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マグロジム  作者: 大神みや


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7/7

キハダの缶詰

夏まつりから二週間後、昌子はマグロジムの受付で呼び止められた。


「昌子さん、帰る前に少しいいですか」


真帆はいつもの笑顔だった。


昌子はロッカーの鍵を持ったまま、足を止める。


「その聞き方、何か増える?」


「たぶん増えます」


「減るものは?」


「体脂肪、かもしれません」


「真帆ちゃん、たまに雑に怖い」


真帆は受付の下から、小さな箱を出した。


青い紙で包まれ、白い紐がかかっている。箱の真ん中には、金色のマグロが一匹泳いでいた。


「昌子さん、今日からキハダです」


「キハダ?」


「昇格です」


昌子は箱と真帆を見比べた。


「いつ決まったの?」


「先週、間黒さんと相談しました」


「相談で魚になるの?」


「人間のままです」


間黒がジムの奥から出てきた。黒いTシャツの胸元には、白い粉が少しついている。


「昌子さんは、回遊式で無理をしなかった」


「回遊式のこと?」


「観察帳に、自分の身体のことを書きました。祭りでも、一人で無理をしなかった」


「重い箱を一人で持たなかった」


間黒は、受付脇の棚からビンナガのダンベルを持ってきた。


「ビンナガは、ここまでです」


「急に別れの儀式みたい」


「次はキハダです」


真帆が、昌子の会員証を書き換える。ランクの欄にあったビンナガへ一本線を引き、その下へキハダと書いた。


「降格はありません」


間黒が言う。


「知ってる」


「昇格も、急がなくていいです」


「もう昇格してる」


間黒は、少しだけ考えた。


「では、急がなくてよかったです」


湊が、ちょうど更衣室から出てきた。


昌子の会員証を見るなり、目を大きくした。


「キハダですか!」


「そうらしい」


「おめでとうございます!」


湊は、昌子より先に箱をのぞき込む。


「高級ツナ缶だ」


「聞いてたけど、本当にもらえるのね」


「キハダはオリーブオイル漬けです」


真帆が言った。


「そこ、すごく大事なの?」


「大事です」


間黒も、静かにうなずいた。


「サラダに使うと、もったいないです」


「何に使うの?」


「ごはんです」


昌子は箱を抱えた。


金色のマグロが、急に立派に見えた。


*


帰宅すると、昌子は鞄を床へ置いた。


その上に、キハダの箱を置いた。


置いてから、すぐ拾い上げた。


オリーブオイル漬けの高級ツナ缶。


今日は、それを食べる。


昌子は台所へ立った。


シンクには、昨日使ったコップが二つ。テーブルには、郵便物と広告と、いつ届いたのか分からない通販の箱が積まれている。椅子の上には、畳む前の洗濯物。


キハダの缶詰を、この上で開ける気にはなれなかった。


「ちょっとだけ」


昌子は自分へ言った。


テーブルの端から、郵便物を分ける。広告は捨てる。洗濯物は椅子からどける。通販の箱は畳んで、玄関の脇へ立てた。


箱の下から、健康診断の封筒が出てきた。


赤い文字で、再検査の案内がある。


昌子の手が止まる。


今日は、キハダの日だ。


昌子は封筒を持ったまま、少し考えた。


それから、封を切った。


紙には、再検査を受けるようにと書かれていた。いくつかの数字に印がついている。詳しくは、医師へ相談してください。


昌子は紙をテーブルへ置いた。


「そりゃ、そうでしょうね」


自分で言っても、少しも落ち着かなかった。


胸のあたりだけが、缶詰のふたみたいに固くなった。


炊飯器には、朝の残りのごはんがあった。温め直して、茶碗へよそう。冷蔵庫の隅から大葉を見つけ、味噌汁だけ作った。


缶を開けると、オリーブオイルの匂いがした。


昌子はツナを箸でほぐし、ごはんの上へ乗せた。大葉をちぎり、醤油をほんの少したらす。


一口食べた。


「おいしい」


誰もいない部屋で言う。


ツナはやわらかく、油までごはんに合った。


昌子は二口目を食べてから、スマートフォンを見た。


湊から連絡が来ていた。


> キハダ、おめでとうございます! ツナ缶、食べました?


昌子は写真を撮った。


ごはんの上のツナ。大葉。味噌汁。少し片づいたテーブル。


送る前に、画面の端へ健康診断の封筒が入っていることに気づいた。


> 食べてる。おいしい。あと、再検査の紙も開けた。


すぐに返信が来る。


> 大丈夫ですか?


昌子が画面を見ているうちに、湊から電話がかかってきた。


「大丈夫じゃないかも」


「何て書いてありました?」


「数字に印がついてる。再検査だって」


湊は少し黙った。


「僕、医者じゃないので、何が大丈夫かは言えません。でも、再検査なら、まず病院でちゃんと聞きましょう」


「そうね」


「真帆さんには、病院で聞いたことを前提に相談しましょう。食べるものを急に全部変える話でもないですし」


「間黒さんは?」


「冷凍マグロを運ぶ相談なら、たぶん一番です」


昌子は、思わず笑った。


「それは今のところ予定がない」


「ですよね」


電話を切ると、部屋はまた静かになった。


ツナはまだ半分残っている。昌子はもう一口食べた。


おいしいものは、おいしい。


再検査の紙があっても、それは変わらなかった。


昌子はスマートフォンで、近所の内科の予約画面を開いた。空いている日時を一つ選ぶ。


指が、確定のボタンの上で止まった。


見なかったことにして、封筒を引き出しへ押し込むほうが楽だった。


それでも昌子は、予約を確定した。


それから、真帆へ短い連絡を送った。


> 再検査になりました。病院で聞いてから、食事のことも相談していい?


すぐに、笑ったマグロのスタンプが返ってきた。


> もちろんです。まずは病院、次に一緒に考えましょう


昌子は食べ終えた茶碗を、すぐシンクへ運んだ。


テーブルには、再検査の紙が残っている。


引き出しには戻さなかった。


昌子はキハダの空き缶を洗った。

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