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雪色エトランゼ  作者:
第1部
30/115

Act:30

 黒の長い僧衣は教会のシスターたちのようなロングスカートではなく、少し短めで動き易そうな拵えだった。スカートから覗く足には編み上げブーツ。長袖はワンポイントの白い折り返しがついていて、同じく白い手袋をしている。短めのケープを羽織った胸元には、この世界の宗教のシンボルである片翼の女神を表す銀色の翼のペンダントが揺れていた。

 艶やかな黒い長髪を結わえ、柔和な微笑みをたたえた顔には、目尻に小さな泣き黒子があった。

 間違いない。

 見紛うはずもない。

 生まれてからずっと一緒に過ごしているのだから。

 唯だ。

 学校ではお母さんのあだ名を持つ俺や優人の幼なじみ。ほわわんとした、そして少し困ったようなその表情は、まさしく唯そのものだ。

 俺は突然の衝撃に身体を硬直させながら、二人っきりの執務室の中でしばらくの間、唯を見つめ続けた。

 唯が困ったように首を傾げる。

「あのー」

「…唯!」

「は、はい?」

 俺はやっとそれだけを絞り出すと、唯はさらにきょとんとする。

 ああ。

 その1テンポ反応が鈍いところも、間違いなく唯だ。

 本当に、本当に目の前にいる。

 唯がいる。

「…唯、よかったな。大丈夫だったか?心配してたんだ」

 俺は気を抜けば溢れそうになる涙を笑顔で誤魔化して、スカートの裾を翻し、唯に歩み寄った。

 やっぱり俺より背が高い。向こうでも背を抜かれていたから、こちらではもう明らかな身長差があった。

 俺は泣き笑いのようになってしまった笑顔で唯を見つめる。

 ああ、よかった。

 唯を見つけてくれたお父さまには、感謝してもしきれない。

 お父さま。本当にありがとうございます。

 俺は胸の奥でそっとそう唱える。

 唯は目の前で泣きそうになっている俺をに困惑しているようだったが、手にした鞄をあさると、中から書類を取り出して、おずおずと俺に差し出した。

「ご領主さまが、こんなに若くてお美しいお嬢さまだとは存じ上げず、失礼致しました。ご年配とお聞きしていたので」

 唯は丁寧に頭を下げた。

「そちらが巡回司祭さまとグラナン教区司教さまの身元照会状になります。お若いのにご病気は大変かと存じますが、精一杯治療させていただきますので、よろしくお願い致します」

 気合いの入った瞳で俺を見る唯。

 俺をお父さまと勘違いしているのか?

 それに、まだ俺に気が付かない。

 ああ、そうか。

 そうだった。

 俺も最近違和感がなくなって来たせいか、すっかり説明を忘れていた。

 奏士は今はカナデであることに。

 とりあえず俺は目尻を拭ってから、唯にソファーを勧めた。そして、呼び鈴を鳴らしてメイドさんを呼ぶ。

「誰か冒険者ギルドまでお使いをお願いします。シズナさんのパーティーの優人と夏奈を至急屋敷まで。お願いします」

 唯ががたんと勢い良く立ち上がった。大きな目を驚愕に見開き、全身がガタガタ震わせ始めていた。

「領主さま。優人くんや夏奈ちゃんをご存知なんですか!?」

 唯の声は震えていた。

 俺は笑いながら頷いて、微笑む。

「唯、まだ分からないか」

 俺は微笑みながら唯を見つめる。

 唯も真っ直ぐに俺を見て…。

「ああ!」

 唯は両手で口元を覆いながら、さらに目を大きくした。

「奏士…奏士なの…」

 俺は頷く。

 途端に、唯の目が潤む。

 鞄を放り出して駆け寄って来ると、俺をがばっと抱きしめた。そして、力いっぱい抱きしめる。

「奏士、よかった。会えたんだ。奏士に会えた…」

 息苦しさに喘ぎながらも唯の暖かさを感じられて、もしかして俺も少し泣いたかもしれない。



 唯と連れ立って屋敷に向かう。優人たちが来るまでにはもう少し時間があるだろうし、その間にお父さまを診てもらうことにした。

 何より今は、お父さまにお礼を言いたい気分だった。

「奏…カナデちゃんが、でもこんなに小さく可愛くなっちゃうなんてね…」

「まぁ、俺もびっくりだし」

「それにこんなに凄いところに住んでて、貴族のお嬢さまか。世の中何がおこるか分からないわね」

 唯はふぅと息を吐く。そして、「残念ね…」と呟く。

 俺が訝しむように視線を向けると、唯は困ったように笑った。

「奏…カナデちゃんを可愛くするのは、お姉ちゃんの使命だと思ってたのに」

 俺は笑顔て「あっそう」と流すことにした。

「あー。駄目だよ、そ…カナデちゃん。女の子はみんなに優しくしないと。そうだ、お姉ちゃんが後で髪、梳いてあげるから。それから服も選んであげるわ。せっかくそんなに綺麗な髪をしているのに。あーあ、お姉ちゃんも羨ましいな。この世界、金髪とか多いから、憧れちゃう」

