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雪色エトランゼ  作者:
第2部
114/115

Final Act

 優人が地面を駆け抜ける。

 上方から襲い来る無数の触手を躱し、地面に突き立つそれらを斬り払い、一瞬で禍ツ魔獣に肉薄する。

 逆袈裟に振るわれる光の剣。

「ギガアアアアア!」

 斬り裂かれた禍ツ魔獣が苦悶の咆哮を上げ、盛大に黒い霧が吹き上がった。

 あの、見えない壁がなくなっている。

 天高く跳躍する優人。

 最頂点から、エシュリンの楔を振り被り、禍ツ魔獣に向けて急落下する。

 その優人を迎え撃つように、禍ツ魔獣は剣のように鋭くした巨腕を繰り出す。

 エシュリンの楔の光が、一気に増した。

「うおおおおおおおああっ!」

 優人の雄叫びが、ここまで聞こえて来た。

 激突する。

 光が溢れる。

 膨れ上がる黒い霧。

 それを突っ切って、優人が姿を現した。

 禍ツ魔獣の腕は、肘から先が完全に消滅していた。

 それでもなお、反対側の腕が優人に向かう。

 しかしその前に踊り出たのは、仮面の剣士。

 一刀のもとに、禍ツ魔獣の指を斬り捨て、縦に腕を切り裂く。

 優人が飛ぶ。

 禍ツ魔獣の口腔に光が宿る。

 しかし遅い。

 輝きの塊と化した優人の剣が、真正面から禍ツ魔獣の頭を斬り裂いた。

 その口腔に集まりつつあったエネルギーが、制御を失い、周囲に溢れた。

 爆発が起こる。

 のたうつ熱線の残滓しに、塔の構造物が吹き飛び、炎が吹き上がる。

 唯は、シズナさんは無事だろうか。

 半ばまで頭部を斬り裂かれた禍ツ魔獣が、怒りの声を上げた。

「オノレ……オノレ、人間ゴトキガァァァァ!」

 遠雷のような響き。

 まるで、黒騎士のように暗い声。

 禍ツ魔獣の頭部が再生し始める。

 しかしそれを許さないように、無数の矢が降り注ぎ、銀の爆光が煌めいた。

 その銀光を突っ切って飛ぶ優人。その背に続く陸。

 禍ツ魔獣が咆哮を繰り返す。

 その声は、少し弱々しくなっている気がした。

「勝てる……」

 俺は、ぺたんと座ったままそう呟いていた。

「……ああ。少年たちなら勝つさ」

 シリスが、ふらふらしながら立ち上がった。

 血が落ちる。

 俺はとっさに立ち上がり、横から抱き付くようにシリスを支えた。

「行きましょう、シリス。私たちも。唯に傷を看てもらいましょう」

「あ、ああ……」

 見上げるシリスの顔は青ざめ、息は荒い。

 私は眉をひそめながら、ぎゅうっとシリスを支える。

「あのままではダメだよ」

 不意に、背後から声がした。

 俺はばっと振り返り、シリスを背に庇う。

 漆黒の鎧を鳴らし、ゆっくりとヴァンが起き上がろうとしていた。

 ぐうっ。

 俺は目だけを動かして、剣を探す。

 俺の剣は砕けてしまった。

 シリスの聖剣は……。

 しかし、ブレイブギアは俺には扱えない。

 どうする……。

 俺は頭を振るヴァンを睨み付けた。

「カナデ君。君の声が、聞こえたよ」

 ヴァンは俺を見て、優しげに微笑んだ。

 その穏やかな笑みに、俺の中の警戒心がすっと消えてしまう。

「ヴァン……さん、ですか?」

 傷付いたシリスを背に庇いながら、俺は小さな声でそう呟いていた。

 ゆっくりと頷いたヴァンが、俺たちに並ぶ。

「ヴァン、さん。正気に戻ったんですか?」

 優人たちの戦いを見つめるヴァンの横顔に、俺は問い掛ける。

