Act:104
魔獣接近の報を受けて、王直騎士団本部はにわかにざわつき始めた。
辺りが明るくなるにつれて、さらなる報告が次から次へと入って来る。
王都の東から大規模魔獣群が、さらに西からも群れが迫りつつある。その中には、飛行する巨大な魔獣が確認されたという報告もあった。
恐らくは、シロクマ級陸上船すら一撃で破壊し得るドラゴン型。
俺は唇を噛み締めて目を伏せる。握り締めた手が白くなった。
完全に、見落としていた。地裂峡谷に集まる魔獣ばかりに目が行っていた……。
魔獣は、一定の地域内の個体数が飽和すると、その上位種が生み出され、増殖し始める。
だから俺たちは、地域峡谷に入り込む魔獣に漸減作戦を仕掛け、何とかその数を減らそうと試みていた。
しかし今接近している魔獣群は、地裂峡谷方面からのものではない。
つまり、各地から集まって来た魔獣が、地裂峡谷に到達する前に、飽和密度を超えてしまったと言うことだ。
そうなると、ベリルで起こったような魔獣の大量発生現象が、もはやどこで起こってもおかしくないということになる。
目の前が真っ暗になりそうだった。
緊張で胸がきゅっと締め付けられるようだった。
俺は周囲に分からないようにそっと頭を振る。
ダメだ。
立ちすくんでいては、ダメだ!
動かなくては。
進まなくては。
俺はシリスに断り、一度お父さまの待つ屋敷に戻ることにした。
戦の準備をするために。
「はっ!」
私服姿で馬に跨り、街路を駆け抜ける。髪が風になびく。
早朝の王都はまだ人通りも少なく、俺の馬の蹄の音だけが、高らかに響き渡った。
屋敷に到着すると、リリアンナさんとシュバルツが駆け出してきた。
「カナデお嬢さま!」
「何かあったのか、お嬢!」
「リリアンナさん、朝からすみません、鎧の準備をお願いします。シュバルツは馬を。直ぐに城に戻りますから」
俺は早口に2人にお願いしながら、屋敷に入った。
エントランスホールには、既にきっちりと身なりを整えたお父さまが待ち構えていた。
「お父さま!」
「カナデ。何事だ」
お父さまの静かに落ち着いた声が胸に沁みる。
俺はお父さまの目を真っ直ぐに見る。そして意を決してその事を告げた。
「お父さま。王都に魔獣が迫っています」
後ろのリリアンナさんが微かに息を呑むのがわかった。
しかしお父さまは、少し目つきを鋭くしただけで、動じた様子はなかった。
「カナデ。また戦場に出るのか」
お父さまが険しい表情で俺を見据える。低い声が響いた。
「はい」
しかし、躊躇いも怯みもなく、俺は頷いた。
どんなに恐ろしい魔獣が襲って来ても、どんなに怖くて体が震えても、今の俺に躊躇いはない。
何故なら、何をすべきかがわかっているから。
誰のために頑張ろうと決意したのか、ちゃんと覚えているから。
俺のちっぽけな力が少しでも役にたつのなら。
この世界の一員として、私に出来ることがあるのなら……!
