Act:109
反抗作戦の準備が進む王直騎士団本部は、昼夜を問わず慌ただしい空気に包まれていた。
本部職員が左へ右へ走り回り、騎士たちが厳しい顔で会議を繰り返している。そして王城前広場では、一般市民からの徴兵隊が、即席の戦闘訓練を行っていた。
正規軍人たちにさえ緊迫した空気が漂っているのだ。
一般市民の彼らには、不安と絶望に満ちた表情が、色濃く浮かんでいた。
リムウェア候領や他の貴族領では、ベリル戦役の際に徴兵が行われたし、過去いくつかの戦争で、徴兵があったという。しかし、王直騎士団での徴兵は、王国の歴史500余年において、初めての事だそうだ。
この非常事態に際して、王都内にも問題が起こりつつあった。
不安を訴える市民のデモ、そしてそれを隠れ蓑にした略奪行為。
一部貴族が王都脱出を強行しようとして、中門の守備隊と押し合うなんて騒ぎも起こっている。
騎士団は、反抗作戦の準備を進めるだけでなく、王都城下の治安維持にも奔走しなければならない状況だった。
現在王都に立て籠もる人たちは、数百万に達する。
治安の問題。
食糧や物資の問題。
今の籠城状態が、そんなに長く保たないのは誰の目にも明らかだった。
俺は、王直騎士団本部の客間の窓から、既に眩しい夏の日差しが降り注ぐ練兵場をそっと見下ろしていた。
この後、国王陛下も交えて、優人たちの地裂峡谷偵察結果報告会が予定されていた。
時刻はまだ早朝と呼べる時間帯。
普段なら朝練の騎士たちが、練兵場で威勢の良い声を上げている頃だが、今はそこに、大きな船が停泊している。
航空船、ネオリコット号だ。
空を飛ぶ船、か。
あれならば、足りなかったもう1手になり得る。
あの船の力があれば……。
決断しなければいけない。
あいつらなら、きっと……。
でも、目の前に迫る脅威もある。
まずは、そちらからか……。
背後でがちゃりと音がした。
振り返ると、シャツにズボンのラフな格好をした優人が、欠伸をしながら入って来た。
「あ、おはようございます、優人」
俺は窓に腰を預け、足を交差する。髪を耳に掻き上げながら、ふわっと優人に微笑んだ。
「ふわぁぁ、早いな、カナ……」
優人がドキッとしたように俺を見て固まる。
俺は、ん?と首を傾げる。
「……いや。ドレスなんかもそうだったけど、その格好が、えっと、なんていうか……」
俺は自分の姿を見下ろした。
真っ白なブラウスにタイはせず、胸元は開いている。今日も朝から暑いから。それに、下は軍装のタイトスカート。
そんなに珍しい格好でもない。
優人が何かを打ち払うように頭を振る。そのまま、壁際のソファーに腰掛けた。
俺もヒールを鳴らして近づくと、優人の隣にぽすっと腰掛けた。
優人には、言っておかなければいけないことがある。
「何か良い匂いが……」
優人が何かぶつぶつと言っている。
「……優人。助けに来てもらって、ありがとうございます」
俺は少し照れくさかったので、前を向いたまま小さく呟いた。
「ん?ああ」
短く、しかし少し嬉しそうに、優人が頷いてくれた。
「でも、優人。何時もタイミング良すぎですよね」
俺は優人の方に体を向けると、上目遣いにその顔を見上げる。
「それは、だって、ヒロインのピンチに駆けつけるのがヒーローの役目だからさ」
真面目な顔で宣う優人に、俺はぷっと吹き出した。
優人もニヤリと笑う。
「そんな陸みたいな台詞、似合わないですよ、優人。ふふっ」
俺は口元に手を当てながら、笑い続ける。
こんなに笑ったのは、久しぶりかもしれない。
さすがは我が親友。油断ならない。