 ヴァンが俺を見た。

 浅黒い肌に、赤い瞳が細まる。

 ヴァンは頭を振った。

「僕は黒騎士だよ。そこの彼の銀気の一撃で、黒騎士の意識そのものからは、一時的に解放されたけどね」

「でも、それなら……」

 俺の言葉に、ヴァンはやはり頭を振った。

「千年もあれとリンクし続けた僕は、最早あれとは不可分な存在になってしまったんだ。この体も、あれの力で維持しているに過ぎない」

 そんな……。

 千年前。

 ヴァンとアネフェアさんが頑張ってくれたからこそ、今のこの世界があるんだ。

 なのに、こんな結末だなんて……。

 俺はぎゅっと唇を噛み締める。

 ヴァンが少し悲しそうに笑った。

「君には、いや、君たちには感謝している。最後にこうして、僕自身として話す事が出来るとは、思っていなかったからね」

 ヴァンは顔を上げ、禍ツ魔獣を見た。

「だから、その恩返しがしたい」

 俺たちも禍ツ魔獣を見た。

 決着が、もう直ぐつきそうだった。

 両腕を失い、頭部も無残に斬り裂かれ、苦悶と怨嗟の唸りを上げる禍ツ魔獣の胸を、陸が2振りの光の剣で十字に切り裂いた。

 その破穴に、優人が猛然と突撃を仕掛ける。

「セントラルコアたる黒騎士の意識が撃退された今、防壁は展開出来ない。攻撃管制もガタ落ちだ。あれでは、2人のエシュリンの楔の使い手を止めることは、出来ないだろう」

 俺は、ヴァンが何を言っているのかわからず、その顔を見上げた。

「だから、やつは、第2プランを発動させる。まだやつと繋がっている僕には、わかる」

 ヴァンが俺を見た。

「行こう。彼が危ない」

 優人が……。

 俺は息を呑む。

 俺はシリスを支えながら、ヴァンを見詰め返し返し、頷いた。



「うおおおおっ、これで、どうだぁぁぁ!」

 優人の雄叫びが轟き、それに呼応するようにエネルギーどうしが激しく衝突する。

 優人が今まさに、特大化したエシュリンの楔を禍ツ魔獣の胸に突き立てていた。

 その乱れ狂う光の中を、俺たちは唯たちのもとに歩み寄った。

 禿頭さんが仰向けに倒れ、唯が治癒を施している。その前に立つシズナさんが、舞うようなステップで、迫る触手群を捌いていた。

「カナデちゃん!」

 唯がこちらを見る。

「唯、シリスも看て下さい。傷が!」

 唯が頷いて駆け寄って来る。そして、すぐさまシリスに治癒術をかけてくれる。

 シリスが崩れるように膝をついた。

 唯の顔が深刻そうに曇る。

「ひどい……。殿下……」

 唯の呟きに、シリスがそっと首を振った。

 えっ……。

 大丈夫、って。

 私は思わずシリスの隣にしゃがみ込む。その私の頭を、シリスはガシッと掴んだ。

「うわっ」

 そして自分から顔を背けさせる。

「俺は、大丈夫、だからな……」

 シリスが笑う。

 いつもと違う、覇気のない笑いだった。

 シリス……。

「きゃあ!」

 そこに、シズナさんの悲鳴が響いた。

 俺は慌てて顔を上げた。

 数を減らし、弱々しくなっていた触手群が、再び大量に出現し、一斉にシズナさんに襲いかかったのだ。

 その一撃を何とか防御するシズナさんだったが、禿頭さんと共に後方に吹き飛ばされる。

 くっ!

 俺は、シリスの聖剣を構えた。

 俺には、ただの棒きれに等しいが……。

 そして、さらに異変が起こった。

「ぐっ、ぐああああっ!」

 苦悶の叫びが上がる。

 禍ツ魔獣ではない。

 優人の声だ!