「現在、各街道に偵察隊を出して、安全を確認しています。今のところ南部方面には魔獣はいないみたいですから、確認が取れ次第お父さまは退避を。侯爵領にお戻り下さい。海路がいいと思います。今ならまだ……」
言葉の途中で、俺はお父さまにムギュっと抱き締められた。
お父さまの広い胸が目の前に広がる。
「わしは、ここでお前を待っておる。娘の帰りを」
「おおむさま……」
俺は必死にもがいて、どうにかお父さまの顔を見上げた。
「いけません。ここは、ご自身の身を最優先で考えて下さい。ここでリムウェアの家系を失えば、侯爵領のみんなはどうなりますか」
俺は精一杯笑う。
「どうか、インベルストの、侯爵領のために」
お父さまは少し驚いた顔で俺を見た後、再び俺を抱き締めた。
魔獣の王都襲撃の混乱は、国中を揺るがすに違いない。その時に、侯爵領のみんなをまとめる者がいなくてはいけないのだ。
「……父ではなく侯爵であれと説かれるとはな。誇りに思う。それでこそ、わしの、いや、リムウェア侯爵家の娘だ」
俺は温かくなる胸の中を確かめるように、ぎゅむっとお父さまを抱き締め返した。
エリーセお姉さま。
どうか、お父さまと侯爵領をお守り下さい。
「しかしな、カナデ。お前は考え違いをしている」
お父さまの諭すような声に、俺は顔を上げた。
「もはや、わしだけではダメだ。わしとお前。2人が居て初めての侯爵家なのだ。その事を、忘れるな」
「……お父さま」
視界が、少し潤む。
「かつては獅子侯と呼ばれた身。わしの事は心配せずとも良い。行け、カナデ。お前の務めを果たせ。愛する者の傍らで、戦い抜け」
俺はお父さまの言葉に、一瞬きょとんとする。
愛する者?
俺にとっては、お父さまはもちろん、リリアンナさんもシュバルツも大好きな人たちだ……。
みんな共に戦っているという意味だろうか。
そうだ。
それならば、確かに心強い。
俺は、満面の笑みを浮かべて大きく頷いた。
リリアンナさんに手伝ってもらい、コートの上に鎧の戦支度を整えた俺は、戻った時と同じように慌ただしく馬に跨った。兜はまだ被らず、鞍に吊しておく。
「シュバルツ。お父さまとリリアンナさん、みんなの事をお願いします」
俺は手綱を取りながら、馬上からシュバルツに微笑みかけた。
「おう」
いつもの不適な笑みではなく、仏頂面を浮かべたシュバルツが頷く。
きっと最前線に出れなくて不満なのだ。
少しだけ可笑しい。
「お嬢……無事を、祈ってるぜ」
俺は力を込めて頷いた。
「カナデお嬢さま」
シュバルツの隣にリリアンナさんが並ぶ。
何時もお世話になりっぱなしのリリアンナさん。
ありがとうございます。
リリアンナさんがいなければ、俺は鎧も身に着けられないんだ。
そして、お父さま。
俺はお父さまと視線を交わし、そっと頷き合った。
「カナデとあの殿下ならば、良い結果を導けると信じている」
シリスと……。
微笑む。
少し恥ずかしかった。
「では、行ってまいります!」
手綱を打つ。
勢いよく馬が走り出す。
気持ちのいい風を全身に受けて、蹄の音を響かせて俺は王都の大通りを駆け抜ける。コートの裾が風をはらんで大きく広がった。
そのまま王城に駆け戻った俺は、顔馴染みの警備の兵に馬を預け、王直騎士団本部に向かった。
騎士団本部1階ホールは、既に完全武装の騎士たちで埋め尽くされていた。闘志と不安のない交ぜになった顔が、ずらりと並んでいた。
「カナデさま」
「カナデさま!」
騎士たちが俺を見つけて声を上げる。
前を通り過ぎるのに合わせて、みんながざっと立ち上がって行く。
俺は彼らに応えるように微笑みを返しながら、2階の作戦会議室に上がった。
部屋に入った途端、怒鳴り声や泣き声、狼狽しきった声が聞こえてくる。
屋敷から取り敢えず駆けつけて来たという格好の貴族たちが、本部職員たちに詰め寄っていた。
「王直騎士団は何をしておるのだ!」
「本当に王都は安全なのか!」
