Act:103
今日も昨日と同じ進展の無い会議が続いた仕事の後。
フィオナさまとマリアお母さまに招かれて、王城で女性だけのお茶をしていたおかげで、お屋敷に帰るのがすっかり遅くなってしまった。
マリアお母さまもフィオナさまも、熱心に自分の結婚式の話をしてくれた。お二人から、女性にとっては憧れの場ですものね、と同意を求められる。
俺は、王族ともなれば結婚式もすごいんだなぁと感心するばかりだった。
帰路に付く馬車の車窓から、俺は煌びやかに輝く王都の夜景をなんとなく眺めていた。
もう遅い時間なのに、通りを行き交う人の数は多い。蒸し暑い熱帯夜のせいか、寝つけない人々も多いのだろうか。
俺は今、マリアお母さまとブライトお父さまのお屋敷ではなくて、王都に滞在する間お父さまが借り上げた屋敷に住んでいた。
マリアお母さまは残念がってくれていたけれど、お父さまを独りにするわけにはいかない。
お父さまが借りたのは、以前俺が初めて王都に来た時に借りたあのお屋敷だ。
俺は、コツリと窓ガラスに頭を預けると、ふふっと小さく笑った。
初めて王都に来たあの時は、大審院での証言や陛下との謁見などがあって、初めての事だらけで緊張しっぱなしだったなと思う。
ゴーレムには襲われるし、そうだ、マリアお母さまとブライトお父さまのお屋敷に招いてもらったのもあの時だった。
それで、シリスが……。
ぼふっと顔が熱くなる。
あぐぐぐぐぐ!
私はどんと側頭部を窓ガラスに打ち付けた。
ダメだ、今は、ダメだ。
こんな状況下で、個人の、自分のことになんてかまけていられない。
魔獣魔獣魔獣魔獣……。
心の中で不快になる呪文を唱える。
「お嬢さま、どうかされましたか!」
連絡小窓が開いて、御者のお爺さんが声をかけてくれた。
「だ、大丈夫ですよ」
俺は精一杯微笑み返した。
はぁっとため息をついて、膝の上で固めた拳を見つめる。
シリスには、本当に甘えすぎていると思う。
シリスだって、遊びや悪戯であんな事を告白した訳ではないはずだ。
それこそきっと、勇気を振り絞って……。
なのに私は、そんなシリスをずっとほったらかしにしている。
マリアお母さまとフィオナさまが熱心に語ってくれたお話を思い出す。
……でも、ウェディングドレスか。
シリスは、真っ直ぐだし明るいし、少し不良を気取っているところが無ければ、良い奴だ。
剣腕も凄い。私なんかが及びもつかないほどに。
周りの貴族のご令嬢方が憧れているのも、まぁ、客観的な意見として、頷ける。
なのに、私なんだ。
私なんかを……。
ウェディングドレス、もし着てしまったら、優人はなんて言うだろう。
笑うかな……。
唯や夏奈や陸は……。
いや、万が一、あらゆる可能性を網羅する無数の未来の1つとしてそういう事があったとしても、きっとそれは禍ツ魔獣を倒して、人々の中に平穏を取り戻した後の話。
でも、その頃には、優人たちが私のそんな姿を見ることは無いと思う。
何故なら、禍ツ魔獣を倒すその瞬間が、私とあいつらの最期の……。
そう、しなければいけない。
そうでなくては、いけないんだ。
あの親友たちのためにも。
「カナデさま。到着致しました」
御者さんの声で、俺ははっと我に返った。
「カナデさま、お帰りなさい。お仕事お疲れ様でした」
ガチャリと馬車の扉が開いて、リリアンナが現れる。
「……カナデさま。目が赤い様ですが」
俺はゴシゴシと目を擦る。
「へへ、すみません、また居眠りしてて」
俺は馬車を降りて、んっと体を伸ばした。
そして、屋敷の方に歩き始める。後ろから俺の荷物を持ったリリアンナさんが付いて来てくれた。
「お父さまはもうお休みですか?」
「いえ。先ほどまで居間でシリス殿下とお酒を嗜まれておられました」
「……シリス、また来ているんですか」
「先週の木曜以外はほぼ毎日ですね」
あいつ、そんな隙があったら、マリアお母さまの所にも顔を出してあげれば良いのに。
マリアお母さま、仕切りに寂しい寂しいと仰ってたから。
「カナデお嬢さま。お食事はいかがされますか?」
「すみません、お城で頂いて来たので。先にお風呂に」
「畏まりました」
さて、その前にお父さまとシリスに挨拶してくるか。
お風呂を出てから、再び居間を覗いてみると、既にお父さまの姿はなく、ソファーでシリスが横になっていた。
「シリス、寝たんですか?」
