Act:33
半ば体を裂かれながらも叫び声を上げる黒騎士を、優人は驚愕の表情で見上げる。
その黒騎士が、ギアの噛みあわない機械人形のような奇妙な動きでぬっと優人を見下ろし、そして蹴り上げた。何とか剣で防御したようだが、激しく吹き飛ばされた優人は数回バウンドしながら転がって行く。
「ガッガ、ゴミガ!ゴミ如キガ!黒海嘯ナド待ツ必要ハナイ!殺シテヤル!」
黒騎士は大音声で咆哮すると、跳ねる様に近くの騎士に飛び掛かった。そして、先ほどの俺のように、頭を鷲掴みにした。
「惑エ」
続いて別の騎士にも掴みかかる。
「惑エ、惑エ、カカカカカカッ」
途端に頭を掴まれた騎士が、奇声を上げながら近くにいたシリスに斬りかかった。
これは、あの時の舞踏会、ジェイクの時と同じ…!
「みんな、下がりなさい!」
俺は叫ぶ。
「シリス、下がって!同士討ちになる!」
「ちっ、そう言ったってな…!」
シリスは襲い来る騎士の剣を大きく弾き飛ばし、その隙にこちらに駆け戻ってきた。
ゆらゆら揺れる黒騎士の周りには、掴まって操られた騎士たち4人が立ちはだかる。剣の心得の無かったジェイクなど比ではない。精強に鍛えられた、そして僅かなりとも銀気の才を持つ者が操られているのだ。
彼らを傷つけることはしたくない。
しかし、なんとかできるのか…?
大人数でもって近づけば、黒騎士に操られる犠牲者が増える。しかし少人数では黒騎士と操られた彼らを同時に相手にしなければならない。
くっ…。
どうする…。
「弓兵とバリスタで制圧攻撃だ。騎士たちごと黒騎士の足を止める」
シリスが聞いたことのないような冷たい声で言った。
「それが被害を一番抑える方法だ。今なら4人で済む。指揮官なら、部隊全体と目標達成の事をまずは考えろ」
シリスがぎろりと俺を見下ろした。
これが王直騎士団王都防衛第一大隊副隊長としての顔なのか。
「カカカッ、ドウセ人間ナド遅カレ早カレ、ミーンナ黒海嘯ニ呑マレル。ナラ今死ンデモ同ジ同ジッ」
黒騎士の奇声が響く。
俺はみんなを撃つのか…?
一緒に戦ってくれたみんなを。
切り捨てなければいけないのか?
歯を食いしばる。黒騎士を睨みつける。
その時、響き渡る黒騎士の声の中にカツカツと石畳を踏む足音が聞こえた。
俺ははっとして辺りを見回す。
それは、街の方向。最も闇が濃い辺りから悠然と歩み出てきた。
漆黒の鎧。
禍々しく立った兜の角。
面防の向こうで光る赤い目。
…ああ、なんということだ。
俺もシリスもカリストも、そして大剣を杖代わりに身を起こした優人も、揃って絶望の呻き声を上げた。
不気味に赤く蠢く剣を二振り、両手に携えた黒騎士がそこに立っていた。
2人目、が…。
「無様だな。そして醜い」
2人目の黒騎士が低い声でそう言うと、城門前広場をゆっくりと見回した。
爽やかな秋の風が吹き抜ける。
いつもの白のワンピースの上からカーディガンを羽織った俺は、心地よい秋風を感じながら料理が並んだテーブルの間を歩いていく。
場所は屋敷の裏のお父さまの庭園。
唯の繰り返しの治療で元気を取り戻しつつあるお父さまの、今日は快気祝いの野外食事会だった。
ごく近しい者だけということで、参加者は上席執政官と騎士団幹部。そしてリムウェア家中の者だけだった。
みんな見慣れた顔ばかりだったし、お父さまが優人たちを招くのを許可してくれたので、俺は今まで参加したどのパーティや食事会よりもリラックスすることが出来た。何よりもドレスに着飾らなくてもいいのが大きい。優人たちの前であんな格好をするのは、もう御免だ。
…今。ただのスカートなら別にいいけどと思ってしまった自分に少し自己嫌悪するが…。
立食形式なので、俺は皿を持ってうろうろする。今までのパーティでは挨拶ばかりで料理に手を付けたことがなかった。
何にしようかなと胸を弾ませながらテーブルの間をさまよい歩き、ふっと香るバターの香りに気が付いた。ふらふらとそちらに引き寄せられると、大皿一杯に盛り付けられたバターライスのような料理だった。
試に一口。
久しく食べていなかった米の食感と濃厚なバターの香りが口一杯に広がる。
おいしい…!
