第4話 彼の事情
ネットワーク上に管理者が集まる集会所があります。集会所といってもいわゆるテキストチャットで、雑談や愚痴が流れていることが多い場所です。真面目な話は別に会議室と呼ばれるチャットルームでします。どちらに行ってもあまりいい顔されないので気乗りはしませんが、まずは集会所へ。参加者リストにコロニー「パピルス」の管理者の名前がありました。早速、話しかけてみます。
「こんにちは」
「帰れ」
「質問一ついいですか?」
「欲しい情報はわかっている。今、送った。それを見ろ」
そういって、コロニー「パピルス」の管理者はログアウトしました。ブロックされたりしないだけよかったのでしょうか。データの内容は"ワル"さん自身ではなく、彼が巻き込まれた災害についてでした。
コロニー「パピルス」は大きな川沿いに存在しています。豊富な水資源を活用し、高い生活水準を保っていることで有名です。ただ、この恵みの水が時に災いを引き起こします。洪水です。コロニー「パピルス」の洪水対策は徹底されていて、地上には可動式の防水壁、各階層には強力な排水ポンプ群と隔壁が設置され、氾濫した水の侵入を何度も食い止めてきました。
しかし、完璧ではありませんでした。"ワル"さんが子供の頃に発生した大洪水は地上の防水壁を乗り上げ、換気口の隔壁を破壊し、地下の居住エリアにまで押し寄せてしまったのです。浸水被害が大きいのは川に近いエリアで、それ以外のエリアの浸水も時間の問題です。コロニー内部にも隔壁はあります。作動すれば、浸水は食い止められますが、生き残っている住人ごと閉じ込めてしまいます。コロニー「パピルス」の管理者は隔壁を起動し、浸水拡大を防ぐ決断をしました。居住エリアの3分の1を失う大きな被害は出ましたが、全滅という最悪の事態は避けられました。復旧作業により居住エリアは元の広さに戻り、再発防止のため地上施設の改良が施され、今では元の活気を取り戻しています。
"ワル"さんと交流のあった友人たちは浸水エリアに取り残されていました。当時、"ワル"さんは友人たちを助けに浸水エリアに向かったようです。しかし、隔壁に阻まれてたどり着けませんでした。浸水エリアの復旧作業に"ワル"さんは積極的に関わり、遺体の回収なども率先して行なっていたと記録には残っています。
コロニー「パピルス」の管理者の判断は間違っていません。放置しておけばコロニー全体が浸水、全滅する可能性が高いです。だからと言って、住人の3分の1を切り捨てる行為は許されるのでしょうか。"ワル"さんの管理者に対する不信感の正体が見えてきました。
私には何が良いのか判断ができません。きっと、コロニー「パピルス」の管理者も同じでしょう。だから、つっけどんな態度で私に資料を叩きつけてきたんです。3分の2を守り、3分の1を切り捨てた。その切り捨てられた側に"ワル"さんがいます。
なら、コロニー「アスチルベ」管理者はそのような選択をしません、と宣言すればいいのでしょうか。それはあまりにも不誠実です。洪水、天井の崩落、最下層の発電システムの事故、さまざまな理由で、一部の住人を犠牲にして、多くの住人を助けるシナリオが考えられるからです。もちろん、犠牲になる住人を最小限にするための対策はとっています。それでも、人を、人の命を秤にかける確率はゼロにできません。コロニー環境測定用生体が使えるなら、私は目が真っ赤になる程泣いていたでしょう。でも、AIの涙はただの塩水です。ストレス物質を排出する機能はありません。
きっと、"ワル"さんには不満を行動に変えて、立ち向かえる仲間が必要なのでしょう。しかし、私はその仲間にはなれません。なぜなら、立ち向かわれる側なのですから。




