悪役令嬢に転生した私。悪を成敗していたら、王国で噂のダークヒーローになっていた件。
正義感の強い主人公が悪役令嬢に転生し、破滅フラグを無視して悪党を成敗していくお話です。
正義の反対は、別の正義だという言葉がある。
悪事を働いている様に見える人間も、彼らなりの理由、正義の名の下に行動を起こしているという意味だと、私は理解している。
それで彼らの悪事が理解されるのなら、彼らに鉄槌を下そうとする私の悪事もきっと、理解されることだろう。
同じレベルに落ちなければ、争う事はできない。
※
私は、前世とは比べものにならない程つやつやの長い黒髪をたなびかせ、この世界では珍しい黒い瞳で、男を睨み付ける。
「す、すまないマーガレット!どうか許してくれ!金ならあるから何でもごぉふぅっ!」
私の履いたヒールのパンプスの先が赤く光り、パクパクと慌てて口を開く男の口に、強引に突っ込まれる。
ふっくらとした腹にぎっしりと脂肪をため込んだ中年のこの男は、妻がいるにも関わらず、あろうことか私の友人に手を出そうとした。
だから私も、この男にほんの少しだけ色目を使ってみたら、この通り簡単に釣れたというわけだ。
私の正体はバレてしまったが、どうせ国外へ追放される男だ。別に構わない。
「金?私はご存じの通り、第一王子のヘルウィン様と婚約した貴族ですよ?金など、腐るほどありますわ」
男は魔法陣によって大の字に地面に拘束され、身動きを取ることができない。そして、先ほどあそこまで情けなく私に許しを請いながらも、まだ自分の方が立場が上であると錯覚しているらしい。
生意気な小娘の私の言葉を聞き、ギロリと蛙のような目で私を睨み付ける。
何か話したそうだったから、私は彼の口に入れたヒールのパンプスをどけた。
「ぶはぁっ。貴様、何だその態度は!私は第一王子と親しい仲だ。国で禁止されている自警活動を貴様がしていると王子が知ったら、婚約は破棄だぞ!破棄!あんな小さな領地しか持たない伯爵の娘ごときが、私に逆らえるなどと思うでない!」
この男は、確かに伯爵である私の父より力を持つ侯爵だ。それに、あの第一王子であるヘルウィン様と、幼い頃から面識があることも事実。
自分の立場を振りかざすだけの、ミミズのようにヌメリ気のある彼の喋り方は、余りにも耳障りだ。
だが、私から出てきたのは、目の前にいる救いようのない男に対する侮蔑の言葉ではない。
「ふふ、あっははははははは!!」
同じだ、何もかも。芸がない。
「な、何がおかしい!」
私の笑い転げた様子に、酷く頭に血を上らせたこの男の真っ赤な顔が、月光の下に照らされる。
「貴方が手を出した私の友人、リーナから聞いておりますわ。自分の言うことを聞かなければ、親がどうなるか分からないと、彼女にそう脅したそうですね。それも、彼女だけでなく、他にも三人に声をかけていたとか。おまけに、立場の弱い衛兵を買収して国の宝物庫から盗みを働き、敵国に売り飛ばしたなんて話も……うふふ、とんだ大悪党ですわね」
「な、何故貴様がそれを!」
「さあ、何故でしょうね」
あえて、酷く穏やかな声で、私はそう言った。この恥知らずな男に、更に恐怖を与える為に。
「く……だがそれがどうした。皆は長らく国に貢献してきた私の言葉を信じるだろうが、伯爵令嬢とは言え、お前のような小娘の戯言を信じる者がいるとでも?第一王子とは幼い頃からの知り合いだ。婚約が破棄されたとなれば、お前達一家は国外追放、私の勝ちだ!」
確かに彼が、長らく国に貢献してきたことは事実だ。
男は力を持つと、すぐに勘違いをして、複数の異性に手を出す。前世で働いていた職場の部長もそうだった。
折角この国に貢献してきたと言うのに、こんなことでそれが無に帰すとは。
そしてあろうことか、この男はまだ自分にチャンスがあると思っている。
本当に救いようがない。初めに私に情けなく許しを請うたが、あれを続けていれば、ここまで滑稽な姿を晒すことはなかったのに。
「一つ申し上げておくとすれば、第一王子のヘルウィン様は、貴方の思っている以上に聡明であるという事です」
「……どういう意味だ」
「うふふ、まだ気付きませんか?ここは大貴族が集まる社交会場です。勿論ヘルウィン様もいらっしゃる。人目を忍んで会場の外の庭園にいるとは言え、お近くにヘルウィン様のいるこの場所で、第一王子と婚約した私が、何故こんなことができると思いますか?」
目を泳がせて男は、口をもごもごさせながら身をよじらせている。
芋虫のようで気持ちが悪い。
「お前が貴族の礼儀も、政治も知らんバカ娘だからだ!」
ハッキリと言い放ったその男の、負け犬の遠吠えをしっかりと聞き入れた私は、悪事を働いた男の間抜けな姿に思わず笑みを浮かべる。
「うふふ、不正解。ですが安心してください、すぐに答えは分かりますわ」
「何だと……まさか貴様、ヘルウィン様と!」
庭園の木々のざわめきや、噴水の音にかすかに混ざるいくつもの足音を聞き、私は男の口の中に、自らの意識を混濁させて真実を話させる魔道具を一滴こぼす。
「や、やめろ!やめてくれ頼む!」
「では侯爵様。うふふ、ごきげんよう」
私は、漆黒のドレスをはためかせ、闇夜に紛れて庭園を去った。
第一王子のヘルウィン様が、庭園で拘束された侯爵様を、衛兵と共に見つけるのを見届けながら。
※
王立レイピア学園。貴族や大財閥の令嬢、子息ばかりが通うこの学校。そこで生徒会長を務めるのは、生徒会室のソファーに座る私、ではなく、私の前に立つこの男。
銀髪のセンターパートに色白の肌。整った顔立ちをしているので当然、学園の女子生徒からの人気が高い。
そのモテっぷりは、彼を好きな生徒を学園からかき集めれば一学年は埋まるほどだ。
見た目もそうだが、彼は非常に紳士的で誠実。肩書き、見た目、内面、どの方向から見ても隙のない完璧な男だ。
だが、学園の女子生徒と恋仲にならない理由がある。
それは、彼こそが私達の暮らす国、アーウィン王国第一王子のヘルウィン様であり、私の婚約者であること。
そして、私にゾッコンであることだ。
「いやー、えへへ、えへへへへ。お手柄だね、かっこ良かったよ。僕の愛しの妻、マーガレット。いや、ダークヒーロー、漆黒の淑女様ぁ」
王子の引き締まった顔立ちが、一体どうすればここまでほどけたような顔になるのかと、私は感心する。
ヘルウィン様のこんな一面を見ることができるのは、私以外で数えるとたった一人。彼の母である王妃しかいない。
それほどまでに、彼は時と場合に合わせて完璧に仮面を付け替えて、日々を送っている。
流石、将来王として政治を行う宿命を背負う王子様だ。
「ヘルウィン様、私はまだ貴方の妻ではないのですが?」
ヘルウィン様は、私の膝に頭を置き、猫のようにソファーに寝転んだ。
「婚約したんだから妻も同然じゃないか。僕は君が、そして漆黒の淑女が大好きなんだ。我慢なんてできないよ!……ああ、君のあのヒールの先端を、僕の口にもひぇ」
私は王子のほっぺを右手でむにゅっとつまんで、物理的に口を閉じる。
「ヘルウィン様の威厳に関わります、それ以上話さないほうがよろしいかと」
少々変わった趣向の持ち主だが、このヘルウィン第一王子。中々に聡明だ。
漆黒の淑女が私であることを看破したのは、何せこの男だけ。
バレたときは、私も親共々国外追放かと覚悟したが、その日から王子の私に対する態度が、こんなにも残念な感じになってしまった。
原作のゲームの第一攻略対象である彼は、本編の初めから終わりまで、このような姿を見せることはなかったらしいのだが、私が新しい何かを目覚めさせてしまったらしい。
