Act:34
お父さまが政務に復帰した後。俺は午前はお父さまの秘書のような仕事を、午後は中断していた各種講義や乗馬、騎士団のみんなに剣術を教えてもらう日々が続いていた。
そして秋も深まりつつある今日。かねてからシリスに求められていた通り、王都へ発つ日がやって来た。インベルストの騒乱や魔獣を使役する者がいる可能性などを王統府の大審院で報告しなければいけない。お父さまの名代としての大切な仕事だ。
インベルストを離れるにあたって、不安なのはやはり魔獣や黒騎士の事だった。
あの夜以来、インベルストの街は平穏だった。しかし、もしも黒騎士が攻めてきたら?
俺はその不安をシリスにぶつけたことがあった。
シリスは俺の質問に薄く笑う。
「お前も黒騎士の同士討ちを見ただろ。俺にはあれが、独断で暴れた者を排除したように見えた。つまり、奴らは、まぁ、この場合は奴らの主あたりは、まだ力押しに訴える気はない、ということを物語っている」
「黒騎士の力で圧倒できるのに、それをしない。それはつまり正面からの戦いは望んでいないということ?」
「そうだ」
「でも、魔獣の襲撃だってあったし…」
「それこそ、黒騎士の主が王国という秩序の枠組みの中で仕掛けてきている証左だ。黒騎士や魔獣の力を使えば、あの時インベルストを滅ぼす事は出来たはず。しかし、奴らが仕掛けたのは何だ?祭りを台無しに、街中に魔獣を招いたという醜聞を晒し、侯爵家の名を落とすことだ。侯爵家を滅ぼすことが目的じゃない。王国の中の侯爵家を貶めるのが目的だ。だから、王国そのものを敵に回すような暴挙は取れないのさ」
シリスはおどけた様に肩をすくめた。
「だから黒騎士はこの局面では仕掛けられない。主が望んでいないからな。だからこそ今王都に行く必要があるのさ」
俺はやはり疑問に首を傾げた。
「奴らが力で事を運ぶ前に、王統府を巻き込んで包囲網を作る。合法的な、な。魔獣や黒騎士の現実の脅威に晒されている侯爵家と魔獣使役の可能性という潜在的な脅威を抱く王統府は協力できる」
そういうとシリスは獰猛に笑った。
そのシリスの意向とお父さまの考えを受けて、俺は旅立つことになった。
見知らぬ場所、見知らぬ土地へ。
リムウェア侯爵家の名を背負う以上、無様な姿は見せられない。
ブーツにプリーツスカート。ブラウスの上から白に緑が鮮やかなドレスコートを羽織る。
俺は胸元の緑のリボンをきゅっと締めて気合いを入れる。
お父さまと馬車でロストック大河の岸に作られたインベルスト港に赴く。
王都へは、途中までリコットの船、それからはシリスが用意してくれる馬車で移動することになる。概ね片道一週間程。王都の滞在は二週間程の予定だった。
大河の水深は深い。さらに大型船が着けるように整備されたその埠頭に、リコットの船が見えた。周囲には荷物の搬入を行う作業員に、警備の兵や俺の護衛として同行する騎士団小隊。そしてメイドさんたちの姿があった。
馬車を降りると、少し肌寒いくらいの風に水の匂いが漂う。
旅立ちというのも緊張するな…。
そういえば、ノエルスフィアに来てからまだインベルストを離れた事がない。
俺は強張った面持ちでリコットの船を見上げた。近くで見るとなかなか大きい。
「カナデちゃん!」
その側舷から夏奈が勢い良く手を振ってくる。姿は見えないが、優人もどこかにいる筈だ。
優人たちシズナさんのパーティーは、リコットの依頼を受けてローテンボーグの街に向かう事になっていた。俺たち侯爵家ご一行は、その旅程に便乗させてもらうのだ。シリスあたりは、最後まで優人に王都まで来るよう求めていたが、リコットの依頼の方が先だと結局突っぱねられた。
それに、リコットの依頼もあながち魔獣騒ぎの本旨から外れているわけではなかったから。
「カナデ。体に気をつけてな。無理をするな。ワシはお前の無事な帰りだけを望んでいる」
お父さまが優しげな眼差しで俺を見る。
「はい、リムウェア侯爵家の名を汚さないよう、頑張ります」
俺が頷くと、お父さまはふっと笑って静かに頭を振った。
「侯爵家の名はな。わしや家だけのものではない。もはやお前の名でもあるのだぞ」
俺はドキリとする。
心臓が大きく高鳴った。
