Act:105
「うおおおぉぉ!」
裂帛の気合いと共に、剣を構えた騎士たちが狼型魔獣の群れに突撃する。
2列横隊で駆ける隊列の間に、白刃が煌めく。
前列の騎士たちが剣を振るうと同時に、その刃の数だけ黒い霧が膨れ上がった。
顔をしかめたくなるような腐臭が、つんっと鼻を突く。
黒い霧を突き破り、その向こうから新たな狼型が現れた。
魔獣は、次から次へと数にものを言わせて押し寄せて来る。
剣を掻い潜り、運良く前衛を抜けた魔獣には、しかし2列目の騎士たちが銀器の刃を構えて待ち構えている。
よし、これならば、なんとか持ちこたえられるか。
「早く避難を!ここは私たちが時間を稼ぎますから!」
俺は、隣で呆けたように口を開けている村人の男を睨み上げた。
「う、ああ、う、わ、わかった、わかった!」
男は呻きながらも頷くと、転げるように走り去って行く。
「村の方々は避難して下さい!」
俺は剣を握り締めながら、周りに叫び続ける。
甲高い悲鳴と子供たちの泣き声が、戦いの喧騒の間に聞こえる。逃げ惑う住民の姿が視界を過る。
狼型など、研鑽を積んだ騎士たちにとっては、どうという敵ではない。しかし、数は純粋な驚異だった。
勇戦し、魔獣群を押し止めている騎士隊だったが、じりじりと後退し始める。
一度に向かって来る魔獣の数がどんどん増えていた。
大上段から振り下ろした剣が狼型を両断する。その騎士の脇を、1体の狼型がすり抜けて来た。
俺は剣を両手で握り、コートの裾をはためかせて走り出す。
ふっ。
深く息を吐く。
胴を一閃。
狼型が音もなく霧散した。
「ぐわあっ、くそ!」
別の騎士が複数の狼型に同時に飛び掛かられていた。そしてそのまま押し倒されてしまう。
周囲の騎士たちも、自分たちの前に押し寄せる魔獣で手一杯だ。
くっ!
俺は即座に走り込むと、騎士の上で牙を剥く狼型に、掬い上げるように剣を振った。首を断たれた狼型が黒霧となって消えた。
「も、申し訳ありません!」
俺は倒れた騎士に手を差し伸べる。
悲鳴が聞こえた。
見回すと、村の一部から火の手が上がり始めたようだ。
……俺たちの正面以外からも魔獣が侵攻して来ているのだ。
このままでは、囲まれる危険がある……。
俺はコートを翻し、低い姿勢のまま騎士たちの隊列の間を駆け抜けた。
隊の側面、家と家の間から顔を出した魔獣の口腔に、体重を乗せた切っ先を突き込む。
ぶわっと黒霧が広がるのと同時に刃を引き戻す。そして、体をぐるりと回転させると、俺の横合いから飛びかかって来た1体に、遠心力を乗せた刃を叩き込んだ。
俺の動きに合わせて弧を描く髪が、ふわりと元の位置に落ち着いた。
魔獣が霧散するのを見届け、俺は膝に手をついた。
はっ、はっ、はっ。
汗がつっと頬を伝い落ちる。
むっとするような夏の陽気と絶え間ない緊張に、ガリガリと体力が削られてしまうようだ。
「カナデさま!」
狼型を斬り払いながら、レティシアが駆け寄って来た。
「ここは一旦下がって、態勢を立て直すべきではないでしょうか」
俺は頷く。
しかし、もはやそれだけではダメだろう。
「レティシア。2人1組、3班で村の中を確認させてください。確認が終わり次第、隊は撤退します。それまでは、何としても持たせます」
「はい!」
レティシアが走り去り、直ぐに6人の騎士が村の中に散って行った。
俺は彼らの抜けた所に駆け込むと、牙を剥く1体を斬り伏せ、飛びかかって来たもう1体を縦に両断した。
はっ、はっ。
「左右に注意を!村人の退避確認まで、もう少し持たせて!」
「「了解!」」
騎士たちの力強い声が帰って来る。
寡兵で狼型の群れを押し止めている彼らは、押されてはいるが、士気は高い。
心強い。
騎士たちの力を信じて、村人全員が確実に退避するまで魔獣を倒し続ける。
本当ならば、そうすべきだ。
しかし、そんな余裕はないのだ。
時間がない。
俺は、視界の隅に深い森を留めながら、狼型の牙を回避し、頭を斬り飛ばす。
押し寄せて来る魔獣が、全部狼型だ。
これが意味する所は1つ。
こいつらは、先鋒だ。
小型で俊敏な狼型が、先行して森を抜けて来たんだ。
つまり後ろには本体がいる。
大型を含む大規模魔獣群が。
その前に、みんなでこの場を離脱しなければ……!
