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雪色エトランゼ  作者:
第2部
102/115

Act:102

 大きく開け放たれた窓から入って来るのは、むっとするような空気だけだった。

 風が吹いていない。

 空気が止まっている。

 今日は、朝からずっと、ねっとりとした暑さがまとわりついてくるような陽気だった。

 飴色に輝く机とビロード張りの大きな椅子が幾つも並び、床には踝まで沈み込んでしまいそうな紅の絨毯が敷き詰められている。

 王統府の政治の中枢を担うに相応しく整えられた、そんな大審院大議場内も、外の天候と同じく停滞した空気に包まれていた。

 みんなが頭を抱えている議題は、もちろん地裂峡谷地方に出現した塔と、そこに集結している魔獣群についてだ。

 居並ぶメンバーは、国王陛下以下国の最重要人物ばかり。

 いつもならツンと澄ましている高貴な身分の方々も、今は一様に上着を脱ぎ、タイを緩めている。そして、俯いたり、頭を抱えたり、腕組みしながら沈黙していた。

 この有り様は、煮詰まってしまっている議論のせいなのか。それとも、思考能力が奪われてしまいそうなこの暑さのせいなのだろうか。

 その議場の末席に加わっている俺も、つい先ほど、とうとう耐えきれなくなって軍装の上衣を脱いだところだった。

 汗のせいで、ブラウスがべっとりと肌に張り付くのが不快だった。

 今すぐお風呂に入りたい。

 ……温泉、懐かしい。

「参謀部としては、何か有用な作戦は考案しているのかな?」

 沈黙に耐えきれなくなったという風に、南公フェミリアン公爵が声を発した。

「はっ……」

 俺の直属の上司でもある参謀部長が、そろそろと立ち上がった。

「参謀部としては、魔獣群の規模、配置等が判明しないうちは、なかなか有効と思われる案は作成し辛く、目下、各地より集結しつつある魔獣群の漸減作戦を提案中であります」

 部長は困ったように汗を拭きながら、ここ数日の会議で定型分となりつつある答弁を繰り返した。

「ふん、最早出陣前提であるかのような議論は、到底容認できませんな」

 そこに、別の貴族が声を上げる。

 これも、だいたいいつもと同じ展開だった。

 議場は、大まかに3つの意見に別れていた。

 1つは、即時交戦、魔獣撃滅を唱える主戦派だ。

「件の塔には、大陸全土から魔獣が集結していると聞く。時間をかければ、敵勢力が増大するだけである!今のうちに打って出るべきだ!」

 主戦派の議員は、唾を飛ばして拳を振った。

 それに対するのは、慎重派だ。

「現状、魔獣どもは群れているだけだ。こちらに仕掛けてくる様子はないと聞く。余計なちょっかい出せば、藪を突いて蛇を出しかねない。ベリル戦役の戦時債務も国政に重い負担をかけている今、それ以上に大規模な戦など、現実的ではないだろう」

