Act:12
シズナさんが美味しそうにお茶を啜る。俺とマレーアさんが対面に座り、優人と夏奈は壁際で小声で話し込んでいた。
「カナデさま。私ども冒険者ギルドは、いえ、私は、レグルス侯の治世に賛同する者です」
マレーアは組んだ足の上で手を合わせる。
「地域によっては、冒険者の地位は低く見られる事があります。しかしこのリムウェア侯爵領では、公共の依頼の受注や、市民の冒険者ギルドの利用が奨励されています。これは、市井の問題を我々に委託する事による行政事務の省力化を目指している分けですが…」
マレーアさんの顔は真剣だ。鋭い目で俺を見据える。
「カナデさま。我々は現体制が揺らぐ事を望みません。ですから、あなたの出自については詮索致しません。私は何も聞かなかった。でも、これだけは、覚えておいて下さい。あなたが今いらっしゃる立場は、場合によっては多くの人々に影響を与えます。良きにつけ悪しきにつけ、です」
俺が優人達と同じブレイバーだという事。それは父上の実子ではないということだ。養子だということになっても、この世界に縁のない俺では立場が弱い。
政敵にそこを睨まれれば、将来的に父上の治世の足を引っ張る可能性がある…。
夏奈に出会えて感動していたとは言え、俺はまた自分の立場を忘れていたのだ。
これでは、俺を認めてくれた父上や、世話を焼いてくれる侯爵家の人々に合わす顔がない。
俺は白くなるほど拳を握りしめた。
「そこのお二人。ナツさんとユウトさん?あなた方も同様よ。カナデさまの、迂闊なお話はご遠慮下さい。これは、カナデさまのため、よ?シズナさんもよろしくて?」
マレーアさんの迫力に押され、こくこくと頷く優人と夏奈。
対してシズナさんは軽く手を上げただけだった。
「それで、本日の御用向きは?まさか、このおばさんにお会いいただくため、ですか?」
厳しい表情だったマレーアさんは、一転。優しげな笑みを浮かべると、頬に手を当てて首を傾げた。
そのチャーミングな仕草に俺は、ふっと息を吐いた。
「実は、優人を冒険者にしたくて、ご相談を…」
俺は優人を指差し、優人が旅立つこと、仲間のブレイバーを探していること。その為には、冒険者が都合がいいのではないかという自分の考えを話した。
「なるほど、わかりました。では、彼は腕は立つのかしら?」
やはりそう来たか。
「優人は、父上から竜殺しのブレイブギアを託されました」
説明するまでもなく、竜殺しの名を聞いて、マレーアさんの表情かすっと真剣になる。
「カナデさま、そのお話、私どもにも願ってもないことですわ。ギルドは今、銀気の才のある者を求めています」
そう言うとマレーアさんは、少し下を向いて思い出すように話し始めた。
侯爵領北側地域で頻繁する魔獣の被害。人里を襲う魔獣が激増しているらしい。
「レグルス公も騎士団を派遣されていますが、各地で同時多発的に発生する魔獣対策に、騎士団では運用展開に柔軟性が不足しています。」
魔獣の被害は広範に及ぶ。実際騎士団では対応仕切れていないというのが現状のようだった。
「ギルドにも魔獣討伐や護衛、行方不明者の捜索などの依頼が数多く来ております」
しかし魔獣は通常の武器では傷つけることすら出来ない。
マレーアさんが膝の上で指を突き合わせる。
「そこで我々は、才あるものを集め、少数精鋭による先遣隊を派遣し、情報収集にあたらせようと考えています。竜殺しを使える程のブレイバーなら、こちらからお願いしたい程ですわ」
俺は優人を見た。
それはつまり、騎士団も手を焼く魔獣の群れの中に向かうということだ。
優人は俺の隣まで進み出る。
