Act:107
空が薄紫に輝きだした頃。
王直騎士団陣地が動き出す。
ギギギと機械音を上げるゴーレム兵器。そして完全武装の騎馬隊。
戦闘を前に静かな闘志を湛えた顔が、閉じた大門の前にずらりと並ぶ。
城壁の上を伝令が走り回り、バリスタの砲台がキリキリと回転し始めた。
外と同様に、嵐の前の静けさが訪れていた司令部天幕には、緊張と興奮を押し隠した指揮官たちが、地図上に記された魔獣群の位置を見つめていた。
シリスが腕組みをしている。
背中しか見えない俺には、その表情はわからない。
俺は、シリスの背後に置かれた椅子の上からそんな司令部天幕の様子をじっと見つめていた。
結局、パン配りをしていたのがシリスにバレてしまった俺は、ネチネチと説教された後、シリスの側でじっとしている様に命じられてしまった。
目を離すと、何をし始めるかわからないとか言われて……。
俺は厳重に抗議したが、聞き入れてはもらえなかったのだ。
昨晩寝るのだって、シリスの天幕にさせられたのだ。
多分監視していたのだろうが、眠る瞬間までずっと見られていては、寝づらい事この上なかった。
挙句の果てには、また説教が始まる。
指揮官の心構えとか、無謀な突撃の愚かさとか。
だんだんと戦術とか指揮とか関係なくなってきて、最終的には、お前はもっと自分を大事にしろ、という結びだった。
説教を聞いていてだんだんと眠くなってきた俺は、目を瞑り、冷たいシーツにくるまりながら、少し微笑む。
「だってシリスが心配してくれるじゃないでしゅか……」
意識が半分寝ていて、自分でも何を言ったのか良く分からなかった。
がたっと音がした。
「それに、ゆふとだって……。おとむさまだって……」
またがたっと音がした。
そして目が覚めた後も、こうしてシリスの後ろに控えている訳だが、微妙にシリスの機嫌が悪い気がして、俺はこうして大人しくしていた。
俺には、無理をしているつもりはない。
戦端が開かれれば、まずは城壁上部から弓兵隊とバリスタによる制圧射撃が始まる。そうなれば、さらに人手がいる筈だ。
怪我をしている俺にだって、手伝える事はあるはずだ。
「殿下。まもなくお時間かと」
緊張の表情を浮かべた年嵩の参謀が口を開いた。
「よし……」
シリスの声が、静かな天幕の中に響き渡る。
「では、第1波制圧射撃を開始せよ」
一瞬の沈黙。
「戦闘開始だ!」
「第1波射撃を始めよ!」
勢い良く伝令が駆け出して行く。
司令部天幕の外側も、にわかにざわつき始めた。
鎧の騎士たちが激しく行き交い、馬蹄が轟く。そして、天幕の内部にまで、弓兵隊指揮官の怒鳴り声が聞こえて来た。
「構え!」の声の後、「放て!」の号令。
いよいよ、始まった。
城壁上に陣取る弓兵、まるまる1個大隊相当から放たれた矢が、壁の向こうに蠢く無数の魔獣を駆逐する。
作戦では、その射撃を数度繰り返し、敵の数を打ち減らす。
そして城門を開き、ゴーレム兵器を前面に押し立てつつ、騎馬隊の主力が突撃を敢行する。
結局は平原での決戦となってしまうのは、相手が魔獣群だから、仕方がないことだ。
籠城戦を仕掛けても、魔獣が疲弊するのは期待出来ないし、向こうが撤退することなんて、ありえないだろう。
結局は、こちらから殲滅戦を仕掛けるしかない。
人々の安寧を脅かす魔獣を、滅ぼすためには……。
第1波攻撃の結果を待つ間、重苦しい空気が天幕を支配していた。