俺は、シリスの顔を覗き込む。
反応がない。
むにむにとシリスの頬をつついてみる。
もう、しょうがないな。
俺はリリアンナさんにお願いして毛布を用意してもらうと、そっとシリスに掛けてあげた。
暖かいから、風邪はひかないだろう。
もう一度シリスの顔を見てから、俺は自分の部屋に戻った。
窓を開ける。
日中とは違う涼やかな空気が吹き込んで来た。蒸し暑い夜だが、夜風が吹きこんで来ると、少しだけ涼しく感じる。そんな風に乗って、今この時こそと鳴き盛る夏の虫の音が響き渡っていた。
まだ少しだけ濡れている髪が、微かに揺れる。
俺は窓際の椅子に腰掛けると、夜の庭をぼんやりと眺める。
椅子の上に膝を持ち上げて、ぎゅっと抱える。
明日も会議だ。
話し合いをして今後の方針を定めておくのは重要なことだが、果たして今のままで良いのだろうか。
もっと準備しておかなければならない事が、あるのではないだろうか。
膝の上に頬を乗せる。
優人たちも頑張っている筈。
俺も、もっともっと頑張らなければ……。
俺に出来る事。
俺が……。
少し、うとうとする。
さらさらとそよぐ夜風が、とても気持ち良かった。
「カナデ君」
声が聞こえる。
……あれ、シリスかな。
「カナデ君」
俺は、ゆっくりと目を開ける。
暗く静まり返った室内に人影はない。
あれ、先ほどまでうるさいくらいだった虫の音が止んでいる……。
辺りを見回す。
そこで俺は、びくっと体を震わせた。
「っ……!」
とっさに立ち上がり、大きく飛び退く。眠気なんて一瞬で吹き飛んでしまう。
呼吸が荒くなる。
鼓動が早くなり、冷たい汗が背筋を流れ落ちて行く。
視線はカーテンが揺れるバルコニーに固定しながら、俺は頭の中で必死に剣の位置を確認した。
ぎしっと鎧が鳴った。
バルコニーからカーテンを押しのけて入って来たのは、王直騎士団とも白燐騎士団とも違う鎧を身にまとった人物。
浅黒い肌が闇にとけ、白い目だけが浮き上がるように俺を見つめていた。
「ヴァン……ブレイブ!」
俺は絞り出すように、そう呟いていた。
黒騎士ではなく人間の姿をしたヴァンが、目を細め肯いた。
俺はぎりぎりと後退する。
「ヴァン、何の用ですか」
声が震えてしまう。
だって目の前にいるのは、俺などでは到底かなわない強大な敵なのだから。
「カナデ。君は今すぐここを離れた方がいい」
ヴァンが穏やかな声で答えた。
俺は眉をひそめた。
「……どういう事ですか?」
「うん。間もなく魔獣が溢れる。この街にもね」
痛いほど胸がドキリとした。
魔獣が……。
俺は、必死にヴァンを睨み付けた。
「あなたも、かつては人々のために魔獣と戦ったんでしょう?もうそんな酷い事は止めてください!」
「勘違いしないで欲しい」
ヴァンは薄く笑うと、肩をすくめて見せる。
「魔獣が溢れるのは、僕、いや、我らのせいじゃない。もはや中枢のコントロールを受け付けない個体群なんだ」
俺はヴァンが何を言っているのか分からず、沈黙するしかなかった。
「……魔獣とは何なんですか?」
そして、辛うじてそう絞り出した。
「そうだね」
ヴァンが腕を組む。俺は戦闘態勢は解かずに、少しずつ剣の方に移動する。
幸いな事に、直ちに襲いかかって来る気配は無いようだ。
「魔獣とは本来、天空にある漆黒の海を駆け、星々を糧とする虚ろの獣。それが、ある時、この世界に落とされた」
この世界の神話が語る戦いだ。
天より来たれし禍、か。
という事は、やはりその虚ろの獣というのが、あの地下に眠っていた屍、そして禍ツ魔獣なのか。
「一般的に君たち人間が魔獣と呼称しているのは、そんな虚ろの獣が解き放った戦闘用端末群なんだよ」
ヴァンが子供にでも話しかける様に優しい声音で語りながら、ふっと自嘲するように笑った。
「我があの忌々しい人型どもに封印されてしまった後も 野に放たれた端末群が策動し、この星を喰らおうと活動していたんだ。しかし、いささか時間が経ち過ぎてね。万の年を越える間に、端末群は魔獣という生き物として独自の生態系を築いてしまった。もはや僕らの制御も完全には働かないんだ」
想像を超える話の内容に呆然としながらも、俺には引っかかることがあった。
ヴァンの一人称は、僕、なのか、我なのか。
客観的に語っていたかと思うと、自身が禍ツ魔獣であるかの様にも話す。
ヴァンの主体は、どこにあるのだろう?
