Act:16
高台特有の爽やかな風が吹き抜けていく。
ざわざわ揺れる大きな木の下で、俺は良く冷えたお茶に口をつけた。
爽やかな香りが、すっと体の奥に染み込んでいく。
テーブルの上には手作りのクッキーが並べられ、その脇には最近どこでも見かけるようになった手作りの花輪が添えられていた。
色とりどりの花々が巧みに編み込まれていて綺麗だ。
ルベンス地区の市民長、ナトリムの屋敷の裏庭に、俺は午後のお茶に招かれていた。
大きなお腹に薄くなった頭が特徴的なナトリム、対照的に柔和な笑みを湛えるスレンダーな女性がナトリム夫人。2人が俺の対面で、受け持ち区の話を面白可笑しく語っていた。
俺は時折質問や笑顔で合いの手を入れる。そのたびに市民長の老夫婦は、微笑ましそうな表情で俺を見た。なんだか久しぶりにあった親戚みたいで、こそばゆい。
父上の代役で朝議会に出始めてからもう三週間くらいか。市民長たちからは、行政府の執務室への訪問だけでなく、こうして自宅に招かれることが増えていた。父上からは顔繋ぎにちょうど良いと、積極的にお受けするようにと言われていた。
「いい眺めですね」
話が一段落ついたところで、俺はこの裏庭から一望できるインベルスト旧市街の景色に目を向ける。
「ふぉふぉ、そうです。当家の自慢の一つですな」
ナトリムが腹を揺すって笑った。
「あの大通りに見えるのは、お祭りの櫓ですか」
「そうですよ。お祭り当日は、あの櫓の上に楽団が上がって演奏するんです。お祭りの最期には、あそこから花輪を投げるんです。その花輪を貰って、お家に飾っておけば、その先一年間神様がお守り下さるという言い伝えがあります」
ナトリム夫人が丁寧に答えてくれる。
まだまだ時間はあると思っていたが、夏の豊穣祭は、3日後に迫っていた。
急場凌ぎのダンスは何とか形になって来ているとは言え、人前で上手く踊れる自信はなかなか持てない。父上の病状も完治するには至らず、レッスンと並行して父上の代役としての仕事もこなさなければならない毎日が続いていた。
今日は本番前の最後の休日として各種レッスンはお休みだったが、気が休まる事はない。
「ふぉふぉ、ここからの景色は夜景も最高です。是非次回は夜にご訪問ください」
「ええ、ありがとうございます」
俺は首を傾げて柔らかに微笑んだ。笑い方はリリアンナさん直伝だ。ただ、あの人が笑ってるところはあんまり見たことないが…。
予定の時刻ぴったりに、騎士のお迎えがやって来た。
「またお越し下さい」
「お待ちしていますわ」
笑顔で手を振る老夫婦にお辞儀して、俺は騎士に従い馬車に乗る。
騎士たちは全身鎧に帯剣した完全武装だ。
祭りが近づくに連れ、街中にも行政府内にも、そして屋敷の中にもどこか浮ついた空気が漂っていた。それに反比例するように、騎士団は厳戒態勢だった。祭りの空気に当てられた人々や、祭り目当てにやって来た観光客たちのトラブルを防ぐためだ。
俺にしても、ナトリムの屋敷から城中など普通に歩ける距離だったが、こうして騎士の護衛と馬車の送迎がついていた。
揺れる馬車の窓から、花輪の飾り付けが彩る街並みを眺める。
祭りかぁ。
異世界の祭というのを体験してみたい気もするが、こんなに護衛の騎士を引き連れては、祭り見物もままならないだろうなぁと思う。
それ以前に2日ある祭り期間は、公式行事でびっしりなわけで、そんな余裕はないのだ…。
俺は、誰も見ていない馬車の中で、うんっと手を伸ばした。
屋敷に戻った俺は、基本的に役立たずだ。
祭りや舞踏会の準備でてんやわんやな屋敷の中にあって、俺に出来ることは何もない。
掃除を手伝おうかとバケツを持つと、メイド軍団さんが血相を変えて奪いに来る。料理はもともとさっぱりわからないが、何か出来る事はないかと厨房を覗けば、料理長に邪魔ですと一蹴された。
行事の準備に加え、遠方から招待したゲストの中には、既に到着している者もいる。そうした方々には屋敷の別館に滞在してもらっているが、そのお持て成しにも使用人達は走り回っていた。
おかげでここ最近の授業にはリリアンナさんの姿はなく、専らダンスの先生に舞踏会対策を習っているような状況だ。
そんな中をうろうろする俺に、最終的にはリリアンナさんがやって来て冷たく告げる。
「カナデさまはじっとしていて下さい」
俺は小さく頷いてその場を去るしかなかった。
こういう時、エリーセさんはどんな風にみんなに貢献していたのだろう。
