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雪色エトランゼ  作者:
第1部
22/115

Act:22

 パジャマを脱いでみる。左足の包帯には薄らと血が滲んでいた。

 歩いてみる。これは大丈夫。

 屈伸してみる。

 痛っ…。

 これはちょと厳しかった。

 豊穣祭も二日目。今日は何事も起こりませんようにと祈りながら身支度を整えると、俺は部屋を出た。

 危うい状況だったが、なんとか舞踏会は無事終える事が出来た。昨夜中に帰宅した招待客もいれば、今日発つという招待客たちもいる。彼らを全て見送れば、なんとかお祭りも終わりだ。

 ふぅ…。

 まだ気は抜けない。

 カリストの報告では、屋内外を含めて黒騎士の姿は確認出来なかったということだ。

 肝心のラブレ男爵は、今日の朝一番で発つ予定になっている。

 カリストには男爵の動向を確認するようにお願いはしてある。黒騎士の姿があれば拘束したいところではあるが、黒騎士がそもそも昨日の騒ぎの首謀者だという証拠はなかった。証拠がない以上、王統府に申し立てることも出来ない。現場で押さえられなかった時点で、もう男爵側には手は出せなかった。

 何よりも、あの襲撃自体を俺たちが「演出」にしてしまった時点で、大々的に犯人捜しをすることはできない。

 そもそも事件など起こっていないのだから。表向きは。

 腹も立つし、許すことはできない。

 ジェイクから何か証言が取れれば、あるいはとも思う。しかし昨日の様子では、それも望み薄だと思えた。

 男爵たちにはさっさとお引き取り願いたいというのが、正直な気持ちでもあったが…。

 俺はとある部屋の前で立ち止まり、ノックして中に入った。控えていたメイドさんが俺に一礼する。

 開け放たれた窓から、朝の空気の匂いがした。差し込む朝日に照らされたレースのカーテンが、さらさら微風に揺れていた。室内には、ベッドに寝かされたジェイクと心配そうに息子を見つめるエバンス伯爵の姿があった。

「伯爵さま。おはようございます…」

「カナデさん。おはよう。傷はいかがかな」

「はい、大丈夫です。ありがとうございます」

 エバンス伯爵は俺を見て微笑むが、その顔には疲労が色濃く滲んでいた。目は落ち窪み、顔色は土気色だった。

 昨夜、状況を説明した時、エバンス伯爵は頭を下げる俺の肩にそっと手を置いた。

「カナデさんは、我が倅の名誉もお守りいただいた。命をかけて。あのままでは、倅は狂人扱いされていたでしょうからな。これを感謝こそすれ、恨むことなどできない。ありがとう」

 ジェイクの奇行は演技、ということで、周囲には理解されているだろう。

 しかし、ジェイクを傷つけてしまったのも事実だ。

 エバンス伯はしようがない事だったと行ってくれる。

 でも…。

 胸がズキリとした。

 俺は握りしめた拳を胸に抱く。

 抜くべき時には剣を抜く。

 それは剣士の覚悟だ。

 しかし他人を傷つけた痛みは、自分にも返ってくる。

 その痛みを感じることを忘れるな、と祖父は言った。

 今ならその意味が少しわかる気がする。

 詮無い事だとはわかっていても、他にやりようがあったのではないかと思わずにはいられなかった。

「ジェイクさまのお加減はいかがですか?」

「一度目は覚ました。会場を出た後の記憶はない様ですがな」

 伯爵は、ジェイクの顔を心配そうに覗き込んだ。貴族も立場も関係ない。それは子を心配する親の顔だ。

 黒騎士を許すことはできない。

 俺は静かに伯爵親子に頭を下げると、部屋を辞した。



 二日目の行事日程は午後から始まる。執政官や市民長、騎士団幹部らと一緒に、旧市街区に設置された特設ブースから豊穣祭の最後を飾る山車のパレードを観閲する予定だった。

 打ち合わせのためか、俺はお父さまの寝室に呼ばれていた。

 パレードの後は、特別設置の櫓から花輪が巻かれ、それを持ち帰りたい人々の争奪戦が始まる。その花輪撒きのお役目も俺は仰せつかっていた。夜には花火が上がるらしい。夏の風物詩は、ノエルスフィアでも変わらないようだった。