 鞄を両手で持って庭園の中を歩く唯はご機嫌だった。

 俺と再会して。

 優人や夏奈までここにいると知れれば、嬉しくないはずなんてないか。

 おのぼりさんの様にもの珍しそうに辺りを見回す唯と話しながら、俺は唯をお父さまの寝室に案内した。ノックすると、待機していたメイドさんが扉を開いてくれる。俺はメイドさんにお願いして、席を外してもらうことにした。

「カナデか。よく来たな」

 ベッドに横になったお父さまが、読んでいた分厚い本を横に置いて俺を見上げた。

 一目で病人だと分かるほど目は落ち窪み、顔色は青白い。

 俺はお父さまの側で丁寧に頭を下げた。

「お父さま。ありがとうございました。手配して頂いた教会の治癒術士は、間違いなく私の友人でした。この世界で再び出会えたのは、お父さまのおかげです」

 お父さまは鋭い目をふっと細めて笑った。

「父が娘の願いを叶えただけだ。そう他人行儀に言ってくれるな」

 胸に宿った温かいもを伝えたくて、俺は冷たいお父さまの手をそっと握った。

「お父さま。こちらが私の同郷のブレイバー、唯です」

 唯が一歩進み出て一礼した。

 俺は一歩引いて唯に場を譲った。

「唯、頼む」

「よろしく頼む」

 お父さまが体を起こそうとするのを、唯はやんわりと制した。そしてベッドの横に跪く。

「グラナン教区巡回司祭付きの唯と申します。侯爵さま。そ…カナデちゃんに良くしていただいて、本当にありがとうございます。私も全力で治療致しますので、どうか楽になさって下さい」

 唯は手袋を外すと、お父さまの胸にそっと手をかざした。

 そこから淡い銀色の光がゆっくりと広がる。

 光が柔らかにお父さまの顔を照らす。

 跪き、手を輝かせて病人を救う唯の姿は、なんだか俺にはとても神々しいものに見えた。

 気持ちが穏やかになるその光を見ていると、しかしその時、突然異変が起こり始めた。

 ビシッとガラスにひびが入るような音が、部屋全体に広がった。俺は思わず窓を見たが、そちらに異常はない。

 しかし唯が銀気をお父さまに流せば流すほど、その不安を誘うような破壊音が広がって行く。

 目を閉じ、銀気を送り込む事に集中していた唯が、少し辛そうな表情をした。

 お父さまは動かない。眠っているように静かだった。

「っく、深い。こんなに深く入り込んでいる障気は初めてだわ」

 唯が呟く。

 俺にはただ見守ることしかできない。

 何が起こっているのか、銀気のない俺にはさっぱり分からなかった。

 音はだんだんと大きくなり、思わず耳を覆いたくなるぐらいの大音量で響く。

 唯が両手をかざして集中する。

 銀の光の明るさが一際強まり…。

 盛大に何かが割れてしまう音が響いた。

 その瞬間、お父さまが短く呻き、唯は弾かれるようにどんっと床に座り込んだ。

「唯?」

 俺が問いかけると、唯はふにゃっと破顔した。

「びっくりしたよ〜」

「治癒術って、いつもこんな凄いことになるのか?」

 俺は手を差し伸べて、唯を立たせた。

「ううん、こんなの初めて。そ…カナデちゃんのお父さまの中には、相当深く障気が張り付いていたみたい」

 唯はお父さまを覗き込んだ。

「うん、もう大丈夫だね。治癒の反動で眠られてるだけだよ」

 俺はそっと胸をなで下ろした。心なしか、お父さまの顔色が良くなった気がする。

「でもまだ治癒は必要だよ。銀気の治癒術は、ゲームなんかの魔法みたいに即効性はないの。あくまでも本人の自己治癒能力を促進させるだけたがら、栄養とって休むということも大事なんだよ」

 俺は唯の話に真剣に頷いた。

「しかし、お父さまに張り付いてたっていう障気ってのは何だ?」

「障気はね、魔獣の体を作り上げている黒い霧の事だよ」

 …黒い霧。

 俺はどきりとした。

「障気を吸い込んで衰弱すると言うのは、魔獣に襲われた村なんかじゃよくあることなの。私も司祭さまとそういう村に良く治療に行くんだよ」

 魔獣の襲撃。

 インベルストを襲ったあの悲しい出来事が、世界各地では日常的に起こっているのだ。小さい村なんかには守ってくれる騎士や冒険者はいない。もちろん銀器などない。ただ蹂躙されるがままだろう。