 禍ツ魔獣の胸に、今まさにエシュリンの楔を突き立てている優人。その楔の光の刃を避けるように伸びた黒い手が、優人の体に掴みかかっていた。

 さらに、その手が増えていく。

 骨のように細い不気味な黒い腕が、幾本も、幾本も優人に絡みつく。

 まるで、禍ツ魔獣の内部に取り込もうとしているかのように……。

「優人!」

「これが、黒騎士、いや、あれの生存本能が作り出す第2プランだ」

 ヴァンが、憎々しげに吐き捨てた。

「僕という依り代からも引き剥がされ、本体も2人のエシュリンの楔の使い手に圧倒されたあれは、往生際の悪い事に、新しい黒騎士を作り出そうとしている」

「優人を、取り込む、と?」

 俺は呆然と呟いた。

 ヴァンが頷く。

「本来は、死んだ人間を取り込むんだが、今はよほど余裕がないのだろう」

「ぐああああっ!」

「優人!」

 悲鳴が上がる。

 優人は必死に離脱しようとしていたが、巻き付く黒の手が優人を離さない。

「優人っ、今行くぞっ!」

 陸が跳んだ。

 しかし優人に達する直前で、見えない壁に激突し、弾かれてしまった。

 夏奈の矢が飛ぶ。

 やはり弾かれてしまう。

 優人の向こう。

 禍ツ魔獣の中から、黒い霧が吹き上がる。

 それは不気味に蠢動しながら、やがて人の形に固まっていく。

 歪で、嫌悪感を抱かずにはいられない奇怪な人型……。

 その骸骨のような頭部に、ぎろりと赤い目が開いた。

 優人!

 くっ。

 優人っ!

 ぎゅっと手を握り締める。

 自分の無力が悔しい。

 ここで叫んでいるしかない自分がっ!

「カナデ君」

 ヴァンが穏やかに口を開いた。

「君に言われた通り、僕ももう少し頑張ってみるよ」

 ヴァン、さん……。

 ヴァンが、にこっと笑う。

 それは、まだあどけない少年のようで……。

 ヴァンはさっと身をたわませると、一瞬で俺の視界から消えた。そして 次に現れたのは、優人の隣。禍ツ魔獣の胸の上だった。

 ヴァンが無造作に手を突き出す。

 あの見えない壁は、発動しない。

 ……そうか。

 ヴァンは未だに黒騎士と繋がっていると言っていた。

 あの黒い人型が、ヴァンを自分の一部と認識しているんだ。

 ヴァンが、黒いそれから優人を引き剥がし、後方に投げる。落下する優人に、陸と夏奈が駆け寄った。

 ヴァンはそのまま、歪な黒の人型をガシッと掴んだ。

「ギギギギ」

「ブレイバーたちよ!」

 ヴァンが叫ぶ。

「エシュリンの楔で、僕を貫け!僕ごと、こいつを貫け!」

 ヴァンがちらりと俺たちを見た。

 その頭部が、一瞬、黒騎士の兜に覆われる。

「あまり時間がない!次元壁は僕が中和している。今しかない!さぁ、人々を、世界を、守れ!」

 守る……。

 禍ツ魔獣を倒す……。

 傷つき、消耗し、ボロボロになった優人が立ち上がった。

 優人の手に、光の剣が出現する。

 陸が、優人の手に触れた。

 陸の体から溢れた光が、優人に集まる。

 優人の手の中に、もう1振り、光の剣が現れた。

「譲るぜ、優人。ぶちかませ」

 陸がにっと笑った。

 優人が頷く。

 そして。

 跳んだ。

 天高く。

 光の剣を煌めかせて。

「おおおおおおおおっ!」

 優人を阻もうと、無数の触手が持ち上がる。

「させないよっ!」

 夏奈が叫んだ。

 銀色の矢が、次々に触手を撃ち減らしていく。

「おおおっ、あああああぁぁぁぁぁっ!」

 優人の咆哮が天に轟く。

 黒い人型が蠢いた。

「ギガッ、ギギギギッ、ガガガガッ!」

 耳障りな怪音を上げて、黒の人型が禍ツ魔獣の本体に沈み込もうとしていた。

「逃さない!」

 それを、ヴァンがガシッと掴む。

 掴んだ部分から、ズルズルと人型と一体化し始めた。

 不気味な人型の目が細まる。

 まるで、笑っているように。

 禍ツ魔獣と同化していくヴァン。

 俺は……。

「優人!」

 叫んでいた。

 頬から涙が飛んだ。

「優人、お願い!」

 終わらせて……!

