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雪色エトランゼ  作者:
第2部
106/115

Act:106

 唸りを上げて、グロウラー型の剛腕が振り下ろされた。

 俺は歯を食いしばりながら、地面を這いつくばり、転げるように回避する。

 至近距離に着弾した拳の衝撃で、体が浮き上がりそうになった。

 目だけでグロウラー型を捉える。

 息を吐く間もない。

 グロウラー型が反対側の腕を繰り出す。

 辛うじて後方に飛んで躱すと、今まで俺がいた場所目がけて巨腕が打ち下ろされた。

 ドゴっと殴られた地面が陥没し、草や土が弾け飛ぶ。

 はっ、はっ、はっ……!

 お腹に響いて来るようなグロウラー型の唸り声が、低く長く轟いた。

 グロウラー型を睨みつける俺の視界の隅に、狼型の集団に追い付かれ、取り囲まれようとしている騎士たちの姿が映る。

 くっ、うううっ!

 助けなければ!

「うわああぁぁ!」

 絶叫しながら、俺は痛む腕で剣を握り、突撃を仕掛ける。

 背中を見せれば、やられてしまう。

 みんなと合流するには、前に進む!

 グロウラー型を突破するしかないのだ!

 あんなに大丈夫だと思っていたのに。

 頑張れると思っていたのに。

 いざ、こうして巨大な魔獣を目の当たりにすれば、体の震えが止まらなかった。

 ガチガチと奥歯が鳴る。

 自分の情けなさに涙が滲む。

 しかしそれでも、俺は走る。

 走って、走って……!

 頭上を剛腕が通り過ぎる。風圧で髪がふわっと持ち上がる。

 複数の狼型に飛び掛かられ、騎士の1人が馬ごと横倒しにされた。

「よくもっ!」

 怒りで視界が真っ赤に染まった。

 剣の柄を握る手にぎゅっと力を込めた。

 もう少し、もう少しで救援に!

 しかし、グロウラー型の巨体をすり抜けたと確信した瞬間。

 地面に腕を突き立て、それを軸にしたグロウラー型が、驚異的なスピードでぐるりと巨体を回転させた。

 え……?

 一瞬にして俺は、その巨大な魔獣の姿を見失ってしまった。

「カ、カナデさま!」

「後ろ!」

 騎士たちが必死に狼型を斬り払いながらも、俺の方を見て叫んだ。

 振り返ろうとした瞬間。

「あ、あああっ!」

 猛烈な衝撃と共に、グロウラー型の巨腕が俺の体を掴み上げる。

「うぅっ」

 凄まじい圧力で締め上げられる。

 俺は必死にもがく。

 足を跳ね上げて、俺を握るグロウラー型の手を蹴り付ける。

 うう、びくともしない……。

 ああっ。

 苦痛で思考が吹き飛んでしまう。

 グロウラー型は、俺を6つ目が光る醜悪な頭部の前に引き寄せた。

 鋭い牙が並ぶ巨大な口が開き、低い唸りが漏れだした。

 まるで俺を見て笑っているかのようだ。

「カナデさま!」

 まだだ。

 まだ……!

 取り落としそうになる剣をなんとか握り締める。

 一撃、せめて……!

 そう思った瞬間。

 視界の隅に、こちらに高速で走りよる影が見えた。

 新手の魔獣か……。

 もう……。

 心が、折れそうになった。

 しかし。

 その影はグロウラー型の背後に回り込むと、一斉に飛び上がり、襲い掛かった。

 巨大な魔獣にたかるそれは、歪な人型。

 鉄兜のような頭と、ぽっかり穴が開いただけの目。骸骨にも似た細い体躯は金属の光沢を放っている。

 グロウラー型に張り付きながら、その鋭く尖った手刀を突き立てる。

 ゴーレム兵器だ!

