Act:17
背筋を伸ばして胸を張る。そして柔らかく微笑む。
それが、俺なりの戦闘モードだった。
俺は、少し困ったように首を傾げる。
「私の剣術など手慰み程度。ご披露するまでもありません」
やんわりと拒否の姿勢を示す。
本音は、お前と手合わせする義理などない、だ。
ルナが少し表情を曇らせると、シリスがぐいっと顔を寄せて来た。
だから、近いって…。
馴れ馴れしい奴め。
「カナデ。君もリングドワイスの名は知っているだろう?」
シリスの目が細まる。獲物をいたぶる肉食獣の顔だ。背中がざわざわする。
ああ、そうか。
授業を思い出す。
リングドワイスは王家の家名。
しかし、リングドワイス家は臣籍降下させた女子には、その者が他家に入るまでリングドワイスを名乗る事を許すと習った。つまり、ルナがそのまま王女と呼べるかどうかは分からない。少なくとも気品という意味では、十分に高貴な雰囲気ではあったが。
シリスが薄く笑う。
「お前の考えていることはわかる。しかし、ルナルワースはれっきとしたリングドワイスの本流。王位継承権17位の王女殿下だ。その殿下がわざわざお前に会いに来たと言うのに、そのご希望も聞けない。それがリムウェアにとってどういう意味をなすのか…。わかるだろう?」
俺は必死に無表情を保ち、目の前の男を睨みつける。
悔しいが、こいつの話は良くわかる。
ダメだ。
一時の感情や意地で、俺が父上やみんなに迷惑をかける訳には行かない。
苦いものを無理やり胸の中に押し込めて、俺は頷いた。
「…では、お屋敷の前の広場で」
絞り出すような俺の台詞に、ルナがほっとしたように顔を綻ばせる。
腹が立つのは彼女ではない。このシリスという男だ。
「顔が怖いよ、カナデ」
平然と言い放つシリス。
誰のせいだ!
「カナデ、よだれの跡ついてるぞ」
「えっ?」
不意の言葉に、思わず口元に手を当てる俺を、シリスは面白そうにニタニタ笑う。
…担がれた。
俺はきっとシリスを睨み上げた。
「何なんです、あなたは?」
シリスは離れると、ひょいと肩をすくめた。
「いや、あまりに幸せそうに居眠りしていたもんだからさ、ちょっとからかってみたくなったのさ」
悪びれもなくそう言う。王家の使用人ともなると、こんなにも態度が横柄なのか。拾ってもらったのが父上のところで良かった、本当に。
笑うシリスを無視して屋敷に向かって歩き出すと、嬉しそうにルナがついて来きた。
「カナデお姉さまの髪、雪みたいで綺麗ですね」
ルナは満面の笑顔だ。
何だかイライラしていた毒気を抜かれてしまう。
「ルナの髪も綺麗だよ」
俺は微笑み返した。
胸の中で同じことを繰り返す。
悪いのは彼女じゃない。後ろから飄々とついて来るあの男だ…。
いつもガレスに稽古をつけてもらう広場にやって来た俺は、テラスで掃除していたメイドさんに木剣を持って来てもらうようお願いした。
「よろしくお願いします、お姉さま」
ルナは丁寧に頭を下げ、邪魔にならないようにと少し離れたテラスの椅子に腰かけた。
しかしメイドさんが持って来てくれた練習用の木剣は受け取らずに、シリスは自身の長剣を抜き放った。
差し込む夕日に白刃が煌めく。まるで優人みたいに、銀気を立ち上らせているようだった。
「棒切れなんぞ必要ない。お前が大事そうに抱えて居眠りしていたそれも真剣だろう?女といえど、剣士ならば本物の刃を交えよう」
シリスは挑発するように切っ先を俺に向けた。
俺はそれを横目で見やる。
小さい頃。祖父の道場。
鈍く光る本身の日本刀に憧れて、持たせてくれとせがむ俺に、祖父は厳しい眼差しを向こてこう言った。
誰かを傷つけ得る力は、決して見せつけるために抜いてはいけない。軽い気持ちで振るう刃は、他人も自分も関係なく無差別に傷だけを残す。
刀を抜くのは、自分を鍛え上げる時。そして誰かを守らなければならない時だけだ。
その覚悟を身につけろ、と。
「シリスさん」
「ん、ああ、呼び捨てで構わないぞ、カナデ」
…俺は許可したつもりはないがな、呼び捨て。
「刃は、そう容易く他人に向けるものではありません」
俺は静か言い放った。
その言葉に一瞬目を丸くしたシリスは、しかし耐えきれなくなったという風に笑い出した。
「くっ、はははははっ…、くっくっ、ごもっとも。ごもっともだ」
笑いながらも剣を納めるシリスを、俺はぶ然と眺める。
何か間違ってること言ったか、俺?
