106,もし、たれば
「ぎゃぁぁぁぁぁったぁ」
イナザは自分の叫び声と枕を顔面に投げつけられた痛みに起きた。
枕の犯人はロイ。
シンはまぁまぁとロイを宥めている。
「うるさいんですよ。朝っぱらから何叫んでいるんですか。喧しいですね」
「まあまあ、ロイ、そんなに怒らないで。魔法の練習を夜遅くまでしていて朝すっきり起きれないのは君のせいでしょ。イナザさんがうるさいからってそんなに怒らないよ。で、イナザさんはどうしたんですか?」
「わ、悪い。昨日のが」
「あぁ、リウマさんの餌食になっていたことですね。確かにあれは怖かったでしょ。なら仕方ないですね」
はい、終了。とばかりにシンは起き上がると身支度を整え始めた。
リオラナ含め王都に長くいると面倒になりそうだと竜真が出発を決めたのは昨夜のこと。
イナザとシン以外はギルドの仕事にありつけなかったこともあり、さっさと次の目的地に向かうことにしたようだ。
シンとロイがさっさと支度を進める中、未だに服のひもを結ぶのに手間取るイナザ。王子様癖は中々重傷で抜けないらしい。あたふたしていると扉がノックされる。
「支度は済んだ?」
「リウマさん、おはようございます。バレイラ、おはよう。イナザさんだけですよ」
「おはようございます。リウマさん。バレイラおはよ。イナザさんが朝からうるさいです」
シンがにこやかに、ロイがため息がちに挨拶をする。
「うん。シン、ロイ、イナザ、おはよう。イナザさんの不器用ぶりに僕は驚きを隠せないね。シン」
「はーい」と返事をしてシンがイナザを手伝う。
「シン、ロイ、イナザさん、おはよ。もう、リウマさんのおかげでこの髪型見てよ。すっごいの」
竜真の後ろから出て部屋に入ってきたバレイラの髪は綺麗に整えられていて、髪飾りまで付けられている。
「かわいいよ」
「うん。バレイラ似合ってる」
「に「バレイラを褒めないでくれる」
イナザをピシャリと音がしそうな五寸釘をうつ竜真。シン、ロイ、バレイラは竜真とイナザに苦笑いをおくる。無事にニャルマーの後釜が見つかったようだとイナザに三人の生ぬるい視線が届いた。
***
「今日の訓練内容どうしようか」
王都から旅立ち、わりあいノンビリと歩いている一行。
「とりあえず、イナザさんの生活能力向上が一番かもね。シンは狩り以外の生活一般、ロイは礼儀作法の復習、バレイラは狩り。今日はのんびりめでいいから、イナザさんに生活力をつけよう。足手まといもほどほどにね。じゃあシン」
「はい。イナザさん。とりあえず俺が教えるのが生活一般ってことで、リウマさんがのんびりって言っていたから、今日は昼休憩ありってことで、まず休憩場所を見つけるところからです。旅立ち前に寄った冒険者ギルドで見た情報だとこの近辺の魔物はランクはそんなに高くないですね。とりあえず、時期的には昼の暑さ除けも考えてあの一本木にしましょうか。先ほど小川がありましたが、煮沸して使いたいので、まずは水汲みですね。はい。入れ物」
イナザは口を挟むことすらできないうちに、皮袋を持たされて一人逆走するはめになった。
文句は喉にとどめて、朝一番の訓練についていけなく、すでに全身の筋肉に筋肉痛が起こっている状態では反抗すら面倒くさいと素直にふらふらと小川へと歩を進めていく。
「リウマさん、イナザさんに辛辣だね」
ロイがやや不思議と言った表情で尋ねた。
「辛辣? 彼には何度もチャンスはやっている。それを反故にしたのは彼の今までの生活だよ。僕が彼の被害者のフォローをしてきた。今度は直に性根を鍛えなおすことができるんだから、徹底的に鍛えなおしてやりたくなるだろ?」
「で、その心は?」
バレイラが竜真の言うことにいまいち納得できずに聞いた。
「彼を殺すのは簡単。罰になることを探している」
ロイとバレイラは何となく納得する。
「あれ? シンは?」
「ロイ、気が付かなかったの? イナザさんを見守りにいったよ」
「バレイラは気が付いたんだね。ロイは午後から気配消しを練習だよ。さぁ休憩場所を作ろうか」
ロイがきょろきょろと見回せば、バレイラが得意そうに答え、竜真が丘の上へと促す。
今日の午後は苦手なものを練習させようかなぁと口元に笑みを浮かべ、竜真は空を仰ぎみた。
***
「本当にイナザさんは王族だったの?」
ありえない。
昼食後、ロイは礼儀作法をイナザに教えていたのだが、お手上げとばかりにイナザをみる。
「僕もこれほどとは思わなかった。乳母や教育係はいなかったの?」