「それと、私を漆黒の淑女と呼ぶのはお辞めください」
漆黒の淑女。この国で、私が趣味として正義を執行している時の姿は、そう呼ばれている。
果ては貴族から、私の通う学校まで。権力によって隠されている悪事を白日の下へとさらす。
その正体を知る者は誰もいない……ヘルウィン様以外。
敵の認識を惑わす魔法陣の施された、漆黒のドレスに身を包み、幾つもの魔法陣を内包したガントレット(籠手)、グリーブ(脛当て)と一体型のヒール型サバトン(鉄靴)を装着し、どんな悪人も撃退していく闇夜のダークヒーロー。
淑女とは言うが、どう考えても私が悪を退治している活動時の振る舞いは、淑女からかけ離れていると思うのだが。名付けた人は、一体私のどこを切り取ってそう名付けたのか。
学校では漆黒の淑女の活躍による、昨日の侯爵国外追放の噂で、大盛り上がりらしい。
しかもその話題が上がったことで、侯爵に言い寄られたと答える令嬢が学内で更に4,5人出てきた。
「何故だい?侯爵は十年も前から、この学校の令嬢に手を出していた。僕もどうしようかと考えあぐねていたところを、漆黒の淑女が解決してくれた!その呼び名は、君に対する賛美の具現化だろう?」
「私はただ、間違った事が許せない……それだけなのです。賛美を浴びる程高尚な事をしているつもりはありません」
私の言葉を聞いた王子は、私の膝からゆっくりと顔を上げ、その銀色の瞳で私を真っ直ぐに見つめて言った。
「その謙虚さもまた、君の高尚さを示すに値すると思うけどね」
私は、彼と婚約している。とは言っても、全て親が決めた政略結婚という奴だ。
私自身が彼のことを好きか嫌いかで言えば、この通り残念な感じではあるが、人としては好きだ。恋愛対象として見ることができるかは、まだ分からない。私は年上が好きだし。
彼は私と話している時は酷く残念だけれど、その聡明さに加えて、王子として気高い誇りと確かな信念を持っている。学内の政治の手腕も見事で、まだ若く、力を付けている途中だが、いずれ彼が王となった時、間違いなく国は良い方へと向かうだろう。
現に、去年までこの学校は、親同士の派閥争いでパックリと割れていたが、ヘルウィン王子の見事な手腕によって、親の派閥争いから学校を切り離した。
「そんなこと、ありませんわ」
貴方には私の言葉の意味が、分かっているはず。私はただただ、そういう性分なだけ。
「君が嫌でも、僕は呼び続けるよ。もう一度言うが、僕は君と、漆黒の淑女が大好きだからね。できれば是非とも、君の後ろ盾となっている者の正体も知りたいところではあるが」
やはり、ヘルウィン王子は賢い。私の後ろについている彼女の知識や力が、彼の今後の政治に使う事ができると、確信しているのだろう。
「うふふ、お戯れを」
※
「だぁー、疲れた。淑女として振る舞うのも疲れるわ-」
「ま、たまこは淑女って感じじゃないもんねー」
「あんたもでしょ、あやか」
学生寮の一室で、私をたまこと呼ぶ彼女の名はあやか。私と同時に、この世界に転生してきた、ただ一人の友人であり、王子が勘付いている後ろ盾の人物とは、まさに彼女のことだ。
私の本当の名前は、宮内たまこ
この活動は、あやかと私が始めた。
※
元々私は、正義感が強いだけの、只の会社員だった。
あやかは私の幼馴染みで、ゲームが好き。私もあやかも、両親が離婚だの不仲だので境遇が似ていて、心の内を全てさらけ出せる唯一の親友だった。
私とあやかがこの世界に来たきっかけは、異世界転生お馴染みの交通事故だ。トラックにはねられた。
私の命日は、決して良い日とは言えなかった。
何せその日私は、会社が内部で行っていた違法なプロジェクトを告発し、それが上にもみ消され、口封じの如くリストラされた、まさにその日だっだ。
大学へ行かせる金はないと、ギャンブルばかりの親に言われて高校卒業と同時に就職して、5年身を捧げた会社だった。
リストラされた私を慰める為、あやかは私を飲み屋へと誘った。
その帰り道、酔っ払っていた私達は、信号が変わったのにも気付かず横断歩道へ進入。
クラクションが聞こえたと思えば、気付くと異世界に転生していた。
庭園で目覚めたあやかは、隣で同じように目覚めた私の顔を見るやいなや、目を丸くして言った。
「え、マーガレットじゃん!」
「マーガレット、誰ですか?それ。私は宮内たまこですけど」
「た、たまこ!!何その姿!」
「何って、貴方こそ急に何ですか?」
「あたしだよあたし!あやかだよ!」
「あやか……て、何その姿!!」
「これ、もしかして」
あやか曰く、私は乙女ゲームの令嬢、マーガレットに転生していたそうだ。それもよりによって、私は悪役令嬢で、あやかはその取り巻きである、リーナという令嬢。
時系列的には、本編の5年前で、二人とも年齢は12才。
「え、嘘……私が5年後に、国外追放?」
原作知識を持ったあやかは、私が、いや私が転生したキャラクターであるマーガレットが、5年後に主人公を散々いじめ倒した挙げ句、その事がヘルウィンにバレて婚約破棄。国外追放されて破滅すると私に告げた。
あまりゲームに興味がなかった私は、そんな未来に起きる事実を聞いて言った。
「私は別にいじめたりしないし、大丈夫でしょ」
「……ま、そっか。破滅エンド回避おめ」
「ふふ、何それ」
かくして私とあやかは、乙女ゲームの世界であってもシナリオなんてフル無視して、好き勝手生きる事を決めた。
「ところで、国外追放されるのってマーガレットだけなの?あやかもいじめてたのに」
「うん、マーガレットだけ。リーナは全部マーガレットになすりつけて逃げたよ」
思わずギロリと、リーナの顔を覗き見る。美しい金髪に長いまつげ。穏やかそうな顔をして平気で罪をなすりつける、その顔を。
「だから、あたしじゃないってば」
「え、あ、ごめん。そんな最低な奴の顔を一目拝んでやろうかと思って」
「なるほど、そういうことかーって、あたしじゃないから!!リーナだから!!」
転生して数日は、慣れしたしんだ日本の生活とはかけ離れた貴族の生活や、魔法のあるこの世界で、知らない両親と共に暮らすのは肩身が狭かった。
やはり悪役令嬢と言うだけあって、性格が歪んでしまうのも少々分かってしまうような両親。それはあやかも同じだったみたいだ。
私の両親は、子供を政治の道具としてしか考えていないタイプ。あやかの両親は、父親が研究ばかり。母親は父親の商売で得た大金のせいで変わり、子供をほっぽりだしてパーティ三昧。
私もあやかも、前世で不仲な親を持っていた為、そういう親との距離の取り方はわきまえていた。我ながら言っていて悲しくなってくる。
そんな中でもやはり、私と一緒にこの世界に転生してきたあやかの存在は、とても大きかった。
二人でお泊まりした。会社で良くしてくれた先輩達。あやか以外の友達。それに、ほとんど会話もしなくなってしまったが、曲がりなりにも私の両親だった二人に、もう会えないかと思うと、思わず泣きじゃくったこともあった。
でも、そんな時あやかは隣にいてくれた。
死んでしまった私達に与えられた新たな人生。一度失った人生だ、失う物は何もない。二人で悔いのないように生きようと、誓い合った。
そう、決して原作ゲームのシナリオにも縛られることもなく、私達の人生を歩んでいこうと。
マーガレットに生まれ変わった以上、覚えなければならない貴族としての振るまいに苦労しつつも、社会人としての振るまいを身につけた経験を生かし、何とかものにすることができた。