微かに、めきめきと木々がへし折られる音が聞こえた気がした。
王都に向けて疾走する荷馬車が、避難する村人たちの最後尾だった。
ガタガタと揺れる荷馬車は、車輪が外れてしまいそうだった。
しかし、だからといって猛スピードを出している訳ではない。
ただ単に、車体が酷くくたびれた物だからだ。
その荷馬車を含む馬車と馬の列を守るように展開しながら、俺たち騎士団も王都に向かって駆ける。
片手に手綱を、片手に槍を抱えた俺は、注意深く周囲に視線を送っていた。
村人たちの隊列の速度は、なかなか上がらない。
気持ちばかりが焦ってしまう。
早く。
早く進まなければ、魔獣群の本体に追い付かれる……。
一応村長に確認した結果、狼型の襲撃の中、何とか全員で村を離脱する事が出来たようだ。しかし村長の動揺も激しく、きちんとみんなが一緒にいるのかなという不安は拭いきれない。
さらに、騎士団にもあまり余裕はなかった。
村内の戦いで5人が負傷。
内2人が重傷だ。
加えて、背後、そして街道の左右から断続的に押し寄せてくる魔獣群との防御戦闘が続いている。
体力と同時に、精神力も打ち減らされてしまう。
「左丘陵地に魔獣群確認!」
何度目かの報告。
敵を探す。
いた!
「グラーフ、ニケア、ビル、迎撃を!」
「了解!」
3騎が街道を離脱し、原野に駆け出していく。
「さらに背後に魔獣群!」
ううっ!
「カイル、ニルス、レイ!」
「承知!」
さらに3騎が反転離脱する。
最初に迎撃に出た3人は戻ったのか?
冷たい汗が背筋を流れ落ちる。
「きゃあああ!」
その時、前方から悲鳴が上がった。
くっ!
俺は姿勢を低くし槍を抱え直すと、馬を加速させた。
不安と恐怖に満ちた目で悲鳴の聞こえた方を見る村人たち。その荷馬車の脇を高速で走り抜ける。
前方、3体の狼型が隊列に襲いかかっていた。
俺は、飛びかかるタイミングを見計らっていた一体に真上から槍を突き立てる。馬の足元で黒い霧が膨れる。
槍を左に持ち帰る。
手綱を放し腰から剣を引き抜くと、荷馬車の側面に爪を立て、取り付いていた狼型を斬り捨てた。
荷馬車の上、積み上げられた家財道具の間に隠れていた女の子と目が合った。涙が溜まっていた大きな目が、俺を見て大きく見開かれる。
さらに前方から走って来る1体を迎え撃つ。
馬を加速させる。
俺の傍を走り抜けようとする狼型のその背中に、容赦なく槍を投げ落とした。
大地に縫い止められるように硬直した狼型が、霧散する。
はっ、はっ、はっ。
前方を睨む。
白く輝く王都の壁が、なかなか近付いてこない。
まだ遠い。
まだまだ……。
深く深呼吸する。
落ち着いて。
落ち着いて。
落ち着いて……。
剣を納め、槍を回収してから、隊列の方に戻った。
村人たちが、俺の方を見て歓声を上げていた。
「おお、あんなに小柄なのに……」
「魔獣を倒してしまわれたぞ!」
「おい、お前ら!俺はあのお姫さまと知り合いなんだぞ!」