「カナデ。自分の名に恥じないよう行動しなさい」
その短い言葉が、胸の奥に深く沈んで行く。
俺はもう一度力を込めて頷く。そして深く頭を下げた。
やはりお父さまは向こうの世界の祖父に似ている。俺の憧れていた威厳ある祖父に。
俺は騎士に手を引いてもらい、船に上がった。
キャビンにもたれ掛かっていたシリスが俺の姿を見つけて手を振る。
…キザなやつ。
「準備は出来ているわよ、あんた以外」
一段高い上甲板からリコットの声がした。
「待たせてすみません。では出発しましょう」
俺は叫び返す。
「仕切なっつーの」
リコットがぼそっと呟く。
ははは…。聞こえない、聞こえない。
俺の両脇には、同行してくれる女中長のリリアンナさん、護衛騎士隊隊長に任命されたシュバルツが並ぶ。
俺はコートの裾を膨らませてくるりと振り返った。
「では皆様、行って参ります!」
そして丁寧にお辞儀する。
「ダーリン、力入れて!出港するわ。前進微速!」
リコットが叫ぶ。
何かが動き出す振動と共に、船がゆっくりと動き出した。
桟橋から手を振るメイドさんたち。アレクスとお父さまがじっとこちらを見つめていた。その隣には丁寧に頭を下げてくれるギリアムの姿があった。主席の姿は見えない。どうせ仕事が忙しいとか言ったのだろ。
市民長たちも幾人か見送りに来てくれていた。
彼らに見送られつつ、船はゆっくりと大河の流れを下り始める。
そして大きく突き出したインベルスト港最後の桟橋の前を通過するとき、そこに黒い僧衣服の女性が大きく手を振っているのが見えた。
唯だ。
俺は振り返り、夏奈を呼ぶ。優人の姿は見当たらない。
こんな時にどこにいったのか…。
「唯姉ぇ〜!」
舷側から乗り出すように夏奈が手を振った。唯がこちらに気がついて、より大きく手を振る。
唯には唯を待っている沢山の病人や怪我人がいる。優人たちも俺もできれば一緒に居たかったが、それを唯はやんわりと否定した。
「みんなと離れたくはないけど、私にもお務めがあるから」
唯もあと数日インベルストでお父さまの面倒を見てくれたあと、もとの教区に帰る事になっていた。
異世界から来た俺たちだが、それぞれが自分の場所を見つけつつある。
俺は川面を切る舳先を見つめる。船は一路、ノエリア内海を目指す。
吹き抜ける風を全身で受けながら、俺は舷側からの風景に見入っていた。
始めは両岸に迫っていた田畑が今は見えなくなり、見渡す限りの草原と点在する森が繰り返す長閑な風景が広がっている。川幅は広く流れは緩やかで、日の光を受けた水がキラキラ輝いていた。
俺は海や湖なんかの広い水面に接したことがあまりない。家は内陸のしがない地方都市だったし、近くを流れるのも河川敷ばかりが広いだけの川だ。だから、船が作る白波とか底の見えない水面とかが、何だか珍しくて見てるだけでも楽しかった。
遠くに水面を裂く背鰭が見えた。潜ったり浮き上がったりを繰り返している。
「なあなあ、夏奈」
思わず俺はテンションが上がってしまう。
「あれって河イルカってやつじゃないのか」
俺の近くで甲板に座り込んで弓の手入れをしていた夏奈が、えっと顔を上げて俺が指差した方向を見た。
「ああ、あれは河竜の仲間で小型のモンスターだよ。あいつの背鰭とか、換金率いいんだよね」
にこっと笑う夏奈。
そうですか…。
なんだか淡い憧れが打ち砕かれてしまった気がする…。
俺は風景観察を止めて船内を見て回る事にした。実は船に乗るのも初めてだった。
リコットの船は外から見た印象より随分広いように思えた。中央にキャビンとその上の上甲板。船体のやや後部には寝かせたマストが後方に伸びている。もしエンジンが使えなくなった時には、そのマストを立てて帆船になることも出来るようだった。
こんな大きな船を取り仕切るリコットは、見た目によらず凄いなと思う。
俺は後部デッキのタラップに少し足をかけて、操舵席を覗き込んだ。
身長が低いせいか、台に登って舵輪を握るリコットの背中が見えた。
「あのー」
俺が声をかけると、リコットが胡乱にこちらを見る。
「なによ」
「そういえば、この船って何て名前なんです?」
リコットが沈黙し、俺を睨む。
何だ、不味いこと聞いたか?
