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雪色エトランゼ  作者:
第1部
35/115

Act:35

 夜になる。冷たく澄んだ空気のおかげで、信じられないような量の星が瞬く。その圧倒的な星がまるで海面に落ちたかのように水の中がぼぅと輝く光景は、言葉が出ないほど神秘的で思わず心を奪われてしまう。

 シズナさんに尋ねてみると、ノエリア内海に生息する光藻の群体だと教えてくれた。

 俺がおおっと感嘆しながらその光景に見つめている周りで、シュバルツたち騎士やメイドさんたちも集まって来てやはり驚きと感動の声を漏らしていた。

 旅慣れたシズナさんたちには見知った光景でも、街暮らしの俺たち侯爵家組には珍しいものだ。

 「綺麗…」と感動に瞳を潤ませるメイドさんの隣で、シュバルツがどこから取り出したのか干し肉をしがんでいた。

「あの光るやつ、スープに浮かべたら豪華に見えるよな、がはははっ」

 大声で笑うシュバルツ。雰囲気も何もあったものではない。

 みんながじと目でシュバルツを睨む中、そういえば、リリアンナさんの姿が見当たらないことに俺は気が付いた。

 俺はそっと船室に入る。

 ランプの淡い光が照らし出す食堂に1人、リリアンナさんがいた。下を向いて何やら唸っているリリアンナさんに、俺は声をかける。

「リリアンナさん、どうかしたんですか?」

「カ、カナデさま…」

 リリアンナさんが顔を上げる。

 いつも精悍な表情のリリアンナさんが真っ青な顔で荒い息をしていた。

「リリアンナさん、大丈夫ですか!?」

「も、申し訳ありません、カナデさまの前で…。少々気分が…」

 少々どころではなさそうだ。

 俺はリリアンナさんの隣に腰掛けて、背中をさすった。

 多分船酔いだろう。

 リリアンナさんは申し訳ありませんを連呼していたが、弱りきっていてそれ以上動けないようだった。

「私、乗り物はどうも苦手でして…」

 弱々しく呟くリリアンナさん、不謹慎にも俺は少し嬉しくなった。

 いつも完璧超人なリリアンナさんの弱点を見つけられた事と、いつもお世話になりっぱなしのリリアンナさんの役に立てるかな、と思えたから。

「リリアンナさんにはいつもお世話になってますから。いつもありがとう」

 俺が小さく呟くとリリアンナさんはびくんと身を震わせた。

「そんな、もったいのうございます…」

 俺はえへへと笑う。

 その瞬間、どしどしと食堂に踏み入って来たのはシュバルツだった。

「あー、酒、酒と。後は肉はどこだ」

 俺とリリアンナさんの視線がシュバルツに突き刺さる。

 まぁ、こいつはこんな奴だよな…。

「なんだ、お嬢さまとメイド長。お前らも肉、食うのか?」

 いらんわ!

 隣で何か想像したのか、リリアンナが口元を手で押さえる。

「わぁー、リリアンナさん、大丈夫ですか!」

 結局、船旅の間はずっと寝込んだままのリリアンナさんのお世話をすることになった。他のメイドさんたちと交代で看病だ。リリアンナさんはずっと恐縮しっぱなしだったが。

 そのリリアンナさんの苦しみも、リコットⅢ世号がノエリア内海の港町に入港したことにより、やっと終わりを迎えた。

 船から見渡す港町は、海岸から上る斜面に作られた坂の街だった。背は低くどれも小ぶりではあるが、美しい白亜の建物が連なる風景は、まさに異国情緒に溢れている。

 知らない土地に来たんだな、という実感が湧く。

 俺たちはここで下船だ。優人や夏奈たちとまたしばらくお別れになる。

 兵と騎士、メイドさんたちがいそいそと荷物を下ろし下船準備をしていく。それを指揮するリリアンナさんも、まだ少し顔が青いが船酔いは落ち着いているようだった。

 集まってくれたシズナさんたちパーティーの前に俺は立つ。優人が、「久しぶりに太陽を見たなー」とか言いながら伸びをしている。船の燃料タンク役で機関室に籠もりっぱなしか…。気の毒な奴。

