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雪色エトランゼ  作者:
第1部
18/115

Act:18

 夕食の時間。食堂にやって来ると、先に来ていたルナが立ち上がって優雅に一礼した。

「侯爵さまに晩餐をご一緒させていただく許可を頂きました。失礼致しますね、お姉さま」

 ルナは、にこっと笑う。俺も微笑み返しながら、ルナの背後に控えているシリスを一瞥した。

 今は、ルナの従者よろしく直立姿勢で立っている。

 しかし油断は出来ない。

 こいつ、何をしでかすか分かったものではないというのが、俺の印象だった。

「お姉さま、お聞きしてもいいですか?」

「ええ、どうぞ」

「ご養子先では、どのように過ごされていたんですか?私より少しだけ年上でらっしゃるだけなのに、あんなにお強くて。シリスに勝つ者など、今まで見たことありません」

 ははは…。勝ったんじゃなくて勝たされたんだけどな…。

 俺はルナから少し視線を外す。

「そうですね…。普通の学生でしたよ」

 ノエルスフィアにも学校はある。

 貴族の子女が通う名門教育機関や、公の市民学校、一部有識者が開く私塾など種類は様々だ。しかしもちろんどの学校も義務教育という訳ではない。

「凄い!私は家庭教師ばかりで、学校には行った事がないんです。寄宿舎に入られていたんですか?」

 多分ルナが想像しているのは、全寮制の貴族学校だろう。

 もちろん俺は、そんな浮き世離れした世界とは無縁だ。

 小中高と一貫して公立である。

「いえ、市民学校、です」

「凄い!市井の方々と学ばれていたんですね、さすがお姉さまです!」

 うーん、何がさすがなのかわからない。

 俺はルナの意が読めなくて、困ったような笑みを返すしかなかった。

 ルナの背後で薄く笑うシリスが、何か腹立つし!

 ルナと取り留めのない話をしていると、アレクスに伴われた父上が食堂に入って来た。白いシャツにグレーのベスト。しっかりタイまで締めている。

 立ち上がり一礼するルナ。俺は思わず父上に駆け寄った。

「お父さま!お加減はよろしいんですか?」

 アレクスに代わって父上を支える。

 もちろん具合が良くないのは一目で分かった。顔色は土気色で、足取りは覚束ない。

 数日前までは一旦持ち直していたが、ここ数日でまた悪化しているようだった。マコミッツ先生もその症状にすっかりお手上げのようだった。市井の医師を招いているが、結果は芳しくない。

 父上は心配を込めて見上げる俺に、優しく微笑み返した。

「大丈夫だ、カナデ」

 大丈夫じゃないだろう。

 胸がざわざわする。

 こんな状態でも賓客の歓待に出なければいけないのが、「立場」ということか。ましてや末席でも相手が王族なら言うまでもない。

 父上をここに座らせているのは、未だに衰えない侯爵としての矜持だろう。種類は違えど、それは己が道に生きた祖父に通ずる誇り高い姿だ。

 ああ、やっぱり。

 俺はそっと目を閉じて思う。

 この世界で出会えたのがこの人で、そしてこの人の娘であってよかった。

 体調不良を感じさせないように、父上が笑顔を浮かべる。

「ルナルワース殿下。我が娘とはもう話されましたかな?」

「はい、侯爵さま。剣術も拝見させて頂きました。もう私、感動してしまって…」

 父上とにこやかに話すルナ。さり気なく話題を引き出し、場をリードする父上のおかげで、食卓は賑やかに彩られる。

 ホストとして、さすがだと感心するしかない。俺にはまだ到底まねできない技術だ。

 ルナの話に笑顔を返しながら、しかし俺はふと関係ないことに思い至る。

 …さっき俺、父上の子じゃなくて娘だという事を良しとしなかったか?

 しまった…。

 女であることをすんなり受け入れ始めている自分に愕然とした。

 何だか無性にのたうち回りたい気分だった。



「言われた通り人払いはした」

 メイドさんたちやルナを部屋に返し、俺に鍵まで閉めさせてから、父上は低く口を開いた。

 楽しそうにルナの相手をしていた時とは、まるで別人かと思えるような厳しい表情だった。

 部屋に残されたのは、父上とシリス。そして俺だ。

 それまでただ壁にもたれかかっていたシリスは父上の前に立つ。俺も父上の背後に回って控えた。

 シリスが俺を見る。

「カナデはよろしいのか?」

「構わん。わしの娘だ」

その言葉に、俺ははっと息を呑んで思わずお父さまの背中を見る。

その一言で、認めて貰えているんだなという気がして、なんだか胸の奥がぽっと温かくなった気がした。

「では、単刀直入に申し上げる。最近になり、俺は魔獣を人為的に操っている者がいるのではないか、という疑念を持っている」

「馬鹿なっ!」

 父上が吐き捨てるように言い放つ。

 魔獣は人間だけでなく、生命全ての天敵だ。

 意志疎通する事は一切叶わず、出会えばどちらかが死すまで戦うしかない。魔獣が溢れた土地は、時間をかけて腐っていく。木は枯れ、草も生えない荒れ地と化して行くのだ。そんな災厄のような存在を人間が使役などできるはずがない。逆に言えば、もしそんなことが可能なら、強大な力、脅威になるということだ。

