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最後の神がまもる国  作者: はくぼく
3章 滅びの種
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1 来訪者

「まあ、よろしく頼むわ」


 にっ、と口角を持ち上げて言った友人の、あまりの軽さにアルフレート・フレイグルはため息をついた。


「……君はいつだって私を都合よく利用する。昔からそうですよね」

「そう言うなって。だってさぁ、俺とあんたじゃ《《あたり》》の強さが全然違うんだもん。……わかるだろ?」


 そう言いながら押しつけられた一通の書状を手に、アルフレートはもう一度、ため息をついた。






「どうしたの? 今日は非番のはずだろう」


 驚いた顔でこちらを見る主に、アルフレートはひきつった笑みを返した。


「……申し訳ありません、ご休憩中のところをお邪魔してしまいまして」

「気にしないで。君ならいつでも構わないよ」


 にこやかに言う主に、アルフレートは「実は、お渡ししたいものがありまして」と告げて、先だって押しつけられた書状を手渡した。


「これは?」

「マシュラムから預かりました」

「ボードから? おかしいな、さっきも会ったんだけど……」


 不審そうに書状を眺めた主は、まず眉をひそめ、次に手早く書状を広げて中身を確認すると、最後には険のこもった声で「アルフレート」と彼の名を呼んだ。


「……はい」

「すまないけど、ボードを呼んできてくれるかい? ああ、今日は非番なんだったね。それなら――」

「いえ、」


 アルフレートは主の言葉を制止した。常にない早い口調が、不機嫌さのほどを物語っている。自分にこの役目を押し付けた友人に文句を言ってやりたい気持ちになりながらも、アルフレートは自分が呼びに行くことを申し出たのだった。






「人の手紙を勝手に留め置くなんて、どういうつもり?」


 冷然とした態度で追及する主を前にしても、ボード・マシュラムはへらへらと締まりのない表情を浮かべていた。


「いや、誕生祭も終わって、いろいろ落ちついてからのほうがいいかなーと思って……」

「それを判断するのは、君じゃなく僕だ」


 ぴしゃりと言い捨てた主にようやく違和感を覚えたのだろう、ボードは驚いた目をこちらに向けてくる。主の背後に控えるように立っていたアルフレートは、だから怒っていると伝えただろう、という目でそれを見返した。


 普段の主であれば、原因をつくったボードに直接文句なり叱責なりをぶつけてしまえば、波立った感情はそれでおさまっていただろう。ボードはきっと、今回も同じ道を辿ると考えていたはずだ。


 実のところ、手紙を留め置いたことについても、その送り主を考えれば、ボードがそうした意図は理解できるものだった。主がそれに気づいていないとは到底思えないのだが、なおも怒気を孕んだ様子でボードに向き合っている。


「あー……もしかしなくても俺、判断を誤ったのか……」


 鋭い視線にさらされたボードは、すぐに軽薄な表情を消して青ざめた。それまでが嘘のように真剣な様子で謝罪を口にしたが、主がそれを受け入れることはなかった。


 主自身の性格や、ボードとの関係性から考えても、ただ感情的に接しているだけとは、アルフレートには思えなかった。それほど深刻な状況にあるのか、あるいは主自身も事態をはかりかねているのか。


「早急に、私的に会う場を設けて。わかってると思うけど、余計な手心は加えないように」


 ボードは血の気の引いた顔のまま、一礼して去っていく。その背を見送りながら、アルフレートは主の小さなつぶやきを聞いた。


「もう、けっこう時間がたってしまっているな。……あまり馴染んでいないといいんだけど……」



◆◆◆◆◆



 夜が深まれば眠り、朝が来ればまた目覚める。


 自分に割り当てられたこの部屋で、どれくらいそれを繰り返しただろうか。すっかり慣れた自分の寝台で朝を迎えたことに気づいたユキは、身を起こした。寝台を整え、カーテンと窓を開けて自室の空気を入れ替えてから、身支度を済ませる。起床後に行う一連の行動も、今では意識することなく自然にできるようになった。こうした身のまわりのことを、最初にひとつひとつ教えてくれたのはエルマだった。


