第15話 責務と委譲
インフラツアーから約2か月が経ちました。
その間にエンジニアチームとインフラチームの皆さんの協力もあって、操作説明の座学は3週間、基本操作の習得4週間という想定していない速度で終わりました。今は予備の統合管理室でシミュレーションの準備中です。
「回線切断よし」
「シミュレーションモードに切替開始」
「切替確認、本番の統合管理室とすべての数字が変わった」
「よし、やるぞ」
シミュレーションは今日が初めてですが皆さん、マニュアル通りにてきぱきと進めていきます。
基本操作習熟モードでは何も起きない想定でやっていましたが、シミュレーションモードではトラブルが発生しやすくしてあります。
今は電力需要があがりはじめ、電圧をあげて対応するのがセオリーです。さて、どうするでしょうか。
スパークが電圧のスライダーをぐいっとあげました。出力の急激上昇の注意表示が出て、すぐに機器破損の警告表示に変わります。発電システムの統括ユニットの判断で系統の切替と保護モードが行われました。
「電圧を上げたのに何で下がってるの!?」
スパークが焦った声で叫び、エルシフさんが応じます。
「落ち着くんだ。電圧を一気に上げすぎだ。計器とアラートをよく見るんだ」
「これそういう意味なの……?」
スパークは少し怯えた様子でディスプレイを見ています。操作とステータスの変化のログを確認しているようです。
『今ので変電システムが損傷しました。修復に1週間かかります。その間は夜の時間が長くなります』
結果をスピーカー越しに告げると、統合管理室にいた人たちが声を揃えて悲鳴をあげました。
エルシフさんがしばらく考えて、言いました。
「警告なしでこの操作が行えるのは、自由度が高いとはいえるが、危険じゃないか?」
その言葉にエンジニアチームの皆さんも考えます。見学に来ていたチャーリーさんが言いました。
「蛇口の温度調整みたいにボタン追加したらどうかな?」
「あの赤いボタンか?」
エルシフさんの質問にチャーリーさんは頷いて言いました。
「もし、電圧を危険なレベルまであげたい時は、ボタンを押しながら上げる、とか」
「確かに名案だ。確か、リミッターの設定ができたはずだ」
「エルシフさん、マニュアルの後半にリミッター設定の説明見つけました」
エンジニアチームの若手のニルさんが言いました。
「ニル、でかした。シミュレーションは一時中断しよう。それからスパーク」
名前を呼ばれたスパークがびくっとしました。注意されると思ったのでしょうか。エルシフさんは苦笑いを浮かべ、そして笑顔に切り替えました。安心させるように優しくゆっくりとした調子で言います。
「いい失敗だ。ここから学ぼう、皆で」
リミッターの存在に気が付いた皆さん、様々な操作系にリミッターの設定、安全域と危険域の色分けなどを行っていきます。操作卓の表面は皆さんのネームタグと同じ電子インクが使われているので、表現の幅はとても広いです。
「電圧のリミッターは80%でどうだ?」
とエルシフさん。かなり安全側に倒した数字です。
「それだと低すぎませんか? 85%、何だったら90%までは安全ですよ」
エルシフさんに対してニルさんの数字はかなり攻めています。それでも安全域です。
「今までの記録を見たけど、80%で足りそうだよ」
「うーん、スパークに一本取られました」
「勘に統計が並ぶか。80%に設定して、頻繁にリミッターを外すようなら、再検討しよう」
「リミッター外すのが当たり前になったら……想像もしたくないですね」
ニルさんの言葉に皆さん頷きました。しばらく、そうやって調整をしていると、スパークが顔をあげました。
「これ、向こうの管理室に持っていけるかな?」
いい着眼点です。でも、褒めるのは帰ってきてからにしましょう。
「向こうで最初から設定、だとトラブルのもとになりかねない。――お、設定のインポートとエクスポートがあるぞ」
マニュアルを見ていたエルシフさんが気が付きます。
「今やっている設定変更は全部持っていけそうですね。それでも、確認は必要だと思います」
「楽はできないか」
「エルシフさんだって痛い目何回か見てるでしょう?」
ニルさんが悪戯っぽく笑って、エルシフさんは、
「そうだな」
と呟きました。
そのまま、スパークの操作ミスをきっかけに操作ミスを誘発させるものをいかに取り除くか、操作ミスにいかにはやく気が付くかの議論が交わされ、私のもとには大量の要望が届きました。
訓練を終えて居住エリアに戻ってきたスパークとアルバで合流します。
『よく頑張りましたね』
「まだまだ足りないよ。お母さんは、全部できるんだよ」
『それは、少し違います。私も各統括ユニットの力を借りています』
「皆の力を借りてるってこと?」