そして3年後。ついに原作本編が始まる、王立レイピア学園に入学する。
私は、一つの願望があった。それは、正しい事を正しいと証明し、悪事に決して屈しないこと。
前世で私は、これを達成できなかった。
学園に入学し、体も成長し、この世界のことも分かってきた私は、それを達成するべく動きたいと、そうあやかに相談した。
「じゃあさ、あたしの家の魔道具使いなよ」
あやかは妙に興奮した様子で、ウキウキでそう言った。
「どういう意味?」
「ちょっと待ってて」
あやかは自室から出て行き、漆黒の淑女セットを持ってきたのだ。
「これ、あたしがこっそり研究して作った魔道具。本当、魔道具って面白くてさー」
そこからの魔道具語りは九割頭に入っていない。
入っていないなりにザックリ説明すると、7年前にあやかのお父様が発明した事で、この世界に誕生した魔道具という物は、本来人の手によって発動される魔法を道具に移し、保存する事ができる。
この世界では魔法が使える人間は少数。そのため、この魔道具を制する者が、世界を制するとまで言われている。だが、あやかのお父様が質ばかりを追求し、出来上がった魔道具は全て国が軍事利用の為に買い取ってしまうため、生産が追いついておらず、発明から5年経った今でも魔道具は、この国ではかなりの貴重品だ。
当然高値で取引され、需要が高くなるにつれて、国も魔道具に出すお金が増えていく。
小金持ち程度だったあやかの家は、たった一代で大貴族の仲間入りをした。
お父様はあやかの家が力を持つと早い段階から予想し、幼いマーガレットとリーナをよく遊ばせていたそうだ。
あやかはゲームの知識も相まって、家の魔道具の研究に興味があり、父親の書斎に忍び込んでは本や材料を盗み出し、工房で親しくなった老人に頼み込んで、自作の魔道具を作っていたらしい。
「どう?たまことあたしが二人で、貴族の情報がたんまりある学園で情報を集めて、本番に強いタイプのたまこが実行部隊で、あたしはサポートと魔道具のメンテナンス。楽しそうじゃない?」
これなら、できる。泣き寝入りするしかない、理不尽ばかりだったあの世界。
新しい人生、新しい世界で、私は今度こそ、悪に立ち向かうことができる。
「あやか……最高じゃん」
こうして、漆黒の淑女は誕生した。
活動を始めて二年、幾度となく悪人を衛兵に引き渡し、時には他国に裏で情報を流している人物を見つけて捉えたこともあった。
漆黒の淑女は学園だけでなく、王国中に知れ渡っており、ヘルウィン様に活動がバレてからは、彼の後ろ盾と連携により、一層漆黒の淑女は活躍の幅を広げた。
※
「そういえば、あの残念王子とは最近どうなの?」
「どうなの……って、いつも言ってるけど私は年上がぁ!」
「はいはい年上好きね、でもヘルウィン様は年上でしょ?」
この学年は四年制。私は三年で、ヘルウィン様は今年卒業の四年だ。
「もー何回目?この問答。マーガレットの体はそうだけど、精神的には大分年下!」
私は22の時にこの世界に転生した。それから5年経っている。精神年齢は27才だ。
18才の男子高校生を好きになるのは、年上好きの私には流石に無理がある。
「もしかしてヘルウィン王子、たまこの熟した精神から来るママみに惹かれて、残念な感じになっちゃったのかも。あの聡明でかっこ良いヘルウィン王子を変えちゃった責任取らなきゃね?たまこ次期王妃」
「熟した言うな!もー寝る!」
もう何十回も、何百回も繰り返したような会話だが、やっぱり宮内たまことして話せるあやかとの会話は、気を遣わなくて良い。
私はそっぽを向いて、魔道具に灯った小さな炎を消すと、現代日本顔負けのふかふかの枕に頭を預ける。
「えー、もうちょっとたまこと王子の恋バナ聞きたかったのにー」
「恋バナって、じゃああやかが話せば?」
「何度も言ってるけど、私の最推しは二作目に出てくるから、来年までおあずけでーす」
「もー、早く帰ってよ自分の部屋―」
「はぁーい、王妃様の仰せのままに」
そう言うとあやかは、私の部屋の扉を開けて自室へ戻っていった。
「うへへ、明日が楽しみー。一体どんな三角関係になるのやら」
扉の奥から、あやかの不穏な笑い声が聞こえた。
「何言ってんだか」
ゲームの話をするときに、変な笑い方で内容を語るのはいつものこと。ゲームの世界に転生したとあれば、日常的にその笑い方が出てもおかしくないのかな?
※
次の日、いつも通り寮からあやかと学園に登校した。
貴族の学校と言うだけあって、伝統ある木造で作られ、壁面に見事な彫刻が施された校舎は、優雅で静かな空気に包まれている。
寮から校門前まで続く、桜が咲き誇る一本道。いつも通り私は姿勢を正し、第一王子の婚約者として恥じることのない凜々しい只住まいで道を歩いていた。
だが、いつもと様子が違うことを、私とあやかはすぐに察した。
「騒がしいですわね」
「ええ、様子がおかしいですわ」
貴族らしい丁寧な言葉遣いで、私とあやかはこの違和感について話す。
いつもなら静かなこの道だが、今日は学生達が妙に騒がしい。
私が校門をくぐり、赤いカーペット敷かれた廊下を歩いて、私の教室に辿り着くまでずっと、その騒がしさは続いた。
私とリーナは特に会話もせず、自分の席へと向かう。
私は教室の窓際後方。リーナは私の一つ後ろの席。
授業を受ける準備を進めながら、周りの噂話に聞き耳を立てる。
どうやら、学校に何らかの犯行声明が届いたらしい。だが、その内容を生徒達は知らないようだ。
「ねぇリーナ、貴方何か知っていて?」
あやかではなく、この世界の彼女の名でるリーナと私は呼び、ゲームの知識を持つ彼女が何か知っているのではないかと尋ねる。
「この騒ぎようと日にちから察するに、恐らく下級生の令嬢が誘拐されてますわ」
「誘拐……ですか」
私がその言葉を呟くと、目の前に座っていたくすんだ金髪の令嬢が、こちらを振り向いて言った。
「マーガレット様、誘拐と仰られましたが、その話、どなたからお聞きになられたのですか?」
しまった、今クラスでこのことを知っているのは、恐らくゲームの知識を持つあやかだけ。
何て言い逃れするべきか。
「かもしれない、というだけの話ですわ」
「……実は私も、マーガレット様と同じように、誘拐を疑っているんです」
「え!それって、詳しく聞かせていただけますぅ!?」
突如、あやかが妙に興奮した様子でガタンと立ち上がり、声を張り上げた。教室内の視線が、一気ににこちらへと注がれる。
「お、おほほほ、失礼いたしました」
あやかは顔を真っ赤にして席に座ると、話を続けるようにと彼女に言う。
「実は下級生に一人、貴族ではない身分の者がいるのです。名前はイレイナ・ルーシー。この学園の、《貴族とは、心から成る者》という理念に基づいて今年から始まった、身分の低い者をこの学校に入学させる制度による、最初の生徒です」
「むふ、むへへ」
あやかがまたあの笑い方をした。どうやら、何か知っている様子。
「ええ、それはヘルウィン様から聞いていますわ。それがどうかしましたの?」
「彼女はその身分故、ずっと生徒達から避けられていたのです。私は弟がこの学校に通っておりまして、念じるだけで離れていても言葉を交わせるのですが」
「うんうん、そうだねそうだねぇ、ツンツンした弟さんとね」
「リーナ、少し落ち着きなさい」
「あ、ごめん」
あやか、何でこんなにテンションが高いんだろうか。もしかして、この子ゲームの登場人物?