「そういえば、陸はなんであんな仮面をしてたんですか?」
ああ、お腹が痛い。
「ああ、あれな。陸は、騎士たちに迷惑かけてるからな。せっかく救援に向かっても、騎士たちともめたら意味がないからって夏奈が」
陸も、夏奈に促されながらだろうけど、罪滅ぼしの戦いをしているんだ。
でも、仮面を付ければ、確かに正体はばれないかもしれない。しかし、陸がみんなのために戦っているという事もまた、知られない。
それは、少しだけ悲しいなと思う。
「……カナデ。カナデが考えているほど、真面目に考えてないぞ、あいつ」
優人が溜め息を吐いた。
俺はまた、ははっと笑った。
優人と陸が力を合わせれば。
それに唯と夏奈がいてくれれば。
「優人……」
確信する反面。
同時に、悔しくてたまらない。
俺に出来ない危険な事を、優人たちに依頼しなければならない事が……。
でも、それでも俺は、お願いしなければならない。
それが多分、俺の大切な人たちを救うことの出来る唯一の方法だと思うから。
「優人。禍ツ魔獣の討伐。力を貸してもらえますか?」
俺は優人を見つめる。
優人は一瞬目を丸くするが、呆気ないほど簡単に頷いた。
「オルヴァロン島では逃がしてしまったしな。奴には借りがある。決着をつけるなら、望むところだ」
真面目な表情の優人に、俺は頭を振った。
「今度はもっと危険な戦いになります。多分、私たちだって援護出来ない」
禍ツ魔獣。黒騎士ヴァン。それに膨大な数の魔獣群。
敵は多い。
しかし、騎士団の援護は恐らく限定される。
優人がぽふっと俺の頭に手を置いた。
「騎士団はともかく、カナデの援護なんて期待してないし」
無邪気に笑う優人。
俺は優人の手を両手でどかす。
大きな手だった。
いつの間にこんなに大きくなってしまったんだろう。
「……今度勝負しましょう、優人」
むうっと優人を睨む。
思い上がった鼻っ柱、一度叩き折ってやる。
「なんだ、昔ならいざ知らず、もうお前には負けないぞ」
「銀気禁止です」
俺はふっと笑った。
優人も笑う。
優人とのやり取りは心地良い。
やっぱり、優人になら、任せる事が出来ると思う。
この戦いの行方を。
「でも、いつの間にか、優人も頼もしくなりましたよね」
俺は横目で優人を見上げた。
「シリスも言ってましたよ。あの少年は凄い奴だって」
「まあ、な」
照れたように笑う優人。真剣な表情をしている時とは別人のように子供っぽかった。
「昨日の夜も、私が寝ちゃうまでずっと、シリスがその話をしてたんですよ。そのうち優人と手合わせしたいって……」
ガタンと勢い良く優人が立ち上がった。
「寝るまで?カナデ、まさかおっさんの部屋で寝たのか?」
俺は優人を見上げる。
背も高くなったな。
「はい。この間から、目を離すと何をするかわからないからって、同じ部屋で休むようにって……」
突然優人の全身から、メラメラと銀気が立ち上り始めた。
「あの野郎……」
そして勢い良くしゃがむと、座っている俺と目線を合わせる。
大きな手で、俺の肩をガシッと掴んだ。
「カナデ。分かってるのか?お前は今は……」
俺が首を傾げた時。
ガチャリと扉が開いた。
「ふわぁっ。久し振りにちゃんとしたベッドで寝たわ」
「会議って、ここか?面倒くせーな」
夏奈と陸が入って来る。
俺と優人を見て、夏奈がフリーズし、陸が目を輝かせた。
「優人……?」
「夏奈……。はっ。……ち、違うんだ!俺は何もっ!」
夏奈が肩を震わせている。
優人を見る。
怯えたように首を振っている。
また夏奈を見る。
いない?