「……よ」
「はい?」
「リコットⅢ世号よ!お父さんがつけたの!文句あんの!」
俺は微笑みながらそのままタラップを降りる。
父親の娘を思う気持ちは痛いほど良く分かる。うちのお父さまも、俺が来たばかりの頃にちょうど完成した橋を「カナデ橋」とか名付けようとして、俺が泣き真似までして止めたことがあった。
「何よ!リアクションしなさいよ!余計恥ずかしいのよ、無反応は!」
上甲板からリコットの叫びが聞こえるが、そっとしておこう。
リコットと言えば、そういえば優人の姿がずっと見えなかった。デッキにはいないようなので、船室の方を見に行く。
廊下に座り込んでいた護衛の兵士さんたちが俺を見て立ち上がろうとするのを制し、前を通り過ぎる。
食堂を覗くとシリスやシュバルツ、リリアンナさん、それにシズナさんが真剣に何事か話していた。
「カナデさまは…」
「いや、俺の…」
「私でしょう」
何を話してるんだ?
気になるが、しかし優人はいない。
船室も覗くが、俺のおつきのメイドさんたちが談笑しているだけだった。別の部屋を覗く。シズナさんのパーティーの禿頭さんが腕立て伏せをしていた。
…失礼しました。
というか、いたのか。
そして最後に俺がたどり着いたのは、船の最下層にある機関室だった。
恐る恐る扉を開ける。
金属や驚いたことに木製のものもある様々な機械が、ごうごうと動いていた。
その狭い間に、見知った優人の背中があった。
「優人?」
「ああ、カナデか。どうしたんだ?」
優人が顔だけ振り返った。
「何してるんだ」
「ちょっと仕事だ」
座ったままの優人を不審に思い、俺は肩の上から強引に優人の手元を覗き込んだ。
「ちょ、近いっ…」
優人がびっくりして声を上げる。
優人の前にあったのは、機関室でも一際大きな機械から突き出したクリスタルのような部品だった。優人がそこに手をかざし、銀気を流し込んでいる。
そういえばこの船の動力は銀気…。
何だ、優人。
俺はぷっと吹き出した。
そして優人の肩を揺すって笑う。
「ふふふっ、お前、この船の電池かよ」
「ばっ、くっつくな…!」
「燃料タンク代わりか。くく、便利だな、銀気ってのも」
俺は優人の隣に無理やりしゃがみ込んで、優人が放つ銀の光を見つめる。
優人がごそごそ動いて、俺のスペースを開けてくれた。
「…綺麗だな」
俺は目を細めてじっと優人の銀の光を見つめた。
俺にも銀気があれば、魔獣に襲われた時も黒騎士と戦った時ももっと役に立つことが出来ただろうか。
…いや。
ないものねだりをしてもしょうがない。
俺は銀の光を見つめて見つめて吸い込まれそうになる。
昔。
おじいちゃんになりたいと息巻いていた時。
祖父は嬉しそうに俺の頭を撫でてからこう言った。
今の自分を否定して別の自分を望むという事は、今のお前を好きでいてくれる人や家族、それにおまえ自身にも失礼なことなんだよ、と。
誰のためでも何のためでもなく、自分の何恥じぬ事をせよ。
そう言ってくれたお父さまに応えたい。
ならば、特別な力なんて求めちゃダメなんだよな。
俺は今の俺のままで。足りない所は努力して。
たとえインベルストであっても王都であっても。
「精一杯全力を尽くす」
俺はそっと呟いた。
隣の優人が「えっ?」と聞き返すが、俺はにこっと笑う。
「何でもないよっ」
船の旅ってお金持ちな感じがします…。
読んでいただいてありがとうございました。
またよろしくお願いいたします。




