Act:10
翻る白いスカート。石畳を打つショートブーツ。束ねた髪に揺れるリボンは風を受けてひらひら揺れる。胸元の緑のペンダントが陽光を受けてきらりと輝いていた。
ああ、日差しが眩しい。
手をかざして空を見上げると、教会の鐘楼の先、蒼穹に輝く太陽はちょうど一番高いところだ。
俺の後ろから付いてくる優人は、胸当て、手甲、足甲だけの鎧をまとい、背中に黒い大剣を背負っていた。優人の足取りに、銀気の身体能力ブーストのおかげか、装備品の重量が負担になっている様子はなかった。
デートかどうかはともかく、優人と街に繰り出すと決めた時から寄りたい場所があった。優人の格好は、そこに出向くために必要と思われる出で立ちなので、俺からのリクエストだった。
「カナデぇ、楽しみなのは良くわかるが、あんまり離れるなよ〜」
後ろから優人の声。
いけない、いけない。
一人で進んでいくところだった。
くだらない優人の冗談は聞き流し、俺は優人に並ぶ。
「で、そっちは、どこか行く場所はあるのか」
俺は後ろ手に手を組んで、優人を見上げる。
「そうだな。ガレス師匠からお勧めの店を聞いたから、取り敢えず腹ごしらえといくか」
俺達は並んで一般街区を目指して坂を下って行く。
眼下に広がる風景に、リリアンナさんの講義を思い出した。
インベルストの街は、側を流れるロストック大河とそこに注ぎ込む2本の支流が合流する場所に作られた街だ。古来からこの地方にやって来る荷、出て行く荷の集積港から発展した街だった。
各川から水路が引き込まれ、街中を縦横無尽に走る。その運河を利用して大量の荷物が運搬されている。そこに街道からの陸路運搬も加わり、物の流れの中心として発展してきた街だ。そして父上の2代前、俺からは曾祖父に当たる時のリムウェア侯爵が、インベルストに領地の首都を遷都、今に至るのである。
街は主に旧市街と呼ばれる、運河沿い街道沿いの宿場から発展した最も古い一般街区、高台の教会街区、そして領都遷都とともに作られた行政府庁を含む新市街に別れている。
俺達が向かうのは旧市街。大通りが通る、インベルストの中で最も賑やかで活気に満ち溢れた区域だ。
優人が地図を見ながら進んでいく。ガレスお勧めの店というのは、旧市街でもかなり教会街区寄り、少し高台になっているあたりの様だった。
大通りを外れ、細い路地に入る。こんな脇道でもすれ違う人は多く、インベルストがいかに賑わう大きな街かが分かる。
時たま通りは広くなり、小さな広場に出る。中央に木立が涼しげな影を作り、その脇には井戸が作られていた。大量の籠を持ち寄って洗濯するおばさんたち。その周りを駆ける子ども達の声が建物の壁に反響する。
涼やかな風が吹き抜けていく。洗濯石鹸の香りが少し香った。
再び路地に入ると、建物と建物の間に渡されたロープに洗濯ものが翻る。
荷車を押すおじさんが、笑顔で道を譲ってくれる。戸口に寄りかかって煙草を吹かすお爺さん。看板はないけど、とってんとってんと鎚を振るう音が聞こえてくる工房。ゆっくり歩いていく老婆。坂下に転がるボールを追っかける子供たちと、その後を追う毛の長い犬。
時刻は少し昼を回ったところ。美味しそうな香りが漂ってくる家もあった。
建物に切り取られた細長い空を見上げながら、街中を流れるのんびりした空気を感じながら、俺はずんずん進んでいく。
知らない場所、知らない街を散策するのは嫌いじゃない。
知らない人達が生活する知らない時間。
見たことのない料理や想像出来ない仕事、びっくりするような風習なんかがあったりして、想像しただけでも胸が高鳴る。
今度リリアンナさんに怒られた時は、こうして街中をうろうろするのも気晴らしになりそうだ。
そのまま歩みを進めていると、突然ぐわしと頭を掴まれた。
「カナデ、こっちだ。あんまりうろうろするな」
優人が脇の階段を指さしていた。
楽しくて少し浮き足立っていた俺は、恥ずかしさ紛れに優人の手を払い、先に階段登って行く。
今度は少し大きめの通りに出た。しかし雰囲気が今までの下町然とした感じではなかった。
煌びやかな洋服店や眩い宝飾品の店。いわゆる上流階級の匂いがぷんぷんとする。
「カナデ、ここみたいだ」