「そうだ。あってはならないことだ」

 シリスは忌々しげに首を振った。

「しかし、リムウェア北部を中心に広がる魔獣被害とその個体数の増加。そしてそれを利用するかのようなラブレ男爵の領域侵犯。魔獣の被害地域救済を謳った実質的支配域の拡大化だ。それらはあくまでも偶然に見える。たとえ邪推しても、男爵側が魔獣の動きを利用していると思う程度だ。しかし、魔獣の動きに絞れば、不自然な箇所が見えてくる。出来過ぎているんだよ、魔獣共の動きが。仮に、そこに特定の人物の意志を反映させてみよう」

 父上は無言でシリスの話を聞いていた。もし前に回ってその顔を覗いたなら、どれほど険しい表情をしているだろうか。

「すると、驚くほど綺麗な筋が見えてくる。偶然では片づけられないほどのな」

「…馬鹿な」

 今度は信じられないという風に、父上は呟いた。

 俺は考える。

 浮かんだ疑問をぶつけるように、上目遣いにシリスを見上げた。

「しかし、魔獣まで利用して敵が得る物は何でしょうか?土地の実効支配なんか、王統府が調停に入ればそれまででしょう?」

 シリスは腕を組む。

「リムウェア侯爵領の弱体化は周辺諸侯の利になる。人、物、金、全てで、だ。さらに侯爵家そのものの家名を失墜させられれば、王統府の調停の上で、実質的な領地割譲さえも見えてくる」

「…そんな」

 侯爵家に統治能力がないと判断されれば、あるいはあり得るかもしれない最悪のシナリオということか。

「しかし、俺が疑問なのは…」

 シリスは視線を天井に送りながら、ゆっくり首を回した。

「魔獣を御し得る力を持つものが、侯爵領のおこぼれやささやかな領地割譲など俗な望みで動くのか、という事だ」

 魔獣を使役する。

 それがもし可能なら、天下国家を覆し得る力になる。そんなこと、俺ですら考えつく事だった。

「得るものに対して、その手段が大掛かりすぎる。ということは、敵の狙いはさらに…。でもそうなると、男爵個人というよりも、別の意志が介在している可能性も出てくる…」

 俺は思考をそのまま言葉にして呟いた。

「ふん、頭もそこそこ回るか」

 シリスは面白そうに俺を見た。

「俺が今回リムウェア侯のもとを訪れたのは、それを見極めんがためだ」

 そして獰猛に笑う。狙うべき獲物を追い詰めている狩人の目だった。

「俺の認識が正しければ、敵はここいらでもう一手、仕掛けてくるぞ」

 俺は自然とお父さまの肩に手を置いた。柔らかなベストの生地の下の肩は驚くほど骨張っていて、冷たかった。

 その俺の手にそっとお父さまが自分の手のひらを重ねる。

 …大丈夫、温かい。

「お父さま、この方は何者なんでしょうか」

 この戦略眼、そして情報。もはや只の護衛兼使用人などと信じられる分けがない。

「カナデ、この方は王直騎士団王都防衛第1大隊の…」

「リムウェア侯。私はここではルナルワースの使用人その1だ。それでいい」

 お父さまの言葉を奪い、シリスは真面目な表情から一転し、あの信用ならない薄ら笑いで肩をすくめた。

「実は俺がここに来た理由はもう一つあるんだ。と言うか、出来た。ついさっきな」

 シリスが俺を見つめる。

 俺は半眼で睨み返す。

 ついさっき…。

 とことんいい加減な奴だな…。

「実は嫁探しをしたいと思う」

「ぐふっ!、ごっほ、ごっほ、ごっほ…」

「お父さま!」

 盛大に咳き込み始めた父上の背中を、俺は慌て撫で始めた。

 しかし、俺は思う。

 こんな奴の嫁さんにと目を付けられた娘には、心底同情したくなるな…。



 朝から散々つきまとって来たルナがインベルストの市内見物に出ると、やっと俺の日常が戻って来た。

 朝議会を終え、大分と馴染んできた執務室の椅子にどっかりと腰掛け、胸元のスカーフを少し緩める。

「はふぅぅ」

 懸案事項は多い上に昨夜のシリスの話だ。考えなくてはいけない事は山ほどある上に時間は驚くほどない。

 仮にリムウェアを貶める企みがあったとして、その敵が仕掛けてくるのはいつ、どうやってだ?