 腕組みをして、嘲笑混じりに言い放つ慎重派の議員。

 両者の意見は、なんら決定打を出せぬまま、ここ数日間ずっと平行線のままだった。

 そして、両者の議論にただじっと耳を傾けているのが、まだ態度を保留している議員たちだ。

 俺は、罵り合いの様相を呈してきた檀上からそっと目をそらし、会議資料を見る。

 資料の空白スペースにさらさらとペンを走らせる。

 吊り目に鋭い牙が、がおっと吠えている絵を描く。その横には、まじゅう、と。

 その隣に、円に点3つ、手足の線を書いて剣を持たせた簡単な人間を描き足す。名前は、ゆうと。

 俺自身は、魔獣……いや、禍ツ魔獣とヴァンとの決戦は不可避だと考えている。

 しかし、無闇に攻め込んでも、慎重派が言うとおり犠牲が拡大するだけだとは思う。

 敵の本丸を攻めるには、過去の戦いのように陽動戦法が定石だが、敵が大規模すぎると、その効果は薄くなる。

 うーん。

 ぎゅっと腕を組む。

 考える。

 ここはやはり、もう1つ、打つ手が欲しい。それに、敵の情報も必要だ。

 今俺たちに出来ることは、塔付近の魔獣の数と密度を出来るだけ減らす事だけだ。

 幸い現在まで、塔に集まった魔獣が活発に活動しているという報告はない。しかし。1つの地域に魔獣が密集すれば、ろくなことにならないだろうし……。

 あとは、現地の偵察に出た優人たちの帰りを待つだけだ。

 顔を上げる。

 議場内は、また重苦しい沈黙に包まれていた。

 シリスが意見を出さないのは、恐らく俺と同じ考えのはず。

 まだ時期ではないと考えているのだろう。

 ならば、陛下や臨席の四公たちはどうだろうか。

 四公の席に、北公の姿はなかった。

 先日のロクシアン強制捜査から、姿を見かけていなかった。

 身内とも言える商会への摘発を受け、その対応に追われているのだろうか。

 そんなことを考えながら上席を見ていると、おもむろに陛下が立ち上がった。

 陛下が醸し出す威圧感に、途端にみんなが緊張するのがわかった。

 誰もが固唾を呑んで、陛下の次の行動を注視する。

「間もなく昼である。皆、休憩せよ」

 遠雷のような声が、重く響き渡った。

 誰かがふうっと息をするのが聞こえた。

「では、午前の会議はここまで。午後は定例会となるので、ご承知願いたい」

 議長役の西公さまが声を張り上げる。

「では、解散とする」

 長い会議から解放された安堵の声が、あちらこちらで上がる。議場内がざわざわと一斉に賑やかになり始めた。

 俺も腕を上に突き上げ、足を前に放り出し、うんっと伸びをした。

 疲れた。

 暑い。

 うぐぐ……。

 俺はブラウスの胸元をパタパタさせて、ボタンの間から風を送り込む。

 ふぃぃ……。

「おお、陛下……」

「このようなところに!」

 一生懸命送風作業を続ける。

 あれ、なんだか騒がしいが……。

「カナデ」

 不意に、真上からお腹に響くような低い声が降って来た。

 びくっとして顔を上げる。

 見上げると、ニヤリと笑った陛下が俺の前に立っていた。

「陛下!」

 俺は慌てて起立する。そのせいで、がごんっと机に膝を打ちつけてしまった。

 痛い……。

「楽にせよ。カナデ、昼食だ。共に来るがよい」

 何か指摘されるのか。

 はたまた会議中に落書きしていたのがバレたのかと、冷や冷やしていた俺は、ほうっと肩の力を抜いた。

 ふわっと安堵の笑みを浮かべる。

「あ、はい。承知いたしました、陛下」

「うむ。ところでそこな絵画だが……」

 陛下が大きな手で、机の上に広げっぱなしの俺の資料を、ぐわっと取り上げた。

 あっ。

 まずい……。

 落書きがっ!