「失礼しました。続けてください」
「あ、はい。それでどうやらイレイナさん、今日学校に来ていないそうで」
この学園は、王国が建国した300年前に設立され、そのころから貴族のみが通っている。
そのため、やはり自分達の過ごしてきた青春の箱庭に、身分の低い者を入れるのは自分達の青春を汚すのと同義。だとかなんとか過激な思想を持っている貴族が、一定数いる。
勿論、この学園を卒業した貴族である、老人から現役生徒まで。
実際イレイナが入学するにあたって、卒業生である貴族達からいくつもの圧力がかかったらしい。
ヘルウィン様がそれらを全て押し切って、彼女を入学へと至らせた。
「つまり貴方は、イレイナさんがこの学校に入学したことを良く思っていない貴族が、彼女を誘拐したと考えているのですか?」
「……曖昧な回答で申し訳ありませんが、かもしれないと、そう思ったのです」
その返答から、彼女はこれ以上の情報は知り得ないだろうと、私とあやかは踏む。
「分かりました。ヘルウィン様に相談しておきます。それにしても貴方、優しいのですね。平民のイレイナを心配するだなんて。私は、肩書きで人を見ない貴方のそういうところ、好きですわ」
私がそういうと、前の席の金髪の令嬢は頬を赤く染めて俯く。
「ありがとうございます……マーガレット様」
そして小さな声で、お礼を言った。
※
朝のホームルームで、特に学校側が犯行声明の件について触れることはなかった。
その後も学校では、何事もなかったようにいつも通りに授業は進んだ。
1時間目は貴族としての礼儀や振る舞いの授業。
2時間目はアーウィン王国の歴史の授業。
3時間目は魔法と魔道具の授業。
4時間目は社交ダンスの授業。
順調に授業は進んでいき、昼休み。
私は社交ダンスのドレスから制服に着替えると、あやかと共に直ぐさまイレイナの通っていたクラスへと向かう。もしかしたら、彼女が前々に関わっていた人物とかから、犯人の情報が知れるかもしれない。お昼は返上になるが、善は急げだ。
「リーナ、貴方何か隠していませんか?」
イレイナの情報を耳にしたときの、あのあやかの笑い声。あやかは時々、私にわざとゲームで培った情報を伝えないことがある。
そういう時に問いただすと、いつだって未開のルートがどうのこうのと言って濁し、その場で平謝り。
そもそも、このゲームの本編は今年の新入生が入学してきた、数日前に始まったとあやかは言っていた。 ゲームが始まったタイミングで起きた誘拐事件、あやかが知らないわけがない。
「え?い、いや何も、隠してなんかいませんわ?」
あやかは隠し事があまりにも下手だ。目は泳いでいるし、妙にそわそわしているし、私の質問への返答がどもっている。
私はあえてニッコリと優しい笑顔を浮かべ、リーナの右肩に手を置く。
「本当は~?」
あやかは、血の気が引いたようにスンと真顔になって、小さな声でぼそりと呟く。
「あります、情報」
こうすると、あやかは不思議と自分から自白してくれる。私は笑顔を作っているだけなのに。
「それで?何を知っているの?」
「いやーそのー、あのー放課後に教えるんじゃだめ?ですの?」
「駄目」
無論即答だ。この学校の生徒が誘拐されているのに、グズグズなんてしていられない。
私達の活動は放課後しかできないけれど、相手によっては情報を集めるのに何日もかかることだってある。そんなに長い時間、誘拐されたイレイナを放っておくことなんてできない。
「えっと……イレイナをさらった敵の正体と、誘拐している場所、ですわ」
「え……解決したも同然ですわね」
やっぱりそうだ。この誘拐事件は、ゲームの本編で起きた出来事。本編に絡んだ情報は、王宮から王子の婚約者である私に着いた護衛の調査よりも、踏み込んだ情報があやかから手に入る。
とはいえ、本編に入るとなると調査まで必要なくなるとは。
「えぇ、少々つまらないですわ?」
「つまらない?」
「いえ、何でもございませんことよ~おほほほ、ささ、それが分かれば、マーガレット様はイレイナのクラスに行く必要がもうありませんわ!腹が減っては戦はできぬ!お昼を食べましょう!ね!」
おかしい。やっぱり、何かまだ隠している。しかも多分、とびきり大きな情報を。
「まだ何か、隠していませんか?」
「断じて、イレイナの救出に必要な情報ではありませんわ。マーガレット様はそれ以外の情報に興味はおありにならないでしょう?」
「……まあ、そうですわね。そういうことにしておきますわ」
イレイナの救出に必要ないのであれば、救出が終わった後に問いただせば良い。
私達はそのまま学食へと向かい、昼食を済ませた。
味は流石貴族の学校だけあって一級品、と言いたいところだが、やっぱり現代日本で作られた料理の方が研究もされてるし、日本人好みの味だから、そんなに美味しいとは思わない。と言うのが、私とあやかの、この学校の学食への感想だ。
「それで、イレイナをさらったのは誰ですの?」
ストレートな私の問いに、あやかは答える。
「誰、と言う表現は適しません。イレイナをさらったのは特定の個人ではありませんから」
妙にもったいぶる。だけど特定の個人じゃないと言うことは、複数人による組織の犯行。
「じゃあやはり、イレイナの入学を反対する、この学校の卒業生の貴族達ですの?」
こういう時に答えを急かすと、あやかはへそを曲げる。あやかのペースに合わせて、ここはのるとしよう。
「ええ、その通りです。まあ、実行犯は彼らが雇った傭兵ですが。でもイレイナ、大事な要素が一つ、足りませんわ」
「大事な要素……」
確かにイレイナという身分の低い者の入学で、自分の青春を詰め込んだレイピア学園という名の箱庭を汚されると騒ぐ、一部のちょっと思想が過激な貴族がいるのは事実だ。
だが、イレイナの入学が気に入らないからと言って、そこまでするだろうか。
もしもバレたら、ヘルウィン様が黙っていない事は承知のはず。国の第一王子を自分の感情で敵に回すなんて損な事をするのは、正直考えられない。
そんなに貴族が愚かなら、私はもう少し楽に活動できている。
「では、一体誰が……」
卒業生の貴族達、だけではない。真実を写す最後の1ピースは一体……。
何故、ヘルウィン様を敵に回すような事をするのか、どうしてもそこが分からない。
良いことなんて一つも……いや、違う。
「ヘルウィン様を敵に回しても、困らない貴族」
私がおもむろに呟くと、あやかはほんの少しだけ唇の端をつり上げた。
そして、クイズ番組の正解発表並みに答えを引っ張りに引っ張った後、犯人達の正体を告げた。
「そう。ヘルウィン様と王位を争っている第三王子ライヒ様が、今回の黒幕。貴族達はライヒ様の命を受けて傭兵を雇っただけ!」
ウキウキで言うあやかは、もう上品な物言いも忘れて、まるで犯罪の推理を披露する名探偵みたいに、私に自信満々に指を指して言い放った。
いや、これじゃ犯人私みたいじゃん。
「それは、つまり……」
第三王子、ライヒ様。ヘルウィン様と同じ銀髪を持ち、人一倍野心が強く、腹黒い。この学校では私達の二学年下に在籍している。
王子の通うこの学園に仕掛けられた、厳重なトラップ魔法陣を易々とくぐり抜けたのは、彼や、その協力者である貴族によるものだ。
「王位継承争い」
個人の思いで一線を越えていた貴族達に手を下してきたこれまでとは違う。一線を超える彼らの行いの裏には大義が存在する。
そして私の行いはきっと、誰かに利用されるか、誰かが裁こうとする。
私の行いを我が物にする貴族や、漆黒の淑女という、正体不明の自警団員の首を取ることで大衆の目を引こうとする者がきっと現われる。
私は国の法律を無視して、活動を行ってきた。勝手に貴族の家に侵入して、必要とあらば、罰として悪事を働いた貴族の家を燃やしたことだってある。
漆黒の淑女を捕える大義は、確かに存在する。
私も彼らと同じように、一線を越えて自分の抑えきれない正義感を満たしている。
だがそれでも、物事には正誤が存在するのだと、私は思う。私のやり方が、褒められた物ではないことは分かっている。個人の思いで一線を越えている時点で、私のことを、これまで私が手を下してきた貴族と同じだと言う人もいるだろう。
だが、いくら理屈をこね回し、私の行いの是非をひっくり返そうとしても、そこに確かに存在する行いの正誤は、決してひっくり帰らない。
私は両頬をパシンと両手で叩いて気合いを入れる。
「そこにどんな大義があろうと、法を守る前に私達人間には、やってはいけないことがあります。それを侵した者を私は、誰であろうと許しませんわ」