 間違いない。祭りと舞踏会のタイミングだ。

 防がなくてはならない。

 しかし、どうやって?

「んっ、なぁぁ」

 考えが纏まらず、口から意味不明な擬音がこぼれ出す。頭を抱えて唸っている間に、控え目なノックが響いた。

「失礼します、カナデさま」

 入って来たのは、まだ歳の若い、末席の執政官の1人だった。俺の執務机の前で、緊張した面持ちで姿勢を正す。

「決裁をお願い致します」

 差し出された書類を、俺はさっと目を通した。

 インベルスト市内、運河に掛かる老朽化した石橋の架け替え工事の計画書だった。

「うーん、そうですね。この通りは結構人通りが多かったでしょう?」

 俺は机に乗り出すように計画書の地図を指差しながら、上目遣いに執政官を見上げた。

 若い執政官は緊張した面持ちで目を合わせてくれない。

「ここを封鎖してしまったら、往来の妨害になるのでは?こことこことかに、迂回路を設定した方が良くないですか?」

「はっ、はい、はっ」

「もちろん皆さんでその辺も想定されているとは思いますけど、計画書にもその当たりを織り込んで欲しいと思います」

 俺は書類を纏める。

「頑張って下さい」

 微笑んでサインしていない書類を返してしまう。やり直し、だ。

 若い執政官は緊張で頬を上気させ、がちごちの動きで退出していった。

 領主代理としてサインする以上、その内容に責任を負わなければならない。俺なりに見つけた疑問点や問題点をそのままにする事は出来なかった。

 息つく間もなく、再びノックが響く。

 入って来たのは、冒険者ギルドインベルスト支部長のマレーアさんだった。

「マレーアさん、ようこそ」

 俺は立ち上がって彼女を迎えた。

「カナデさま、お忙しいところ、失礼致します」

「いえ、マレーアさんなら、大歓迎ですよ」

 俺の言葉に、マレーアさんは頬に手を当ててほわっと笑った。

「ありがとうございます。カナデさまもしばらくお会いしないうちに、しっかりされて。悪漢に追われて青くなられていた方には思えませんわ」

「マレーアさん、それは忘れて…」

 マレーアさんは上品にほほほっと笑う。

「ところで今日のご用はなんですか?」

「そうでした。以前カナデさまがご依頼されたモリア村救援のご依頼ですが、派遣した冒険者から、周辺魔獣を駆逐したと報告がありました」

 なんと!

 俺は目を丸くする。

 さすが銀気の才を持つ者を集めたスペシャルパーティーだ。

「それで、優人や夏奈は無事なんですか?」

「ご安心を。人的損害はないという事です」

 そうか…。

 良かった。みんなが無事で…。

「現地からカナデさまに感謝の声が届いております」

 マレーアさんが悪戯っぽく笑みを湛える。

「どうやら、一部、の冒険者が、村を救うように命じたのはカナデさまだと吹聴して回ってるそうです」

 あいつら。

 余計なまねを…!

 俺はそっと目を瞑り、胸の中で優人と夏奈の名前を唱えた。

 でもそうか。

 無事か。

 嬉しくてニタニタ微笑む俺に、マレーアさんは指を一本立てる。

「でも、カナデさま。認定冒険者に仕事をご依頼される場合は、当ギルドを通していただかないと困りますよ」

 冗談めかしに怒られた俺は、丁寧に頭を下げて謝罪した。

 マレーアさんが退室した後もニヤニヤが止まらない。誰も見ていないのをいいことに、俺は頬を両手で押さえて、椅子の上で足をバタバタさせる。

 頑張ってるんだ、あいつらも。

 誰かのために命を張って戦っている。

 良かった…。

 なら、俺も頑張らないと、合わす顔がなくなるな。

 よし。

 問題は一つ一つ潰していこう。

 俺は頬をぴしゃりと叩いて、呼び鈴で別室の事務官を呼んだ。

 真面目な顔を取り戻して、事務官を見る。

「騎士団のカリスト副団長を呼んで下さい。舞踏会の警備について詰め直します」

 父上とお父さまが混在しているのは仕様です(笑)

 温かく見守ってください。

 読んでいただいた方、ありがとうございました。

 よろしければ、またお立ち寄りください!

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