俺は膝の上の左手を右手でぎゅっと掴みながら、その重苦しい空気に耐えていた。
「報告!」
そこに伝令兵が駆け込んで来た。
「弓兵隊の攻撃は大成功です!多数の魔獣群を撃破。大門前の安全も確保したとの事です!」
司令部内に、おおっというどよめきが駆け抜けた。
居並ぶ将校たちの顔が、ぱっと一斉に明るくなった。
「殿下!」
「よし。では、掃討戦に入る」
シリスが低い声で宣言した。
順調な作戦推移だ。
しかし……。
シリスなら想定済みだろうが……。
俺は椅子から降りると、とことことシリスに近寄った。
隣に並んで地図を見る。そして横目でシリスを見た。
「シリス。魔獣群の総数や具体的な侵攻ルートが分からない以上、深追いは禁物だと思います」
「カナデさま!ご心配ご無用!」
髪の薄くなった年配の騎士が、ニヤリと唇を歪める。
「総崩れの魔獣共など、この一度の突撃で殲滅してご覧に差し上げますぞ」
そして豪快に笑った。
……大丈夫だろうか。
眉をひそめる俺の後頭部に、シリスがそっと触れた。
「騎馬隊には、無理な追撃は控えよとの厳命を」
「はっ!」
シリスの警告にも明るく答えた初老の騎士が、伝令を伴って大股で天幕を出て行った。
ここにいる誰もが、一晩中続いた魔獣の突撃音に精神をすり減らし、大地を埋め尽くすその数に不安を膨らませていたのだ。
初撃での大戦果に喜ばない筈がない。
「王都城壁は鉄壁ですからな。どんな数の魔獣が来ても、安心ですわな!」
年嵩の参謀が明るく笑った。
「うむ。周辺領への援軍要請など不要だったな」
体格のいい騎士がニヤリと笑う。
俺は、ちょうど胸の下あたり、痛めたわき腹にそっと触れる。
彼らとてベテラン将校。
場を明るくするために、あえて楽天的な物言いをしているのだとは思う。
しかし……。
地図の上。
俺は、王都から北東に伸びる街道を、指先でついっとなぞった。
でも……。
嫌な予感は、消えてくれない。
「開門!」
天幕の外から、大門守備隊の声が聞こえた。
シリスや他の参謀たちと一緒に、魔獣の侵攻ルートを検討していた俺は、はっと顔を上げる。
天幕の外では、大歓声が巻き起こっていた。
「はっはっ、上首尾であった様ですな!」
口髭の参謀が豪快に笑いながら、腹を揺すった。
しかしその笑い声が萎むと、表の歓声が、どよめきに変わってしまっていた。
……何かあったのか。
俺はシリスと視線を交わし、耳に集中する。
今度は、どよめきが悲鳴に変わった。
それを聞き、俺は外に向かって駆け出した。
わき腹がズキリと痛む。
「カナデ!」
シリスが叫んだ。
「伝令!」
俺とすれ違うように、焦った表情の伝令が天幕に駆け込んでいった。
外に飛び出すと、異様な空気が押し寄せて来た。
興奮した人々の熱気。魔獣の濃い腐臭。そしてふっと鼻につく血の臭い。
大門前は、人でごった返している。
少しでも早く自分たちの土地から魔獣が駆逐されたという報を知りたい避難民たちだ。
俺は彼らを掻き分けて、前に出た。
息を呑む。
大門から次々と戻って来るのは、意気揚々と出陣して行った騎士たちでは、もはやない。
壊滅寸前。
満身創痍。
まさに敗軍の様相だった。
鎧はひしゃげ、兜や一部装甲板を脱落させている者が目立つ。血と泥に歪んだ顔が苦痛に歪んでいる。
馬を失った者。破損し自立出来なくなったのか、馬に引きずられるゴーレム兵器。
掃討作戦は、失敗したのだろうか?