 俺はまずリコットにお礼を言った。

「快適な船旅でした。ありがとう」

「当たり前よね。あたしの船だし」

 胸を張るリコットに、俺は顔を近づけて小さな声で囁く。

「優人をよろしくね」

「あ、当たり前よ。あ、あたしの、ダーリンなんだから」

 リコットは照れた様に少しだけ笑った。

 俺はシズナさんに頭を下げる。

「優人と夏奈のこと、どうかよろしくお願いします」

「カナデさんも気を付けてね。王都には沢山の人がいるわ。沢山いるだけに、色んな人がいる。魔獣より手強いわよ」

「はははっ…、頑張ります」

 俺はシズナさんと握手を交わす。その後ろで禿頭さんが大きく頷いていた。…いたのか。

 次に夏奈に笑いかけた。

「あんまり無茶するなよ」

「大丈夫だよ。このキングアーチャー、ナツ様に任せなさい。あ、クイーンか」

 胸を張る夏奈。

「陸、早く見つけてやろうな」

「大丈夫、大丈夫。あいつもどっかで元気でやってるって!」

 ニシシと笑う夏奈。コイツは大丈夫だな。少々の事があっても、きっとへこたれないに違いない。

 最後に俺は優人に向き直った。

「夏奈のこと、よろしく頼む、な」

「お前も無理するなよ。…それと」

「それと?」

「あのシリスとかいう奴には気を付けた方がいい」

 優人はそっと囁いた。

 俺は眉をひそめる。

「何でだ?」

「いや、まぁ、色々とだよ。色々と…。とにかく気を抜くなよ」

 俺は良くわからず首を傾げる。

「まぁ、頑張れ」

 その俺の頭をポンポン叩く優人。

 うー、そのポンポンはいい加減やめて欲しい…。

 俺は桟橋に降り立つと、改めて船の上のみんなに一礼した。

「みんな、無事な航海をお祈りします!」

 夏奈やシズナさんが手を振る。優人はいない。また燃料タンクに戻ったようだ。

 汽笛がなる。船が動き出した。

 別れはやっぱり寂しい。

 ノエリア内海に進み出る船を、俺はしばらく見送ってから、俺を待ってくれている人達に振り返った。

「さ、行きましょうか」

 騎士たちとメイドさんたちとそしてシリスを従えて、俺は迎えの馬車に向かった。



 俺はシリスに申し出て、馬車ではなく馬の方に乗った。知らない街の風景や空気を直に感じたかったから。

 港町独特の物と人が溢れる活気が心地よい。道端に運ばれてきた荷や水揚げされた魚が雑然と並ぶ風景は、どこかインベルストに共通する雰囲気があった。威勢のいい男たちの叫び声が響く。ちらちらと俺を窺う視線を感じるが、ぞろぞろと隊列を作る一行が珍しいのだろうか。

 潮が少し混じった風が白亜の通りを駆け抜けていく。

 その風に遊ばれて、ふわりと銀糸の髪が流れる。

 俺は目を閉じて、そっとその風に身を委ねる。

 気持ちいい。

 ふと視線を戻すと、シリスがじっとこちらを見ていた。俺と目が合うと目を泳がせた後、視線を外してしまう。

 …何だ?

 そのシリスの案内に従って町外れの王直騎士団駐屯地に到着した。シリスの説明では、この港町は既に王統府領だということだ。治安警備には王直騎士団が当たっているらしい。王都防衛大隊ではないので、シリスの直接の部下ではないようだが。

 俺たちが駐屯地の広場に入ると、訪問者の隊列に周りの騎士たちの視線が集まる。

 その中から、赤髪をポニーテールにまとめた鎧姿の少女が走り出してきた。そしてシリスの馬の前できりっと敬礼する。

「長旅お疲れ様でした、シリスティエール副隊長!」

「ああ。迎えはレティシア、お前だけか?」

「ヴィンベル卿とグラベル卿もいらしてます。あと、護衛に二個小隊来ております」

「わかった。ではリムウェア侯爵令嬢をご案内しろ。今日はここで休み、明日王都に発つ」

「了解しました!」

 赤髪の少女騎士はとっとっと馬車に近づくと、扉を開け、恭しく片膝をついた。

「侯爵令嬢さま。私は王直騎士団王都防衛第1大隊所属騎士、レティシアと申します。お嬢さまの護衛に付かせていただきます。よれしくお願い致します!」

 気合いの入った口上を上げる騎士レティシアだったが、その前には俺ではなく、馬車で若干乗り物酔いしたのか、少し青い顔のリリアンナさんがいた。

「あれ?お嬢さまは何故メイドの格好を…」

「…ご丁寧な挨拶ありがとうございます。しかしカナデさまはあちらに」

 リリアンナさんが俺を指差す。

「あれ?」

 首を傾げたレティシアがポニーテールを振っててこちらにやって来た。

「侯爵令嬢さま。私は…」

 同じ口上を延べ始めたレティシア。俺はそっとシリスを窺うと、目を覆ってため息をついていた。

 …苦労してるのか、あいつも。

 馬を下りる。俺は乗せてくれた感謝の意を込めて馬の鼻面を撫でた。馬を駐屯地の兵に預け、レティシアに案内されて今日の寝床に向かいながら、俺はそっとシリスに並んだ。

「シリスティエール副隊長?」

「ん、なんだ」

「本名、あったんだなと思って」

 俺はむうっとシリスを上目でシリスを睨む。

 シリスはにっと人の悪そうな笑みを浮かべると、俺の肩に手を置いた。

「悪かったな。そうすねるなよ」

 馬鹿か、こいつは…。誰も拗ねてなどいない。ただ、俺の知らない長い名前があったことに少し驚いただけだ。



 翌日。

 王直騎士団2個小隊を加えて大所帯となった俺たちは、王都に向けて出発した。

 俺は昨日に引き続き、馬車ではなく馬に乗る。

 街をでると、下草の短い草原が緩やかな起伏を繰り返しながら広がる大地に、一本の街道が伸びる風景が広がっていた。青い空に雲が流れる。その影が草原に落ちて緑に濃淡をつけていく。風が吹いて草が小波のように鳴っている。遠く山々の影と森のシルエットが見渡せる世界は、どこまで広がっているのだろうか。

