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雪色エトランゼ  作者:
第1部
29/115

Act:29

 葬送。

 喪服に身を包んだ多くの市民たちが、魔獣襲撃で亡くなった人の亡骸を囲み、大聖堂から市外の墓地まで歩いて行く。厳かなレクイエムが静かに低く響いている。

 一般市民24名。騎士7名。兵士25名。

 それが、今思い返せばあの短い間の出来事で犠牲になった人々の数だった。

 俺がもっともっと頑張っていれば、もっともっと助ける事が出来たんじゃないか。

 あの時別の方法を選んでいれば、もっと早く動けていれば…。

 詮無いと分かってはいても、そんなことを考えてしまう。

 俺は黒のロングワンピースとヴェール付きのトール帽をかぶった喪服姿で、葬列の一番前を歩く。これは、本来なら公葬の喪主たるお父さまの役目だったが、体調不良を押して教会まで出席したお父さまを、町外れの墓地まで歩かせる事はできなかった。

 今は俺がその名代として、葬送の列を率いる。

 俺も一緒にレクイエムを歌う。

 男の時は出せなかったような高く透き通った歌声が、青い空に吸い込まれていく。

 歌声に、悲しみの嘆きと喪失の怨嗟とただ流れ落ちる涙が混じり合って、俺の背を叩く。

 この場所。この立場に立っているという事は、これだけの人々の思いに責任を持ち、背負わなければいけないということだ。

 墓地には真新しい墓穴が黒々と口を開いていた。その中に新しい棺が収められていく。

 俺はヴェールの奥でそっと目を閉じた。込み上げるものを、奥歯を噛み締めて堪える。

「己が使命に殉じた高潔なる者たちよ。あなた方に最上の敬意を。あなた方の名は永久にこの地を守る要として刻まれる。英雄よ。安らぎの中で、我ら同朋が彼方に赴く時を待ちたまえ」

 俺は予め教えられていた聖句を呟いて、棺一つ一つに土をかけていく。

 むせび泣く声が、緑のざわめく墓地に広がっていく。それを包み込むような爽やかな風が吹き抜けていく。

 ヴェールとスカートが風に揺れる。俺はそれをそっと抑えた。

「捧げ、剣!」

 カリストの号令で、俺に付き従っていた騎士立ちが白刃を高く掲げた。

 犠牲者の葬儀が厳かに終わる。

 俺はそっと黙祷を捧げた。

 墓地から少しずつ立ち去って行く人々を見送りながら、俺も歩き出す。

 吹き抜ける風の芯には少しの冷たさが混じっていた。祭が終われば夏ももう終わりだ。秋がすぐそこに迫っている。



 祭りの間の休業2日。魔獣襲撃事件の膨大な事後処理。

 久し振りに感じる朝議会を終えた俺が執務室に入ると、机上には決裁待ちの書類が山脈のように積み上げられ連なっていた。

 思わず顔が引きつってしまう。

 優人のところにでも遊びに行くかな…。

「……」

 …危ない。現実逃避しそうになった。

 俺はしょんぼり肩を落として、その山を少しずつ切り崩しにかかった。

 この量、終わる前に必ず手首が腱鞘炎になるに違いない。

 黙々と書類を右から左に処理しながら、ふと気が付いて呼び鈴を鳴らした。

 慌てやって来た事務官にその書類を返す。

「こことここの数値が入れ替わってますよ」

「あ、本当だ。失礼しました、お嬢さま」

 事務官が書類を持っていそいそと戻って行く。こんな事務仕事だけなら、自分の世界に没頭していてもいいのだが、そうはいかなかった。

 ノックが響き、市民長の1人が入って来る。

「やぁ、カナデさま。お怪我の具合は如何ですかな」

「ありがとうございます。おかげさまで大丈夫です」

「妻が焼いたお菓子です。どうぞ」

「わぁ、わざわざすみません」

 俺は立ち上がり、ソファーを勧める。呼び鈴を引いて、メイドさんにお茶を頼んだ。

 仕事の話かと思ったら、魔獣とはいかに恐ろしい相手か、自分も若い頃には銀器を手にとって魔獣と戦ったものだとか、取り留めのない話が長々と続く。もちろん無視する事も帰れと言うことも出来ないので、俺もティーカップを手にとって、笑顔で相槌を打つ。

「カナデさま。大変でしょうが、頑張って下され」

 一礼して市民長が出ていくと、待ちかねたように先ほどの事務官が入って来た。

「書類を訂正しました」

「はい、ありがと」

「あの、お嬢さま。ここが間違っていたと言うことは、予算上申の書類にも誤りがあるかと…」

「えっ!」

 俺は慌ててサイン済みの書類の山を漁る。

 あっ、落ちた。

 落ちた書類を拾おうとして、机の下に潜り込む。

 どんっ。

 うー。

 机に頭をぶつけた。

 拾い上げた書類には、確かに指摘の箇所が間違っていた。こちらは俺も見落としてしまっていたようだ。それを事務官に返し、ふっと一息ついてから、また新規の書類の山に手を付けた。

 その一枚が終わっただけで、またノックの音が響く。

「…はい」

 くそ…進まない…!