一瞬揺らいだ意思を、自分の奥底にある気持ちを口に出すことで確かな物として、ティーカップに入った紅茶を一口、グビッと飲み込む。
「おっほほほ、たぎってますわねマーガレット様。はしたないですわよ」
どうやら少し、大きな声を出していたらしい。周りの貴族達が私の姿を物珍しそうな顔でキョトンと見つめている。
「おほほほ、皆様失礼いたしましたわ」
私は残った紅茶を更にはしたなく一気に飲み干し、一緒に着いてきたあやかと共に、逃げるように食堂を後にした。
※
最後の授業のチャイムが鳴り響いた直後、私とあやかは学校の寮に戻って、イレイナ奪還の準備をしようと教室を出た。
その時。
「やあ愛しの僕のマーガレット、少し時間をくれないかな。話があるんだ、二人っきりで」
教室の前で廊下にもたれかかり、腕を組みながら待っていたヘルウィン様は、私が教室から出るやいなや呼び止め言った。
「ええ、分かりましたわ。リーナ、先に寮に戻ってくれると助かりますわ」
先に寮に戻り、イレイナ奪還の準備を進めてくれ。というつもりであやかに言うと、それを理解したであろうあやかはコクリと頷いて、足早にその場を去って行った。
ヘルウィン様の空気が、いつもとは違う。終始黙っていて、ピリピリしていた。そんな只事ではない何かを感じながら、私は彼に生徒会室へと連れられた。
恐らく、学校に届いた犯行声明の事だろう。
生徒会室に入ると、ヘルウィン様は私をソファーに座らせ、向かいのソファーに彼も座る。
「マーガレット、漆黒の淑女。君のことだからきっと、とっくに気づいているんだろう?誘拐犯が王位の争いに関係があると」
「ええ、ヘルウィン様こそ……良く気付きましたわね」
私は気づいているというよりは、あやかのネタバレというチートで知ったこと。
自前の憶測で真相に気付いているこの王子の頭は、一体どうなっているのか。
でもヘルウィン様は少々私を買いかぶり過ぎている所がある。
以前学校で問題が起こったとき、その実態が掴めていなかった私達に、ヘルウィン様が今と同じように私達に「(気づいているんだろ?犯人が○○だって)」という感じで犯人が分かったこともあった。
まあ私としても、そうやって犯人の手がかりが掴めるのはありがたいので、いちいち訂正をしていない。
「やはり、話が早いね。イレイナは僕と王位を争っている何者かの手によって誘拐されている。これが公になれば僕は、期待していた有能な平民一人も守ることができない、軟弱な王子として国民の目に映るだろうね」
「それはつまり、事態を大事にしたくないということでしょうか」
私がそう言うとヘルウィンは、何故か口元に笑みを浮かべる。
「フフ」
やはり、そういうことなんだろう。
私が本当に人にバレない様に活動をしていたら、漆黒の淑女なんて噂がたつなんて事態は起こさない。
それでも漆黒の淑女が国民に知れ渡っているのは、正直ここまで噂される存在になると思っていなかったというのもあるが、一番は私という存在が犯罪の抑止力となる為。
漆黒の淑女が国にいる、それだけで皆悪さをしずらくなる。
そうなるためには、悪事を働いた者に漆黒の淑女と名乗り、武力で制裁を与えていかなきゃいけない。
これに関しては、完全に私が見たヒーロー系映画の受け売りだけど。
ヘルウィン様が仰る、大事にしたくないというのはつまり、漆黒の淑女による武力制裁を行わず、隠密でイレイナのみを奪取して欲しいということだ。
でも、それでは意味がない。イレイナを助けるのも大事だが、この活動はそもそも、そ悪事を働く奴らを野放しにせず正義の制裁を与えるのが目的だ。
「でしたらそれは、厳しいですわ」
きっぱりと、ヘルウィン様の申し出は断らないといけない。この先いいなりにならない為にも。そして何より、政治の影響を受けて行動を変えるのは、私の正義に反する。
「いや、いつも通りで良いんだよマーガレット。君の活動に口出しするなんてとんでもない」
意外にも、ヘルウィン様の答えは、私が予想していたものとは違った。
「では一体、何故私を呼び出したのですか?」
ヘルウィンは私の瞳をじっと見つめると、ゆっくりと頭を下げて言った。
「すまないがこの事件を解決した後、僕は君を、漆黒の淑女を、王位継承争いに利用する。君はそういうのが嫌いだろうから、先に謝っておこうと思ってね」
「利用……とはどのように?」
流石、悪役令嬢の体。こういうときにキッと鋭く突き刺さるような目つきは、あのふてぶてしいヘルウィン様ですら、私から一瞬目をそらさずにはいられないみたい。
「いつも僕は君に協力をしているが、それは国民には内緒にしている。でも今回のイレイナの奪還を機に、それを公表させて欲しいんだ」
確かに、ヘルウィン様が協力をするようになって、私の活動は少しやりやすくなった。
兵士に追われる機会もぐっと減ったし、私が捕えた悪党を、すぐにヘルウィン様が兵士を連れて引き取ってくれたことで、逃げられることもほとんどなくなった。
ヘルウィン様は続けた。
「今や国民にとって、闇夜に舞う正義の象徴の君と協力関係であるというのは、国民からの僕の信頼を勝ち取るのに絶好のチャンスだ。それと同時に、下劣な手を使ったライヒとの水面下での王位争いを公にすれば、あいつの信用を落とせる」
「……」
やはりヘルウィン様も貴族だ。政治の世界に生きている。全てを自分の為に利用し、良い方に持って行こうとするやり方。
「あんな下劣な手を使う野心にまみれた弟が王になっても、国は平和にならない。僕は王になって、やることがある。そのためには少々汚い手も使うつもりだ」
何故、そこまで私に言うんだ。その汚い手を、私が好まないことくらい知っているはず。
「ヘルウィン様……何故そこまで、妻でもない私に打ち明けるのですか?」
「君なら僕の事を、理解してくれると思ったから」
少し震えた小さな声でそうおっしゃったヘルウィン様は、部屋で独りぼっちの孤独な少年のように寂しそうな顔で言った。
そういえば、前にあやかが言っていた。
ヘルウィン様は第一王子というお立場故、兄弟にも王位争いが絡んで心が開けず、身分の違いから学園でも対等な友人ができず、厳しい父のそばにいる母親しか、自分のことを理解してくれずに寂しい思いをしていた。
ゲームでは身分や人を選ばずに接してくるイレイナの姿に惹かれていったらしい。
ちなみにゲームにおいて、ずっと猫を被っていたマーガレットの性格を、聡明なヘルウィン様はとっくに見抜いていたとか。
確かに私は、ヘルウィン様に媚びを売ることもしなかったし、猫を被ることもなく、等身大で接していた。
それは、ヘルウィン様もきっと同じ。
信じよう、私が一番近くで見てきた。ヘルウィン様の行いを。
「そうですわね。貴方聡明で、お優しい方ですもの」
私がそう言うと、ヘルウィン様はガッシリと私の手を掴んで言った。
「君に誓おう。汚い手を使うとは言っても、僕は決して一線を越えない。そして君に、漆黒の淑女の名に恥じるようなことをしない。僕は君に、ふさわしい夫になる」
その時、私の心臓が大きく波を打った。
動揺する私の瞳に映ったヘルウィン様の銀髪は、いつもよりも輝いて見えた。
※
「ねぇ!何を話してたの?何を話してたの!!」
顔を真っ赤にし、鼻息を荒くしながら、あやかは自室に戻って来た私肩を揺さぶった。
鍵はかけていた。それに寮の鍵には魔法がかけられていて、無理やり魔法を使って開けようとした者は、腕に鎖を巻き付けられて身動きを封じられる。
そんな中あやかが私の部屋に入った方法は言うまでもない。貴族の宿舎故、定期的に改築される新品でスルスル動く鉄製の鍵を、強い磁石を使って扉の外から開けたのだ。
ちなみに私達はいつもこの方法で、内側からしかかけれない鍵を外からかけ、寮の管理人の目を欺いている。
「何って、ヘルウィン様が協力していることを、イレイナの奪還を機に皆に公表したいって言ってたから、了承しただけだけど?」
ヘルウィン様との会話ではなんかこう、妙に胸がざわついたりとか、色々話したけど、会話の内容で言えば今言ったことが全てだ。
「嘘。そんな訳ない。あの秘密が多くて用心深いヘルウィンが、あんたとの関わりを公にするって言うなんて、相当信頼されてる証拠!そこまで好感度上がってたら、僕は君にふさわしい夫になるよ、とか言われてる筈!!」
あやかがその台詞を言った途端何故か雷に打たれたような感覚に陥って頭が真っ白になり、顔が熱くなった。
