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雪色エトランゼ  作者:
第1部
2/115

Act:2

 俺と優人は深い森の中を彷徨っていた。

 むっとするほどの濃厚な緑の匂いが押し寄せて来る。深い木々の枝葉を通過した木漏れ日が、ちらちらと緑を輝かせていた。

 何処までも深く茂る木々。

 俺達が流されたはずの川は見つからず、唯達も見つからない。それに、森の終わりさえも見つからなかった。

 俺は何度目かのため息を吐く。

 黙々と下草や枝葉をかき分ける優人は、俺を先導して進路を切り開いてくれていた。初めは、俺が、その、お、女、になってしまったことを散々茶化していたが、俺が本気で混乱しているのを察してからは、何も言わなくなった。

 現状も原因も分からない状況では、下手な慰めや同情はただただ不快になる。この親友は、その辺りを察してくれる。混乱中の俺には、正直それが有難かった。

 その優人が藪を突っ切り、俺も続く。

 やがて俺たちは、初めて人間の匂いのする細い道に出た。

「どっちかな……」

 俺は小さく呟く。その声音が不安に揺れる少女の声そのもので、またどんと気が重くなってしまった。

 とりあえず歩き出そうとした瞬間、優人の太い腕が俺を押し止める。

 険しい目つきをした優人が、道の先を睨みつけていた。

 しばらくの沈黙の後、茂みが揺れる。

 その中から、黒い体躯が現れる。

 野犬だ。

 それも、かなり大きい!

 真っ黒な体は子牛ほどに見える。目は爛々と赤く光り、剥き出した牙から恐ろしい唸り声が漏れていた。

 黒い野犬は真っ直ぐに俺達を睨みつけ、近づいてくる。

 俺は思わず後ずさる。

 どんっと、太い木の幹に背が当たった。

 とっさに武器になりそうな物を探して、近くに落ちていた手頃な棒を拾い上げた。

 竹刀よろしく正眼に構えるが、あの巨大な野犬相手にはいかにも心許ない。

 優人もじりじり後退し、俺の前に立つ。

 野犬がゆっくりと近づいてくる。

 唸り声が深く響く。

 野犬が飛び掛かって来る間合いに入ったと判断した瞬間、俺は思いっきり左に飛んだ。

 野犬は急に動いた対象、即ち俺に飛び掛かってきた。

「優人、逃げろ!走れ!」

 体格では優人に劣るが、俺には剣道で鍛えた体力と反射神経がある。野犬を追い返して親友を守るくらいは、して見せる!

 俺は飛びかかる野犬を横ステップで躱し、その鼻面に横薙の棒を振るった。銀糸の髪が俺の動きに合せて弧を描く。

 乾いた音を立てて棒がへし折れた。

 鳩尾あたりがすっと冷たくなる。

 俺はとっさに折れて鋭く尖った棒切れを、野犬の柔らかそうな横腹に突き出した。

 呆気なく棒は弾かれる。

 野犬はお返しとばかりに後肢で立ち上がると、巨大な体躯で俺を押し倒した。

「かほっ……」

 衝撃で息が詰まる。漏れた声は、自分のものでは無いようだった。

「うおおおおおっっ!」

 その時、雄叫びを上げて優人が野犬に踊り掛かった。

 ううう、優人……!

 優人の気合いの声に呼応するかの様に、その拳が銀色の光に包まれる。

 何の捻りもない渾身の右ストレート。

「駄目だ!優人!」

 悲鳴のように俺は叫んだ。

 鋭い棒の切っ先も弾く体だ。ただの拳が効く筈がない。

 しかし。

 優人の銀色に輝く拳は、易々と野犬の横腹を貫いた。

 確かに貫いている。

 しかし、血の一滴も流れない。

 そして野犬は、一瞬硬直した後どろりと溶け出し、霧のように霧散した。



「はっはっはっ……」

 俺はペタンと座り込んで、乱れた息を整えていた。はらりと落ちてくる髪を掻き上げる。

 特に取り乱した様子もない優人は、不思議そうに銀色の光の消えた自分の拳を見つめていた。

「優人、なんだよ、それ」

「さぁ……? お前を助けなきゃと思ったら、突然光りだしたんだ」

 そこまで言って急に優人が固まった。

 視線が俺の背後に注がれる。

 がさがさと茂みが揺れる音。

 過ぎ去ったはずの不安と恐怖がむくりと起き上がる。

 恐る恐る振り返る。

 まさに、新たな野犬が出てくるところだった。

 ヤバい。目があった。

「優人、逃げるぞ」

「ああ、逃げよう」

 二人でゆっくりと方向転換。そして俺達は、全力で走り出した。

 怖くて後ろは振り返れない。

 木が揺れる。

 前方、樹上から真っ黒の猫の様な生き物が降ってくる。

 真っ黒な鳥が空から飛びかかってくる。脇からまた別の野犬が赤い目を光らせて突っ込んできた。

 俺は頭を下げて回避し、優人は拳に銀色の光をまとわせて迎撃する。優人に殴られた敵は、やはり嘘の様に霧散する。

 走る。

 走る。

 走る。

 黒い獣たちに追われながら。

 体力の消耗と緊張で足元が怪しくなる。

 はっ、はっ、はっ……。

 気をつけねばと思った瞬間。

「あっ!」

 我ながらなんと可愛らしい悲鳴。

 俺は木の根に躓いて、盛大に転んでしまった。

 優人が慌て俺の前に立った。両手に銀の光を纏わせて黒い獣達を殴り飛ばす。

「早く逃げろ!」

 優人が怒鳴る。

 あれだけ動いているのに、優人は息一つ乱していない。

 不甲斐ない……!

 俺は歯を食いしばって立ち上がる。

 不甲斐ない。こんな体たらくでいいはずがない!