荷馬車の御者台に座る日焼けした男が、誇らしげに叫んでいた。
その後ろ、荷物の間から、先ほど目があった女の子が顔を出す。
「おねえちゃん!」
泣きそうだった顔とは打って変わって、頬を紅潮させた女の子がぶんぶんと手を振って来る。
「おねえちゃん、ありがと!」
俺は、ほわっと微笑んだ。
……守らなきゃ。
額に張り付いた髪を掻き揚げ、汗を拭う。
「次は……!」
そして笑みを消し、周囲の警戒に集中する。
諦めるな。
大丈夫。
大丈夫だ。
荷馬車隊と併走しながら、俺たちは追い付いてくる魔獣を迎撃する。
何度も何度も。
しかし、徐々にではあるが魔獣の数は増えていた。狼型に混じって、とうとう蜘蛛型も姿を現し始めていた。
どんなに振り払おうとしても、無視しようとしても、焦燥感で胸の奥が痛くなる。
さらに悪いことに、王都が近付くにつれて、未だ街道をのんびり移動している人たちを見つけてしまう。俺たちは彼らにも声を掛け、時には足を止めて、荷馬車に収容しなければいけなかった。
「レティシア」
魔獣の襲撃と襲撃の間。
俺は眉間にシワを寄せながら、レティシアに馬を並べた。
「1人連れて、先行して下さい」
「カナデさま……?」
「王都は直ぐそこですけど、このままでは完全に追いつかれます。今の隊では、守りきれません」
レティシアが神妙に頷いた。
馬車を守って戦闘を繰り返すうちに、2人の騎士が馬を失った。
幸いにも騎士は無事だが、俺たちの足である馬を無くした時点で、実質的に頭数が減ってしまったのと同じ事だ。
「あとは、王都から援軍に来てもらうしかありません」
王都には長大な城壁があるのだから、まずは門を堅く閉ざして魔獣群の突撃に耐えるのが定石だ。
城壁の上から矢を射れば、一方的に魔獣を減らせる。
殲滅戦に打って出るのは、その後。最終局面で良い。
しかし今、兵の損耗を厭うて人々を守れないのでは、本末転倒だ。
「レティシア。先行して、東北門の部隊に援軍の要請を」
レティシアがじっと俺を見つめる。
俺はこくっと頷いた。
「……わかりました。カナデさま……直ぐに戻ります」
沈痛な面持ちのレティシアに、俺は精一杯微笑んで見せた。
レティシアが離脱した後。
何とか魔獣群を蹴散らしながら王都東北門が見て取れるところまで到達出来た時、問題が発生した。
前方の街道で、荷馬車に満載されていた家財道具が荷崩れを起こし、街道を塞いでいた。
その周りには、人だかりが出来てしまっている。
まだ、あんなに人が……。
俺はぎりっと奥歯を噛み締めた。
「みなさん、魔獣が迫っています!早く王都へ!」
叫びながら考える。
どうする……。
荷物を片付けなければ、俺たちが随行する荷馬車が通れない。
街道脇の不整地を行くか……。
しかしそれには、荷馬車の耐久力が不安だ。
荷馬車を捨てるか。
いや、お年寄りや子供たちだって沢山いる。
東北門までは、まだ一息に走れる距離ではない。
どうする。
どうする……。
「後方に魔獣!接近して来ます!」
く!