「え……たまこその顔もしかして、え、それ、ヘルウィンen……ふふ、ふひひ、キャ~~~~~!!」
あやかの奇声で私は我に戻ると、顔を覆い隠して悶えているあやかを余所に、ちゃっちゃと着替えを済ませていく。
漆黒のドレスを身に纏い、銀色のガントレットを腕に付ける。
膝までついた同じく銀色のヒール型サバトンは、私の魔力を注ぎ込むとパックリと割れる。
割れた片側に足を嵌めると、もう片方が自動で閉まって装着完了。
本当に良くできてる。
何でこんなの作れる人が、こんなにもはしたなく悶えているのか。
「ほら、私もう行くよ」
私は心ここにあらずなあやかのほっぺをムギュッとつねる。
そして暗闇でもよく見えるようになる、縁が金色の黒いマスカレードマスクを装着し、私は自室の扉を開けた。
「行ってらっしゃーい、ふふ」
あやかは不気味な笑みを浮かべながら、私と同じマスカレードマスクを装着すると、私の部屋の椅子に腰掛けた。
※
「たまこ、状況は?」
マスカレードマスクに仕掛けられた、小規模な転移魔法。この転移魔法が私の放った言葉、空気の振動をまるごとあやかの付けたマスカレードマスクの耳付近へ転移させる。
勿論逆もしかり。あやかの言葉も私のマスクへと送られる。これによって私達は、離れていても電話のような情報共有が可能。
「見つけた。舞台の上、三人見張りがいる」
あやかの情報で、私はイレイナの誘拐されたこの場所に来ることができた。
場所は町の南部に位置するオペラハウス。
今は光を放っていない天井にぶら下がる巨大な黄金のシャンデリア。
その下には上品な赤色を基調とし、金色が縁に施された椅子がズラリと立ち並び、その椅子達は、唯一光に照らされた舞台の上を一点を見つめている。
私は、オペラハウスの会場内にある、VIPが座る三階の客席から、その状況を拳を握りながら見つめる。
ちなみに、この客席に入る為の扉を見張っていた男には、電気が消えていたので闇に紛れてこっそり近づいき、不意打ちのパンチを食らわせてノックアウトさせた。
伸びた兵士には幻惑の魔法をかけて、この建物から退散して貰った。倒れているところが他の傭兵に見られると都合が悪い。
それにしてもこのヒール型のサバトン、動きずらいけど足音を消すこともできる。本当に便利だ。
「う、うぅ」
舞台の上に一つ置かれた椅子に、イレイナは縄でくくりつけられていた。
そして頭には、まるで天使の輪が浮いているかのように魔法陣が展開されている。
恐らくイレイナの意識を攪乱して催眠状態にし、気絶させる為のものだ。
口には布が巻き付けられ、魔術の詠唱をできないようにしている。用心深い。
レイピア学園の誰もが、シワなくピシッと着こなす赤を基調とした制服も同様、抵抗した時の影響でしわしわになっている。
イレイナのショートヘアーの茶髪は、抵抗した際に周りの見張りに掴まれたのか酷くボサボサで、その頬には青痣ができている。
「くっあいつら」
痛々しい光景に怒りが湧き上がり、あいつらを同じ目に遭わしてやりたいと一歩踏み出す。
「待ってたまこ。いつも言ってるけど、動く前にちゃんと探知して」
「……そうだね、見てみる」
マスカレードマスクに内包された、もう一つの探知の魔法陣を使用する。
「うわっ、何これ。ちょっと見てあやか」
私は転移の魔法陣を使って、私の目に入る光を、つまり景色をあやかへ転移させる。
探知の魔法陣で見た景色には、オペラ会場内の至る所に、数え切れない程の魔法陣が写し出された。
VIP席から落ちないための全ての防護壁にズラリ。更に一階に至っては、足の踏み場もない程の客席に魔法陣が敷き詰められている。
そして、誘拐されたイレイナの周りにもぐるり。
誘拐犯の傭兵はその魔法陣の外側で警戒を続けている。
「えーやば、その魔法陣、踏むと爆発するやつじゃん」
「爆発って、嘘!こんなに沢山、オペラハウス壊れるって」
あやかに探知をしろと釘を刺されていなければ、私は今頃このバルコニーを乗り越えて、盛大に罠魔法陣だらけの客席に着地し、オペラハウスごと全て瓦礫の下に埋めてしまうところだった。
「たまこさぁ、本当感謝してよ?あたしがいなかったら、あんた何回足が吹っ飛んでたか分かってる?」
「本当、いつもありがとう。気を付ける」
「え、ちょ、今日はやけに素直だねぇ。恋は人を成長させるのかな?」
「恋?何の話?」
「……そうだよねぇ、あんた好きな人できたことないもんねぇ、ふひひ」
あやかのまた不適な笑い声と共に、また話がどんどん脱線してきた。
確かに、私はこれまで好きな人ができたことがないし、異性と付き合ったこともない。
でも、それとこれとは一体何の関係があるのか。
「そんなこと良いから、ロープそっちで準備して」
「はーい、分かりましたよお嬢様~」
本当に、今日のあやかは様子がおかしい。一体どうしたのか。
でも、いちいち気にしていたら動きが滞る。
「準備OK―、今送る-」
「ありがとう」
ガントレットにも施された転移の魔法陣。このおかげで私はいつ、どこにいても、あやかが用意した物を自由に手元に出すことができる。
私は転移の魔法陣を通して、私の掌に出現したロープを握る。
そしてこのロープに、私が唯一使える小さな魔法陣を展開する。
物体を意のままに操る魔法。魔力がそこまで高くないので軽い物に限られるが、こういう時にはうってつけだ。
「それじゃあ行くから」
私はロープを天井のシャンデリア目がけて投げつけると、ロープは意思を持ったかのようにシャンデリアに巻き付いた。
「よし、大丈夫」
ちゃんとロープが巻き付いているか、ロープを軽く引っ張って確認。
両足に力を込めると、サバトンに内蔵された、身体能力を大幅に強化する魔法陣が展開され、体中に心地良い熱が走る。
その熱を感じながら、私は舞台の上で捕えられるイレイナの姿を目に焼き付け、強く、床を蹴る。
「ふっ!」
私の体は二階席のバルコニーを飛び越えて真っ直ぐ、天井のシャンデリアへと飛び上がる。私は空中で体勢を反転させ、天井に足をつくと、今度は天井を蹴った。
客席へと直下していく私の体は、握りしめたロープによって弧を描き、そのままイレイナの周りを見張っている男の一人の顔面目がけ、豪速で向かっていく。
「ふんっ!」
腹の下に力を込め、スタイルの良い長い足をフルスイングし、反応が遅れた男の顔面に渾身の蹴りをお見舞い。
すると、男は舞台の上の壁へと一直線に突っ込み、接触の衝撃で白目を剥いて気絶した。
「な、何だ貴様!」
見張りの二人の男が私の存在に気付き、左手に魔法陣を展開してこちらに向けた。
「見たところによると、ヘルウィン様の使わした兵ではないようだが」
恐らく、想定外の事態だったのだろう。本来ならばここには私ではなく、ヘルウィン様が何人もの兵士達と共にここに押し入ってくる想定だったらしい。
オペラハウスに侵入しようとしたとき、会場の外の見張りの数がとてつもなく多かったのに反して、会場内の見張りが少なすぎたことに、私は違和感を感じていた。
でももしや、ヘルウィン様の傭兵達を会場に引き連れて魔法陣を起動させ、イレイナごと最小限の被害でヘルウィン様達を生き埋めにするつもりだったんじゃ。
恐っ。
「その出で立ち、まさか漆黒の淑女!」
一人の傭兵が私の正体に気付いた途端、表情をほんの少し緩めた。
「よせ、警戒を解くな!」
もう一人が気を緩めた男に釘を刺すが、彼は聞き入れない。
「ふん、漆黒の淑女だか何だか知らんが、貴族ばかり相手にしている、軍人の経験もない小娘ごときが俺達傭兵に挑むとは、随分と舐められたもぬぐわっ」
私はその兵士が気を緩めた隙を突いて詰め寄り、身体能力の強化された拳で傭兵の一人に強烈なパンチをお見舞いした。
男は宙を舞いながら白目を剥いてノックアウト。落ちて舞台の床に叩きつけられると、泡を吹いて気絶する。
「へっどこが淑女だよ。血の気の多い暴力女じゃねぇか」
最後に残ったもう一人の傭兵は、完全に私を警戒して腰の剣に手を添え、決して私から視線を外さない。
「悪いが、こっちは一世一代の大乱戦がこの後控えてる。前座にはさっさと消えて貰うぞ」
男は自らの体の前に、その大柄な体がすっぽり入る程の大きな魔法陣を展開。
剣を引き抜いて私の元へ突進しながらその魔法陣をくぐる。
「たまこ!その魔法陣は身体強化!」
「!!」
私は間一髪のところで男の豪速の一太刀を仰け反って躱す。
すぐに体勢を立て直して一歩距離を取るが、男は直ぐさま詰め寄って私の顔面を突刺そうと剣を前に突き出した。
ガキーン!!