「魔獣だ!」
その時、隊列を見守っていた守備隊の1人が声を上げた。
周りの視線が、一斉に大門の外へと注がれる。
「……嘘だろ」
「うわおあぁぁぁ!」
「に、逃げろ!」
グロウラー型の一群が、猛然と突進して来る。
人々の間に、一気にパニックが広がった。
誰もが我先にと大門から離れようと走り出す。あちこちで将棋倒しが起こり、悲鳴が響き渡る。
「へ、閉門!」
「早く閉めろ!」
守備隊の絶叫と共に、大門が閉じ始めた。
俺は、その場で真っ直ぐに迫り来る魔獣を睨み付ける。
必死に、睨み付ける。
城壁の上から、まばらに矢が飛んでいく。混乱で、組織的な迎撃が出来ていないのだ。
ぎぎっと軋みを立てて、門が閉まる。
グロウラー型が迫る。
閉じて行く門の隙間に、6つの赤い点が消えて行く。
一瞬の安堵。
しかし。
ダンっと激しい音を立てて、巨大な門扉が震えた。
さらに衝撃音。
グロウラー型が次々に体当たりしているのだ。
不気味に繰り返すその振動に、先程まで逃げ惑っていた人々は足を止め、呆然と聞き入っていた。
俺は、司令部天幕に引き返しながら、必死に考えた。
どうする?どうすれば、この状況を打開出来る?
……まずは、騎士団の再編成を急ぐしかない、か。
態勢を立て直し、少しずつでも魔獣を打ち減らして行くしかない。
重なる衝撃音に、大門が不気味に軋んだ。
くっ!
俺はその不吉な音を振り切るように、司令部天幕に駆け込んだ。
天幕の中には、外の暑さとはまた違う、息の詰まりそうな熱気が淀んでいた。
「即時、第2城壁の中門まで撤退すべきだ!」
「何を言う!まだ第3城壁を破られた訳ではないだろう」
「畑ばかりのここ、外縁地ならば、戦うに問題はないだろう」
「馬鹿な!第2城壁の向こうは直ぐに市街地だぞ!ここまで魔獣を近付けるのか?」
激しい言葉が飛び交う。
掃討戦の事実上の失敗と、昨夜などとは比べものにならない程執拗に城壁に攻撃を仕掛けて来る魔獣のプレッシャーに、みんな一様に焦りの色を隠せない。
「とりあえずは、この周りにいる避難民の方々を中門まで送ってはいかがでしょうか」
俺はそっとシリスの隣に並ぶと、居並ぶ司令部要員たちを見回した。
走って来たので、少し息が弾んでしまう。
一瞬場が静かになる。
「しかし、カナデさま。民を誘導する隊の余裕など、ありませんぞ」
年配の参謀がギロリと俺を睨んだ。
「そうですな。騎士団はまず再編成を……」
「しかし、再編成出来たとしても、戦力は足らんぞ!」
また天幕の中がざわつき始める。
俺は隣のシリスの袖を引き、顔を見上げた。
シリスは腕組みをし、難しい顔をしていたが、俺の方を見て少しだけ笑った。
「一般市民の退避誘導は、彼らのためだけではないんです」
シリスは笑みを消して頷いた。
「退くにしろ、攻めるにしろ、市民たちは部隊の足かせになる」
「はい」
だから、今の内に、安全な所に移動してもらった方がいい。
「人手がなければ、私が行きます」
俺はじっとシリスの目を見る。
シリスの表情が、何かを躊躇うように揺れていた。
「……城壁を越えて来ると思うか?」
唐突な話の切り替えに一瞬戸惑う。
しかし。
俺は一拍間を置いて頷いた。
「これ以上魔獣の数が増えるなら、あるいは」
恐れていたその知らせがもたらされたのは、避難民たちを中門に送り届ける隊が出た直後。
城壁に取り付く魔獣だけでも何とかしようと、第2波制圧射撃の命令が発せられる直前の事だった。
真っ青な顔をした若い騎士が、転がるようにして司令部天幕に飛び込んで来た。
「で、伝令!」
はあはあと息を乱し、膝に手をつく騎士。
「あ、新たな魔獣群が接近!」
司令部要員の誰かが鼻で笑った。
「魔獣なぞ、壁の向こうに掃いて捨てる程おるだろうが!」
しかし伝令の騎士は、絶望に満ちた顔で首を振った。