改めて木剣を受け取り、俺たちは対峙する。
「頑張って下さいねぇ!」
嬉しそうにエールを送るルナの調子外れな拍手が響く。
右手に木剣を下げ、左半身を前に出すシリスの構えは、盾を持つ事を前提にしたこの世界のオーソドックスなものだった。
その姿から何となく分かる。剣に慣れている。手練れの剣士だ。
俺は木剣を両手で握り正眼に構えた。
「おっ、変わった構えだな」
シリスは余裕の笑みを見せる。
その言葉が終わらないうちに、俺は仕掛けた。
不本意とは言え、剣を合わせる以上は、恥ずかしい姿は見せたくない。
左足で踏み切り、間合いに飛び込む。袈裟から刃を返しての連続斬撃。重心を流れるように運んで体を捌く。
俺の剣を受けるシリスが後退する。
木と木がぶつかる乾いた音が裏庭に響き渡る。
体格から見てシリスはパワーファイターだ。ガレスとの立ち会いのように、まともに受け太刀すればこちらが跳ね飛ばされる。逆に全力の一撃を防がれれば、そのまま弾き返されてしまう。
だったら、体捌きと手数で勝負だ。
本当なら盾を持つ空手の左を、容赦なく縦横無尽に斬り上げる。シリスはそれを右手の剣で受けざるを得ない。相手の構えを突き崩し、不安定な態勢を誘い、そこに斬り込んでいく。
しかしそう簡単に有効打は入らない。
こちらが刃を返す隙に、真上から衝撃波を纏ったような一撃が降ってくる。
俺はとっさに木剣を頭上にかざし、猛烈な衝撃を受けた瞬間、剣身を傾けてシリスの剣滑らせた。そのまま手首返し、無防備な首筋を狙った一撃を送り込む。
入った!
そう思った瞬間、猛烈な衝撃で俺の剣が弾き上げられた。
一瞬何が起こったか分からなかった。
とっさに体勢を立て直し、間合いを外して息を整える。
「おー痛たたっ。やるなぁ、カナデ。危なかったぞ」
シリスは言葉とは裏腹に余裕の笑みを浮かべていた。わざとらしく左腕を痛そうに振って見せる。
信じられない。
あいつ、俺が全力で振るった剣の腹を殴って弾きやがった。
「いいな。実にいい」
笑みを浮かべたままシリスが踏み込んで来る。俺は必要最小限の動きでその剣を回避する。体の近くを通過する剣圧が、その威力を示していた。
すくい上げるような一撃を、俺は両手で固定した剣で受ける。手がジンと痺れる。一瞬体が浮き上がったようだ。
やはり力の差は歴然だ。
思わずたたらを踏む俺に、追撃と横薙に振るわれるシリスの剣。
俺はそれ木剣でまともに受けて、その威力を利用して後ろに飛んだ。
「ひらひらと。まるで猫だな」
先ほどと同じように間合いを外したと思い、軽口を叩くシリス。
甘い…!