「優人っ!」

「優人君!」

「優人ぉ!」

 叫ぶ。

 みんなが。

 そして。

「これでっ」

 優人が禍ツ魔獣に着地した。

 光の剣が軌跡を描く。

「終わりだっ!」

 片方のエシュリンの楔が、ほとんど黒の人型と同化してしまったヴァンを貫いた。

 そしてもう1振が、ヴァンを取り込み笑う、禍々しい赤の目に突き立つ。

「ギガガ?」

 ビギっと、何かがはぜる音がした。

 2振の光の剣を残し、優人がさっと飛び退く。

 そして、光が爆裂した。



 液体のように粘性を帯びた眩い光が、俺たちを飲み込む。

 俺の銀糸の髪が、まるで水中に落ちたかのように、ふわりと広がった。

 その光に飲み込まれた瞬間。

 眩い輝きの中で。

 俺は、見た気がした。

 こちらに背を向けるヴァンと、その隣にそっと並ぶ女性。

 楽しそうに笑う2人。

 ああ……。

 あれが、アネフェアさん……。

 ヴァンが顔だけ振り向いた。

 そして俺にそっと頷くと、微笑む。

 楽しそうな。

 幸せそうな笑み。

 そして、2人で並んで歩き出した。

 眩い光の中へと。



「……デ、……イ!」

 声がする。

 これは……。

 優人の声だ。

「カナデ!唯!」

 目を開ける。

 眩しい黄金の光の流れ。

 その中を、様々な風景が映し出された小さな窓が、幾つも、幾つもふわふわと漂っていた。

 王都も。インベルストも。荒野も海も。人も動物も魔獣も……。そして、もしかしたら今と過去と未来も。

 ここは、前に禍の祠に眠っていた屍を倒した時にも見た、次元の狭間……。

 うつ伏せに倒れていた俺は、ゆっくり身を起こす。

 唯が、呆然と周りを見回していた。

 その前に、シリスが横たわっている。

 顔からさっと血が引いた。

 一瞬体が硬直した後、全身がわなわな震える。

 目を瞑り、動かないシリス。

 私は膝をつき、シリスの体をゆする。

「シリス、大丈夫ですか?寝てはダメです」

 反応がない。

 シリス……?

 青い顔。

 まるで、まるで、息をしていないみたいなっ……。

「シリス、シリス、大丈夫ですか?シリス?起きて」

 必死にシリスを揺さぶる私の手を、唯がそっと包み込むように握った。

「出来る限りの治癒は施したわ。銀気の才の強い方だもの。きっと大丈夫」

 唯が優しく微笑んだ。

 私は、なんだが怖くて、胸がぎゅっと締め付けられて、何も言えない。

「泣かないで、カナデちゃん」

 唯がそっと私の頬に触れる。

 泣いている、私が……?

 じっとシリスの顔を見る。

 そうだ。

 今は、私が泣いている場合ではない。

 この瞬間が、きっと最後のチャンスなんだ。

 優人たちが、元の世界に帰るための……!