ヴァン自身なのか。黒騎士なのか。禍ツ魔獣なのか。
「……どうして私にそんな事を教えてくれるんですか?」
訝しむ俺に、ヴァンはニコッと微笑む。
その笑顔は、決してあの禍々しい黒騎士と同一人物とは思えなかった。
「言っただろう。君はアネフェアに似ている。そんな君が、魔獣共に喰い殺される姿は見たくない」
俺はぎりっと奥歯を噛み締めた。
「ヴァンさん。アネフェアさんは、自分だけが逃げる事を、良しとする人だったんですか?」
「いや……」
ヴァンの声が、少し陰る。
「アネフェアさんを思う気持ちがあるのなら、彼女が何を望んでいるかもわかるでしょう?」
俺は、アネフェアさんと言う人を直接知らない。マームステン博士の報告で聞いただけだ。
しかし、ヴァンがアネフェアさんと俺が似ていると言うのならば。
きっとこう考えたに違いない。
「ヴァン・ブレイブ。あなたは禍ツ魔獣に魅入られてしまったのかもしれない。でも、まだあなたの心が残っているなら、今すぐ魔獣を止めなさい。あなたの持てる力で、人々を助けるために力を貸しなさい」
俺は思わずそう言い放っていた。
激昂したヴァンが襲いかかって来たらどうしようかとか、そんな事は考えていなかった。
ただ、アネフェアさんもヴァンも人々を守るために命を懸けて戦った。
その結果を悲劇にしてはいけない。
ただ、そう思った。
ヴァンが沈黙する。
俺も黙り、じっとヴァンを見つめ続けた。
耳に痛いほどの静寂。
星明かりが室内に射し込んで来る。
やがて、低く小さく笑い声が響く。
ヴァンが、肩を震わせて笑っていた。
「くくっ、いや、本当に君は彼女に似ているね。僕の意見なんて物ともせず、他人のためにと戦場に向かって行ってしまうんだ」
「ヴァン……」
「でも、もう無理だよ。あれは、このままこの星を喰らい、それを糧として黒の海に帰るんだ。みんな飲み込まれる。黒く成り果てた大地に。例え、今魔獣から逃れても、直ぐにそうなる」
「ヴァンさん、止めてください!」
俺は思わず一歩進み出ていた。
「ダメだよ、カナデ。僕は、あの時、諦めてしまったんだ。いや、信じられなくなった、かな。その僕のせいで、アネフェアが傷ついて、それで……。あの時、僕が諦めて、全てが終わってしまった。だから、僕にはもう抗う気力なんて残されていないんだ」
ヴァンがゆっくりと振り返る。
その間際に彼が浮かべた笑顔は、半分泣きそうな顔で……。
ガシャリと鎧が鳴った。
「こうして最後に僕の意識が浮かび上がる事が出来たのは、カナデ。アネフェアと同じ目をした君に出会えたからだ」
ヴァンがゆっくりとカーテンの向こうに消えて行く。
「カナデ君。最期に君と話せて良かった。もう、二度と会わない事を祈っているよ」
そんな言葉を残して、ヴァンの気配がふっと消えた。
しばらくは呆然と揺れるカーテンを見つめていた俺だったが、意を決してバルコニーに駆け出した。
屋敷の裏手には、小さな庭園が広がっている。
もちろんインベルストのお屋敷のそれとは比べるべくもないが、それでも鬱蒼と茂った木々が濃い緑を作り出している。
その中に、歩み去る背中が微かに見えた。
その背は、見知らぬ騎士の鎧ではない。
鋭い突起が突き出した漆黒の鎧だった。