 入って来たのは、髭をカールさせた上等な身なりの太った男だった。何回か顔を合わせたことのある、商業ギルドのインベルスト支部長だ。

「お嬢さまにおかれてはご機嫌麗しく」

 麗しくなくなりつつあるが。

「バール支部長。お疲れ様です。今日はいかがされましたか?」

 太ったバールが、目が笑っていない満面の笑顔で話し始めた。

 彼の話の趣旨は、主だった街道筋での騎士団による隊商の護衛と荷運び船への騎士団の乗り込み警備の依頼だった。

 すでにインベルスト市内が魔獣の襲撃を許した事は各地に広がっている。そのため、インベルストへの荷の運搬、インベルストからの荷に対する不安が広がり、物流の基点として機能に悪影響を及ぼし始めていた。そのような不安要素を排除するために、騎士団の動員が必要だとバールは訴える。

 これは商人だけの問題ではない。

 インベルストの物流が滞る事は侯爵領の主たる税収が減ることを意味するし、品不足により物価が上がれば市民生活に悪影響が出る。

 しかし騎士団も街の復興作業や外周警備、インベルスト周辺の魔獣個体数減数作戦などで手が足りていないのが現状だった。個々の隊商や船までを護衛する余裕はない。

 俺は眉をひそめて思案する。その結果は、検討させて頂くという曖昧な回答でバールを帰すことだけだった。不満そうな顔をされてしまうのはしょうがない。執政官や騎士団とも検討してみなければ即答は出来ない。

 また1人になった部屋の中で、俺は椅子にどっかり腰を下ろした。

 はぁ…。

 忙しくて目が回る。しかしすべき事は嘆いていても減らない。

 新しい書類を用意して、ふと市民長が持って来てくれたお菓子が目に付いた。

 ちょっと休憩、いいよな。

 包みを開と、クッキーだった。

 おおお!

 俺は期待に胸膨らませて一口かじる。

 口の中に広がる甘いバターの香り。

 幸せ…。

 はむはむと次々クッキーをかじる。

 もう笑顔が止まらない。

 しかし、油断しきった俺の手元から、クッキーの屑がポロリと落ちた。転々と転がり、机の上の書類の上に。

 うあああああっ!

 慌てて払うが、書類にはばっちり油の跡が…。

 なんて事だ…。

 内部書類なら誤魔化したところだが、運が悪い事にその書類は市民長たちに回覧するものだった。

 油染みがあるものなど恥ずかしくて回せない。

 俺はそっと呼び鈴を鳴らした。

 やって来た事務官に肩を落としながら、再作成をお願いする。

 はぁ…。

 ダメダメだ…。

 少しだけ落ち込んで。また新しい書類に手を伸ばす。



 翌日は魔獣被害の中心である西地区、倉庫街の視察に出た。カリスト以下騎士を引き連れて、スピラに跨って西大路を進む。

 通りのあちこちでは片付けと復旧作業が進んでいた。瓦礫が集められた山と、運び込まれた新しい資材の山があちこちに並び、雑然とした中にもどこか復旧に向けての熱気があった。失望と悲しみの先に開き直ったが故に、人々は純粋に以前の生活への復旧に希望を見いだしているのだと思う。

 道すがら、人々は作業の手を止めて頭を下げてくれた。俺は馬上からではあるが、手を振って返す。

 地下水廊の周りはまだ部隊が警戒体制を敷いている。その間を作業員が行き来している。奥の横穴の埋め直しと地下水廊の封鎖作業が進んでいる。現場指揮官の騎士が頭を下げてから、俺に工事の進捗状況を報告してくれた。

 そこへ、リコットのあの動力船が接舷してきた。

 中から人と資材が運び出されていく。その中には、角材を担いだ優人の姿もあった。

 優人がこちらに気がつく。

 俺はひらひら手を振った。

 俺たちは周りの人から離れて、近くに人気のない倉庫の壁際に寄った。

「仕事か」

 胸の下で腕を組ながら俺は壁にもたれ掛かると、優人を見上げた。

「ああ。街の復旧関連の依頼が増えててな。シズナとも相談して、しばらくはそれをこなしつつ路銀を稼ごうかって」

「そうか。じゃあ、その後はまた旅に出るのか?」

 俺は少し眉をひそめる。優人がいくら強いとは言え、グロウラー型みたいなとんでもない生き物がいる世界だ。この先どんなやつが出てくるか分かったものではない。心配するなと言う方が無理だ。

 優人はふっと笑うと、俺の頭をぽんと叩いた。

「そう心配すんな。次は、リコットから人捜しの依頼を受けたんだ。インベルストが落ち着いたら、シズナや夏奈と北のローテンボーグって街を目指す。俺達の人捜しもあるしな」

 優人と夏奈には、お父さまが見つけてくれたブレイバーのことは伝えてある。それが唯や陸かはわからないが、優人達が出発するのはその人物を確認してから、ということになるだろう。

「でも、お前らがいなくなったら、また寂しくなるな」

 俺はそっと下を向く。

「何だ、らしくないな」

 優人はからかうようないつもの口調だった。

 …それもそうだよな。

 俺は少しはにかんだように優人に微笑む。

 優人は気恥ずかしそうにそっぽを向いた。

「それはそうと、カナデ。お前、あのシリスとか言う奴…」

「きしゃー!」

 何か言いかけた優人と俺の間に、奇怪な声を上げてとんがり帽子が滑り込んできた。

「しゃー!」

 警戒音を上げてリコットがぎろりと俺を睨む。

「全く、油断も隙もあったもんじゃないわ!またユウトを誘惑してたのね」

 …誘惑?