ふとそう思い至って、ちょうど良く近くを通りかかったユナを捕まえる。
「そうですねぇ、エリーセさまは、お庭でお祭りの花輪を作ってらっしゃいましたよ。お嬢さまの花輪はとても上手に編まれていて、綺麗なんです」
うっとりと語るユナ。
…ダメだ。
俺にそんな女の子スキルはない…。
肩を落として自室に戻る。
みんなの邪魔にならないよう、裏庭で素振りでもしていよう…。
夕方の爽やかな風に吹かれて、俺はうとうと居眠りをしていた。
ここに来る前は日課にしていた素振り400本を終え、裏庭の小径の先の東屋で休憩していると、程よい疲労感と気持ちのいい気候のおかげでついつい瞼が落ちてしまう。
夜を呼び込むように高らかに鳴き始める虫の音がいい子守歌だ。
微風が前髪を揺らし、水と緑の匂いを運んでくる。
ああ…。
この幸せな微睡みの時間がもっと続けばいいのに。
ぼんやりとそう思った瞬間、砂利を踏む微かな音が聞こえて、俺は目を開いた。
「!」
そして、悲鳴を飲み込む。
眼前に見知らぬ男の顔があった。
笑顔を浮かべる顔は綺麗に整っている。しかし女性的ではなく、男性の力強さがある表情だ。短く整えた黒髪の後ろの一房を長く伸ばし、肩口で縛って前に垂らしていた。
茫然自失から復活した俺は、その顔を睨みつけて、胸に抱いていた剣に手をかけた。
「誰ですか!」
俺の詰問に、男は笑って顔を離した。
離れると男の背の高さがよく分かる。この世界の剣を使う人独特の引き締まった体をしていた。
「俺もいろんなご令嬢にお会いしてきたが、剣を抱えて居眠りしているお嬢さんは初めてだ」
茶化すような口調に、俺はむっとした。
「誰かと聞いているんです!」
肩をすくめる男。
なんだ、こいつは。
「シリス、いらっしゃったの?」
その男の背後から、砂利を踏む足音が聞こえた。先ほど聞いた足音だ。そしてコロコロ転がる鈴の音のような女の子の声が響く。
「はい、お嬢さま。こちらにいらっしゃいますよ」
シリスと呼ばれた男が答えた。
男の背後から現れたのは、輝くような金髪を高く結い上げた少女だった。年は俺と同い年か少し下くらいだろうか。
少女はてってってと俺の前まで駆けて来ると、膝を折り、スカートの摘まんで優雅に挨拶する。
「カナデお姉さま。お初にお目にかかります。私、リムウェア侯爵さまのお招きにより、王統府より参りました、ルナルワース・アルム・リングドワイスと申します」
リングドワイス…?
聞き覚えがあるような…。
洗練された完璧な少女の挨拶に気圧されながらも、俺も立ち上がって頭を下げる。
「カナデといいます。こちらこそよろしく。ルナルワースさん?」
「はい、カナデお姉さま。私のことは、ルナとお呼び下さい」
にこっと微笑むルナの笑顔は、どきりとするほど可憐だった。
俺がぽかっとルナに見とれていると、シリスと呼ばれた男がまた俺の顔を覗き込む。
「それで俺がルナの護衛兼付き人のシリスだ。よろしくな」
「う、…よろしくお願いします」
俺は思わず後ずさった。
こいつ、近いのだ、いちいち間合いが。男に近寄られても気持ち悪いだけだって…。
それに、何で主人のルナより偉そうなんだ?
「カナデお姉さま、お会い出来て嬉しいです。シリスにお姉さまの事をお聞きしてから、ずっとお会いしたいと思ってましたの。今も侯爵さまにご到着のご挨拶を申し上げてから、直ぐにお姉さまをお探ししていたんです」
王統府から到着したばかりということはつまり、舞踏会のゲストというわけか。しかしいつの間にか、俺の名前はそんなに有名になってしまったんだ?
キラキラ目を輝かすルナ。何かを期待するように、俺と剣を見つめる。
俺は説明を求めるようにシリスを見たが、奴はいたずらっぽく笑うだけだった。
「私、お聞きしたんです!リムウェア侯が呼び戻されたご令嬢は、私とそう歳も違わないのに剣術を嗜まれ、銀髪の美しく凛々しいお方だと。是非一度お会いしたくて!」
ぐいっと詰め寄って来るルナに、俺はたじたじだ。
「カナデ。是非ルナに君の剣の腕を見せてやってくれないか?」
不敵に笑うシリスが、己が腰に佩いた長剣をこつこつ叩いた。
やっぱりコイツ、何かいけ好かない…。
「お姉さま!是非お願い致します!」
満面の笑みに期待を込めるルナに、俺は静かに退路が断たれていく気がした。
少し短めに。
新しい局面で新しい登場人物です。
名前を考えるのが苦手です…。
ご一読いただいた方々、ありがとうございました。