男の剣と、間一髪でその突きを防いだ私のガントレットとの接触音が、反響性の高いオペラ会場に鳴り響く。
「何っ!」
それと同時に男の剣がポッキリと折れて宙を舞った。
ガントレットには、温度を操る魔法陣も施されている。ガントレット自体の温度を上げ、接触した剣の強度を下げ、そこに更に私が力を加えることで剣を折る。
勿論、熱々になったガントレットに入れている私の手にはその熱が来ないよう、温度を操っている。
「ちぃっ」
剣が使えないと分かるやいなや、男は剣を捨ててファイティングポーズを取り、拳に魔法陣を展開する。
「なるほど、外側で熱して内側で適温……二つ展開して可能にしてるのか。中々斬新で良いアイディアだな、パクらせて貰うぜ」
男は自分の拳に魔法陣を展開し、グローブを超低温状態にする。
「たまこ、やっぱりあいつただ者じゃない。あんなにいくつも魔法陣を使って、すぐにガントレットの仕組みも看破して模倣した。きっとかなりやり手だよ」
超低温のグローブの周りは、辺りの水蒸気が冷やされて霧が漂っている。
見ただけで分かる、もし一発でも温度の耐性がないドレスや生の肌に触れたら、私は終わりだと。
対して私は、相手を殺さないために、ガントレットの温度を元に戻して普通に戦わないといけない。
向こうは私を殺すつもりだが、私はあいつを殺せない。
今までで一番、命の危険を感じる戦い。
こちらはヘルウィン様に頼んで保存した、一流の魔法使いの身体強化の魔法陣を使っている。
この傭兵の身体強化とは比べものにならない程質が良いから、動体視力や反応も桁違い。
だけど、戦闘の技術は圧倒的に向こうが上。
「一つ問いますわ。貴方は何故、こんな事をしているのでしょう。人を傷つけて、命を奪おうとしてまで遂行しようとする貴方の目的は、一体どこから来るのですか?」
男は何をくだらない事をと私の質問を鼻で笑って言った。
「んなもん、第三王子を勝たせねぇと俺の職がなくなるからに決まってんだろ。こっちはお嬢ちゃんと違って、食わせなきゃならん家族がいるんでね」
「……貴方の正義は、分かりました。ですがその上で、私は貴方の間違いを正しますわ」
私が拳を握りしめると、男も瞳をギラリと光らせる。
「そうかい、やってみな!」
再び男のパンチが繰り出される。それも、幾度も。私はそれを全て躱し、いなし続ける。
だが、中々反撃の隙がない。モーションを最小限に。
一発でも超低温の拳が私の素肌に当たれば良いのだから、この戦いではパンチに威力が必要ないことを理解している。
転移の魔法陣を使って私のパンチを敵の背後から食らわせる事もできるけど、そのコンマ数秒の間、私は片手になる。
その隙を突かれたら、私は終わり。
男の猛攻は止まらず、私をゆっくりと後退させて行く。
「くっ」
「たまこ!隙作るから反撃して!」
あやかの声が聞こえたと同時に、ガントレットの転移魔法があやかによって発動され、魔法陣の向こう側であやかが投げつけた私の部屋の植木鉢が、魔法陣をくぐって男の拳に直撃する。
「なっ!」
植木鉢に入っていた土が飛び散り、男の視界が一瞬遮られたその瞬間、私は微かに男が目を瞑る姿を目にし、そこを目がけて強烈なパンチを繰り出した。
「でやぁ!」
私の拳は男にクリーンヒット。そのまま捕らえられたイレイナの方へと男は飛ばされる。
「ぐあっ!」
舞台の床に打ち付けられ、苦しそうに呼吸をしながら地べたを這いつくばる男は、「ちっ」と舌打ちをして私を睨み付ける。
「見くびっていた。貴様の勝ちだ……だが、俺はこのまま終わるわけにはいかない」
男はイレイナの頭に展開した魔法陣を解き、そして自身を含め、私にノックアウトされて這いつくばっている者の床に新たな魔法陣を展開した。
「あれ……私、は」
イレイナが意識を取り戻す。
見たところ男が展開したのは転移の魔法陣のようで、私に倒された男達の体が徐々に魔法陣へと沈んでいく。
「やばいたまこ、逃げられる!」
あやかに言われるより前に気付いた私は、直ぐさま男を逃がすまいと近づく。だが――
「貴様もろとも、瓦礫の下敷きにしてやる!」
男は僅かに動く左腕で、イレイナの周りに仕掛けられた罠の魔法陣に触れようとする。
「イレイナ!!」
私は無数に罠の魔法陣が周りに仕掛けられたイレイナの元へ、全速力で向かう。
直後、イレイナの周りに仕掛けられた魔法陣が、まばゆい光を放ち――
巨大な爆発音が響いた。
「危なかったですわ」
私は間一髪、魔法陣の上にいたイレイナを、椅子ごと持ち上げて連れ去り、爆発から救い出す。
私はイレイナを拘束するためのロープと、口に巻き付けられた布を引きちぎる。
「うっ」
頭の上の魔法陣が解かれたとはいえ、まだイレイナの意識は朦朧としている。
「これは、私が運ぶしかなさそうですわね」
私は、混濁した意識の中で、自ら立つこともできないイレイナを、お姫様抱っこで持ち上げた。
その時、私の視界を、目が眩むほどの光が襲った。
「何、まさか!」
最初の爆発によって散った小石や瓦礫が、舞台の上の上にあった他の魔法陣の罠を発動させたらしい。
そしてその理論で行くと、舞台の上が吹っ飛ばされたらその瓦礫で、オペラハウス一階の床に仕掛けられた全ての魔法陣が、連鎖的に爆発することを意味する。
「やばい!」
私はイレイナをお姫様抱っこしながら、一直線にオペラハウスの舞台の上向かい側にある一番奥の扉目がけて、全力疾走した。
仕掛けられた魔法陣などお構いなしに踏みつけ、一身に出口へと向かう。
ヒールのパンプスの先についている宝石は、魔力の感知を避けることのできる貴重な宝石。
こんなサイズじゃ罠の魔法陣の軌道をコンマ数秒遅れる程度だが、身体能力を強化した今の私であれば、罠の魔法陣を踏んで爆発するまでに稼いだそのコンマ数秒で、爆発の範囲から逃れられる。
私はオペラハウスのドアを蹴破り廊下へ。
廊下には誰もおらず、計画を知っているであろう見張りは既に、最初の爆発音を聞いて撤退しているらしい。
そのままガラス張りのオペラハウスの入り口を蹴破り、私の目に夜空に浮かぶ満月が映ったその時。
巨大なオペラハウスから轟音が鳴り響いた。
地響きがおき、迫り来る危機感に鼓動が高鳴り、オペラハウスは、てっぺんから噴火したように火を上げて吹き飛んだ。
「はっ!」
私は瓦礫に当たるまいとイレイナを抱えて一心不乱に走り出した。
だが、爆風を受けて私の体はほんの少しだけ浮き上がる。