「俺は構わない。当てもなくふらつくより、目的地があった方がいいしな」
しかしその目的地には、命に関わる危険があるかもしれないのだ。
自分が切り出した話ながら、俺は不安を持って優人を見上げた。
優人はその俺のおでこをぽんっと叩いた。
「そんな泣きそうな顔するなよ、カナデ。大丈夫だ」
そしてニッと笑う。
「ユウトさんには、まずギルド認定冒険者の試験を受けていただきます。大丈夫、ほんの簡単な適正試験ですわ。その間に偵察隊の準備も整うでしょう。シズナさん、ナツさん。ユウトさんの認定試験を手伝っていただけますか?」
マレーアさんの言葉に、シズナさんが「よろしくね」と微笑む。
夏奈が軽快に駆け寄って来ると、ソファー越しに俺の肩に抱きついた。
「聞いたよ。えっと、カナデちゃん?は銀気の才能無いんだってね。大丈夫、優人はあたしが守ってあげるから」
「誰が、誰を守るんだ?」
「あ、痛っ!」
俺の時とは違い、力込みで夏奈の頭を叩く優人。何だが間の抜けたいい音が響く。
「でも夏奈も気をつけるんだぞ」
俺の言葉に、夏奈は笑ってVサインを返す。
「大丈夫さっ。それに早く迷子の唯姉と陸も見つけてあげないと」
その言葉に、ぷっと吹き出す優人。
「さっきまで迷子だった奴の言う事か?」
「あー、優人ヒドーイ!迷子だったのはそっちでしょ!」
頬を膨らませる夏奈に、マレーアさんが口元に手を当てて上品に笑う。シズナさんも苦笑混じりに微笑んでいた。
釣られて俺も笑った。
こうしていると思い出すな。
ほんの何週間か前のこと。
あの日の学校の帰り道を。
風呂上がり。
濡れた髪にタオルを引っ掛けた俺は、ごろんとベッドに横になった。
天日干しされたシーツのいい匂いにふわりと包まれる。
額に手を当てて、体の深いところからゆっくりと息を吐き出した。
夏奈…。
無事でよかった。
表情豊かな明るい夏奈は、ちっとも変っていない。
もし今の俺の姿を夏奈が見たら、末代までイジリ倒されるに違いない。
いろいろ慣れてしまったとはいえ、こんなピンクのフリフリパジャマを着ているところなんて…。
優人も笑うだろうな。
案外真面目な顔して「似合ってる」とか言いそうで怖いが…。
俺は微笑む。
…そしたら滅殺だがな。
今日は優人にも、夏奈にも、そしてシズナさんにも助けてもらった。
マレーアさんにも迂闊さを諭された。
現状認識が足りない、か…。
俺もきっと優人みたいに浮かれているんだ、この見知らぬ世界に。
もっと頑張らなくちゃ。
もっともっと。
銀気はなくても、俺に出来る全力を尽くさなければ、俺の事を気に掛けてくれる全ての人に失礼だ。
そうだよな、おじいちゃん。
俺は、気を抜けば塞がりそうになる瞼を無理やり開き、身を起こした。
今の俺に出来る事をやる。
明日からじゃなくて、今日から、今からだ。
俺はベッドから抜け出し机に向かう。リリアンナさんに宿題として出された本を読み解き始めた。
遙か千年の昔の事のお話。
大地の果が裂けて溢れ出した黒い黒い獣たち。
あっという間に全てのものを飲み込んだ。
山も川も畑も街も、農夫も騎士も王様も。
無事な人は逃げて逃げて大陸からも逃げ出して、小さな島にひっそり暮らすようになりました。
小さな島の王女さま。銀色の力で、1人の騎士を呼びました。
騎士はもっと強い銀色の力で、大地を埋め尽くす黒い獣を倒して行きました。
騎士のあとには、光と希望の道があったのです。
とうとう大地の裂け目にたどり着いた騎士を、王女さまは引き止めました。
裂け目の底には、黒い獣を生み出すものがいて、騎士でもとても勝てないと思ったからです。
しかし、騎士は王女さまを振り切って、裂け目に飛び込みました。
