Act:101
久々に戻って来た王都は、むっとするような夏の空気に包まれていた。
さすがに、北の島や高原の町とは全然違う。
行き交う人々の装いはもう完全に夏仕様だ。
陽向にいるだけで、じわっと汗が滲んでしまう。
しかしそれでも、日が傾き始めた頃には、爽やかな風が吹き抜けて、夕涼みには丁度よかった。
そんな黄昏時の王都。
目抜き通りから少し入った一角、大小様々な会社が並ぶビジネス街にあるカフェテラスで、俺は1人、レモンスカッシュのグラスの中の氷をつついていた。
気持ちの良い夕べだ。
でも、なんだかそわそわしてしまう。
多分その大きな原因は、スカートがどうも短いせいだと思う。
俺は今、白いノースリーブのシャツにふわりと広がった裾の短いスカートの私服姿だった。
涼しくて良い格好だが、肌の露出が多くてやっぱり何だか落ち着かない。
テーブルの下で、足をもぞもぞさせる。
気を紛らわせるために、レモンスカッシュに口を付ける。爽やかな酸味と炭酸が、弾けるように口の中に広がっていく。
……本当は、いつもの通勤スタイルで出かけようとしたのだ。そこを、アリサに無理やり引き止められてしまった。
「そのような格好は、カナデさまのような若い女性に相応しくありません。もっと可愛くして下さい」
アリサの迫力に気圧されて、言いなりになってしまったが……。
先程から通り過ぎる若い女性たちは、みんなフォーマルな格好をしている。
ううう……。
またアリサに騙された!
一般的な退社の時間が過ぎて、道行く人々の数も随分減って来た。先程までは、会社から出てきた人たちにジロジロ見られて、本当に消えてしまいたい気分だったのだ。
これからが本番なのに……。
はぁと大きくため息をついてしまう。
グラスの中で、カランと氷が鳴った。
「おっ、可愛い娘」
「すげーな、あの髪。へへへ」
しんと夜の帳が降り始めた通りに、場違いで軽薄な声が響いた。
顔を上げると、カフェの斜め向かいの大きな建物から出て来た2人組が、真っ直ぐ俺の方に向かって来るところだった。
仕立ての良い上等そうなスーツに、綺麗に撫で付けた髪。しかしその表情は、どうしても下品に見えてしまう。
「やあ。君、1人かい?」
「僕たち、これから飲みに行くんだか、良かったらどうだい?良い店があるんだ」
ぞわぞわと背筋に冷たいものが駆け抜けた。
うぐ……。
我慢、我慢……。
俺は男たちを真っ直ぐ見上げ、次に彼らが出て来た建物を見つめる。
これは好都合だ。
俺は、にこっと微笑んだ。
「いいですよ」
「うお、マジかよ」
ニタニタと笑い始める男たち。
俺はレモンスカッシュのお代を払うと、男たちについて、街灯が灯り始めた通りを歩き出した。
ふわふわするスカートを気にしながらしばらく歩く。
俺は片方の男の袖を引っ張った。
「お兄さんたち。こっちです」
建物と建物の間の暗い路地を指差す。
俺は強引に袖を引いて、彼らを路地裏に引き込んだ。
「おい、やけに積極的だな」
両側の建物に男の声が反響する。
俺は路地を少し進んだ辺りで、カツンとブーツの踵を響かせて立ち止まった。
「総員、準備を」
そして静かに告げる。
瞬間、ガシャンと鎧が鳴った。
鈍い光を反射させて、暗闇の中にしゃがみ込んでいた騎士たちが起立する。
王直騎士団王都防衛大隊所属3個小隊、総勢27人が、狭い路地の中から鋭い眼差しを向ける。
男たちが、か細い悲鳴を上げて後ずさった。
「彼らはロクシアンの社員です。店内の状況を詳しく聞き出して下さい」
「はっ」
俺の指示に、騎士が2人進み出て、男たちを路地の奥に引き込んで行く。
「お前ら、カナデさまに声掛けるなんて、恐れ多いにも程があるぞ」
「たとえ副大隊長が許しても、俺たちが許さねぇ」
騎士たちの恫喝と共に、言葉にならないか細い悲鳴が闇の中に消えて行く。
それを見送り、隊長を務める騎士ユークリスが進み出て来る。
「カナデさま。無茶はお控え下さい。肝が冷えます」
「すいません、ユークリス。でも、商会内部の状況を知るには、格好の対象だと思ったので」
