Act:3
フェルドの助けを借りて、俺はただ一人馬に乗せられた。ご婦人を大切にするのは騎士道の本懐とか言われたら、俺にはその騎士道を踏みにじる事は出来ない。……ご婦人じゃないけど。
祖父の影響か、騎士道とか武士道とかいう言葉に弱いのだ、俺は。
もちろん乗馬経験などない俺の馬を、フェルドが引いてくれる。その隣を優人が歩き、後ろから弓兵の皆さん方が隊列を組んでついて来た。
馬の背中って高いんだなと呑気な感想を浮かべながら、俺は辺りを見回した。
森林地帯を抜けた道は、両側に畑が広がる長閑な風景の中を丘に向かって緩やかに登っていた。
澄んだ青空が広がる。
どこか遠くで鳥が高く長く鳴いているのが聞こえた。
歩みを進めながら、フェルドが説明を始めてくれた。
しかし、まずその最初から、俺と優人は愕然とすることになったんだ。
この世界はノエルスフィア。
俺達の住む日本でも、ましてや地球でもないらしい別の世界。
俺達の驚愕を、しかしフェルドは特別驚いた風はなかった。
「あなた方のように別の世界から人間が流されて来る事は、珍しい事ではありませんから」
「俺達の他にもいるんですか?その、地球人が……」
思わず恥ずかしくなる。地球人という言葉、初めて使った……。
「その地球という世界は存じませんが、このリムウェア侯爵領だけでも、5年に1人か2人程度の頻度でブレイバーがやって来ます」
「そのブレイバーというのは何なんですか?」
優人が訝しげに尋ねた。
ブレイバーというのは、ノエルスフィアでの異界人の呼び名らしい。意味は、魔を退け光をもたらすもの。
「ブレイバーは必ず傑出した銀気の才があります。銀気と言うのは、一言でいうなら、魔獣を滅ぼす事ができる唯一の力です」
「これか……」
優人が腕に力を込めると、その手全体が銀色に輝き出した。
「そうです」
俺もそっと力を込めてみるが、何も起こらない。
む、よく分からない……。
そっと試してダメだったのが恥ずかしかったので、俺は黙っておくことにした。
「魔獣というのは、俺達が森で襲われてたあの黒い獣ですか?」
「はい、お嬢さま……失礼。カナデさま」
フェルドが恭しく頭を下げる。
だから、お嬢様じゃないって……。見た目はともかく、俺は男なんだから、その呼び方にはジワジワと傷付く。
「兵士の方々もブレイバーなんですか?弓で魔獣を倒してましたが」
俺は後ろに続く弓兵達を振り返る。その1人と目があった。彼は満面の笑みを浮かべて手を振ってくる。俺は一応笑顔で頭を下げる。多分、幾分引きつった笑顔だったろうが……。
何故か後ろの方で歓声が上がった。
「……いえ、我々が使う武器は、才のある者から銀気を添加されたものです。我々に銀気の才がある訳ではありません」
「ふーん、複雑なんだな、この世界も」
優人が呑気に呟いた。本人は気がついてるかどうか分からないが、ノエルスフィアに来てから優人は目を輝かせている。この長閑なファンタジーの世界を楽しんでいるのだ、多分。
「……帰れるのかな、俺達」
俯いてふと呟いた言葉が、自分でもびっくりするほどか細く響いた。
フェルドと優人が、一斉に気遣うような視線を向けて来た。
「大丈夫ですよ、お嬢……カナデさま。教会にはブレイバーに詳しいものもおります。学者だって、街には……」
「心配すんなよ、奏じゃなくて……カナデ。唯達見つけりゃ、何とかなるさ!」
そう、だよな。
2人の気遣いに、俺は精一杯の笑顔を返す。
直ぐに2人とも恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。
きっと自分の恥ずかしい台詞に気がついたんだ。慣れないことするからだよ、優人と、俺は心の中で笑う。
そうだ、俺が1人落ち込んでもしょうがない。
唯達を見つけて、みんなで日本に帰るんだ。
「さぁ、お嬢さま。帰って参りましたよ」
俺が心の中で決意を固めていると、フェルドが丘の先を指差した。
丘の上。1本の巨木の向こう。
眼下に、巨大な街が広がっていた。
湖のような水豪。キラキラと輝く大河の水面。並ぶ赤屋根にそびえる尖塔。白亜の石造りと所々に見える緑が美しいコントラストを作り出していた。
「さぁ、あれが我らがリムウェア侯爵領の中心、インベルストの街です」
その壮大な光景に、俺たちはただ見入ってしまった。