 優人は目を覆って天を仰ぎ見た後、おもむろに角材を持ち上げ、歩き出した。

 逃げたな…。

「リコットさん」

 俺は少女に微笑みかける。

「な、何よ」

 俺は彼女に顔を近づけて囁いた。

「優人はあれで恥ずかしがり屋なんです。ぐいぐい行けば、きっと上手く行きますよ」

「え、そうなの?」

 俺は微笑む。

 頑張れよ、親友。



 俺はカリストに頼み冒険者ギルドに寄ってもらうと、マレーアさんと会った。以前商業ギルドから依頼のあった隊商の護衛の件について相談したかったからだ。

 俺は1つの案として冒険者ギルドへの依頼を考えていた。護衛の依頼を商業ギルドから冒険者ギルドの方にしてもらう。そうすれば騎士団を裂かなくてすむ。その代わりに冒険者ギルドへの依頼料の何割かに補助金を出そうというのが俺の案だった。

 マレーアさんにはその辺りを説明し、同意を得た。なら後は朝議会で予算の審議をすれば、うまく行くかもしれない。

 俺は意気揚々とカリスト達を引き連れて、城に戻る。

 執務室に帰って来ると、外していた時間分の書類が積まれていた。

 また活字と書類と格闘かなと袖を捲った矢先、ノック音が響く。

 …何だ、シリスか。

 入って来たシリスは、勧めもしないのにどかりとソファーに座り込んだ。

 失礼な奴だ。

 俺は書類にサインしながらシリスを一瞥した。

「何かご用ですか」

 シリスは深くソファーにもたれる。

「明日、ルナルワースが王都に帰る」

 俺は手を止めた。あのパレードの日から、忙しくてルナとはあまり話せていない。向こうは俺と話したがっていたが、悪いことをしたな、と思う。

「ではシリスともお別れですね」

 そう言うと、シリスはふっと笑った。

「ルナルワースには部下をつける。俺はお前と王都に向かうからな」

 ちっ…。

「王都はインベルストとは比較にならないくらい賑やかだぞ。王都に到着したら案内してやろう」

 別にいらん。

 とは言えないので、微笑みだけを返した。

 俺に悪戯っぽく笑いかけるシリスは、どこか子供っぽく楽しそうに笑う。

 横柄でイライラする事もあるが、舞踏会でも対魔獣戦でもこいつに世話になったのは事実だ。舞踏会ではこいつの機転のおかげで、何とか場を凌げた。グロウラー型に殴られそうになった時、こいつがいなければ俺は死んでいただろう。

 ふうっ…。

 俺はペンを置く。

「シリス」

「何だ?」

「あなたには、色々お世話になりました。ありがと」

 恥ずかしいので、目線は外して言う。

 一拍遅れて、シリスが笑い出した。

「じゃあ、感謝は行動で示してくれ」

「…何をすればいいんです?」

 こいつの事だ。とんでもない事を言い出すのではという一抹の不安が頭を過った。

「カナデ」

 ごくりと唾を飲み、次の言葉を待つ。

「王都に着いたら、俺の両親と一緒に食事してくれ」

 …食事?

 俺は拍子抜けしてぽかんとする。街の有力者なんかと会食することは良くある事だ。知らない人とは言え、一緒に食事するくらい大したことではない。

 何か身構えて損した気分だった。

「じゃあな。約束だぞ」

「ええ、わかりました」

 シリスはひらひら手を振って執務室を出て行く。

 ほっと一息。

 まあ、食事くらいであいつが満足するならいいか。

 俺は少し気分が良くなって、さらさらとペンを走らせる。

 そこへ再びのノック音。

「カナデさま。教会からお客様です」

 メイドさんが声をかけてくれる。

「通して下さい」

 葬儀の費用か。それとも避難民の関係か。そういえば司教様が臨時の説法会をしたいと言っていたが、場所の確認か。俺は書類に署名しながら客人を待った。

 しばらくしてノックの後、扉が開いた。

「失礼します。私、侯爵さまにお招き頂きました、グラナン教区巡回司祭付き治癒術士の唯と申します」

 教会の長僧衣姿の少女がぺこりと頭を下げた。

「…え」

 俺はペンを取り落とし、呆然と彼女を見つめた。

 書類の数値が連動して間違っていた時のショックは計り知れません。


 読んでいただいてありがとうございました。

 季節の移ろいと共に、お話も進みます。

 また、よろしくお願いいたします!

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