 今晩は花火かぁ。

 ゆっくり花火見るの久しぶりだな。

 花火が終わると、夏も終わりという感じがする。

 夏の終わりは、なんだかちょっとだけ切ない気持ちになる。

 こちらの世界に来てから、もう季節が一つ終わろうとしているのだ。

 お父さまの部屋に入ると、マコミッツ医師も来ていた。

 …やはり、か。

 俺は密かに抱いていた嫌な予感が当たったことを悟りながらも、ベッドに横たわったままのお父さまの顔を覗き込んだ。

「おはようございます、お父さま」

「カナデか。傷の具合はどうだ?」

「…大丈夫です」

 俺を心配するよりも、お父さまの方が具合が悪そうだった。

 顔は蒼白だし、頬は痩け、手は力なく動かない。

 やはり昨日の無理と心労が、病状を悪化させているようだった。

「侯、時節柄無理をされるなとは申し上げられません。しかし、きちんと食事はして頂きたい。何も食べないのであれば、病が良くなるはずがないでしょう」

 マコミッツ先生が厳しい口調で告げた。お父さまは乾いた笑いを浮かべるだけだ。

 先生はため息をついてから一礼すると、静かに寝室を出て行った。

 部屋には俺とお父さまだけが残される。

「今日の行事は、私だけで参ります。お父さまはお休み下さい」

 俺の申し出に、お父さまが腫れぼったい目で俺を見る。俺は真正面からその目を見つめ返した。

 お父さまは微かに頷いた。

 あの義務に厳しい老貴族が自らの仕事を俺にまかせた。それは相当に体調が良くない事を物語っている。

「カナデ。お前に知らせておく事がある」

 お父さまはクッションに深く身を沈めて目を閉じた。

「依頼されていた、お前とともにやって来たブレイバーの件だ」

 どきりと胸が高鳴る。

「お前がやって来たのと同じ頃に、教会に保護されたブレイバーがいるらしい。詳細はまだわからん。お前が探している者かどうかも定かではないぞ。ブレイバー自体はそれほど珍しくはないからな」

 俺は驚愕に目を見開いて、お父さまの顔を見つめた。

 唯か陸か…。

 それとも2人ともか。

 …良かった。

 保護されているということは、きっと無事なのだ。

 俺はぎゅっと目を閉じた。

 激しく脈打つ鼓動のせいで、世界がぐらぐら揺れているようだった。

「…今どこに?」

 俺は絞り出すように尋ねていた。

「グラナン教区の巡回司祭に同道している様だ」

 グラナン教区は、リムウェア侯爵領の西部を少しだけ含む教会の教区域だ。インベルストからそう遠い訳ではない。

 口を開きかけた俺を、お父さまが目で制する。

「インベルスト教会の司教を通じて、その者を派遣してもらえるように依頼した。そのブレイバー、ユウトと同じ様に強い銀気の使い手のようでな。治癒術を使うらしい」

 銀気は武器に込める事により魔獣を滅ぼす力になる。体の内に走らせれば、優人の様に身体能力を高める事が出来る。そして、怪我人や病人に自らの銀気を流し込む事により、対象者の治癒能力を飛躍的に高める癒しの術法として利用することも出来た。

 しかし自らの銀気を相手に同調させて患部の治癒効果を高めるという術は、制御がかなり難しいらしい。銀気の才を持つものは少なく、その中でも癒しの使い手はさらに数は少ないようだった。

