精神構造
微妙としか言いようのないコーヒー『炭酸』の飲料をなんとか飲み切り、
<こういう商品でも好きな人は好きなんだろうし…>
と肯定的に捉えることにした。第一、薄々気付いていたくせに敢えてそういう商品を手に取ってしまう己に問題は無くなかったか?むしろ心のどこかでそういう展開を求めてはいなかったか?など反省の念が立ち上がってはくるが、うっすら漂ってくるコミカルな気分が愛おしい。同じドリンクに対しての(主に否定的な)感想への共感を求めるようなネット上の呟きを見つける。
ただ、彼(彼女)らも自分と大差ない複雑な…『精神構造』をしている疑惑。
せっかちな蝉が早くも独唱を始めた。前日に放送されたラジオ番組をタイムフリーで垂れ流し、夫婦漫才のようなトークに時折ニヤけている。それも至福の時間には違いないが、『もっとちゃんとしなきゃな』ともどこかで思う。それでも来し方を思えばひとときを享受するのだって咎められはしまい。
『こんにちは。お二人の掛け合いを毎週ニヤニヤしながら拝聴しております。さて先日、隣県に行った際に醤油ベースの冷やしラーメンなるものを食べてきました。夏場に熱いラーメンは遠慮したくなるものですが、この冷やしラーメンは一見すると冷やし中華とそれほど変わらない気がするのに味はしっかり出しの旨みが効いたスープが絶品でちぢれ麺にもよく絡み、大変美味でした。
そこで僕が感じたのは、<どうしてこの文化が全国に広まってゆかないんだ>という素朴な疑問でした。本県でも冷やしラーメンを出している店を検索してみましたが、思いのほか少なく近場で食べれそうな場所はあまり見当たりませんでした。
お二人は冷やしラーメンは食べたことがありますでしょうか?』
その時の自分は、まさか声で『飯テロ』を受けるとは思ってもみなかった。なぜ人は言葉によって対象の姿形を思い浮かべることができるのだろうか。もっと拙いのは、『冷やしラーメン』というワードをスマホにうっかり入力してしまったことだ。
「あかんわ、これ」
謎のエセ関西弁が出てしまうほどにラーメンの『絵面』は強烈で、氷が浮かんでいるような碗を見てしまってからは『どうしてもラーメンを冷やしで食べたい』という願望がもたげてしまってどうにもならない。
たぶん、その日の自分はコーヒー炭酸で完全に頭が『バグ』っていた。
「あ、そうか」
何かに一人勝手に納得し、キッチンに向かい袋のラーメンを棚から取り出す。ここで嫌な予感がした読者は『鋭い』と言わざるを得ない。麺を鍋で普通に茹でたところまでは問題ない。そこからが非常にまずい。スープを投入して、本来ならば何らかの具材を入れて熱いままで食すのが通例。なのにその日の自分はあろうことかスープを溶かした後に冷凍庫から氷を目一杯持ってきてその鍋にぶち込んだ。
<これでイけるんじゃないか?>
そんな甘い考えを一瞬でも持ってしまったのが不幸の始まり。ラジオの投稿を真に受けて醤油味だったのが更に致命的。箸で掴んでひとくち目で泣きそうになった。無駄にはしたくはないからと何とか食い切ったが、結果的にコーヒー炭酸レベルに後悔した昼食。
その日、じっくり時間を掛けながら文面にしたこのエピソードをあのラジオ番組に投稿しようと決意した。読まれたりするのだろうかとニタニタと妄想し始めた自分はやはり複雑な精神構造をしている。投稿が読まれなかったら読まれなかったで、それもまた…。