瞬間。
ドカっと音がして、吹き飛ぶ優人と、右ストレートを振り抜いた夏奈が、俺の前にいた。
「朝から何しとんじゃ!」
……まったく。
銀気持ちたちは、やることがいちいち派手だな。
「あら、みんな早いわね」
唯も姿を現した。
「唯、おはようございます!」
俺は立ち上がって、唯に駆け寄った。
客間には、シズナさんたち冒険者パーティー、参謀部長、王直騎士団の将軍たち。それに、北公を除く四公の方々、シリスとレティシアが集まっていた。
ネオリコット号で他のみんなと一緒に帰還したマームステン博士に、ハインド主任の姿もある。
そして、シリスの隣に並ぶ俺。
王統府側の人間の顔色は優れない。みんな徹夜で王都を囲む魔獣群対策に奔走していたのだろう。
南公さまは、こんな時でもパリッと糊の効いた洒落た格好だ。
西公さまは、俺が挨拶に行くと、優しく東北大門での戦いを労ってくださった。同時に、民の退避より大門死守に重点を置いた方が良かったんではないかなと、ピリッと言い添えられてしまったが……。
……さすが西公さまだ。
冒険者組は、王統府高官たちが居並ぶ場に居心地悪そうにしていた。優人の緊張具合が、傍目にもわかるほどで、俺は思わず笑ってしまった。
逆に例の仮面を被った陸は、腕組みをしながら泰然と壁にもたれていた。
夏奈曰く、緊張しているから、後ろの方へ逃げたんだよっとのことだったが……。
みんながひそひそと話し合う中、扉が開き、陛下の秘書官が現れた。
「国王陛下、ご来臨です」
王統府組と四公が姿勢を正す。
冒険者組がそれに倣った。
そして、鎧姿の陛下がぬっと現れた。
黒光りする鎧に金の装飾が鮮やかだ。堂々たる体躯に壮麗な鎧をまとったその姿は、圧倒的な存在感を示していた。
戦の神さま。
そんな感想を抱いてしまう。
ガシャリと鎧がなり、国王陛下が上座に腰掛ける。刃のような鋭い目で、この場の全員を見渡した。
「待たせた。始めよ」
低い声が、お腹に響く。
冒険者組が集まってごにょごにょし始めた。優人が小さく手を上げ、ぶんぶんと頭を振っている。やがて諦めたようにはぁと溜め息をついたシズナさんが、すくっと立ち上がった。
「陛下、失礼致します」
シズナさんは、優雅に腰を折る。
「それでは、僭越ながら私から、地裂峡谷の偵察結果について、ご報告申し上げたいと思います。私たちのパーティーは、シリスティエール殿下、カナデさまの命により、黒化する大地の調査に赴きました……」
優人たちは、シロクマ号でララナウを発つと、真っ直ぐに北上した。
その途中、幾度も大規模魔獣群に遭遇する。
無駄な戦闘を避けるために魔獣群を回避して進む優人たちだったが、いずれの魔獣群も、進路は優人たちと同じ、地裂峡谷を目指しているようだった。
谷底や森の中をぎっしり埋める黒い獣の塊。
ベテラン冒険者のシズナさんたちですら、息を呑む光景だったという。
そして、ノエルナ大聖堂を越えた付近で、優人たちはさらに驚愕する事になった。
大地が黒く塗りつぶされていた。
そこには、何もない。
禍の祠は、俺も行った事があるから良く分かるが、確かに何もない寂しい場所だった。
しかし、岩や砂はあったし、奇異な地形もあった。
それが、文字通り何もないと言う。
地表のものは言うに及ばず、些細な大地の起伏すら存在しない。
ただ、ひたすら平板な黒い地が広がるだけだった。
その上を、びっしりと魔獣が埋め尽くしていた。
身動きせずに、ただじっと目だけを輝かせて。
見渡す限りの赤い光が、黒の大地の上に輝いている。
そしてその果てに、微かに見える塔状の構造物。
最初、優人たちは、シロクマ号で突入を試みた。
ところが、黒い大地に侵入した瞬間、 それまで制止していた魔獣群が、一斉に襲いかかって来た。
圧倒的物量に、優人たちもシロクマ号を守りながら後退するので精一杯だった。
ところが魔獣群は、黒の大地の外に出ると追ってこない。
今度は、優人、夏奈、陸の少人数で侵入を試みた。しかし、結果は同じだ。
「……うむ、厄介よな」
陛下が腕を組み、低く唸る。
「恐らくその地は、完全に魔獣のテリトリーと化しているのでしょうな。もしかしたら、テリトリー内の魔獣は、より強力になっているのでは?」