 血が吹き出すように、黒い霧が溢れた。グロウラー型が苦悶か怒声か、忌々しげに唸り声を上げた。

「ううっ」

 俺は激しく揺さぶられる。そして、邪魔だと言わんばかりに簡単に投げ捨てられた。

 地面に打ち付けされる。

 受け身は取ったが、衝撃で息が詰まる。また、草の上をゴロゴロと転がった。

 激痛に顔を歪めながらも、俺は必死で立ち上がる。

 まとわり付くゴーレム兵器を振り払おうと暴れるグロウラー型。

 その光景を呆然と見上げる俺の左右を、姿勢を低くした中型ゴーレム兵器が、さらに走り込んで行く。

 今度は狼型の群れに突っ込んだゴーレム兵器は、トリッキーな動きで跳ねまわると、次々と狼型を滅ぼして行った。

 狼型に取り囲まれていた騎士たちも、その光景に呆然と立ち尽くしていた。

 さらに続いて、規則的な機械音と馬蹄の音が迫って来る。

 俺は剣を杖代わりして立ちながら、辺りを見回した。

 王都城壁の方角から、巨大な人型が1つ目を輝かせながら走って来る。

 思わず息を呑む。

 大型ゴーレム兵器。

 襲われたり追いかけられたりした身には、あの大きな機械人形が一心不乱に走って来る姿に、一瞬後退りしてしまうような威圧感を覚えてしまう。

 丘を駆け上がって来た大型ゴーレム兵器が、まるで剣のように鋭く尖った腕部を振り上げた。そしてそのまま俺の脇を走り抜けると、中型ゴーレムを相手にもがいているグロウラー型に向かって、その腕を繰り出した。

 直撃の衝撃で、グロウラー型の巨体が浮き上がる。

 俺は、目の前で繰り広げられる巨体同士の戦闘に、ただ圧倒されていた。

「各騎突撃!同朋を救出せよ!」

 続いて騎馬隊が殺到して来る。

 中隊規模だ。

 援軍が来た……。

 レティシア、間に合ってくれたんだ……。

 そこで初めて、そう思うことが出来た。

 思わず、足から力が抜けそうになった。

 しかし、まだだ。

 村人たちの退避は間に合っただろうか。

 みんなは無事だろうか。

 その俺のもとに、1騎近付いて来る。

 そちらを見上げて、不覚にも涙が溢れそうになってしまう。

「カナデ、大丈夫か!」

 馬を下りたシリスが、慌てて走り寄って来た。



 さんざんペタペタ触られて、傷の具合を確かめられた後、シリスはやっとほっと一息吐いた。そして安堵したように柔らかい表情を浮かべると、いつものように私の頭を撫でる。

 ……グリグリする力が強すぎて頭がもげそうだ。

 私はその間、ずっと黙っていた。

 今口を開くと、震えた声で弱音を吐いてしまいそうだったから。

 「……馬を用意する。自力で大門まで帰れるか?」

 真っ直ぐに私を見つめるシリス。

 私はこくりと頷く。

 おかしい。

 満身創痍で、体中痛い筈なのに。

 その言葉を聞いて、何だか嬉しくなってしまう。

 私を連れて戻るとか言い出したら、私はシリスを引っ叩いていたと思う。

 私たちの今の目的は、魔獣から退避する人々を守りきる事。そのためにシリスは今、部隊を率いて付近の魔獣を一掃しなければいけない。

 この戦力なら可能だ。退避する人々の安全を確保するのだ。

 シリスは成すべき事をちゃんとわかっている。

 ……それでこそシリスだ。

 しかし、シリスの表情は暗かった。いつもの余裕に満ちた雰囲気は微塵もなく、じっと俺を見つめている。

 ……まさか。

「村人たちに何かあったんですか!」

 シリスは、ふうっと疲れたように溜め息を吐いた。

「……別隊が護衛に出た。大丈夫だ」

 良かった。

 ……はっ。

「みんなは!」

 俺はキョロキョロと周りを見回す。俺の無茶な囮作戦に付き合ってくれた騎士たちを探す。

「……救助している」

 シリスは何故か機嫌が悪そうに目を細めた。

 そして、ほっと安堵に微笑む俺の頭を、ぐわしと握った。

 痛い……。

 グロウラー型の締め付け並みに痛い……。

「カナデ。帰ったら説教だ」

 せっ……?

 そしてぐいっと顔を近付けてくる。

「シリス……?」

「カナデさま!」

 唐突にレティシアの声が響いた。

 息がかかる程の至近距離で、シリスが気まずそうに、ついっと目を逸らした。

 何だ?