俺はバックステップの着地と同時に、左足で地面を蹴って全力で踏み込みに転じる。銀の髪が激しく揺れて、視界に躍る。
驚くシリスの顔。
同時に、剣の鍔もとを納刀した時のように左手に持ち直した。右手は柄に添える。
居合いの構えだ。
自身の体で剣を隠し、放つ斬撃の剣筋を読ませない。
相手の胸元を見る。
視線はフェイント。
そして、左足を引きつけ、さらに地面を蹴って加速。
相手の懐に飛び込みながら、そこから遠心力を乗せた抜き会いの一撃を走らせた。
俺の剣は、胸元を防御するシリスの剣の上、奴の眼前でピタリと停止した。
遅れてふわりと揺れた髪が、そっと元に戻る。集中でシャットアウトしていた世界の音が帰ってくる。自分の荒い息と場違いなルナの歓声が聞こえた。
「凄ーい!かっこいいです!お姉さま!」
俺はゆっくり剣を引いた。
「いや、参ったな。負けたよ。いや、凄い凄い!」
シリスが薄い笑顔のまま俺を賞賛する。
白々しい奴め。
わかっている。
俺の最後の居合いもどきの斬撃、奴は躱しやがった。
本来なら側頭部を狙った俺の剣は、シリスの眼前にあった。ということは、俺の渾身の踏み込みの中、一歩後退して間合いを外したという事だ。
「…いえ。ありがとうございました」
俺は一礼する。
実戦だったらどうだ?
渾身の一撃を空振りした俺は、敵の眼前で完全に無防備をさらす。
相手がこのふざけた男でなくて魔獣だったら?
その瞬間致命傷を受けて終わりだろ。
…く、まだまだ未熟ということだ。
ぐっと反省している俺に勢い良く駆け寄って来たルナは、俺の手を取ってぶんぶん振った。
「感動しました!本っ当にかっこいいです!」
「あ、ありがとうございます…」
あまりの勢いに、俺は気圧される。
「良かったですね、ルナ」
「ええ、ホントに!」
やはりシリスの態度は使用人とは思えない。
「さぁルナ。カナデも汗をかいて、色々身支度が必要だろう。後でまたゆっくりお話はできるから、一度部屋に戻って下さい」
シリスの言葉に不満そうに俺を見るルナだったが、肯定するように俺が頷くと、渋々手を放した。
内心俺はほっとする。
形は女でも、ルナのような女の子にずっと手を握られているのは正直照れくさかった。
「ではお姉さま。後ほどまたお話させて下さいね」
「ええ、もちろんです」
名残惜しそうに歩み去るルナを、俺は微笑みで見送った。
そして、何故か主人について行かないシリスが、木剣をくるくる回しながら俺を見下ろしていた。
「面白い剣だった。どこで習った?」
「養父に習いました」
「ふーん、そうか」
近寄って来るシリス。その体の大きさに圧倒されながらも、俺は警戒を込めて睨み返す。
腰を折って俺の目線に合わせるシリスは、まるで虎のように獰猛に笑う。
「気に入ったよ、カナデ。俺はお前が気に入った」
……!
俺は体中に悪寒が全速力で駆け抜けるのがわかった。
阿呆だ。
ここに阿呆の痴れものがいる。
気色の悪い!
気味の悪いこと言いやがって…!
俺はあらん限りの憎悪と侮蔑を込めてシリスを睨み返した。
「…無礼にもほどがあるでしょう」
「はっ、無礼か。いや、失礼、失礼!」
俺の辛うじて反撃に、シリスは高らかに笑い声を上げた。
そして、木剣をぽいっと投げ捨てると屋敷の方に歩み去った。
俺は様々な種類が折り重なった疲労のせいで、倒れてしまいそうだ。
今日は、せっかくレッスン休日だったのに…。
夜が始まった濃紺の空には、一番星が素知らぬ顔で輝いていた。
お話のペースがスローです。
のんびり進めます。のんびり読んでいただければ幸いです。
ありがとうございました。