「噂の治癒術士にわしの病を看てもらいたい、と依頼した。ふっふっふ。この老躯の病も思わずところで役に立つ」

 弱々しく笑うお父さまを俺はじっと見つめる。

 胸の奥に温かいものが、ぽっと灯った。


 ありがとう…。


 掠れる声で俺は呟いていた。

 俺はお父さまの手をそっと握った。

 筋張った皺だらけの力のない手だった。

「泣くな、カナデ」

 泣いてない。

 俺は泣いてなんかいない。

 男は簡単に涙を流したりはしない。

 へへへ…。

 良かった。

 目尻をそっと拭う。

 自然とお父さまに笑顔を向ける。

 だってこんなにも嬉しくて、胸の奥底から溢れる温かさが心地よかったから。



 服を着替える。午後のパレード観閲に向けて出発の準備をしなければ。

 ついでに足の傷も、包帯をまき直した。

 リリアンナさんは、いつものようにロングスカートのドレスを用意してくれたが、俺はどうしてもとお願いしてズボンにしてもらった。

 足の傷にはスカートの方がいいのでは、と心配してくれるリリアンナさんに、俺は首を振った。

「昨日みたいに何か起こると大変です。動きやすい格好をしておきたいんです」

 ましてや午後の式典には、お父さまが出席できない。備えるだけは、備えておきたかった。

 ため息を吐いて、リリアンナさんは代わりの衣装を準備してくれた。

 黒の長靴に白のズボン。濃紺のテールコートに、金糸の飾緒を礼肩章から吊り下げる。白のスカーフタイを締めて、真紅のリボンで髪を纏める。きゅと白手袋をはめれば、完成だ。

 俺は鏡の前でタイを整える。騎士団の礼装だ。いつもの乗馬服と大して変わらないが、礼肩章や飾緒なんかがいかにも派手で、貴族さま、といった感じだった。

 少し派手ではないか、とリリアンナさんに申し立ててみたが、「侯爵家を代表されて人前に立たれる方には必要な装いと言うものがります」と一刀両断されてしまった。

 俺は鏡の前でカツンと踵を合わせて姿勢を正しす。まるでこれから劇にでも出そうな格好だった。

 何だか可笑しくなって、ふふふっと笑ってしまった。

「あらあら、カナデさま。随分ご機嫌が良さそうですね」

 そんな俺は、身支度を手伝ってくれたメイドさんに笑われてしまう。

 少し恥ずかしくなって、照れ笑いを返すしかない。

 人間は現金なものだ。

 目の前に少しの希望が見えただけで、モチベーションが跳ね上がる。

 俺は確かに高揚していた。

 唯か陸か。

 早く会えるといいな。

 優人や夏奈も、戻って来ればきっと大喜びしてくれるだろう。

 再会が楽しみだ。待ち遠しくてたまらない。

 そう思うと、顔が自然に笑顔になった。

 なんだか全てが上手く行きそうな気がした。

 お父さまの病も、黒騎士やラブレ男爵の問題も、そしてこのお祭りも。

 俺は鏡の中の自分に大きく頷きかける。

 よし…!

 頑張ろう!

 全てを上手くいかせるために、まず頑張るんだ。

 俺は踵を返して部屋を出た。

「行ってらっしゃいませ」

「行ってきます」

 見送ってくれるメイドさんに手を振って応える。

 玄関ホールで、カリストが待っていた。

 カリストは俺の姿を見て、細い目を見開いて驚いている様だった。

「ああ、カリスト。今日もよろしくお願いします」

「あ、いえ、よろしくお願い致します、お嬢さま」

 我に帰ったカリストが慌て頭を下げる。

 俺は微笑む。なんだか可笑しかった。

「スピラを回して下さい。馬車じゃなくて、馬で行きます」

「は、はい、御意に」

 後ろからカリストが付いて来た。

 俺は長靴の踵を響かせて歩く。

 控えていたアレクスが扉を開いてくれた。

 眩しい日差しが降ってくる。俺は思わず目を細めて空を見上げた。

 今日もいい天気だ。

 主人公が少し調子付いています。

 次回はスピラの活躍もあります、多分…。

 

 ご一読ありがとうございました。

 よろしければ、続きもよろしく願い致します。

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