 唯が悲しそうに目を伏せた。

「でも、障気っていうのは、例え吸い込んでも勝手に体が吐き出すものなの。だから、侯爵さまみたいに体内の深くに濃いまま止まっていたと言うのが分からないわ」

 障気。黒い霧。黒…。

 あの夜見た光景が甦る。黒い人形がお父さまに何かしていた、あの悪夢のような光景…。あそこに原因があるのだとしたら。直接魔獣に接していないお父さまがあの黒い霧と接触する可能性があるとすれば、否が応なしにあの黒い人形が思い浮かんでしまう。

 つまりは黒騎士、だ。

「多分、さっきの音は、あたしの流し込む銀気が、侯爵さまの体に障気を留めようとする力とぶつかって、それを壊した衝撃なのかなって思う」

 唯は俺を見て困ったように笑った。

「司祭さまに聞いてみないと分からないけどね」

 しかし、もし唯の言う事が正しければ、お父さまを苦しめていた要因は取り除かれた公算が高い。

「ありがとう」

 俺は唯に微笑んだ。



 眠りに落ちたお父さまをアレクスとメイド軍団さんたちにお願いし、俺は唯を自分の部屋に案内した。

「わぁ、そ…カナデちゃん、お姫様みたいな部屋だねぇ」

 唯は物珍しそうに部屋を見回す。そして天蓋付きベッドを見て、目を輝かせた。

「凄い凄い!お姉ちゃん、こんなのに憧れてたんだ」

 完全に童心に帰ったように、キラキラした目でベッドを見て回る。

 俺は思わず苦笑してしまった。

「そ…カナデちゃん、お嬢さましてるんだねぇ」

 唯は嬉しそうに呟くと、ぽんっと猫足の椅子に腰掛けた。

 俺は呼び鈴でメイドさんを呼ぶと、お茶をお願いする。すると、また唯が感心した。

「凄い、メイドさんに命令出来るんだね」

 命令とは人聞きが悪い。お願いしているだけだ。

「唯はこの世界に来てからどうしてたんだ」

 俺は唯の対面に腰掛けて、ティーカップに口をつけた。爽やかなハーブの苦味が一瞬口の中に広がる。

 それを見て、唯がにんまり笑った。

「そ…カナデちゃん。もう所作が立派な女の子だね」

 俺はぎろりと唯を睨みつけた。

「はははっ、私の話…私の」

 唯は俺たちや、シズナさんに出会った夏奈のように、直ぐに誰かに出会ったという訳ではなかったようだった。2日さまよい歩き、疲労と空腹でたまたま見つけた小さな村の教会に倒れ込む。普段は無人のその教会にたまたまやって来ていたグラナン教区の司祭さまに保護され、この世界の事や銀気の使い方を習ったそうだ。ブレイバー特有の強い銀気とその制御が上手かった事から、巡回司祭さまに治癒術を勧められたという。

 …やっぱりみんな苦労したんだよな。

 俺なんて色々あったが、寝る所と食べるものがあるだけ幸せなんだなぁと思う。両手で包んだカップの温かさが、なんだか特別に思えた。

 その時、ノックの音が響いた。

「どうぞ」

 扉が開き入って来たのは、夏奈と優人だった。

「おっ邪魔しまーす。お呼びって何、カナデ…」

 そこで夏奈がフリーズした。

 ガタンと椅子を鳴らして唯が立ち上がる。

「唯…?」

「夏奈ちゃん!」

 呆然とする夏奈に駆けるよと、唯は強く夏奈を抱き締めた。

「唯姉、本当に、本当に?」

「ええ、夏奈。会えたわ、やっと!」

 2人は互いに抱きしめあいながら、お互いに顔を埋めて泣き始めた。

 歓喜の涙だ。

 二人の少女の嗚咽が部屋の中に響く。

 優人は静かにドアを閉めると、泣き出しそうな笑顔で唯の肩に手を置いた。

 そんなみんなを直視したら俺も泣いてしまいそうだったので、そっと手にしたティーカップに視線を落とした。

 透き通ったグリーンの液体には、涙をこらえて微笑む銀髪の少女が写り込んでいた。

 その像は、しかしこらえられずに零れ落ちた一滴によってかき消されてしまった。

 再会編なので、少し真面目で湿っぽくなりました…。

 いつの間にかAct:30に。


 またお付き合いいただければ幸いです。

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