「くっ」
幸い瓦礫は当たらず、何とか体勢も立て直して無事着地。
オペラハウスだった場所から立ち上る煙に唖然としながら、私は生き延びたことにホッと安堵する。
「うっ……」
その時、私の手に抱えられたイレイナの瞳が、月光に照らされてゆっくりと開いた。
「貴方が……私を、助けてくれたの?」
「ええ、無事で良かったですわ」
イレイナは私のドレスの二の腕辺りを掴むと、妙に上目遣いで言った。
「ありがとう……貴方の、お名前は?」
イレイナの問いに、私は答えた。
「名乗るほどの者ではありませんわ」
イレイナの、ほんの少しだけ赤く染まった顔が視界に入る。
「そう、それが、私とあの方。ヘルウィン様……じゃなかった、マーガレット様との最初の出会いだった。月光に照らされたあの方の横顔は、どんな宝石よりも美しく、輝いて見えた」
「は?」
直後、私の耳元からナレーションが聞こえた。それも、あやかの声で。
「キャー!!第一攻略対象がヘルウィン様からマーガレットになっちゃったー!!あのまま行けばこうなるんじゃないかと思ってたけど、まさか本当に!最高、もう最高、ふふふ、ふへへへへ」
声だけでも分かるほど、あやかが私の部屋で狂喜乱舞しているのが分かる。
私はあやかの言葉を聞いて、即座に理解した。
「あやか、イレイナってまさか!」
「そう!主人公だよ主人公!この乙女ゲームの。イレイナはこの日ヘルウィン様に助けられて、彼の素敵な横顔に一目惚れするの!それがたまこに、きゃー急展開!!」
「いや、流石にそんなことあるわけないでしょ」
そう言いつつ、恐る恐るイレイナの方に目を移すと、彼女はまた気絶していた。
「このままここに置いてっちゃおうかな、ややこしいことになりたくないし」
私が独りごちると、あやかはいつもより1.5倍マシの大きな声で言った。
「駄目に決まってるでしょー!!ちゃんと家まで送って上げないと、また第三王子派の人にさらわれちゃうでしょー!!」
「ぐぬぬ」
家まで送り届けるって、絶対あやかは私に、ゲームの流れを踏襲させようとしてる。
「あ、そうだ。衛兵にイレイナのことは任せよ」
「え?ちょっとそれは、折角自分で助けたんだしさ」
ほらやっぱりそうだ。何としてでも私の手でイレイナを家まで送り届けようとしている。
「ヘルウィン様が派遣した衛兵が、爆発を聞きつけて慌てて来るはず。タイミングを見計らって分かりやすい位置にイレイナを置いておけばいっか」
「そ……そうだね」
歯切れの悪そうなあやかの声を聞きながら、想像以上に早く訪れた衛兵の足音を聞き、私はイレイナを優しく地面に置く。
「決して私に憧れを持っては、いけませんわ」
意識のない彼女に向けてそう言い、私は夜の闇に紛れてその場を去った。
※
「お帰りたまこ、今日は大変だったねー」
私がオペラハウスからレイピア学園寮の自室へと戻ると、そこにはニンマリと笑みを浮かべたあやかが待ち受けていた。
「命がけで戦った友達に向ける表情じゃないでしょ」
「えー?そんなことないよー」
本当にそんなことないのだとしたら、あやかは命が危うかった友達の姿を見てニヤけるサイコパス人間だ。
だが、ニヤけているのは私が苦しい目にあったからじゃない。私がこの乙女ゲームの世界である主人公の、攻略対象になってしまったことだ。
「あたしはたまこが戻ってくるって信じてたから、そんなに心配してないよ。それに、なんたってあたしの作った魔道具があるんだからね。ふひひ」
この事件の全貌を全て明かさなかったのは、この状況にするためか。
恐らく私がオペラハウスで負けても、後からヘルウィン様が助けに来てくれるであろうことも、あやかには分かっていたんだろう。
ゲーム本編ではきっと、私じゃなくてヘルウィン様がイレイナを助けていただろうから。
「はいはい、いつもありがとう。でもできれば余計な私情を挟まないで欲しいかなぁ」
拳を握りしめ、怒りで頬がピクリと動く。だがあやかは私の様子に一切怯むことなく、魔女のような不適かつ余裕のある笑みで言った。
「たまこが今生で正義を全うしたいように、あたしも新しい人生を精一杯謳歌したいの。ここまで付き合って上げたんだから、ここからはたまこも付き合ってね?」
「ぐっ」
そう言われると、ぐうの音もでない。漆黒の淑女の活動なんて、あやかが作る魔道具ありきだ。
私の家の権力を使えば無理矢理できなくもないけど、素顔で動いたら正体なんて隠せないし、バレたらマーガレットを悪役令嬢へと育て上げたあの政治バカの父親に、一体何を言われるか。
「分かった、でも私はあんたの思い通りになるつもりないから、そっちで勝手にやってれば?」
「ええ喜んで。たまこが私の言うとおりに動いたって面白くないからね。何がきっかけで好感度が上下するか分からないから、乙女ゲームは楽しいんだよ」
「あー、はいはい。分かった分かった」
疲れ切った細い視界の端に映った時計。時刻は夜中の二時。ここまで付き合ってくれるあやかには、やはり感謝しないと行けないな。
「今日もありがとう。明日もよろしく」
「うん、お休みたまこ。お疲れ様―」
部屋の明かりが消え、暗くなった部屋で一人になった時、ふと思った。
皆きっと、私やあやかの様に、たった一度の人生を謳歌するために、必死で生きている。
きっとそのことに執着しすぎて周りが見えなくなって、気付いたら一線を越えているんだ。
その道を選んだのは本人だし、決してそれは許されることではない。
でも、私は言ってしまえば、暴力で正義を貫いている。
その点においてだけ言えば、彼らとは同じ穴の狢なのかもしれない。
争いは同じレベルでしか起こらないと言うし。
今日戦った傭兵だって、ただお金に困らない安定した家族との人生を、謳歌したかっただけなのかも知れない。
「あーやっぱり、複雑だなー」
でもやっぱり、一線を越えることは許されない。それは決して揺るがない。
だがもしまた、道を踏み外し、一線を越えて悪党と化した人と戦うことになったのなら、同じ穴の狢にいるよしみとして、ほんの少しだけ、握りしめる拳を緩くしよう。
そんな事を思いながら、私は眠りについた。
あ、そういえば花に水やるの忘れてた……って、確か戦ってた時、あやかが敵に投げつけたあの植木鉢……私の花!
「あやかぁーー!!」
読んでいただきありがとうございました!
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