俺は苦笑を浮かべた。
別の騎士が、俺の剣と剣帯を差し出してくれる。俺はスカートの上から剣帯を巻ながら、ユークリスを見た。
「各班の配置状況はいかがですか?」
「はっ。ロクシアン商会王都本店を中心に、2ブロック先まで封鎖致しました。裏口等からも対象らの出入りがあったとの報告はございません」
そして、本店建物の表側は、俺がずっと見張っていた。
よし。
状況は整った。
俺は居並ぶ騎士たちの前で胸を張る。
「ではこれより、マームステン博士拉致、並びに犯罪組織への利益供与の疑いにより、ロクシアン商会王都本店に強制捜査をかけます。私たち騎士団の主目的は、現場の制圧とロクシアン商会主要幹部の捕縛です」
俺の言葉に、騎士たちが頷いてくれる。
「では皆さん、行きましょう」
「「了解!」」
剣を押さえ、スカートを翻して俺は歩き出す。
俺を追い越し、カフェテラスの斜め向かいにある城のような建物に向かって、騎士たちが殺到して行く。
王都に戻った俺たちを待ち受けていたのは、長い長い会議の繰り返しだった。
もちろん議題は、禍ツ魔獣、黒騎士、集結する魔獣群、そして拡大する黒い大地だ。
会議は、有効な案を見いだせないまま紛糾し続けている。
初めは軍務省と王統府、国王陛下ご参加の非公式会議だったものが、事の重大性を鑑み、今や大審院に持ち込まれ、議論されていた。しかし、そこでもやはり、結論は出ていなかった。
どんな結論になるにせよ、禍ツ魔獣とヴァンに対して俺たちは、全員が力を合わせて臨まなければいけない。
後顧の憂いは、ここで絶っておくべきだった。
つまり、魔獣の利用を企てている一派の摘発だ。
オルヴァロン島の戦いの時ように、ウェラシア貴族連盟の介入を阻むために戦力配置を考えるというような、政治的な配慮のために現場に負担をかけるようなことはもうしたくなかった。
そのために、まずはロクシアン商会を押さえなければならなかった。
一斉にロクシアン商会王都本店に突入していく騎士たち。
店内では、怒号が響き渡っていた。
四公のうちの1人、北公の後ろ盾がある自分たちには、王統府も手が出せないと踏んでいたのだろう。
しかしオルヴァロン遺跡から明確な証拠が出た以上、陛下も躊躇いなくこの捜査を承認された。
俺は腕組みをして、ロクシアン商会の巨大な建物を見上げる。
立派な石造りのビルだった。5階建てらしいが、他の建物より頭1つ抜きんでている。
あんまり見上げてると、首が痛くなりそうだ。
さて、この後は……。
ある程度現場の安全が確保出来れば、待機している司法部の職員を呼んで本格的な取り調べと証拠品の押収を始めなければならない。
またゴーレム兵器でも持ち出されては叶わないと騎士団を動員したが、これほどの大企業なのだ。
体面もある。
面と向かっての抵抗なんて、ないかもしれないな……。
そう思った瞬間。
ビシッと建物二階の窓に、ひびが入った。
胸がざわつく。
そして甲高い音を響かせて、窓ガラスが割れた。
街灯の光を浴びて輝くガラス片が降って来る。
「うおおお!」
その幻想的とも言える光景に似つかわしくない野太い雄叫びが、周囲に響き渡った。
二階の割れた窓から、黒スーツの大男が踊り出して来た。
「リングドワイスの犬め!貴様等の好きにはさせんぞ!」
男は俺めがけて落下しながら、両手に持った手斧を振り下ろした。
俺は腰の剣を押さえてとっさに飛び退く。
大男がだんっと着地する。
「隊長首もらっ……」
俺を見て、一瞬男が眉をひそめた。
スカート姿じゃ、指揮官に見えないか。
「カ、カナデさま!」
そこに、少し離れたところにいた騎士が声を上げ走り寄って来た。
「貴様!やはり指揮官か!」
タイミングが悪い。
耳が痛くなりそうな咆哮を上げて、男が俺に向かって斧を振り下ろした。
すっと息をする。
集中。
思考をクリアに。
俺は短く息を吐き、右にステップして回避する。
もう一方の斧が横凪に襲い来る。
身を沈める。
頭上を凶悪な刃が通過して行く。
俺は男の顔を睨み付けた。
後退ではなく。
前進を!