 優人の加勢に駆け出そうとした瞬間、ひゅんと空を切る音が俺達の脇を通過した。

 今まさに優人に飛びかからんとしていた黒の野犬に、矢が突き刺さる。

「弓矢!」

 優人が驚きの声を上げる。

 続いて次々と飛来する弓矢が、黒い獣達に突き刺さって行く。弓が当たった瞬間、獣達は一瞬銀色の光に包まれ崩れ去っていった。

 近づいてくる複数の足跡。

「君達、こっちだ!言葉はわかるだろう!」

 優人と目配せすると、俺達は全力で声の方に走った。



 最後の茂みを突っ切り、森を出た。眩しい光に一瞬目が眩む。

 森を出たそこに、声の主がいた。

 短く刈り込んだ金髪。鍛えている事が分かる体格。そして、銀色の板金鎧に身を包み、馬に跨っている。腰には剣が見える。まさに、ゲームやファンタジー小説に出てくる騎士の姿だ。

 その脇に10人ほど。騎士に比べればやや簡素なお揃いの鎧を身につけ、手には弓矢を持っていた。

 どうやら、助けてくれたのは彼らで間違いないようだ。

 しかし皆、俺達を助けてくれた筈なのに、まるで幽霊でも見たかのように呆然とした表情でこちらを見ていた。

 優人がそっと耳打ちしてくる。

「あれ、コスプレだよな。あの馬、本物か?」

「俺が知るかよ」

 彼らの正体はともかく、野犬達から助けてもらったのは事実だ。きちんとお礼は言わなくてはならない。何時でも礼は尽くすものだと、祖父も言っていた。

「あの、助けてもらってありがとうございました」

 俺は一歩進み出て頭を下げた。

 ええい、落ちてくる髪が鬱陶しい。

 何故か呆然としていた騎士風の男が、慌て馬から降りると俺の前に跪き、深々と頭を下げた。

「お、お嬢様。私はリムウェア侯爵家白燐騎士団が一人、フェルドと申します。エリーセお嬢様、か……?」

 金髪の騎士フェルドは俺を見上げ、そして直ぐに目を逸らした。

「お嬢様が何故このような場所に……。ブレイバーとご一緒に居られるのか? それにその粗末なお召し物は……。いや、しかしエリーセさまは、確かに……」

 粗末って、おい。俺ら学生のユニフォームを蔑ろにするな。

 あとお嬢様言うなよ。……何か傷付く。

 俺はフェルドの対応に困って優人を見る。すると、優人も直ぐに目を逸らし、恥ずかしそうに頬を掻いた。

「……失礼、お嬢さま。少し取り乱してしまいました」

 フェルドは大きく深呼吸する。しかし、困惑した態度はそのままだった。

「しかし、そのお姿は些か目に毒でございます」

 目をそらしたままのフェルド。

 俺は改めて自分の姿を見て、はっとした。

 獣に襲われた時の冷や汗と森の中を全力疾走した汗で、夏服の薄いワイシャツがべったりと体のラインに張り付いていた。

 自分でも驚くほど丸みを帯びた女性のシルエットに愕然とする。

 気がつけば、何だか弓矢の兵士たちの視線が突き刺さって来る気がして、俺は慌てて後ろを向いた。

 その背に、ふわりと布が掛けられた。

 振り向く。

 フェルドが、自分のマントを外して羽織らせてくれたのだった。

「ありがと……ございます」

 俺が小さな声で呟くと、フェルドは照れた様にそっぽを向いた。

 弓兵たちからは何故かブーイングが起こっている。

「フェルド様だけずるい!」とか「フェルド様の格好つけ!」とか。

 騎士フェルドは視線でそれを黙らせると、わざとらしく咳払いした。

「ともかく、お城までお連れ致します。そこのブレイバーもご一緒に。ブレイバーの事情は存じております故、追々現状の説明も致しましょう」

 状況が分かるのは有り難いが、その前に誤解を一つ解いておかなければならない。

「すみません、フェルドさん。こんな姿ですが、俺はそのエリーセさんという方ではありません。俺は篠崎……」

 そこで突然優人が俺の腕を引いて、耳打ちして来た。

「奏士って正直に名乗るのは不味いだろう。今のお前はどうみても女だ。奏士は男の名前だし、変に怪しまれても困るぞ」

「……じゃあ、偽名かよ。その方が相手の信頼に背く事になるぞ」

「男だったけど女になりましたって方が怪しまれる、絶対。捕まるかもしれんぞ、最悪」

 俺と優人は数瞬睨み合う。そして、俺が折れた。

「……わかったよ。じゃなんて名乗るんだ?唯にするか、夏奈にするか?」

「バカ。二人とも俺達みたいに保護されてる可能性があるだろ。その時に真っ先にばれる。事態がこじれるのは避けたい。そうだな、お前の名前は……」

 そこで優人はにっと笑った。

 む。

 これは何か企んでる邪悪な顔だ。

「カナデちゃん、でどうだ? 奏士の奏でカナデ。ほら、まるっきり嘘じゃないだろ?」

 得意げに胸をはる優人。ダメだ、こいつ楽しんでるな……。

 俺は背の高い優人を上目遣いで睨みつけてから、くるりと振り返った。

 相談の間を怪しまれないように、精一杯の笑顔を浮かべてみる。

「俺は篠崎カナデ、こっちは優人と言います。その、よろしくお願いします」

 うん、俺の演技力もなかなかじゃないかな……。

 俺は、そっと現実の羞恥心から目を背けるのだった。

 短め、こまめな更新を心がけています。

 お話のペースもゆっくりめ。

 ご指摘ご指導ありましたらよろしくお願い致します。

 ご一読下さった方、ありがとうございました!

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