俺はその米料理を自分の皿一杯に盛り、無心にスプーンでパクパク食べる。
「カナデ、何してるんだ」
俺が会場の隅でこのバターライスに夢中になっている間に、いつの間にか後ろにシリスが立っていた。
何故かこいつも参加者の1人なのだ。
「これ、美味しくて」
俺はバターの香りで治まらない幸せの笑顔でシリスを見上げた。
シリスもつられて微笑みながら、しかし俺の手元のバターライスが山盛りの皿を見てぎょっとした。
「お前、それだけ食べてるのか?」
「うん!」
機嫌よく頷く俺にシリスは呆れたのか、表情を殺して無言で自分の皿を差し出した。
「食え」
シリスの皿には、各料理が万遍なく取られ、その上見た目も良く盛り付けられていた。言動は横柄で態度は無礼なのに、こういう所は几帳面なのか。
俺はふるふると首を振る。確かに美味しそうな料理は沢山あるが、今はバターライスに夢中なのだ。
シリスが新しい料理をせっせと集めると俺のところに持って来てくれる。
「食え」
…何がしたいんだ、こいつは。
そのうち、主賓であるお父さまも俺のもとにやって来た。顔色も良く、ぴんと背筋を伸ばし、上等な仕立てが一目でわかるフロックコートを着こなす姿は、男として憧れてしまうほど格好よく思えた。
初めて会った時にような精悍な顔つきのお父さまは、俺を見つけて破顔した。しかし俺の手元のバターライス山盛り皿を見て、お父さまはやはり唖然とした表情になる。
「…カナデ。これもあげよう」
心配するような顔で、お父さまは料理が乗った皿を差し出してくれる。
心遣いは有難いが…。
いつの間にかお父さまとシリスのおかげで、俺の前のテーブルは料理だらけになっていた。
そこへ、顔を曇らせたリリアンナさんがすっとやって来る。
「主さま、シリスさま。そのようにカナデさまにお食事を与えられては困ります」
…何だ。俺は動物園の動物か何かか?
「カナデさま、こちらに」
俺はリリアンナさんに手を引かれて庭木の木陰に連れていかれた。
ああ、俺のバターライスが…。
「カナデさま」
リリアンナさんが眼鏡を押し上げた。
「淑女たるもの、例えご家族やご友人の前であっても、気を抜かれてはなりません。あのように頬を膨らませて食べるなどははしたない」
俺はしゅんと肩を落とした。だって、美味しかったから…。
「それに、お食事されるなら、お野菜を中心にバランス良く…駄目です。そんな物悲しそうな目をされても。駄目ですよ…。えー。しかし、ご自重していただけるなら、私もうるさくは申しませんから」
リリアンナさんはどこか歯切れ悪くそう命令を下すと、仕事がありますからとそそくさと立ち去ってしまった。
解放された俺はまたバターライスに戻ろうかとも思ったが、風が気持ちよかったので、そのまま少し庭園を散歩することにした。
料理をがっつく夏奈を楽しそうに見守る唯。その唯を遠巻きにちらちら見ているのは、足が治ったシュバルツか。その脇では、積極的に話しまくるリコットに気圧され気味の優人。そして、シズナさんが何やらシリスと談笑していた。大人っぽい雰囲気のシズナさんと背の高いシリスは何だかお似合いの2人に見えた。祭りの日から今まで色々な事があったが、そういえばシリスの嫁探しはどうなったのだろう。
マコミッツ先生が酔いつぶれて芝生の上で寝ていた。お父さまはカリストや主席執政官と話し込んでいる。お父さまが顔をしかめ、主席がにやりと笑った。あれはまた嫌な課題を見つけてきた表情だ。病み上がり直後に、お父さまも大変そうだ。
見上げる空は青く高い。いわし雲のかかる秋の空だ。微かに漂ってくる香りは金木犀か。秋の午後は、心地よく柔らかな光に包まれる。
あの夜。
唐突に始まって唐突に終わった黒騎士との戦いの夜。
あそこいた誰もが、一度は確かに覚悟した。もうこんな日の下に帰ることは無いんだろうな、と。
2人の黒騎士が並んだ時。俺は、頭の中が真っ白になっていた。
何か考えなければならない。この状況を打開できる手を。
しかし目の前に立ち塞がる純然たる恐怖と絶望が、冷静な思考を邪魔する。
どうしたらいいんだ…?