「カナデ!唯!」

 優人や陸、夏奈たちが駆け寄ってきた。

「また日本への窓が繋がっているぞ。今度は、一気に5人でも通れそうな大きさだ」

 優人の声が、興奮で震えていた。

「ほら、あそこだ!」

 優人が指差した方向を見て唯が息を呑んだ。目を見開き、口を押さえて、立ち上がる。

「私たちの街……学校!私たち、帰れるの?」

 唯が優人の袖を、勢い良く引っ張った。夏奈がばっと唯に抱きついた。

「帰ろうよ、みんなで!」

 陸が仮面を外す。そしてぷいっと顔を背けた。その一瞬、泣きそうに顔をくしゃくしゃにしているのが見えた。

 みんな……。

 優人が複雑な表情を浮かべて、シリスのそばで俯く俺の前にやって来る。

「カナデ……。やっぱり見えないのか?」

 俺は優人を見上げた。

 そして、涙をこらえて必死に笑う。

 ……上手く出来たかは、わからない。

 見えなかった。

 みんなが歓声を上げて見詰める方向には、ただ光の奔流がうねっているだけ。

 やっぱり、ダメだ……。

 見えないよ、優人……。

「……行って」

 ぼそりと呟く。

 本当は、笑顔で見送るつもりだったのに……。

 笑顔で、優人たちの背中を押してあげるつもりだったのに。

 そのために、こっそりと練習だってしたのに。

「みんな。もとの世界に帰るんです。優人、みんなを、引っ張ってあげて」

 俺は辛そうに顔をしかめる優人と、呆然と俺を見る唯たちを見た。

「カナデ。来いよ。お前に行く先が見えなくても、俺が、俺たちが手を引いてやる。みんないれば、大丈夫だ!」

 優人が手を差し伸べてくれた。

 大きな手だ。

 こちらが差し出す手を、きっと、しっかり握ってくれるだろう。

 もしかしたら。

 でも……。

 私には、出来ない。

 ふるふると首を振る。

 シリスの服の裾を、ぎゅっと握り締める。

「ダメです」

 首を振る。

「ダメです。シリスを、置いては行けない」

 パタパタと髪が揺れる。

「シリスも、お父さまも。こんな私を、必要だと言ってくれました。私は、そんな大切な人たちのために、頑張ろうって決めたんです。私が、私として出来ることを!」

 涙が、つうっと頬を伝う。

「カナデ」

 優人の低い声。

「みんな、みんな。そればかりだ。それで、お前はどうなんだよ!お前自身のことは、全部二の次だろ!それはおかしい!頑張って来たお前だからこそ……!」

 優人が真剣な表情で声を張り上げる。その拳が、わなわなと震えていた。

 優人が、俺のために怒ってくれているのはわかるし、嬉しい。

 だけど……。

 やっぱり、私は、そっと首を振る。

「優人。私は、みんなと一緒に行けないことを不幸だとは思ってないんです。シリスやお父さまのために頑張るっていうのは、私自身を犠牲にすることじゃない」

 自分の胸にそっと手を当てて、目を伏せる。

 お父さまとの出会い。

 舞踏会。

 お祭り。

 旅。

 王都でのお仕事。

 そして、魔獣との戦い。

 今まで色んな事があって、色んな失敗もした。

 後悔はする。

 泣きたくなる。

 でも。

 優人を見上げる。

「私は、私の信じたことを頑張って来ました。それを認めてくれる。そんな私が必要だと言ってくれる。そんな人たちに囲まれるっていうことは、この上ない幸せなんですよ?」

 微笑む。

 今度は、上手く笑えた。

「帰る道が見えないからじゃない。


 私は、ここで私として頑張る。


 そう決めました」

 優人が目を見開く。

 そして大きくため息を吐くと、後頭部をがりがりと掻いた。

 唯がふうっと息をつく。

 夏奈が、カナデちゃんと小さく呟いた。

 涙を滲ませて、俺は笑う。

 その視界の隅に、黒い点が現れた。

 その点は、目に見える速さで広がり始める。

 光が闇に吸い込まれ、この空間が消えようとしていた。

「優人!さぁ、行って下さい!みんなを連れて!みんなをもとの世界に返してあげて!」

 優人が、あちら側の風景が広がっているのだろう、その方向を見て、唯たちみんなを見回す。

 タイムリミットは迫りつつある。

「優人!唯!夏奈!陸!今が、多分みんなが帰れる最後のチャンスです!行って!」

 俺は叫んだ。

「行きなさい!優人!」

 暗闇が広がる。

 私は、シリスの体に手をかけながら、必死に叫んだ。

 優人。

 唯。

 夏奈。

 陸。 

 みんな……。

 ありがとう。

 元気でね……。

 思い付く限りの言葉で叫んだ。

 優人が唯の手を取った。夏奈と陸の肩を抱く。

 私は、潤む視界と零れそうになる嗚咽を必死にこらえる。

 優人たちが光に包まれる。

 さようなら。

 そっと、呟いた。

 次元の歪みが閉じる。

 闇が、全てを塗りつぶした。



 周囲に風の音が戻って来た。

 それ以外は、静寂。

 黒い塔の床の上に横たわるシリス。

 目を開けないシリス。

 急に、心細くなる。

 顔が上げられなかった。

 シリスの鎧の上に置いた私の手の上に、ポツリポツリと涙が落ちる。

 寂しい。

 たまらなく、寂しい。

 今まで、どんなに距離は離れていても、優人やみんながいてくれるという安心感があった。どんなに立場が変わっても、優人やみんなと一緒にいると思うと、怯まずに来れた。

 その支えが、すっぽりと抜け落ちてしまったようだ。

「うううっ、ぐずっ、う、うううっ……」

 シリス……。

 今まで耐えてきたものが、溢れる。

 優人たちにあれだけ強がってみせたのに……。

「うっ、ううううっ」

 これで良かったんだ。

 みんなまで、俺に付き合う必要なんて、ないっ……。

「でもっ……、やっぱり……」

 寂しいよっ……。

 シリスの上で嗚咽を漏らす俺の頭に、不意にぽんっと手が乗せられた。

 シリス……?