 俺はきょとんと首を傾げる。

「カナデさま!ご無事ですか!」

 空馬を引いたレティシアが、叫びながら俺たちに走り寄って来た。

「……カナデ。後は任せろ。お前は休め」

 自分の馬に向かいながらぶっきらぼうに言い放ったシリスに、俺は微笑んで頷いた。



 北東大門の内側に帰還した俺のもとに、レティシア隊とユークリス隊、それにあの村から一緒に逃げ延びて来た村人たちが駆け寄って来た。

「カナデさま!」

「お姫さん、大丈夫なのか?」

「ああ、ご無事で何よりです……」

「お待ちしておりました、カナデさま!」

「ほほ、たいしたもんじゃ」

「ああ、ありがとうございます、ありがとうございます」

 ぐるりと俺を取り囲む人々。

 次々に投げかけられる言葉に何だか気恥ずかしくなってしまい、俺は照れ笑いを返すことしか出来なかった。

 そっと俺の腕が掴まれる。

 視線を落とすと、荷馬車の上にいた女の子が、心配そうに俺を見上げていた。

「……お姉ちゃん」

 良かった……。

 みんな無事で。

 俺は女の子の頭を撫でてあげようとして、ふと自分の手が血と泥で汚れているのに気が付いた。

 そっと手を引込め、代わりに精一杯微笑んだ。

「大丈夫だよ」

 女の子は歯を見せて、輝くように笑ってくれた。

 これでまた戦える。

 唐突に、そう思えた。

「カナデさま。こちらに」

 密かに決意を新たにしている俺を、レティシアがぐいっと引っ張る。

「まずは手当てをお受け下さい」

「あの、レティシア、大丈夫ですよ?」

 俺はそのままずるずる引きずられる。

 大門の内側は、人や物でごった返していた。俺たちがここを出た時に比べても、遥かに賑やかになっていた。

 大門警備隊に加え、今も続々と増援部隊が到着している。

 無数の天幕が設営され、その間を隊列を組んだ兵たちや騎馬隊が行き来している光景は、ちょっとした駐屯地の様相を呈していた。

 それに加え、城壁外から命からがら逃げ延びて来た人たちも集まっていた。

 座り込み、肩を落としている者もいる。泣きじゃくる子供をあやす母親。疲れた様に横になる老人。怒りに満ちた顔で城壁を睨む青年。

 彼らには、王都の城壁内に頼るべき伝などないのだ。

 彼ら避難民の生活を支えて行く事が、これからの王統府の大きな課題だろうと思う。

「カナデさま、お怪我が痛むのですか?」

 眉をひそめてむーむー唸っていると、レティシアが気遣わしげな視線を向けてくれた。

「いや、大丈夫……」

「大変です。こちらに、お早く!」

 レティシアはさらに歩みを早めると、俺を小さな天幕の中に押し込んだ。

「先生、お願いします!」

「はい、はーい」

 天幕の中には、白衣を来た若い女性が待ち構えていた。

「ふふ、こちらが噂のお嬢さまね」

 白衣の女性が柔らかに微笑む。

 お医者さまだろうか。

「では治療しますから、服、脱いでね」

「あの、私、そんなに大怪我じゃ……」

 幸いにも、今は体中あちこちに、打ち身の鈍い痛みが残っているだけだ。

 大丈夫だ。

 今はそれより、押し寄せてくる魔獣群の状況確認とか、シリスの部隊の援護とか、色々やることが……。

 しかしそんな事を考えている間に、レティシアがテキパキと俺の鎧を外してしまう。さすが、本職の騎士。鎧の扱いには慣れている。

 そして、勢い良くコートの前もはだけさせられ、シャツも脱がされ、あっという間に上半身下着だけに……。

「あら、お嬢さま。着やせされるタイプなんですね」

 先生が笑う。

 俺は何だか気恥ずかしくて、もじもじ下を向く。

 むき出しになった俺の腕には、内出血して赤黒くなっているところがあちこちにあった。

「大丈夫なのに……」

 その腕を隠すように抱いて、小さく呟く。

 女医さんがふふっと笑った。

「ここ、痛いでしょ」

 女医さんの手が、おもむろに俺のわき腹に触れた。

 瞬間、体中に電流が走り抜ける。

「ひゃあああ!」

 声にならない俺の悲鳴が、天幕の中に響き渡った。