マームステン博士が重々しく頷き、髭を撫でつけた。
シズナさんが頷く。
「実際に戦ったユウトたちによれば、確かに攻撃性や敏捷性など、活性化しているという印象はあったと……」
数だけでも脅威である魔獣が、さらに獰猛になる。
考えただけでも、背筋に冷たいものが走った。
それに加え問題なのは、大地が黒化するスピードだった。
黒の大地に優人たちがアプローチを試みている短い間にも、大地の黒化は、目に見えるスピードで進行していた。
奇岩が黒に沈み、その広がった黒のテリトリーにまた魔獣が満ちる。
このままでは、1日程でノエルナ大聖堂も飲み込まれてしまう。
そう判断した優人たちは、調査を打ち切り、大聖堂の人々の救出に向かった。
大聖堂内には、既に教会上層部の姿はなく、一般の信者たちと聖地での殉教も辞さない下級聖職者たちが残っていた。彼らは、地裂峡谷地方に向けて集まって来た魔獣群に包囲され、身動き出来ない状況だった。
優人たちは、魔獣群を掻き分け、ノエルナ大聖堂に向かって突撃する。そして激戦の末、大聖堂に残っていた人たちをシロクマ号に収容し、なんとかその場を離脱する事が出来た。
シロクマ号の甲板から、遠ざかる聖地を涙と共に見つめる人々の眼前で、巨大な大聖堂が黒の大地に沈んで行った。
「冒険者シズナ。そしてユウト。良く我が民を救ってくれた。改めて、我からも感謝を述べよう」
陛下がすっと頭を下げた。
さすがのシズナさんも、慌てたように手を振った。
「恐れ多いことです、陛下!」
俺は、胸の下で腕を組ながら、顔をしかめる。
考えていた以上に、大地の黒化するスピードが早い。
ということは、こうして王都の中に閉じ込められている間も、大地の黒化はどんどん進んでいるということだ。
放置すれば、取り返しのつかない事になる。
「私たちは、真っ直ぐ王都に向かいました。しかし、ハワードルクという街で、押し寄せる魔獣に囲まれ、身動きが取れなくなってしまいました。そこへ、リコットとあの航空船が現れたのです。陛下に現状をご報告すべく、航空船により、我々だけ先に戻ったというわけです」
シズナさんの話が終わると、部屋の中は重苦しい沈黙に包まれた。
我々が直面しているのは、王都を包囲する魔獣という、喉元に突きつけられた刃だけではない。その背後には、他の街にも押し寄せている魔獣、黒化する大地に蠢く魔獣と、さらなる脅威が待ち受けているのだ。
みんな顔を青くしていた。
ベテランの将軍たちでさえだ。
「他の街も魔獣に襲われているのか……」
「王都の安全を確保しても、各都市を救出するのに、どれほどの戦費と時間が必要になるのだろうか」
「しかし、大地の黒化という問題もある」
「打って出るべきだ!」
「補給の当てもないのにか?」
この状況を打破するには、どうしたらいいのだろうか。
やはり王都の周囲の魔獣を滅ぼし、他の街を解放しながら、禍ツ魔獣まで攻め上るしかないのだろうか。
ダメだ。
それでは時間がかかりすぎる。
大地は魔獣に飲み込まれ、きっと手遅れになる。
全てが。
こうなれば、俺たちが選択出来る作戦はただ1つ。
重苦しい空気がわだかまる中、俺はすっと手を上げた。
「提案申し上げます」
陛下がぎろりと俺を見る。
他のみんなも、一斉に俺に注目する。
「カナデ。申してみよ」
陛下に一礼し、集まる視線を押し返すように、俺はみんなを見回した。
「銀気持ちの特化戦力により、空から禍ツ魔獣の塔に強襲を仕掛けます」
誰かが息を呑む音がした。
「現状を打破するには、一点突破で敵中枢を叩く。これしかないと思います」
陛下が目を細めて俺を見る。
優人は少し驚いた顔をして、しかし理解したというように頷いてくれた。
シリスは、不敵な笑みを浮かべ、俺を見ていた。
お前の言い出すことだ、しょうがないな、という表情だ。
……なんか腹立つ。
そして、陛下が獰猛な表情で、ニヤリと口元を歪めた。
「面白いな。カナデ。仔細を申してみよ」
俺は大きく息を吸い込む。
「はい!」
大きな戦いが迫ります。
ご一読、ありがとうございました!