「ふむ。魔獣はともかく、人間の描き方はもう少し練習した方が良いな」

 陛下が、くくくっと小さく笑う。

 しまった……。

「えっと、あの、うう、えと、が、頑張ります……」

 俺は顔を真っ赤にして、しゅんと頷くしかなかった。



 武人でもある陛下は、歩くのが早い上に歩幅も広い。

 廊下を進む陛下に、俺は置いて行かれそうになっては少し小走りで追い付いて、その繰り返しだった。

「うむ。しかしだな、シリス……」

「兄上のおっしゃり様はごもっともですが……」

 目の前では、陛下とシリスが話をしている。

 陛下と昼食に向かうのに、いつの間にかシリスが付いて来ていた。

 すれ違う貴族や城勤めの職員たちが、こちらに礼をする。

 俺は答礼するのに大忙しだが、陛下とシリスは気にせず進んでいく。

 どんどんと王城の奥へ。

 煌びやかな鎧を身にまとった近衛騎士たちが警備する扉を通過する。

 ここから先は、王家のプライベートゾーンだ。

「カナデさま」

「お疲れ様です」

 すっかり顔なじみになった近衛騎士たちに挨拶する。

 ちなみに、俺は陛下の先導がなくても、すんなりとこの扉を通してもらえる。

 たまに、そんなんで警備、大丈夫なのかなと思ってしまうのだが……。

「カナデ、楽にするが良い」

 俺は食堂隣の待機室に通された。ただ食堂の準備が整うまで待機するだけの部屋だが、並みの屋敷の居間よりはずっと広い。

 陛下がソファーに腰掛け、俺とシリスがその対面に座る。

「カナデ。お前の武勇、聞き及んでおる。また活躍したそうだな。何でも凄まじい剣技で悪漢を打ち倒したとか」

 笑みを湛えて陛下が俺を見る。

 凄まじいって……。

 ロクシアン商会強制捜査の時のことか。

 一体誰が広めているんだ、あんな話?

「シリスも誇らしげであったぞ」

 お前か!

 俺は隣のシリスをぎろりと睨んだ。

 シリスは、悪戯が成功した子供のように、小憎らしく笑っていた。

「カナデ。こうなれば、もう我と手合わせするしかないな」

「……陛下」

 陛下、まだ覚えていたのか。

 がはははっと陛下の豪快な笑い声が響いた。

 そこに、ガチャリと扉が開いた。

「楽しそうですわね、陛下」

「王妃さま!」

 俺は立ち上がり、頭を下げた。

 国王陛下の奥さん、フィオナ王妃さまが、柔らかな笑みを浮かべて俺に頷きかけてくれる。

「そんなに畏まらないで、カナデさん」

 王妃さまのおっとりとした声を聞くと、なんだかほわっとしてしまう。

 その王妃さまの足元から小さな影が走り出てくると、ドカッと俺の腰に抱きついて来た。

「かなで!」

「はい、リゼル殿下」

 今年3歳になったばかりの陛下の6男坊君が、ぎゅっと俺のスカートに顔を埋めた。

 度々陛下にお呼ばれしているうちに、リゼル殿下と何となく仲良くなってしまったのだ。

「殿下、そんなにぎゅっとされると、くすぐったいです」

 頭を撫でてあげると、殿下はにぱっと眩しい笑顔で俺を見上げる。

「かなで!」

「リゼル、叔父さんと遊ぼうか」

 そこに、何故か突然シリスが割り込んで来た。

「いや。かなでがいい!」

 リゼル殿下は、ぷっと膨れて顔を逸らした。

 陛下とフィオナさまが呆れたように笑った。

「シリス。子供と張り合おうとは、器がしれるぞ」

「あらあら。リゼル、シリスさまにカナデさんを返してあげてね」

「……はい」

 リゼル殿下はしぶしぶ母親の下に駆け戻って行った。

 少し不機嫌そうだが、お母さんの言うことをちゃんと聞けるいい子だ。

「殿下、また勇者優人ごっこ、しましょうね」

「……する!」

 俺は殿下に手を振ってから、シリスを上目遣いに睨みつける。

「シリス。いくら殿下と遊びたいからって、小さな子を怖がらせるのはダメだと思います」

 シリスが一瞬肩を落とす。しかし直ぐに、はははっと不真面目に笑った。

 頭に手を乗せようと伸びてくるシリスの手を躱す。

 何だ、せっかく注意してあげているのに……!