絶叫するような騎士の報告がこだまする。
崩れた荷の持ち主や街道にたむろしていた人々が、口々に悲鳴を上げながら王都に向かって走り出す。
しかし俺たちと共に来た荷馬車の村人たちは、どうして良いのか分からずに、呆然とした表情で俺を見ていた。
俺は唇を噛み締めながら顎を引く。
背後から、緑の原野を黒く塗り変える程の魔獣の群れが迫って来る。
目を瞑る。
どくどくと脈打つ心臓が、破裂してしまいそうだった。
一瞬。
しかし永遠とも感じられそうな黙考の後。
俺は決断した。
「ユークリス、銀気は使えますか?」
「は、はいっ、少々ですが……」
「他には!」
俺の問いに、4人の騎士が手を上げた。
「では、あなたたちは全力で荷物の撤去を。道が開いたら、私たちに構わず大門に駆け込みなさい」
俺は騎士たちを見回す。
「3人、私について来て下さい」
「カナデさま、何を……」
顔を青くしたユークリスが呟いた。
「私たちが囮になって、魔獣群を引っ張ります。残りは、この場で抜けてくる魔獣の対処を!」
俺は他の騎士から弓と矢を受け取る。槍は、この場に残す騎士に渡しておく。
「ユークリス、頼みます!」
そして、何か言いたげなユークリスを置いて、魔獣群に向かって一気に加速した。
俺の左右に、同行を志願してくれた騎士たちが馬首を並べた。
「みんな、すみません……」
俺はぽつりと呟いていた。騎馬の蹄の音にかき消されてしまうような小さな声で。
囮役は、危険だ。
上手く魔獣を誘引出来ても、逆に取り囲まれれば一巻の終わりだ。
俺の馬鹿な作戦に付き合わせてしまう彼ら勇敢な騎士たちに、申し訳ない気持ちで一杯になる。
「カナデさま、光栄です!」
「俺もです!」
「お守り致しますよ!」
「か、帰ったらハグを……いえ、あ、握手させて下さい!」
しかし、俺の周りの騎士たちに悲壮感はなかった。
勇ましく、まるで彼らの副大隊長譲りかのような不敵な笑顔を見せる。
不安が消えて行くようだった。
俺もつられて笑ってしまう。
相変わらず心臓は恥ずかしいくらいドキドキしているが……。
……よし!
「みんなっ、行きます!」
「「了解!」」
俺は弓を構えると、ギリギリと引き絞った。
シュバルツや騎士のみんなに指導してもらったとは言え、俺は弓矢が得意ではない。ましてや騎乗射撃など、当たるわけがない。
しかしそれで構わない。
俺の放った矢は、ヒュッと風を切り、接近する狼型の群れの眼前に突き刺さった。
数体の魔獣が怯んだように足を止め、辺りを見回した。そして、接近する俺たちを見つけると、こちらへ向かって猛然と駆け出した。
続けてひょろひょろと矢を放つ。
進路を邪魔するように突き刺さった矢に気を取られた魔獣たちが、こちらに向かって来た。
他の騎士たちも俺に倣う。
さすがに、俺みたいにヘロヘロではない。
1射毎に狼型を仕留めていく。
魔獣群の大きな流れが、俺たちの方を向いた。
よし、掛かった!
俺は弓を捨てると両手で手綱を取り、馬首を巡らせた。
「右へ。丘の向こうへ!」
何とか街道から離れられる方向へ!
手綱を握り、足でバランスを取りながら、全速力で丘を駆け上がる。
コートが激しくはためく。馬蹄が柔い土を蹴り上げ、馬の荒い息が響き渡る。
丘を超えたら、さらに右に転じて、王都の城壁を目指そう。
レティシアにお願いした援軍が間に合えば……。
俺は額を流れる汗を乱暴にぬぐい去った。
丘の頂上に登りきる。
よし、下りで……。
その瞬間。
丘の向こうから、漆黒の巨体が突然姿を現した。
6つの赤い光が、すうっと尾を引く。
えっ……。
俺の馬が、前足を大きく振り上げ激しくいななく。
一瞬の浮遊感。
バランスを保てなかった俺は、呆気なく鞍から投げ出され……。
「かはっ……!」
草が伸びる地面の上に、激しく打ちつけられた。
それでも勢いを殺せず、ゴロゴロと転がる。
口の中に土の味が広がる。
何とか踏ん張り、立ち上がろうと試みる。
体中がズキズキしすぎて、もはやどの部分が痛いのかもわからなかった。
「カナデさま!」
遠くに騎士たちの声がする。
ううっ……。
早く起きなくては。
かはっ、はっ、はっ、うう……。
何故なら。
先程から聞こえているこの唸り声。大地の底から聞こえ来るようなこの声は……。
痛みに顔をしかめながら、起き上がる。
白のコートも白銀の鎧も泥だらけになっていた。
顔を上げた俺は、目を見開き、呼吸すら忘れたかのように凍り付く。
醜悪な姿のグロウラー型魔獣が、俺を睨み付けていた。
そして、その巨大な腕が振り上げられる。
平原での戦い、その1でした。
ご一読、ありがとうございました。




