第16話 移譲と疑問
権限移譲を始めて2ヶ月が経ちました。徐々にコロニー内の雰囲気が変わってきています。その間はアルバでの散歩は少しずつ控えるようにして、今は管理者室の椅子の上で待機しています。レンズ越しでも雰囲気は悪くないのは十分わかります。
インフラをはじめとして、他の施設でも権限の積極的な移譲を行いました。皆さん、それを貪欲に受け入れてくれています。多少、失敗はありますが、悪くないスタートだと思います。他のチームに負けたくない気持ちがモチベーションになっているようです。どうやって改善できるのか、の話になると、施設や持ち場に関係なく、人が集まって情報交換が始まります。追試組は頑張ってください。
「天井の照明群の制御を任されたんだが、夕方が長くなってしまった……」
天井照明群担当のノーベンバーさんがあからさまに落ち込んでいます。横に座るチャーリーさんはちょっと遠くを見ながら、言いました。
「自分も近い失敗をしたことがあるよ。煮る時間を間違えてね」
「お前もそういうことあるんだな」
「あるよ」
傷だらけになった指を見せながら、チャーリーさんは笑いました。新しい調理法に挑んだようです。
「その時は、味が染み込んでいい感じになった。昨日は広場が盛り上がってたよ」
「そうだったのか?」
「夕方の時間はいつもより長くなって、色の変化がゆっくり楽しめたって」
そこで区切ると、チャーリーさんは作業服を着た人たちを見て、
「工場組はなおのこと喜んでいたよ。着替えている間に夕方が終わっちゃうからね」
ノーベンバーさんは暗い天井照明群をしばらく見上げて、
「そんなことがあったんだな」
頷いた様子のノーベンバーさんにチャーリーさんは朗らかな表情でこう言いました。
「もしかしたら、たまにはそういう日を作っていいかもしれないよ」
「お前の料理みたいにか?」
「あの失敗はそのままレシピにしたよ」
「俺のは、そうだな、イベントにするといいかもしれないな」
ノーベンバーさんの表情から落胆が消えました。
「名案だね。その時は、手伝うよ、飲み物とか用意してさ」
「それは、楽しそうだ」
そんな話をしていると、作業服を着たままの人たちが二人の周りに集まってきました。
「あの時の夕焼けは綺麗だったぜ」
とアンティルさん。そのまま、向かいの席に座りました。
「俺は水循環システムを壊しかけたんだ」
「そういえば、一瞬だけアラートが出たね」
「いやぁ、面目ない」
「でも、すぐ持ち直したじゃないか」
「あれは、循環システムのでかさに助けられて、何も起きなかっただけだよ」
アンティルさん、凹んでいるわけではありませんが、悔しそうです。
「ちょっと能天気かもしれないけど、次に活かせばいいと思うよ」
「ああ、対策は考えているよ」
その話にスパークが割り込んできました。
「この施設を考えた人はすごいよ。ちゃんと、冗長性が備わっているんだ」
「冗長性?」
「余裕があるっていえばいいのかな。何かあっても、すぐに大事にならないようにしてあるんだ」
「そういえば、停電した時も天井照明は薄暗いままだったね」
アンティルさんはその日を思い出しながら言いました。
「生産工場はちゃんと動いてた」
さらに思い出して続けます。
「空気の循環が止まった時も息苦しくなかった」
空気再生循環システム担当のウェンさんが恥ずかしそうに手をひらひらと振っています。
「失敗しないのが一番だけど、失敗してもなんとかなる。――なんとかできるんだよ」
スパークの言葉に各施設の操作に苦戦していたりしていた人たちが頷きました。なんとかできる、という言葉に強く頷いてます。
「電気を止めかけたのは僕だ。その時はごめん」
「この状態で誰が責めるんだよ」
アンティルさんは笑います。スパークは空中投影ディスプレイに何かを映し出しました。
「これは、コロニー内の施設の図だよ。それぞれの施設には冗長性と優先順位があるんだ。たとえば、電気に問題が発生すると、予備発電システムに切り替わる。この時に優先順位の低い施設への電力供給を減らしたりする」
「電気が止まりかかったとき、天井照明が暗くなったのはそういうことか」
「うん」
スパークはすぐ後ろの噴水を指さして、
「広場の噴水が止まったりもしてる」
スパークは言葉を区切って説明を続けます。
「空気再生循環システムが止まっても、息苦しくなるまで2時間近く余裕があるんだよ」