「騎士を、護衛をこちらにも回せ!そのための騎士団だろう!」
我先にと叫ぶ貴族たち。
耳聡い事に、魔獣襲来の方を聞きつけたのだろう。
俺はその人混みを掻き分けて中に入ると、隊長クラスの騎士たちと打ち合わせしているシリスに駆け寄った。
「シリス、出ます」
「カナデ」
シリスが俺を見詰める。
「北東門外の住民の避難が完了していない」
俺はこくりと頷いた。
「レティシア、ユークリス、カナデに従え。カナデ」
「はい」
数瞬だけ視線を交える。
心配。不安。
シリスの言いたいことが、なんだかわかった気がした。
だからそっと微笑みを返しておく。
そして、駆け寄って来たレティシアとユークリスを従えて、俺は踵を返した。
しかし、会議室を出ようとした俺たちの前に、数名の貴族が立ち塞がる。
「お前たち、どこに行くのだ!」
「騎士ならば、我らを守れ!」
俺は眉をひそめた。
王都は3重の城壁に守られている。しかし近郊の小さな村々には、そんな防護壁はない。魔獣群にぶつかれば、容易く押し潰されてしまうのだ。
今何をしなければいけないのかは明白だ。
「私たちは……!」
しかし、口を開こうとした俺の前に、すっとシリスが進み出た。
その大きな背中が、俺を守るように立つ。
「シリス……」
「方々」
俺の小さな呟きを、シリスの朗々とした声が掻き消した。
「王都防衛は我らの主務である。お任せいただこう。その上で、何か作戦案があるなら伺う。その他のご意見ならば、申し訳ないが、日を改められよ」
「い、いや」
「……で、殿下、我らは」
シリスの迫力に気圧されたのか、貴族たちが後退した。
シリスが顔だけ振り返り、俺を見下ろした。そして、いつもの不敵な笑顔でにっと笑った。
「カナデ。お前はお前のまま進め。俺が支えてやる」
ドクっと胸が大きく跳ねる。
体全体がかっと熱くなった。
目を見開いて拳を握る。
その期待に応えたい。
ただ、そう思えた。
王都は広い。
レティシア隊、ユークリス隊と共に王都外縁の城壁にたどり着いた時には、朝の涼やかな空気が、既にむわっとする夏の日のそれに変わってしまっていた。
隊列を組んで駆ける騎馬隊の向こうに見えてきたのが王都北東の大門。ここを通り抜ければ、学術都市ローテンボーグ、騎士訓練校アントワリーゼに至る。
普段から人通りも多く、朝には市が立つ事もある王都の玄関口は、今や鎧姿の騎士や兵たちが慌ただしく行き来する殺伐とした風景に成り果てていた。
城壁の上を、弓兵たちが走り回る。山のような武具が用意され、列を成した軍馬がいななく。城壁下には大小のゴーレムが並び、その目を光らせていた。そして、飛び交う指揮官の怒声。
そんな中を、近隣の村々から逃げ延びて来た人たちが、頭を低くしてとぼとぼと歩いていく。
避難民たちの数が少ない。
退避が上手く行っていないのだ……。
俺たちの隊列を見つけた北東門警備隊の指揮官が駆け寄って来る。
俺は、レティシアとユークリスに合図して、そのまま行くように伝える。
援軍の姿を見てほっとしたような笑顔を浮かべていた指揮官が、スピードを緩めずに門を通過して行くレティシアたちを見て、呆然とした顔になった。
「増援の方々では無いんですか!」
速度を緩めた俺に、指揮官が走り寄って来た。
「近隣の町村の避難誘導に出ます。城門守備隊は、迎撃準備を整えてください」
「そんな!今から城壁の外に出るなど、正気の沙汰ではありません!」
前を見る。
躊躇ってはいられない。
「城門はギリギリまで開けておいて下さい」
俺はそう告げると、全速力で馬を走らせた。
「お待ち下さい!」
指揮官の声が背後に消える。
頭上に一瞬影が刺す。
大門をくぐり抜けたのだ。
俺はレティシアたちに合流すると、むせ返るほど濃厚な緑の匂いが漂う原野を駆け抜ける。
王都の周囲には、大小様々な町村が存在していた。
街道沿いの宿場町。数戸が集まっただけの農村。大きな風車が並ぶ村に、農場の真ん中に建つ一軒家。