街へと続く石橋は、行き交う様々な人々で溢れていた。
豪華な馬車や俺のように馬に乗る者。荷車に野菜籠を背負った老人達。粗末な鎧や剣を身につけた男達を門番が厳しい目で見送り、その脇を子供達が走り抜けていく。籐の籠を持った女達が道端でおしゃべりに花を咲かせている。大きな荷を背負っているのは、行商だろうか。
「随分賑やかなんだな……」
俺は圧倒された様に呟いた。濃い人いきれで眩暈がしそうだった。
「このインベルストは、この付近一帯の中心地ですので。日々大量の人や物が流れ込んで参ります」
フェルドの説明を聞きながら、俺達の一行は人混みをかき分けて巨大な白い石造りの門をくぐった。
門番の兵士がフェルドに一礼し、槍を掲げる。
街の中は、整備された建物と石畳の街路が整然と広がる大通りに、人々の活気と熱気が満ち満ちていた。
時刻はもう夕方か。
傾いた日の光が、白亜の建物を朱に染める。俺達の地元で言うところの夕方タイムセール的な賑わいが、広がっていた。
「お嬢さま、マントで顔をお隠し下さい」
フェルドが馬上の俺を見上げる。突っ込まなければこのままお嬢さまになりかねないな……。
「……フェルドさん、俺はお嬢さまじゃないです。優人の方は隠さなくていいんですか?」
マントを頭にまき直しながら尋ねる。興味津々に当たりを見回す優人には聞こえていないみたいだが。
「ユウトさんは大丈夫でしょう。申し上げた通り、この世界はブレイバーに寛容です」
「じゃあなんで俺だけ?」
「……無用の混乱を避けるためです」
フェルドはそれだけ告げると、前を向いてしまった。
フェルドが俺の事をお嬢さまと間違える事に関係があるのかな。つまり俺の今の姿が、衆目にさらされると不味いと……。
どうなってるんだ?
俺のそっくりさんが何かやらかしたのか。……いや、ここでは俺がそっくりさんか。
考え込んでいた俺の腹が、キュゥと鳴る。
緊張と驚きの連続で忘れていたが、森の中を彷徨い、走り回らされたおかげで、すっかり腹ペコだった。
露店から漂う肉の焼ける美味そうな香り。野菜を煮込んでいるスープの湯気。スパイスの鼻をくすぐる刺激。軒先に並ぶ新鮮そうな魚介類。
陽気な音楽が流れ、早くも始まっている酒盛りの活気が、通りにも溢れていた。
そんな光景を眺めていると、不意に俺は胸の奥が苦しくなった。
心臓の鼓動を確かめるように胸に手を当てて、うわっ。その柔らかさにびっくりして手を引っ込める。自分の体なのに、何だか凄い背徳感が……。
そうじゃない!
頭を振って思考を戻す。
結局のところ、今の俺達には何も寄る辺がないんだ。
どんなに腹を空かせたって、この世界の金さえ持ち合わせていない。あの焼き肉串1本さえ買えないんだ。
フェルドにしたって、今日の食事は世話してくれるかもしれない。でも明日は?明後日は?
不安が目覚める。
どうすればいいのかな。どうなってしまうんだろう、おじいちゃん……。
その俺の顔を、優人が覗き込んできた。
「おい、大丈夫か、カナデちゃん」
陽気な優人の声に、俺はふぅと深い息を吐く。
……全くお気楽な奴め。
「腹が減ったか?そんなに顔を曇らせてたら、美少女っぷりが台無しだぞ」
爽やかに笑う優人。
くそ、悩んでる俺が馬鹿みたいだ。
俺は半眼で優人を睨みつけた。
「その歯の浮いたような台詞、唯か夏奈に言ってやれよ。きっと喜ぶぞ」
「……すみません」
途端に優人がしゅんと肩を落とした。
俺達が不毛なやり取りをしている間も、一行はずんずん進んでいく。
一般人でごった返す区域から坂を登り、一目で豪邸と分かる建物が立ち並ぶ区域に。すると途端に辺りは静かになって、石畳を打つ馬蹄の音が街路に響いた。
さらに坂を登り、巨大な尖塔の並ぶ教会風の建物の前を通り過ぎる。
兵士やフェルドと同じ鎧姿の騎士が警備する門を2つくぐり、俺達は巨大な城門の前に到達した。
その頃には、当たりはすっかり薄暗くなっていた。
城門の両脇には、巨大な篝火が灯されていた。
フェルドが警備の騎士と話をしている。顔見知りらしく気安い感じだが、年配の警備の騎士は、頭からすっぽりマントを被っている俺を怪しんでるらしい。
フェルドに対する口調がだんだんと厳しくなる。
ここはきちんと顔を晒して、事情を説明したほうがいいんじゃないか?