優人が指し示していたのは、明らかに高級感を醸し出しているレストラン…と思われる店だった。一見して入り口が分からない感じとか、何屋さんか分からない感じとか、侯爵令嬢という肩書きを持っていても、中身はついこの間まで一介の学生な俺には敷居が高すぎた。
「…別の店に行かないか?」
「そうだな」
優人も合意する。
俺達は逃げるように分相応な露天や酒場が並ぶ旧市街中心を目指して歩き出した。
…別に何も悪いことしてないんだが。
大通りから一本入った通り。雑多な店が所狭しと商品を並べる裏通りの脇にある小さな緑地で、俺と優人は、二人並んで屋台で仕入れた焼き肉の串を頬張っていた。
何の肉かはわからないが、鶏肉っぽい淡白な焼き肉に、ちょっと酸味の利いたソースとスパイスが振り掛けられている。例えるなら、たこ焼きの親戚みたいな味だった。
なかなか美味しい。
黙々と串にかぶりついていると、いつの間に仕入れたのか、優人が飲み物を差し出してくれた。
「ん、ありがと。気が利くな」
俺は礼を言ってカップに口を付ける。
驚く事に炭酸だ。甘い果実の味が濃い肉の味をさらりと洗い流してくれる。
「これからどうするんだ?」
食べ終えたゴミを、俺の分も屑籠に捨ててくれながら優人が尋ねる。
「悪いな、優人。優人に紹介したい人がいるんだ。付いてきてくれ」
俺はポケットから手書きの地図を取り出し、目的地を確認した。
今度は俺が先頭になって歩き出す。
商店、露天、屋台が立ち並ぶ一角、人通りは多い。商人風の男、旅人の夫婦、冒険者か、武器を下げた一団。平服に買い物籠を持った市民達。その中を時たま掻き分けるように馬車が通ると、身長の低い俺はあっという間に人混みに飲み込まれる。
人が多い場所は苦手だったが、ここにはそれ以上に興味をそそる珍しい物が揃っていた。
見たこともない野菜や果物。極彩色の鳥が入った鳥かごが揺れる軒先。宝石の原石か、ただの石ころにしか見えない塊が並ぶ怪しい露天。エキゾチックな柄の織物が並ぶ商店。片目の厳ついオヤジの武器屋。
いつまで見ていても飽きそうにないが、目的地はもう少し先だった。
「優人、こっち曲がるぞ」
背が低いので、腕を伸ばして横路を指差す。
商店街から一歩それると、少し人通りが減り、俺はほっと息を吐いた。
脇通りにはさらに怪しい店がちらちら。紫のフードを被った人達が集まる場所とか、何の店があるかもわからない地下への階段とか。
俺は興味津々にあちこち覗きながら歩いて行く。
しばらくして人気がなくなると、前方から柄の悪そうな一団が近づいてきた。スキンヘッドや上半身裸、武器を持っている者もいる。
明らかにゴロツキだ。
どこにでもいるんだな、あの手の奴らは…。
俺は足早にその脇を通り過ぎようとして、突然行く手をその一人に阻まれた。
どんっと肩を押されて押し返される。
「おいおい、危ないよ、お嬢さん」
ふざけたようにその男が笑う。
俺は無視して振り返る。
「行くぞ、優…?」
背後に優人の姿はない。
はぐれた…?
俺は呆然ど辺りを見回すが、優人の姿はない。
その代わりに、ゴロツキ集団が数人、後方にも現れた。
いつの間にか囲まれている…。
「お嬢ちゃん、暇なら遊んでやるよ?」
「やべー、綺麗な髪してんな〜」
「楽しいとこ、教えてやるからさぁ、一緒にいこうぜ」
野卑な笑顔を浮かべて近づいてくる男達。
俺は自分の迂闊さを呪う。
珍しいものに気を取られて、優人とはぐれた上に、こんな輩に絡まれてしまうとは…。
「…こっちはお前らに用はない。そこを通してもらう」
「へへへ、勇ましいなぁ」
「連れないこと言うなよぉ、なぁ」
再び野蛮な笑いが広がる。
俺はじりじりと後ずさった。
くそ、竹刀でもあれば…。
生憎今は丸腰だ。素手でこれだけの人数を相手にするのは、さすがに嫌だ。
俺は目だけで辺りを窺う。
脇道。
通りの脇に別の通りへの入り口がる。
俺は静かに息を吐き、一気にそちらに駆けだした。
薄暗い路地裏。日の光も殆ど届かない細い通りを、俺は駆け抜ける。
翻るスカートの裾が、無造作に放置された物資に触れて汚れるが、今は気にしていられない。
ゴロツキ集団の足音は、ずっと付いてくる。引き離せない。どんどん細くなる路地。
もしこの先が行き止まりだったら…。
嫌な予感が頭をよぎる。
しかし、不意に道が広くなった。
やった、別の通りに抜けた!
