」
最後に入ってきたリリアンナさんが扉を締め、俺を部屋の中心の天蓋付きベッドへ促すと、そのままアレクスと巨漢騎士の隣に並んだ。
俺は恐る恐るベッドに近づく。深い絨毯に足が沈み込む様だった。
開け放たれた窓から吹き込む涼やかな風が、カーテンを、ベッドを囲むヴェールを揺らす。
微かな夜の香りがした。
「こちらへ」
ベッドから声がする。お腹に響く、よく通る低い声だ。
俺はヴェールを開いてベッドサイドに立った。
幾つものクッションで身を起こし、分厚い本を手にしていた老人が俺を見据えていた。
「……なるほどな。皆が騒ぐ理由がわかった」
老人は本を脇に置き、眼鏡を外した。
猛禽を思わせる鋭い眼光だった。高い鼻と頬の落ちたシャープな顔つきが、余計に鷲のようなイメージを連想させる。背中に流した白髪と皺のせいで老人にも見えるが、羽織ったガウンの上からでもわかる鍛えられた体躯が、未だ精強な武人の風格を漂わせていた。
何となく尊敬する祖父を連想してしまう。
「この様な態勢からすまぬな、異界の住人よ。少し体調が悪くてな。許せ。ワシはこのリムウェア侯爵領を預かるレグルス・リムウェアだ」
老人は笑顔で手を差し出す。しかしその鋭い眼光は俺を捉え続けていた。
俺は侯爵の手を握り返しながら、祖父との稽古を思い出していた。
相手がどんなに強大でも、気持ちが折れなければ負けない。しっかりと相手を見据え、目を逸らさない。
「篠崎カナデと言います。今日は自分達を助けて下さって、有難うございました」
俺は自分の緊張と鼓動を押さえる意味を込めて、ゆっくり丁寧に頭を下げた。
「ふむ、礼儀は知っているか。面白いな」
レグルス侯が独り言のように呟いた。
「カナデ、単刀直入に言おう。わしは、お前と取引がしたい。わしは、今後お前達の行く末を支援してやろう。ノエルスフィアの知識、技術訓練、仕事、食料に家。全てだ。お前たちには必要だろう」
俺は息を呑んで侯爵の言葉を理解しようとする。
取引……。
「その対価として、お前は我が娘となれ」
はっ…?
耳を疑う。
この老人は、突然何を言い始めたんだ?
「お前は、一月前にこの世を去った我が娘エリーセに瓜二つだ。我が娘エリーセとなれ。諾とすれば、このリムウェア侯爵が我が名に誓ってお前の友人を守ってやろう。どうだ?」
眼光鋭く老貴族は笑う。
お風呂の回でした。
暑い一日のシメはお風呂に限りますね。
ご意見、ご指摘等、そっと教えてくだされば幸いです(笑)
ご一読下さった方々、ありがとうございました。
また、見かけた時にはよろしくお願い致します!