 綺麗に整備された街道筋は人通りや物の往来も多い。路面は石畳で舗装されていたし、道幅も相当広く取ってある。別れ道には必ず案内看板が立っていたし、簡易な休憩所が作られているところもあった。

 やはりインフラ整備の基本として、街道の整備は外せない。特に物流中継地としての役割があるインベルストにはそれが重要だ。路面整備などの既存の設備の保守管理だけじゃなく、思い切って道幅拡幅や通りやすく所要時間の短い新ルートを開くところまで始めてもいいかもしれない。

 帰ったらお父さまや執政官たちと相談してみようと思う。

 そこへ、王直騎士団の騎士が1人、馬を並べてきた。金髪を綺麗に結った、俺より少し年上そうな男だった。

「おい、お前。年は幾つだ?」

 何だ、こいつ…?

 突然のあまりに無礼なもの言いに、俺はむっとして男を睨む。

「おっと、そう怖い顔するなよ。たかだか田舎貴族の娘でも、今は俺たちのゲストだ。ゲストを退屈させないために、話し掛けてやってんだろ?」

 男が下品に笑う。同時に、王直騎士団の兵たちの中にも嘲笑のような笑いが広がった。

 ガツンと言ってやろうかと思った時、レティシアが馬を進めて来た。

「まあまあ、ヴィンベル卿。お嬢さまのお相手は私が…」

 困ったような笑顔を浮かべたレティシアが頭を下げる。ヴィンベルと呼ばれた男は、面白くなさそうにふんっと鼻を鳴らして下がっていった。

「なんです、あれ」

 俺が腹立ちを抑えて尋ねると、レティシアはやはり困ったように笑った。

「ご存知だとは思いますが、王直騎士団、特に王都防衛大隊は王都に住む直参貴族の子弟で構成されてますから、ああいう地方の貴族を見下すような方がたまに、たまーにいらっしゃるんです。ははは…、ごめんなさい、リムウェアさま」

「別にレティシアさんが悪いわけじゃないです」

 俺はレティシアに微笑みながら、暗澹たる気分だった。こういう裏で交わされる鞘当てに耐えなければいけないのは良くわかる。しかし分かるからと言って耐えられるかは別だ。

 美しく牧歌的な周りの風景とは裏腹に、俺は暗い気持ちでそっと溜め息をついた。

 その時、隊列の進む足音だけが響いていたところに甲高い馬のいななきが響き渡った。

 先頭を進んでいたシリスが手を上げ、隊列の停止を命じる。

「何でしょうか」

 レティシアが不安そうに呟いた。

 隊列の先、道が二股に分かれている左側。森の中に進み上り坂になっている向こう側から、一頭の馬が走って来るのが見えた。鞍は付けられている。荷物も吊ってある。しかし人影は見えない。馬だけがこちらに走って来た。

 兵たちが手を広げて馬を止めにかかる。

 シリスが俺とレティシアのところにやって来た。

「状況は分からんが、あの馬の乗り手は何者かに襲撃された様だな」

「襲撃?」

 レティシアが息を呑む。

「馬の尻に矢が刺さっていた。盗賊あたりか」

「王都はあちらではない。俺たちには関係ないことだ。ここは先に進むべきだろう」

 先ほどのヴィンベルが戻ってきて、シリスに告げた。

「襲われている人がいるかもしれないなら、状況を把握するべきでしょう」

 しかし俺はそう即答していた。

 レティシアとヴィンベルが驚いたようにこちらを見る。

「あのな、お嬢さま。俺たちは王都防衛大隊だ。こんな野っ原のいざこざなんて管轄外なんだよ」

 ヴィンベルが馬鹿にしたように俺を嗤う。

 俺はその戯言を無視する。

 困っている人がいるかもしれない。傷ついている人がいるかもしれない。そして、助けられる力が俺たちにはある。なら、助けない理由はない。

 別にヴィンベルに対抗しているわけではない。

 誓ったから。俺は俺の意思において、リムウェアの名に恥じぬ行動をとる、と。そして、こういう場合、祖父もお父さまも知らん顔して通りすぎる事をよしとはしないだろう。俺もそうだ。

「結構です。ここはリムウェア侯爵家白燐騎士団が参ります」

「カナデ、だから無茶は…!」

 そう止めかけたシリスの声を無視して、俺は馬首を巡らせた。

「シュバルツ、隊列を組みなさい!私にも剣を!白燐騎士団、出ます!」

 暇そうに欠伸をしていたシュバルツが、きょとんとした後、俺の命令を理解して獰猛な笑みを浮かべた。

 別れと出会い回でした。旅の醍醐味でもありますね。 

 ぶらり王都の旅編はもう少し続きます。


 ご一読ありがとうございました!

 

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