「――母上が皆、やめさせた。俺を叱咤するのが気に食わなかったそうだ。かと言って、母上が俺を教育するわけでもない。俺は怒られないことをいいことに増長していたわけだ」
四人の生暖かい目に晒されて、イナザは顔を耳まで赤くさせうつむいた。
竜真もそれはなんとも言えないとばかりに頭を抱える。
「それでも乳母がやめるまで、礼儀作法を少しばかりでも教えてくれていたから、一応人前には立てていたが、兄上や妹のようにはなれなかったな」
「じゃ、今からきちんと覚えようよ。イナザさん」
一行の中で一番人が良いシンが肩をポンと叩いて慰める。
「俺らだって立ち振る舞いをリウマさんに教えてもらうまでは酷いもんだった。なんせ俺らは奴隷だったし、しかも殺される直前をリウマさんに救われたんだから、礼儀作法なんて無縁だったし」
「そう。僕らは一から学んだんだ」
ロイも珍しくフォローに回るがとどめを確実に刺しにバレイラが口を開く。
「えっとね、淑女になれるのは淑女の振る舞いの中にその心を持つことなんだって教えてもらったの。戦士でいるのも淑女でいるのも、応じた立ち振る舞いと心なんだって。だからね。王様や王子様もそうだと思うの」
「王たるは王たるべき心と振る舞いをもって、王族たるは王族たるべき心と振る舞いをもって、常に人々の中心たる人物たれ……いまさら兄上の言葉を思い出しても……遅い」
ずーんと頭の上に石が乗ったように項垂れるイナザ。イナザにとどめを刺したバレイラをシンとロイが見るが、竜真はにっこりと笑ってバレイラの頭を撫でた。
「僕預かりとなった以上、どこの王族よりも作法、知識、武術、すべてにおいて勝るように仕込む決まってるでしょ。1stは王族の家庭教師もできる。つまり、誰よりも王たるべきが何か知っていなければならないんだ。その僕が教えるんだから、君は誇ればいい。そして、自分が何をしてきたかを常に省みろ。そうでなければ連れてきた意味がない」
「リウマ殿……」
「と、言うわけで、君には地獄を見せてあげる」
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「無理……」
頭から煙が立つ寸前とばかりに頭を抱え突っ伏すイナザ。
「それはないよ。リウマさん」
「流石リウマさん」
「イナザさんガンバ」
ぷすぷす――イナザの後頭部から煙が出そうだとシンが苦笑いする。
しかたない人だね――ロイはやや冷たい目でイナザを見る。
つんつん――茫然自失状態のイナザを鞘でどつくバレイラ。
このぐらいでヘタばるんじゃないと竜真はイナザを小突いた。
「朝練もついてこれない。水は持ってくるまでに三分の一こぼす、礼儀作法はめちゃくちゃ、あったまいったい! ありえない! どんな育ちならこんなでっかい子どもができるんだ」
「まぁまぁ、リウマさん、気長に頑張ろうよ」
一行の良心、シンの一言に竜真は肩を落としたのだった。
***
イナザは黄昏ていた。
自分の今までをこんなにも反省して過ごしている日々はなかった。
王都で老女に感謝をされた時からあった、なにやらくすぐったい気持ちから。
シンの一言一言が、ロイのため息が、バレイラの嬉々としたダメ出しが、そして、リウマの厳しい訓練が、身に染みる。自分が生まれ変わっていく。
両手を見てみると荒れたことすらなかった手は薄汚れ、ひび割れ、固くなってきた。
顔は日に焼け、服は少し解れている。
「もっと早く出会えていれば……」
もっと早く出会えていれば、自分は王族として兄の隣にいれたのかもしれない。いや、自分がしっかりと学ぶ態度であれば、それだけで今のこの状況が全て違ったのかもしれない。
もし、たら、れば、時間を戻したいと思ってもそれは叶わない願いなのだ。
「あ、イナザさん、こんなところにいた。そこ、解れてるのリウマさんが気になってる。今日は俺が直すから、よく手元を見ていてよね」
音もなく近寄ってきたのはシンだった。
話しかけられてやっと気が付く自分にイナザは苦笑した。
「あぁ、わかった。教えてくれ」
「――う、うん。教えるためにきたんだから」
イナザを見ていたシンは満面の笑みで答えた。
イナザの心境の変化をシンは見て、嬉しくなってしまった。竜真がイナザのことをどうするかはシンにはまだわからない。
だが、彼が何も知らない子どもから成長する姿がシンには嬉しかった。
さてさて、イナザさんをどうする気だか