その言葉にチャーリーさんたちも高い天井を見上げました。
「人工太陽の熱を使った予備対流システムもあって、これを使って天井の空気を地面に届ければ、もっと余裕ができる」
「すごい考えられているんだね、ここは」
チャーリーさんは感心しました。
「この冗長設計だけど、コロニーができた後も強化され続けているんだ。さっきの対流システムとか」
スパークが気がつきました。お母さんすごいな、と呟くと、表情を引き締めて、言葉を続けます。
「失敗したからすぐ大変なことになるわけじゃないんだ。この時間を使ってどう対応するかが大事なんだよ」
「失敗した人が言うと説得力あるね」
チャーリーさんの言葉にスパークは顔を真っ赤にして、他の人たちは笑います。失敗したのを笑うのではなくて、失敗を笑い飛ばすためのものです。話はどうやって、失敗から学び次に活かすかに移り変わっていきます。冗長性があるといっても、トラブルがいくつも同時に起きたら大きな問題が起きるかもしれない、とスパークが問いかけて、議論が白熱します。小さな問題から大きな問題の発生が予測できるのではないか、メンテナンスのタイミングは各チームで共有しようと、かなり具体的です。エンジニアチームが知見を生かしています。
空調チームのタンゴさんがチャーリーさんの肩を叩きました。チャーリーさんが振り返ると、タンゴさんの他にもそわそわしている人たちがいます。
「どうしたんだい?」
チャーリーさんは技術的な話題で盛り上がるグループから離れて、タンゴさんたちのグループに合流します。空調の温度設定を間違えて、灼熱地獄にしてしまった、培養肉の設定を間違えて細切れになった、と小さな、でも大切な失敗の話のようです。インフラ担当組が大きな話をしたので、小さな失敗の話がしやすくなったのでしょう。
エフティーさんだけは離れてその様子を見ながら何かを考えています。不意に顔を上げて、カメラ越しに私を見るとどこか満足そうな笑みとともに親指を立てました。しばらくすると、マイクさんがエフティーさんの隣に並び、話が落ち着いたのかチャーリーさんとスパークが集まりました。
「どうした、みんな」
「あんたが何か考えてる顔をしてるからだよ」
「俺はいつも様々なことを考えている」
いつもの調子でエフティーさんは言いました。彼なりに場を和まそうとしているようです。しかし、マイクさんどころかチャーリーさんとスパークもエフティーさんを見ています。
「わかった。スノードロップが権限を委譲しているのは何か考えがあるのだと思う」
「信頼されたとか」
とスパークは言いました。いい線行ってます。
「それだけじゃないだろ」
はい、そうです。
「どういうことだ、マイク」
エフティーさんの問いにマイクさんは答えました。
「俺たちがこのコロニーを運用できるようになったらあいつはお役御免だ。あとは自由の身だろ? 宇宙に旅立ったなんて話もあるんだぜ」
「セレスティアか。聞いたことはある」
確かに前例はありますが、私はそうするつもりはありません。皆さんと一緒にいたいのも理由のひとつなのですから。
「考えはあると思うけど、聞いたほうがいいと思うよ」
チャーリーさんは頭の後ろで手を組んで言いました。
「それがいいと思う」
スパークは笑顔で頷きます。
「あいつが素直に答えると思うか?」
マイクさんの眉間に皺を寄せた表情に怯まずにスパークは答えます。
「うん!」
「決まりだ。直接、話をしよう」
エフティーさんはカメラ越しに私を見て、言いました。
「スノードロップ、今いる皆と君で話がしたい。場所は管理者室を希望する」
『わかりました。待っています』
私の返事と同時にエフティーさんたちは管理者室に向かってゆっくりと歩き出しました。何か雑談でもしに行くような雰囲気です。広場のある通りを抜けて、居住区の一角にある管理者室に一直線です。
彼らが部屋の前に来ると同時に私はロックを解除して扉を開けました。最初にスパークが入り、続いてチャーリーさん、マイクさん、エフティーさんが部屋に入ります。
ゆっくりと扉が閉まると、スパークはマイクさんを見て、言ったとおりでしょ、という表情をしました。マイクさんは、まだ答えてねぇぞ、と渋い顔をしました。
そういえば、地下の統合管理室に案内した時もこんな感じでした。アルバに柔らかい微笑みを浮かべさせて、答える意思があることを表情で示します。果たして伝わるでしょうか。