腕を振り切り、開いてしまった男の胸に飛び込む。
そして剣の柄に手をかけると、鞘走りの勢いそのままに、柄頭を男の下顎に叩き込んだ。
「ぐわぶっ」
男が仰け反る。
しかしそれを待たずに、俺はくるりと回転しながら男の左側面へ。
遠心力でスカートが膨らむ。
ブーツがタンッと石畳を叩く。
剣を振り上げ、刃を返した俺は、気合いを込めて男の首筋に剣の峰を叩き込んだ。
「がはっ」
空気の漏れる音を残して、男が俯せに倒れて行く。斧がカランと転がった。
俺は剣を振るった反動を利用して、そのまま後方に飛んで間合いを開けた。
ふわり揺れると髪とスカートが落ち着く前に、肩幅程度に足を開いて再度剣を構える。
ふっと深く息をする。
しかし大男は、倒れ伏したまま動かなかった。
「カナデさま!ご無事ですか!」
周囲から、騎士たちがわらわらと集まって来た。建物の中からユークリスも走り出て来る。
「私は大丈夫です」
俺はぱちんと剣を納めながら倒れた男を見た。
襲われたから反撃したが、なんだったんだ?
「カナデさま、失礼致しました!我々の突入に反発した一部の用心棒が、逆上しまして」
用心棒……。
それほどの戦力には思えないが、警戒に越したことはない。
俺は髪を掻き上げてユークリスを見た。
「ユークリウス、各員に警戒を厳にと伝えて下さい。待ち伏せや不意打ちに注意を」
「は……はっ!」
大きく頷き、ユークリスが建物の中に駆け込んでいく。
集まって来た騎士たちが、気絶している斧男を拘束する。
なかなか一筋縄ではいかないようだ。
俺はそっと息をついた。
「なかなかの大立ち回りをしたんだって?」
淡い照明が灯る執務室。
書類が重なった机にペンを置いたシリスが、楽しそうに笑いながら机の前に立つ俺を見上げた。
俺は憮然としながら、ロクシアン商会王都本店強制捜査の顛末について報告する。
結局、衝突したのは俺とあの用心棒だけだった。
騎士団は、無事にロクシアンの幹部クラス12人を拘束出来た。現場を引き継いだ司法部も、順調に証拠品を押収することができた。
証拠品の精査や拘束した者の取り調べはこれからだが、取りあえずは上首尾だと言える。
その成果を報告するために、俺は帰還した足そのままで、シリスの執務室を訪れていた。
時刻はもう、日付が変わる頃だ。
少し疲れた。
一通り報告を終えてから、俺は少し逡巡して、しかし改めてシリスを見た。
「シリス。ロクシアンの捜査、何処まで踏み込んで行けると思いますか?」
シリスが笑みを消し、すっと目を細めた。
沈黙したまま、俺たちはしばらく視線を交える。
廊下の向こう、任務を終えた騎士たちの安堵のざわめきまでもが聞こえてきそうだった。
「一連の出来事がロクシアン単独での行動というのはあり得ないだろうな。当然、背後の存在にも目がいく」
ロクシアン商会の最大出資者であり、管理者。
つまりは、北公ログノリア公爵。
「しかしこの時期に、四公の一角を脅かすようなスキャンダルは好ましくない」
シリスは口をへの字に曲げて、背もたれに深く体を預けた。
「兄上や王統府の古参執政官どもなら、そう考えるだろうな」
「……はい」
俺もしぶしぶ頷くしかない。
「北公の力は無視できるほど小さくないし、今、北公を槍玉に上げることは、王統府と北部貴族との間に溝を作りかねない」