うねうねと上下する丘陵地と青空が織りなすコントラストは、まさに平和な日常の象徴であるかのように長閑で、気持ちがいい。しかし、今まさにこの牧歌的な風景が、魔獣群によって踏みにじられようとしているのだ。
俺たちは街道沿いの小さな村に駆けこむ。そして、手綱を持つ手にぎゅっと力を込めながら、精一杯声を張り上げた。
「こちらは王直騎士団です!まだ残ってらっしゃる方がいれば、すぐに王都の城壁の中へ!魔獣が迫っています!」
一応情報は伝わっているようだ。
人々は避難の準備を進めてはいる。しかしその動きに危機感は感じられない。
俺は、内心焦り始めていた。
偵察隊の報告によれば、魔獣群は数が多すぎるためか、その侵攻速度は決して早くはない。
落ち着いて避難すれば大丈夫。大丈夫。
そう何度も自分に言い聞かせる。
人や荷物を満載した荷馬車の上から興奮した様子でこちらに手を振って来る男の子に、俺は笑顔で手を振り返した。
それに、今すぐに何もかも置いて逃げ出せと言われても、そう簡単な話ではないという事も、良くわかるのだ。
彼らには、この場所こそが生活の全て。
容易く手放せる筈がない。
しかし、それでも俺は声を嗄らして叫んだ。
「早く王都へ!魔獣の大群が迫っています!」
俺たちは、王都へ向かう人々の列に逆行しながら、退避を呼びかけ続けた。
そして、昼を過ぎた辺りで、王都平原の終わり、鬱蒼とした深い森の縁にへばり付くように広がる村にたどり着いた。
そこで俺たちは愕然とした。
その村人たちは、全く避難の準備をしていなかったのだ。
すぐさま隊の全員で避難を呼びかけて回る。
「皆さん、王都に避難して下さい!魔獣が迫っています!」
馬を下りて叫ぶ俺のところに、日に焼けた筋骨隆々の男が近付いて来た。
「ほおっ、すげー別嬪さんだな。どこぞのお姫さまか知らねーが、鎧なんぞ着て、勇ましいもんだ」
男は呑気な声で楽しそうに笑う。
俺はきっと男を睨み上げた。
「早く避難を。家族を連れて、今すぐ城壁の中に逃げて下さい!」
男は、しかしふんっと鼻を鳴らした。
「あんまり貧乏村だとなめるなよ、お姫さん。うちんとこの村には、みんなで金出して買った銀器だってあるだ。魔獣なんぞ怖いもんか」
俺は激しく首を振る。パタパタと髪が舞う。
「魔獣の大群なんです!大型だって来る。早く逃げないと……」
「わあああああぁぁ!」
その瞬間。
俺の言葉をかき消すように、激しい悲鳴が響き渡った。
とっさに辺りを見回す。
腰の剣に手を掛ける。
黒々とした森が広がる村の奥から、転げるように若い男が駆け出して来た。
「マリク、どうした!」
俺の隣の男が声を上げた。
「ま、ま、魔獣がぁぁ!」
もう来たのか……!
……早すぎる。
まだ半日は余裕があると踏んでいたのに!
俺は腰を落として剣の柄を握り直した。
即座に集まって来た騎士たちが、俺の前に2列横隊で展開した。
「総員、囲まれないように。足止めしつつ、ゆっくり後退。村人の皆さんの脱出の時間を稼ぎます」
「「了解!」」
俺は木々が折り重なる深い森を睨み続ける。
ガサガサと茂みが揺れた。
誰かが一歩踏み出す音が聞こえた。
草や低木が押し倒される。
その向こうから、のっそりと黒い獣が姿を現した。
爛々と輝く赤い目。
はっはっと開く口から覗く舌と鋭い牙。
頭を下げ、こちらを窺うように唸るのは、狼型魔獣。
「なっ、なんだ。狼野郎かよ。び、びびらせんじゃねーよ」
脱力したようにへらへらと笑う村人の男。
しかし……。
「総員抜剣!一匹たりとも後ろに通さないで!」
俺は叫び、剣を抜き放つ。
茂みが揺れ、次の狼型が姿を現した。
そして、その次の、次の、次の、次の、次の、次の、次の。
気がつくと、薄暗い森の中は、無数の赤い光で埋め尽くされていた。
戦いの始まりの回でした。
読んでいただき、ありがとうございます。