「ち、違います。魔獣は、北大門の方向から接近中。……城壁の中です!」
「なっ!」
「馬鹿なっ!」
年配の騎士が、ドカッとテーブルを叩いた。
「王都の城壁が突破されるなんてあり得ん!」
「き、北大門が落ちたのか?」
「いや、あちらには、こちらほどの魔獣がおらん筈だっ」
一気に広がった混乱に取り乱す将校たち。
そこに、シリスが一歩進み出た。
「現状の戦力では、魔獣群と対するのは厳しいと判断する。東北大門を破られないように、封印作業を進めつつ、怪我人と非戦闘員から順次撤退をする」
シリスの一喝で、騒いでいた者も口をつぐむ。
悔しそうに顔を歪める者もいた。
俺は、カツっとヒールを鳴らして進み出た。
「偵察隊と伝令隊を出します。まずは城壁内を侵攻して来る魔獣群の把握。侵入経路の確認です。そして、東大門ほか各部隊に現状の連絡を」
俺はみんなを見回す。
そして、出来る限り優しく微笑んだ。
「時間との勝負です。今後の戦いの趨勢は、この状況をどう乗り切るかにかかっていますよ」
「カナデさま……」
「笑ってらっしゃるのか……」
シリスが頷いた。
「さあ、己が務めを果たせ!」
「「はっ!」」
頭を下げ、将校たちは司令部天幕を駆け出して行く。
俺は、みんなから見えないようにお尻の方に隠していた手を握り直した。
震えが収まらない。
恐ろしい。
せっかく避難出来た人たちが、また逃げ惑わなくてはいけない事が。
そして、遥か遠くに霞んで見えない王城の下。
お父さまやマリアお母さまたち、俺の大切な人たちが危険に晒される事が、たまらなく怖かった。
だから俺は、その恐怖と戦わなくては。
少しでも、みんなを守る力になるために。
震える手をぷるぷると振ってから、胸に当てる。
「シリス、私は負傷者と非戦闘員の避難誘導に出ます」
シリスは険しい顔のままで頷いた。
「カナデ。無理はするな」
俺は笑って頷く。
「わかってます……」
唐突にぐいっと引き寄せられる。
シリスの大きな胸の中に、抱き締められる。
驚きながら、私はその大きなブレスプレートに両手で触れる。
う、ううう。
こんなの、恥ずかしくて堪らないはずなのに……。
何故か心の奥がすうっと静かになって行くような気がした。
何だろう。
お父さまに抱き締められた時とは違う温かさ。
でも……。
「……シリス、離して下さい」
私は、消え入るような声でそう呟いた。
シリスが離れる。
ふうっと息を吐く。
シリスを見上げる。
「シリス。また、後で」
「ああ。また後で」
私たちは微笑み合い、頷き合う。
そして俺は、踵を返して天幕を出た。
天幕を出た瞬間。
まるで一瞬で夜になってしまったかのように、辺りが暗闇に包まれた。
何だ!
俺はとっさに空を見上げる。
俺たち全てを覆い尽くさんばかりの巨大な黒い翼が、広がっていた。
俺は唖然とするしかない。
ドラゴン型が……。
天空より飛来したドラゴン型魔獣が、俺たちの直上で翼を開いて急制動をかけていた。
遅れて到達して来る衝撃波。
天幕が倒壊しそうなほどの暴風が吹き荒れる。
俺は耐えられず、片膝をついた。
髪が激し揺れる。
ドラゴン型はそこから滑らかに滑空すると、俺たちから少し離れた畑の上に着地した。
今度は地震のように大地が揺れる。着地の衝撃で、畑の柔い土が巻き上がる。
突然の来襲に、俺も含めてその場にいる全ての人たちが、ドラゴン型魔獣を呆然と見上げていた。
見上げる事しか出来なかった。
咆哮。
ビリビリと大気が震える。
そしてドラゴン型は、くわっと口を開いた。
城壁に向かって。
まさか!
ドラゴン型の口腔に光が収束して行く。
溢れ出しエネルギーがバチバチと弾ける。
まさか、壁を……!
閃光。
凝縮された光が解き放たれる。
戦闘が続きますが、読んでいただき、ありがとうございます!