「禍ツ魔獣の塔は、北の地裂峡谷にあります。あそこを攻めるとなると、北部貴族の協力が不可欠です。だから、今は不要な波風は立てたくないということですね」
「そうだな」
それが政治だ。
理解できる。
しかし、もし北公が何らかの企みに関与しているなら、許す事はできない。
街に放たれた魔獣のせいで、どれだけの人々が犠牲になったか。
どれだけの人が住む場所を奪われたのか。
魔獣との戦いで、どれだけの騎士や兵が倒れたか。
俺は胸の下で腕を組むと、自分の肘を掴む手にぎゅっと力を込めた。
行き場のない憤懣が体の中を暴れ回る。
虚空を睨みつける。
罪は、償わなければならない。
必ず。
「しかし、カナデ。お前は、そんな格好で戦ったのか?」
突然明るい声を上げたシリスに、俺は不意打ちを食らったようにきょとんとしてしまった。
「騎士たちが騒がなかったか?」
「あ、そうなんです。みんなわーわー騒いでしまって……」
俺は厳めしい剣と質実剛健な作りの革の剣帯に全く似合っていない短めスカートの裾を、少し引っ張る。
大変だったのだ。
俺と用心棒の立ち会いを目撃した騎士が派手に喧伝するものだから、俺が何だかとてつもない剣の達人みたいにされてしまった。さらに、どこからどう伝わったのか、俺が一騎打ちでシリスを負かしたとか、インベルストではあの恥ずかしい2つ名が轟いているなんて話題で持ちきりになる始末。
鎧や剣にサインをくれとか言う輩もいたな。……ユークリスとか。
少し大げさ溜め息をついてみる。
疲れた。
眠い。
「しかし、そのフリフリも似合うな、カナデ」
シリスが真顔でそんな事を言う。
俺は、はいはいと適当に返事しておく。
「では、今日のところは、お先に退庁させていただきます」
「まぁ待て。もう少しゆっくりしていけ」
頭を下げようとした俺をシリスが引き止めた。
「実は、レーメ商廊から、戦勝祝の差し入れに、新作の焼き菓子をもらった。どうだ?」
「おお!」
あっと思った瞬間には、手遅れだった。口から自動的に感嘆と期待の声が漏れだしてしまっていた。
シリスが勝ち誇ったように満面の笑みを浮かべる。
ぬかった……。
「さぁ、すぐ用意させるから座れ」
……しょうがない。
お菓子のためだ。
しかしシリスは、執務室の真ん中にある大きな応接室セットではなく、自分の執務机の脇に椅子を置いた。そしておもむろに机の上を片付ける。
なんでと思いながらも、俺はその椅子に腰かける。
シリスの秘書官さんにより、あっというまに俺の前に広がるお菓子とお茶。
そっと1つ、手にとってみる。
薄く延ばした生地を筒状にして焼いてあるのか。
かじる。
パリッという食感と同時に、口の中一杯に広がる圧倒的なバターの香。
「お、美味しいっ!」
クッキーにはないパリパリとした食感。
俺は夢中でカリカリかじる。
ああ……。
今日も頑張って良かった。
もう一本かじる。
これがあれば、明日からの長い長い魔獣対策会議だって、乗り切れるに違いない。
ふわぁ……。
自然と笑顔がこぼれてしまう。
「あ、そうだ。シリスもどうです?」
俺は顔を上げてシリスを見た。
まだ食べていない筈なのに、何故か幸せそうな笑顔を浮かべたシリスが、じっとこちらを見つめていた。
作中の季節はもう一巡りしてしまいました。
読んでいただき、ありがとうございました。