 俺は、顔を上げる。

「泣くなよ」

 優人がにっと笑っていた。

 その優人が、不意に横から突き飛ばされる。

「こら、優人!女の子の泣き顔をじっと見るなんて、ダメだよっ!」

 夏奈が優人を足蹴したままの姿勢でむうっと唸った。

「カナデちゃん!そんなにぎゅっとしたら、殿下の傷に障るわ。どいてどいて!」

 唯が俺を立たせると、シリスに治癒を掛け始めた。

「カナデ、もしかしてこの死にかけに、惚れ……」

 夏奈の右ストレートで、陸が吹き飛んで行く。

 なんで……。

 俺は、呆然と優人を見た。

 座り込み、肩を揺らして楽しそうに笑う優人。

「優人、どうして……」

「あのな。前にも言っただろ?お前が帰れない方法で、俺たちだけ帰るってのは、有り得ない」

 優人が手を伸ばす。

 俺は、その手を握り、優人を引き上げた。

「それに、お前が、怪我人をおいて自分たちだけ帰る、なんてことが言えない奴だってことは、俺たちが一番良く知っている」

 優人がシリスを一瞥した。

「帰る時は、みんな一緒だ。お前が、この世界の人たちのために頑張るっていうなら、俺たちも付き合う。それで、その間に、みんな一緒に帰れる方法を探すんだ」

 俺は、もう、ただ、ただ、優人の顔を見つめるしかなかった。

「私たちはずっと一緒の家族みたいなものだって、私、言ったでしょ」

 唯が、珍しく悪戯っぽい顔で微笑んだ。

「みんな……」

 視界がじわっとぼやける。

 今日、何度流したかわからない涙が、溢れる。

「みんな……」

 俺はしかし、涙を拭わず、微笑んだ。

 自然と。

 胸の奥から溢れる気持ちに従って。

「ありがとっ!」

 微笑む。

 みんなで。

 一緒に。



 要を失った禍ツ魔獣の塔が、ゆっくりと崩壊し始めた。

 激しい振動の中、俺は優人におんぶされ、シリスは陸が背負い、俺たちは飛ぶように塔を下る。

 途中、禿頭さんに支えられたシズナさんとも、なんとか合流する事が出来た。

「ユウト!」

 いつも泰然としているあのシズナさんが、涙を浮かべて、優人の顔に手を当てる。

 優人も、微笑みながらシズナさんを片腕で抱きしめた。

 お邪魔虫な俺は、優人の背中で、そっと2人から目を逸らしておく。

 みんなで走る。 

 轟音を立てて、眼前の足場が崩れた。

 優人が急制動をかけ、俺は思わず優人の頭を胸に抱いて、衝撃に耐える。

 そんな俺たちの眼前に、ぐわっとネオリコット号が飛び上がった。

 高まるエンジン音と吹き付ける風。

 ネオリコット号がゆっくりと旋回し、こちらに尾部を向けると、後部貨物室の扉を開いた。

「カナデさま!」

「ユウト君、こっちだ!」

 レティシアが、グラスが、騎士のみんなが手を差し伸べてくれた。

 俺たちは、転がるようにリコット号に飛び込んだ。

『さぁ、準備はいい?帰るわよ!』

 リコットの元気な声が響き渡る。

 騎士たちの歓声が、狭い船内に轟いた。

 陸が、騎士たちにもみくちゃにされていた。

 夏奈はレティシアと抱き合っている。

 唯が、倒壊して行く塔を見詰め、その隣に立つ優人の腕を取り、シズナさんがそっと寄り添った。

 俺は、喝采を浴びせてくれる騎士たちに笑顔を返しながら、担架の上に寝かされたシリスの側に行く。

 そこで腰が抜けてしまったかのように、力なくぺたんと座り込んだ。

 禍ツ魔獣の塔が消えて行く。

 その周りを、リコット号が旋回しながら上昇して行く。

「……カナデ」

 微かな声。

 ああ……。

 シリスが眩しそうに目を開けていた。

「シリス……」

 微笑む。

 シリスの顔を見つめて。

 禍ツ魔獣を倒しても、魔獣が綺麗に消えてくれる訳ではない。

 私とシリスと、そして、ここにいるみんなには、きっと明日も戦いの日々が待っている。

 それでも。

 世界を満たす夜の帳が薄れ、遠く東の稜線に光が射す。

 その光に照らされていく世界。

 また新しい1日が、始まる。

 みんなと、一緒に歩んで行く1日が。

エピローグと同時投稿です。

 読んでいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
この展開が来ると分かっていても、ヴァンとアネフェアさんが光の中でカナデに別れを告げる場面ではやはり涙が出ました。千年にわたる悲劇が、この瞬間にようやく終わりを迎え、もう悲劇ではなくなったのだから……。…
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