みんなで力を合わせたあの策でも倒しきれなかった黒騎士がさらにもう1人。ましてや新手の方は手負いではなく完全な状態だ。
勝てるのか…?
思わず俺は一歩後退してしまう。
「ゴミハ消エロ!絶望シロ!カカカカカカカッ」
新手の黒騎士がゆっくりと剣を持ち上げた。
「うるさい。しゃべり過ぎだ」
冷徹な声が静かに響く。
そして。
一閃。
赤い刃の剣が残像を引いてふり払われる。
「カカアカアアアア…ア?」
けたたましい笑い声を上げていた手負いの黒騎士が、突然静かになった。そして、あまりの事態に硬直する俺たちの前で、ごろりと手負いの黒騎士の首が地面に転がった。
糸が切れた人形の様に、操られていた騎士たちが倒れた。そして、首のなくなった、優人に半ば体を切断された手負いの黒騎士の体が、ゆっくりと膝を突き、崩れ落ちた。
静寂が広場を支配する。
誰も動けない。
誰もその状況を認識できなかった故に。
仲間であろう、手負いの黒騎士の首を刎ねた新手の方は、路傍の石でも見るかの様に手負いの黒騎士の死体を見下ろすと、そのまま踵を返した。
再び広場に、黒騎士の踵が石畳を打つ音だけが響き渡る。
やがてしばらくしてその足音が聞こえなくなった瞬間、緊張に晒されていた騎士や兵たちが一斉に安堵の表情を浮かべた。
…訳が分からない。
俺は混乱していた。
黒騎士が複数いることは分かった。
しかし手負いは何故突然優人たちに戦いを仕掛けてきたのか。そして仲間のはずの黒騎士が何故手負いを殺したのか。…しゃべり過ぎ。口封じ?しゃべり過ぎたのは何の事だ?黒海嘯とは何だ?
「カリスト、操られていたみんなの介抱を」
俺は頭を振って意識を引き戻す。取りあえずこの現場を収拾しなくてはならない。
優人や、他にも怪我人はいるだろう。
「駄目!近づいてはいけないです!」
その時突然唯が叫んだ。
黒騎士の死体を検めようとしていた兵達が短く悲鳴を上げて後ずさった。俺もそちらに駆け寄る。打ち身に擦り傷がじくじくと痛む。
首を失い、地面に横たわった黒騎士の遺骸が、黒い霧を発しながら溶けようとしていた。
「カナデちゃん、近づかないで。私にはわかるわ。あれは障気。それも凄く濃い」
顔色の悪い唯が口元を手で押さえながら、警告してくれた。
黒騎士の体が、人の形を失っていく。それは、斬り飛ばされた頭部も同様だった。
「もはやあれは霧なんてレベルじゃない。呪いよ。人を死に至らしめるほどの強力な呪いの塊」
唯が振るえる声で呟いた。
黒騎士を構成していたものは、瞬く間に黒い何かとなって夜の闇の中に溶けていく。
俺はその光景を呆然と見守るしかなかった。
これは人の死に方じゃない。
これではまるで。
魔獣そのものではないか。
「カナデちゃん、こっち来て!」
秋風に髪を預けてそよがせていた俺に、唯が声を掛ける。
何か始まるのか、みんながグラスを持って集まっていた。
俺は少しだけ目を閉じる。
まだこの世界は分からないことだらけだ。
俺はスカートを翻して、みんなのところに向かった。
早く秋になって欲しいなという願いを込めて…。
ご一読ありがとうございました!