ヴァンとの邂逅の後、即座に俺はシリスの所に走った。
気持ち良さそうに寝ているシリスを覗き込んで、ゆさゆさと揺さぶる。
「シリス、起きてください」
起きない。
額をペチペチと叩く。
起きない。
蹴る。
「……ふわぁっ、なんだ、カナデか。何だ、こっちに来るか」
やっと目を開いたシリスが俺を見て笑った。
俺は伸びてくるシリスの手を叩き落とす。
「シリス、ヴァンが、黒騎士が来ました!」
俺の言葉に、一瞬の硬直の後、シリスがすっと笑みを消した。そして、こめかみをぐりぐりしながら起き上がる。
「……何があった」
俺は自分を落ち着かせるようにそっと深呼吸した。
「魔獣が来ます。多分、王都にも」
それから俺たちは急いで身支度を整えると、王城に駆け戻った。途中、ヴァンとの会話の内容を、シリスにも報告しておく。
王直騎士団本部に入った俺たちは、当直の騎士たちを集め、近隣の都市や各地に駐屯している部隊に警戒態勢を取るように伝令を出した。同時に、非番の部隊や帰宅してしまっている騎士や職員にも緊急召集を掛けた。
俺は王直騎士団の作戦会議室で、王都近郊で把握している魔獣群の位置を確かめる。
地裂峡谷に塔が出現して以来、大陸中の魔獣がその塔を目指して大移動していた。その内、把握している幾つかの大集団が、地図上にマークされていた。
シリスが俺の隣に並ぶ。
「カナデが美人なのが幸いしたな。わざわざ黒騎士が警告してくれたのだから」
「シリス……」
悪戯っぽく笑うシリスを、俺は睨んだ。
ヴァンが来たのは、俺がどうというよりも、奴の中に未だにアネフェアさんへの強い想いが残っているからだと思う。
「いや、冗談ではない。どの方向から来るにせよ、魔獣が押し寄せて来るのを知らないのと迎撃できるのでは、大違いだからな」
シリスが真面目な顔で地図を見た。
確かにそうだが……。
俺はそっと胸に手を当てた。
心臓がバクバクしている。
どれほどの魔獣が、こちらへ転進して来るのかは分からないが、そうなれば間違いなく戦いは避けられない。
どのような規模だろうと、また騎士や兵たちが傷つき、倒れる。
もしかしたら、一般市民たちも……。
守らなきゃと思う。
全力で。
各部隊の手配、王都近郊での戦闘要領、それに参謀部への意見具申書や国王陛下への報告書など、ばたばたと雑事をこなしている間に、いつの間にか太陽が昇り始める。
すうっと夜が終わって行く。王直騎士団本部の窓から見える空も、だんだんと白み始めていた。
俺は少し休憩しようと、2つのカップにコーヒーを注ぐ。
片方に口をつけ、片方を、んっとシリスに差し出した。俺はブラック。シリスはミルクを少々、砂糖なし。
「すまないな」
シリスがふっと笑う。
時間が経つにつれ、少し緊張感が薄れてしまう。
もしかしてヴァンの言葉は、俺たちを揺さぶる脅しだったんでは……。
ふとそう思ってしまった時。
「失礼致します!」
飛び込んで来た騎士の叫び声が、会議室に響き渡った。
どきりとする。
俺はぎゅっとカップを持つ手に力を込めた。
「王都外縁の偵察隊より報告!王都北東方向に大規模魔獣群確認!こちらに向かって来ます!」
夕涼みのお話でした。
読んでいただき、ありがとうございます!