それっきり、騎士は戻りませんでした。
しかし、黒い獣もぱったりいなくなりました。
王女さまは泣きました。
その涙も枯れ始めた頃、世界にはあの騎士と同じ銀色の力を持つものが現れました。
彼らは、かの騎士の名前から、ブレイバー、光をもたらす者と呼ばれるようになりました。
俺が朗読を終えると、リリアンナさんは無表情のまま頷いた。大きな誤りは無かったらしい。
昨日の夜、必死に読み込んだ甲斐があった。
読み間違い、時制の間違い、言い回しなど、細かい指摘が列挙される。俺はそれ確認しながら、手を上げた。
「先生、ここで動詞が一番最後に来ないのは、単純な倒置法ですか?それとも構文があるのでしょうか?」
「この場合は倒置表現です。しかし言い回しとして動詞が前に上がる場合は…」
リリアンナさんが少し驚いたような顔をしたのは、先生と呼んでしまったからだろうか。それとも俺が突然質問したからだろうか。
語学の次はウォーキングの練習だった。
高いヒールとドレスのような広がったスカートを身につけ、ただ綺麗に歩く。
しかしこの綺麗が難しい。
「カナデさま、前傾姿勢です。それじゃお猿さんですよ!胸を張りお腹をへこませる!そうです。そのまま顎を引く!」
意識して力を入れて歩こうとすると、余計にふらふらしてしまう。
「蛇行しない!一本橋を歩くイメージです」
スカートのせいで足元が見えない。そう思ってしまうと余計にふらついて、あっと思った瞬間、足首を捻って転んでしまった。
「くぅ…」
床にぶつけた膝が痛む。捻挫なんか、していないよな…?
「もうお止めになりますか?」
頭上からリリアンナさんが俺を見下ろした。リリアンナさんは、俺が音を上げるまで手を差し伸べたりはしない。
「いえ!まだまだです!」
俺は立ち上がりスタート位置に着いた。
「…では最初から。一本橋を歩くイメージで」
俺は慎重に歩いていく。
「視線を下げてはいけません。暗いイメージに見られます。前を向いて遠くを見て。はい、最初から!」
リリアンナさんが手を叩く乾いた音が室内に響く。
午前のレッスンが終わった頃、俺はもう汗だくだった。
「昼食後は、政治学です。その後、騎士団の馬場で乗馬を。夕方には騎士団長がお戻りになられますので、剣術を見ていただけるでしょう。夕食の前には、もう一度テーブルマナーのおさらいです」
俺はリリアンナさんを見て、力を込めて頷く。
午後一番は、次席執政官ギリアムさんによるリムウェア侯爵領における財政状況の講義だった。頭の薄いぽっちゃりしたギリアムさんの話のテンポはスローで、眠気を誘われる。俺は必死に話を全てノートに落とし込んでいく。
ここ最近のリムウェア侯爵領は、関税や通行税が増収傾向にはあるが、インベルスト以外の農村地域での租税料が落ち込んでいる。農民の都市部進出による人手不足に魔獣被害の増加が、第一次産業の低迷を招いているようだ。
講義が終わると、俺はギリアムさんにお礼を言うと、スカートを翻して駆け出した。
部屋で騎士団の礼装である白基調の燕尾服に着替る。襟のホックをぱちんと閉め、リボンで手早く髪を纏める。勢い良く階段を駆け降り、途中、ぶつかりそうになったアレクスに非礼を詫びて、行政府の外れにある騎士団の馬場を目指した。
学校のグランドのような馬場には、既に馬丁のハルゼンが白馬を引いて待ちかまえていた。
「こいつは、スピラって言います。大人しい馬なもんで、お嬢さまに良いかと思いまして」
「うん、ありがとう」
俺はハルゼンに礼をいいながら、そっとスピラに触れてみる。
温かい手触り。
スピラの濡れた大きな瞳が僅かに細まって、俺を見る。