『おおよそ、そのイメージであっています』
統括ユニットも自律判断ができます。コミュニケーションをとりながら、他の統括ユニットと協力することは要件に入っていません。そんな話をしている間にスパークの家の前に着きました。
「上がっていってよ。話したいこと聞きたいこともあるんだ」
スパークは楽しそうに、期待を込めて言いました。断る理由はありません。
『はい。お邪魔します』
スパークは今日あったいろんなことを話してくれました。ユーザーインターフェースのステータスの変化を追いかけやすいように正常、注意、警告を並べて表示してはどうか、と提案したところ、エンジニアチームの同意を得られたこと。エルシフさんからエンジニアチームに誘われたこと。その場で喜んで返事をしたこと。そして、ニルさんからすでに一員だと言われたこと。スパークはとても楽しそうに話してくれました。とても充実した一日になったようです。一晩中聞いてもよいのですが、身体に障るので眠るよう促しました。しぶしぶと彼はお休みの挨拶をしました。おそらく、眠るぎりぎりまでメモに書き留めているでしょう。
2か月に渡りシミュレーション訓練が行われ、様々なトラブルを経験し、対処法を皆さんは身に着けていきました。
いつまでシミュレーションを続けるべきか、はやく実機での訓練に移るべきではないかの議論が起きた際は慎重派のエルシフさん、スパークとニルさんの若手が激論を交わし、最終的に遭遇する確率の高いトラブルを対応できるようになるまで、で着地をしました。落としどころとしては悪くないと思います。
こんな議論もありました。自分たちでどこまで運用できるようになるべきか、という難しい議論です。これは私も注目して聞いていましたが、私なしで運用できるようになるのが目標に決まりました。これはかなり意欲的な挑戦でしょう。
『シミュレーションで必要な技術は身に着けたと思います。明日からは本番環境での運用を行ってもらいます』
私の言葉に統合管理室の皆さんはついにこの時が来たか、と期待と覚悟のまなざしで私をレンズ越しに見ています。
『無事にインフラを運転し、一日の作業時間を終えてください』
「よし、皆、やってやるぞ!」
エルシフさんの言葉に皆が拳を突き上げて、叫びます。士気の高さは十分です。
実際の運用は大きなトラブルもなく、順調に進んでいます。皆さんの創意工夫により、ユーザーインターフェースは改善され、トラブル発生時にはマニュアルが早引きできるようになっています。
間もなく作業終了時刻という時間にアラートが響きました。即座にニルさんが報告します。
「2番の排水ポンプが機能停止しました!」
「地下水を汲み上げて外に流すポンプだよね」
スパークが確認します。
「全部で6基あるうちの1基か。ほかのポンプの出力をあげて対応できるか?」
エルシフさんは暫定対応を考えているようです。間違ってはいません。
「対応はできそうですが、マニュアルでは即時交換が求められています」
「作業時間はすでに過ぎているがどうする?」
エルシフさんは時計を見て言いました。やるべきことはクリアしています。
「直そうよ」
スパークははっきりと言いました。その言葉にエルシフさんは力強く頷いて、
「彼の言うとおりだ。シミュレーションでは触れていないが、ここを任された以上は対応するのが筋だ」
マニュアルに従って、在庫を確認していたスパイクが言います。
「予備のポンプは第3格納庫にあるよ」
ニルさんがマニュアルから顔を上げて、
「交換作業は無人作業機械が行います。私たちはここで見守ることしかできません」
ニルさんの言葉にスパークが続けます。
「無人作業機械たちがうまくいくよう、アシストしよう」
「ついでに祈りましょうか」
「決まりだ」
マイクのスイッチを入れてニルさんが宣言します。
「スノードロップ、これより俺たちは排水ポンプの交換作業に入る」
『了解しました。ご武運を』
エルシフさんが無人作業機械に指示を出すと、無人作業機械が滑らかに移動を開始しました。皆さんがその様子を食い入るように、あるいは祈りながら見ています。
無人作業機械に交換されたポンプが正常に稼働し、警告ランプが消えた瞬間、統合制御室内に歓声が溢れました。交換作業は無事完了です。
「やった!」
「訓練外のトラブルにもよくやってくれた。ありがとう!」
皆さん、肩を組んでそれぞれの健闘を称えています。
私はアルバで統合管理室に足を踏み入れ、皆さんにこう告げました。
『お疲れさまでした。合格です。電力系の運営を皆さんに託します』
先よりもすごい達成感と喜びで統合管理室が満たされました。すごい熱量を感じます。
スパークを見ると、少し遠くを見ているようなどこか陰りのある表情です。何か気がかりがあるのでしょうか?