そう思った瞬間、分かってしまった。
そこは袋小路。
広場のような空間。しかし周囲をぐるりと建物と塀に囲まれて、俺の来た道以外出口はどこにもない。
まさか、誘導されたのか?
俺が行き止まりのこの路地に逃げ込むよう、わざと道を開けて…。
背筋が冷たくなる。
唇を噛み締める。
後悔の念が湧き起るが、今は現状を切り抜ける策を考えなければ。
戦うしかないか…。
不幸なことに武器になるようなものは見当たらない。それに今の俺はスカート。十分に動く事が出来るか…?
焦って考えを纏められずにいる間に、俺が出てきた路地からゴロツキ集団が現れ始めた。
ゴロツキ共は俺を取り囲むように近づいてくる。
ぞっとするような下卑た笑いが広場に満ちる。
マズい…。
ピンチだ…。
ゴロツキ共から、スキンヘッドの痩せた男がふらふら近づいてきた。
「やぁ、お嬢ちゃん、鬼ごっこは楽しかったかい?おーお、恐い目だ。可愛い顔が台無しだよぉ」
黄ばんだ歯が覗く。
胸がざわつく嫌悪感。
その汚れた黒い手が俺に伸びる。
俺は意を決した。
一足で踏み込み、低い位置から男の顎に掌底を突き上げる。顎を打たれてフラつく男の足元に、しゃがみ込み、足払いを掛ける。地面の上にスカートがふわっと広がった。仰向けに倒れる男、その鳩尾に膝を叩き込んだ。
悶絶するスキンヘッド。
直ぐに態勢を直し、拳を構える。
「あーあ、やられてやんの」
「お嬢様ちゃん格好いい〜。俺惚れちゃった〜」
ゴロツキ共は余裕だ。俺がどんなに暴れても、人数で押し込めると踏んでいるのだろう。
まぁその通りだが…。
クソ、どうする…。
男達が近づいて来る。
「その子から離れろ、下郎!」
その時、広場に凛とした声が響き渡った。
全員が広場の入り口に注目させられる。
そこに立っていたのは、長剣を携えた女剣士だった。
綺麗な黒髪はかなり長い。一つに束ねられたその髪は、微風に微かに揺れていた。意志の強さを感じさせられる切れ長な目。スラリとした佇まいがが涼やかな雰囲気を漂わせている。背は高く、綺麗に磨かれた軽鎧を身につけ、陣羽織りのような金糸の刺繍が入った外套を羽織っていた。
「今なら見逃そう。消えろ」
突然の邪魔者に、ゴロツキ集団から舌打ちが聞こえる。
俺を拘束するつもりか、数人が女剣士の警告を無視して近付いて来た。
俺は身構えるが、その瞬間、女剣士が叫んだ。
「ナツ!」
ひゅという風切り音と共に、俺に近寄ろうとしていた三人の男の眼前に矢が突き刺さった。石畳を貫通する矢。並みの威力ではない。
「ひ、ひぃぃぃ」
悲鳴を上げて腰砕けに崩れ落ちるゴロツキ共。
女剣士が不敵に微笑む。
「さぁ、警告はしたぞ。なお引かぬのならば、血を見ると知れ」
女剣士はゴロツキ共に長剣を向けた。
ゴロツキの描写に自信がないですね。
難しい。
もう少し街中を詳しく描写したかったのですが、冗長になりそうで割愛。
街めぐりはまた別の機会に(笑)
ご一読いただいた方々、ありがとうございました。
ご指摘ありましたら、よろしくお願い致します!