「よろしく、スピラ」
ハルゼンに手伝ってもらい騎乗する。
「やっぱり高いなっ」
目の前の風景がぐっと高くなり、屋敷前の庭園を一望できそうだった。
「では常歩から参ります。手綱を軽く握って、脚を締めて下さい。少し揺れますが、馬の動きに呼吸を合わせて」
ハルゼンが手綱を引き、スピラが歩き出す。
「うっ、動いた!」
「当たり前です。馬ですから」
俺にとっては人生2度目の乗馬だ。まだおっかなびっくり感が拭えない。
俺は日が傾くまでスピラと馬場を歩き回った。遠く教会の鐘が鳴る頃には、スピラ厩舎に戻し、感謝のブラッシングをしてからハルゼンとスピラに礼を言う。
次はガレスと剣術だ。
1日が終わる頃、俺は机に向かってリリアンナさんの宿題に勤しむ。
翌朝起きると、足腰が見事な筋肉痛になっていた。乗馬は意外と下半身の筋肉を酷使する。ましてや無理な力が入りすぎたのだろう。こうなるとウォーキングの訓練がつらい。さらに明日からダンスのレッスンも始まる。社交場でのダンスは、貴族の子女の必須スキルらしい。
つらい。
でも弱音は吐けない。
優人は夏奈とやシズナさんと一緒に冒険者ギルド登録の試験を受けに行っていて不在だ。
彼らに頼ることは出来ない。
逃げることも出来ない。いや、しちゃ駄目なんだ。
自分で決めたことの責任。飛び込んだこの場所に付随する責任。
俺はそれを良く理解しなければならない。
それが、本当の意味での父上の娘になるということだと思う。
あの時マレーアさんも言っていた。
俺が立つことになった場所を良く見なければならない。俺の無自覚が、自分だけでなく多くの人に迷惑をかけるかもしれない。
否応なしに大きな影響力を得る。だから、それに見合う責任を果たさなければならないんだ。
俺が今いるのは、そんな場所なんだと。
俺は頬に張り付いた髪を掻き上げ、額の汗を拭った。
「はっはっはっ…」
息は完全に上がっていた。
夕方の屋敷の裏庭。夕日が自然庭園を紅に染め上げる。
剣術の稽古は、散々打ち込んでも未だガレスに有効打は与えられなかった。
俺は木剣を構え直す。
「お嬢は、完全に片刃の剣を扱う形が身についておりますな。両刃の直剣では振るのに違和感があるでしょうな」
「はっはっはっ…確かにそんな感じかな…」
「うむ、なんぞ相性の良い剣はないですかな」
ガレスが顎に手をやり何やら思案を始める。俺はそれを隙と取り、袈裟に木剣を振り下ろす。
ガレスはその切っ先の軌道が分かっていたかのように半身を反らして躱すと、逆に延びきった俺の腕に木剣を打ち下ろして来た。なんとか木剣を引き戻しその一撃を防ぐが、威力は殺せず、そのまま吹き飛ばされてしまう。
芝生の上ゴロゴロと転がる。口の中が土の味だ。
俺は立ち上がり、剣を構えた。
最近ガレスは忙しいらしく、あまりこうして稽古をつけてもらえる時間がない。
使えるチャンスは有効に活用しなければ。
俺が再び挑みかかろうとした時、屋敷の方からリリアンナさんがスカートの裾を持ち上げて走り寄って来た。
いつも冷戦沈着、たまにロボットなんじゃないかと思えるリリアンナさんの顔が少し青ざめて見えた。
ただならぬ気配に、俺もリリアンナさんに駆け寄る。
「どうかしたんですか、リリアンナさん」
リリアンナさんは立ち止まって一息つく。眼鏡の向こうの瞳が不安に揺れていた。
「お嬢さま、カナデお嬢さま!主様が、ただ今行政府の方でお倒れになったと…!」
馬の目が好きです。
近づくとあまりの大きさにびっくりします。
少しお話は暗めですが、そのうちには…。懲りずにまた寄っていただければ幸いです。
読んでいただいた方々、ありがとうございました!