 日が沈み、夜闇が訪れる。

 魔獣群王都襲来の不安の中で迎える夜だ。

 昼間のうだるような暑さが幾分和らぎ、涼しい夜風が北東大門の周りを吹き抜けていた。

 見上げる空は満天の星で、虫の音が美しく漂う気持ちの良い夏の夜だ。

 この断続的に続く振動がなければ。

 シリスの部隊が魔獣群先鋒を蹴散らして、城壁内に帰還してから暫くして始まったこの衝撃は、夜もだいぶ更けた今に致も続いている。

 俺は不安な気持ちを呼び起こすこの振動をなるべく気にしないようにしながら、たったっと城壁内部の階段を登っていた。

 今は鎧は身につけていない。コートに、剣だけを吊っている。そして、パンをぎっしり詰めたバスケットを両手で持っていた。

 女医の先生に暫くは休むようにと言い渡されると、レティシアが俺の鎧を取り上げてしまった。そして、仕事はしないで下さいと、簡易ベッドに押し込めた。

 そこを抜け出し、何か手伝おうと司令部天幕で会議をするシリスの所に顔を出したら、やっぱり先生の診断が伝わっていた様で、休んでいろと怒られてしまった。

 しょうがないので、少しだけ仮眠を取った。そして目覚めた後は、こうしてパンのバスケットを持ちながら、戦闘待機のまま夜を越さなければならない騎士や兵たちに食事を配って歩いていた。

 シリスやレティシアに見つかるとうるさいので、こっそりと。

 城壁の上部に到達する。

 一際強い夜風が吹き抜ける。

 揺れる髪を押さえる。

 コートの裾が、スカートのようにひらひらと風に舞う。

 城壁の上には、弓を携えた兵たちが、じっと息を潜めて座り込んでいた。

 みんな疲労と不安でぎらついた目をしている。

 俺はその間を縫うように進みながら、1人ずつにパンを配り歩いた。

 非常食用の堅パンだ。

 美味しくないかもしれないが……。

「おっ、すまねえな」

 年配の兵がへへっと笑う。

「カ、カナデさま!」

 次の若い兵は、俺を知っているようだった。

 俺は苦笑しながら、しーと唇に指を当てた。

「何だ、坊主。このねーちゃん、知り合いか?」

「ああ……、はっ!し、知らないんですか!雪色の剣姫と称されるベリル戦役の英雄を!」

「ああん?あの有名な?なんでそんなお方が、パン配ってんだ?」

 賑やかになりそうなので、俺はそそくさと次へ向かう事にする。

 その時、一際大きな衝撃。

 まるで地震のように、足元がぐらぐら揺れた。

 城壁からパラパラと小石が落ちていく。

 くっ……。

「おい、今のは近かったな」

「大丈夫なのか、壁は」

 兵たちがにわかにざわつき始めた。

 俺は冷たい石に手をついて、城壁の外、その真下を見た。

 6つの赤い目が、ギロリとこちらを見上げた。

 胸がきゅっと締め付けられる。

 昼間の戦いが脳裏をよぎる。

 しかし。

 俺は精一杯の力をかき集めて、城壁に体当たりを仕掛けたグロウラー型を睨み付けた。そして、城壁の外に広がる平原も睨みつける。

 暗く闇に沈んだ王都平野には、無数の赤い光が瞬いていた。

 星空が落ちてきたような。

 いや。

 それよりも遙かに多くの赤の光。

 それら全てが目だ。

 禍々しく輝く魔獣共の目だ。

 バスケットを握る手に自然と力が入る。

 どんっとまた衝撃が城壁を揺るがした。

 少し離れた場所で、別のグロウラー型が城壁に体当たりを仕掛けていた。

 俺は唇を噛み締めながら、魔獣によっておぞましく塗り替えられてしまった風景から視線を戻す。そして精一杯微笑みを浮かべながら、パン配りを再開する。

 多分、戦いは夜明けと共に再開される。

 きっと激しい戦いが……。

 今は、耐えて耐えて、備えるんだ。

 明日の戦いの勝利を信じて。

 王都の戦いはもう少し続きます。

 早くも主人公は手負いですが。


 読んでいただき、ありがとうございました。

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