 お休みの日も会議があると、さすがにうんざりしてしまう。

 ましてや話し合う内容が、有事の際の徴兵条件についてなんて不愉快なものならば、尚の事だった。

 やっと会議が終わる。

 なんだか、どっと疲れてしまった。

 しかし、まだ帰る訳にはいかない。

 あれと、あれと、あれを処理しておいて……。

 ぼんやりと考えながら会議で使用した資料を片づけていると、ふらっと参謀部長が俺のところにやって来た。

「やあ、カナデくん。休日のところ、すまないね」

 軍務省の高級幹部というよりも、小学校の優しい校長先生といった風貌の参謀部長は、丸顔をさらに丸めてほほほと笑った。

「飴をあげよう」

「あ、ありがとうございます」

 差し出した手のひらに転がる可愛らしい紙包み。

「いやしかし、カナデくんにいてもらって助かるよ。我々だけなら、戦の準備に、農夫の仕事のスケジュールを反映させようとは、夢にも思わないだろう」

 俺は、ありがとうございますと微笑んだ。

「短い間でしたけど、侯爵領でお父さまの政務を手伝っておりましたので、第一次産業の重要性はわかります」

 作物の出来は、経済に影響するだけではない。食料の流通は、人々の生活に直結しているのだ。

「特に今は農繁期ですから」

 参謀部長が大きく頷いた。

「うむ、さすがだね。大きな声では言えないが、聖地放棄の可能性は聞いているだろう?」

「……はい」

 俺は小さく頷く。

 禍ツ魔獣の塔に一番近い位置にあるノエルナ大聖堂を放棄する。

 その可能性を教会が検討しているという噂が広まっていた。

「案外、今日まとめた徴兵令が布告されるのも、直ぐかもしれないね」

 参謀部長は息を吐きながらそうもらした。

 教会がそのシンボルを捨てるなど、簡単な話であろう筈もない。しかし、そんな話が出てしまうのは、現地がそれほどに緊迫した状況に晒されているという証だろう。

 俺は眉をひそめて目を伏せる。

 優人たち、無茶な事をしてなければ良いが……。

 参謀部長がまたまたくれた飴で膨れてしまったポケットを押さえながら、俺は重い足取りで自分の執務室に向かった。

 王城を出る。

 眩しい夏の光に、一瞬目が眩んでしまう。

 刺すような日差しが降り注ぐ中を、軍務省を目指して歩く。

 休日の王統府は静かだった。

 平日の雑然とした雰囲気が、嘘のようだ。

 その白昼夢のような静けさの中を、馬車の蹄の音が高らかに響く。

 立派な四頭立ての馬車が、王城の正玄車寄せに止まった。

 俺は何となくそちらを見る。

 こんな休みに、誰だろう。

 警備の騎士たちが頭を下げる。

 大扉が開いた。

 城の中から、ビシッと正装した男性が歩み出て来る。

 巌の表情に、触れれば切れてしまいそうな鋭い眼光。

 その目が、夏の日の光に眩しそうに細まった。

 そして、光の中に立つ俺と、不意に視線が交錯する。

 刃物のように冷ややかなその眼光に、俺は一瞬、斬撃を受けてしまったかのような衝撃を受けた。

 後ずさらず踏み止まれたのは、幾つかの戦場を経験して鍛えられた胆力のおかげかなと思う。

 俺の視線の先、王城から出て来たのは、北公ログノリア公爵。

 北公は動きを止めて、俺を見る。

 いや……。

 睨みつけていた。

 俺も精一杯踏ん張って、北公を見つめ返した。

 北公には、問いたい事が沢山ある。

 魔獣を利用しようとしたのは、本当に貴方なのか。

 ならば、何故?

 王統府に叛意があったのか?

 いや、もしかしてそれはみんな邪推で、全ては暴走したロクシアンの仕業だったのだろうか?

 しかしそう問い掛けるには、俺と北公の間の距離は遠すぎた。

 不意に北公が視線を逸らした。そして、そのまま馬車に乗り込んでしまう。

 御者の鞭の音が響く。

 俺は馬車の邪魔にならないように、少し後退した。

 馬車が俺の前を通り過ぎて行く。

 カーテンの引かれた車内を窺うことは出来ない。

 馬車を見送る。

 突然吹き付けた風が、俺の髪を揺らした。

 馬車が去った先。

 真っ青な空の向こうには、天高くそびえ立つ入道雲が、もくもくと沸き上がっていた。

 もしかして夕立、来るかもしれないな。

 俺は少しだけ目を瞑って深く息を吐く。

 そして踵を返して歩き出した。



 休み明け。

 またまた始まる会議の日々に辟易していた俺に、シリスが歩み寄って来た。

 そして、そっと教えてくれた。

 北公から、公爵位を返上し家督を嫡子に譲る旨の申し出があり、陛下がこれを受諾したのだと。

 俺は、そうですか、と、消え入るような声でそっと呟いた。

 退屈な会議と暑い夏の一日のお話。


 読んでいただき、ありがとうございました。

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