 ユキがこの屋敷に来てから、それなりの時間がたった。


 自室を出て厨房に向かうユキは、心が小さく浮き立つのを感じていた。夜になり、それぞれの私室に引き上げれば、翌朝までレヴィンと会うことができない。彼の近くに行ける朝は好きだった。


 厨房では、今日の食事当番であるレヴィンが、すでに忙しく動いていた。朝の挨拶を交わしてから、いつものように手伝う旨を伝えて指示をもらう。


「……味付けはこれくらいでいいな。ユキ、スープの盛り付けを頼めるか? 一杯分だけ残しておいてくれ。ゼルマは辛めが好きだから、最後にもう一度、調整する」

「わかった」


 こういうことをしているとき、レヴィンは手間を惜しまない。たんに料理好き、というよりは、誰かのために手をかけることが好きなのだろう。わかりやすく嬉しそうな顔をしているのだ。


 鍋の前に立つと、湯気に混じってスープの匂いが鼻腔に入ってくる。ユキはできあがったばかりのスープを、深皿へと盛り付けた。レヴィンとエルマと自分の三人ぶん。ゼルマのぶんを残して鍋の前を離れると、他の作業をしていたレヴィンが戻ってきて、再び味付けの調整をはじめる。


 この屋敷の空気は、静かで穏やかだ。街の雑踏を歩いたときに覚えた、目まぐるしさはどこにもない。時の流れさえゆっくりとしているように感じられる。


 朝食の準備を終えたあとは、他の仕事をしていたエルマとゼルマを呼んで四人で食卓を囲んだ。後片付けを済ませて一呼吸ついて、慣れた日常が続いたのはそこまでだった。


 それは、前触れなくあらわれた。


 はじめて見るような硬い表情をしたエルマが、レヴィンのもとへと来訪者の存在を知らせに来た。すでに応接室に通しているらしく、レヴィンと、そのうえなぜかユキとも面会を求めているらしい。


 それを聞いたレヴィンは、眉を曇らせた。一瞬だけ心を落ち着けるようにまぶたを閉じたあと、心配そうな顔で自分を見ているエルマに苦笑を浮かべて見せる。


「わかった。会おう」


 落ち着いた声でそう答えたレヴィンは、ユキに視線を向けた。


「……すまないが、付き合ってもらえるか?」


 ユキはうなずいた。事情はよくわからない。けれどレヴィンが望むのなら、ユキは隣にいるだけだ。

 そうして向かった応接室は、よく知る場所のはずなのに、知らない人間がいるだけで空気が違って感じられた。


「ボード・マシュラムと申します」


 名乗った男の声は低く、張りがあった。

 年齢は、二十代の半ばくらいだろうか。存在感のある男だった。長身だが姿勢がよく、筋肉ののった身体が体軸をまっすぐに支えている。癖のない短髪はくすんだ砂色をしていて、灰色がかった緑の瞳は目を引く色をしていたが、険しい三白眼のせいで厳つい印象しか与えない。


「返書をお預かりしてまいりました」


 送り主の名は述べないまま、ボードは書状をレヴィンの前に差し出した。

 目の前でぴたりと静止したそれを、レヴィンの黒い瞳が凝視する。その目に宿る感情をなんと呼ぶものなのか、ユキにはわからなかったが、その眼光は、これまで見たことのない鋭さを帯びていた。


 返書というからには、レヴィンが先に送っているのだろう。彼が屋敷の外の人間とこんな形でつながりをもっていたことを、ユキはこのときはじめて知った。


 ややあって書状を手にしたレヴィンは、開いたそれに視線を滑らせると、小さく息を吐いた。棘のある瞳でボードを見る。


「……これは、すぐにということか」

「お時間が必要ですか?」


 ボードはわずかに片眉を上げた。レヴィンがすぐに応じる気配をみせないことが、意外であるかのように。


「せめて身支度を整えるくらいの時間は、与えてもらいたいものだな」


 皮肉を含んだ声で返すレヴィンに、ボードは淡々と応じた。


「承知いたしました。ですが、どうかお早くお願いいたします」

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