俺は独断でマントを外す。
馬から下りて挨拶出来れば一番だが、生憎俺は独りでは下馬すらできない……。
名乗るには距離があったので、年配騎士と目があった瞬間、俺は友好の証スマイルで頭を下げた。
年配騎士が口を開けたまま硬直する。
フェルドがしまったというような顔をした。
マズい。
俺は何かやらかしてしまったのか……?
しかしその後、俺達はあっさり通行を認められた。
フェルドは何も言わない。
大丈夫、だよな?
城壁の中には、見上げるような巨大な城がそびえていた。城郭の先端は夜の闇に溶け込んではっきり見えない。弓や槍を携えた兵士たちがそこらかしに立ち並び、あちこちに火が焚かれ、赤い炎が煌々とその威容を照らし出していた。
「各自武具の手入れ後、休養せよ。小隊長は一時間後に私の部屋に。では、解散!」
フェルドの命令で弓兵のみなさんが散っていく。幾人かが俺に手を振って行く。俺はぎこちない笑顔を返すしかない。
俺と優人は、しかしそのまま導かれ、城の敷地の奥に進んだ。
圧迫されるような城塞を通過すると、今度は目の前に緑の庭園が広がっていた。
「綺麗だな……」
俺は感嘆の呟きを漏らした。
篝火の猛々しい炎ではない白いぽわっとした光が、シンメトリカルに刈り込まれた生け垣や花々を柔らかく照らす。その向こうに、灯りの灯る洋館が、濃い森に抱かれて建っていた。
夏の虫の声が軽やかに響く。この辺りは地球と変わらないんだなぁとぼんやり思ってしまった。
俺を乗せた馬は、花の香りの漂う庭園を抜け、洋館の前の車寄せで止まった。
フェルドのエスコートで馬を降りる。長時間馬に揺られて痛む尻をぽんぽん叩く。
「さぁ、こちらがリムウェア侯爵のお屋敷です。あなた方の処遇は侯爵に判じていただきましょう。大丈夫、厳しい方ですが、寛大で公平な方でもあります。悪いようにはなさらないでしょう」
フェルドが微笑むと、重そうな扉を開いた。
光が溢れる。
俺は思わず目を細めた。
真っ赤な絨毯。金の装飾が眩しい調度品。並ぶ絵画と美術品。目の前には、見たこともない輝く世界が広がっていた。
しかし、豪華だがうるさくは感じない内装だ。館の主のセンスかは分からないが、好感が持てた。
俺達はただ圧倒されて、ポカンと口を開ける。何だかだんだんと緊張して来た。
「さぁ、どうぞ」
フェルドに促され、その館に足を踏み入れる。
その瞬間、ガチャンという音が響く。
びくっとして、俺と優人は揃って振り返った。
黒いエプロンドレスにショートカットの栗毛に乗せたヘッドレスト。
おお、本物のメイドさんだ。
メイドの少女は、口元を手で覆い、驚愕に目を見開いていた。床には彼女のだろう、銀の盆が落ちていた。
その彼女が、突然顔をくしゃりと歪めると、大粒の涙を流し始める。
「うっ、うう、うっ、エリーセさまぁぁ…エリーセさまぁ、戻って来てくれたんですねぇぇ!」
メイドさんはそう言うと、がばっと俺のズボンに抱きついた。
わ!
もちろん俺は女の子に抱きつかれた経験なんてない。内心ドキドキしてしまう。ましてや泣いてる女の子なんて、どうしていいのかわからない。
「エリーセさまぁ、会いたかったよぉ……寂しかったよぉ……」
「これ、ユナ、止さないか」
フェルドが止めるが、ユナと呼ばれた少女はますます泣き出す。
「エリーセさまぁ……エリーセさまぁぁ、わぁぁぁぁ」
俺は緊張と困惑で頭が真っ白だった。
涙で濡れた顔を俺のズボンに擦るユナ。
俺は……一体どうしたらいいんだ?
少し長めに。
物語でもゲームでも新しい町にたどり着くとわくわくしますね。
ご一読下さった方、ありがとうございました。