010 平川御門からお茶の水駅
「さて、と……次は平川御門から、北に向かいます」
「休憩はもう大丈夫なのか? つむぎ」
「ええ。ありがとう、イザベルちゃん」
一息ついて、散策を再開。
天守台の脇の道を抜けて、静かな道を進む。
こちらの道には、あまり物見客がいないようだな。
「この先の門は、大奥で働く女性の出入り口だったんですよ」
「オオオク?」
「建物の奥のエリアで、将軍の妻子や側室の居所です。男子禁制で、女性がたくさん働いていたんです」
「ほう……」
男子禁制の女主人の館か……ということは、世継ぎを作るための場所であろうな。
そして女性ばかりが働く場所か……。
想像するまでもなく、大変そうな職場である。
「あそこが、平川御門です」
静かな道を下った先に、ひっそりと門が建っていた。
門を出た先には、巨大な建物がそびえる。
「また現代の世に戻ってきたな。建物が大きい」
「ふふ。あの建物は、毎日新聞社です。江戸の時代には、御舂屋という将軍家の食事で使うお米を精米したり、お祝い用のお菓子を作ったりする施設があったんですよ」
「ほう。将軍の台所、といったところか」
城の裏手に、食品の加工場。
もし魔王城で働く兵や使用人たちの食事を全て賄うとしたら、このぐらいの規模は必要なのだろうな。
「えっと、次は御茶ノ水に行きたいから……神保町を抜けていきましょうか」
スマホで地図を確認していたつむぎが、次の目的地へと歩き出す。
大きな道路を渡り、緩やかな坂を上っていく。
「神保町は、古本屋さんがたくさんあって有名な場所なんですよ。そのため本を読みながら片手で食べ――」
楽しそうに歩きながら、これから向かう場所の説明をしていたつむぎ。
そんなつむぎの歩みが止まり、会話が途切れる。
「……つむぎ?」
つむぎはぼんやりと、何かを見上げていた。
視線の先は大きなビルで、少年の絵と文字の書かれた幕が掲げられている。
「アプリ……記念……」
「あっ! えーっと……神保町は本の町で、出版社も多いんですよ」
「シュッパンシャ?」
「簡単に言うと、本を作っている会社です」
組織だって本を書いている場所、ということだろうか。
気を取り直したのか、つむぎがビルについて説明を始める。
「あちらは小学館。こちらは、集英社……かな」
「あの少年の絵の幕は、何だ?」
「あれは、漫画アプリの周年記念垂れ幕ですね。お祝いと宣伝を兼ねてるんだと思います」
「マンガ? アプリ?」
「えっと、こういうのです」
地図を映していたスマホをいじり、なにやら白黒の絵を映しだすつむぎ。
白黒の絵は何枚も続いており、どうやら物語になっているようだ。
「これは……すごい絵本であるな。スマホでは、読み物もできるのか」
「え……はい! 結構色んな出版社さんが、色んな漫画アプリを出してるんですよ。私のおすすめは――」
我がマンガに興味を示したことが、つむぎは嬉しかったらしい。
いくつかのマンガの読めるアプリを、我のスマホにも入れてくれた。
詳しくはわからんが、後でモリーに聞けばなんとかなるだろう。
「ありがとう。魔王城に戻ったら、ゆっくり読むとしよう」
「ふふ、ぜひ! あ、古本通りに着きましたよ」
出版社から少し行った道を曲がると、雰囲気が一変する。
細い通りに、所狭しと書店が連なっているのだ。
「本当に、古い書物や資料がいっぱいだ……」
入り口を見るだけでもわかる、蔵書の量。
道にまで何かの、古地図やポスターのようなものを並べている店まで。
古書を求める人の往来も、かなり多いようだ。
「神保町の古本屋さんは、本が傷まないように入り口が北を向いてるんです。それに本を読みながら片手で食べられる、カレーライスも有名なんですよ」
「そうか……ふふ」
「あ、また食べ物の話と思いましたね?」
「いや、そんなことは……ふふふ」
「別に私だって、食べ物のことばかり考えてるわけじゃないです!」
「ああ、それもわかっている」
本だらけの細い道を抜け、再び坂道を登っていく。
人々の往来がかなり多い道を進んでいくと、ガラスのアーチが美しい建物にさしかかった。
「ガラスの……ホール? 美しい建物であるな」
「ここは確か……やっぱり、明治大学ですね」
スマホで確認しながら、つむぎが答える。
「学び舎、なのか?」
「ええ。このあたりは大学発祥の地でもあって、大学がたくさんあるんですよ」
「そうか」
見渡すと、確かに若者が多い。
食事処の看板も、肉や大盛の絵が多く感じる。
坂道を進み駅に近づくほど、雑貨や楽器など煌びやかな店が増えていく。
「着いたー! 御茶ノ水駅だ」
坂を上りきった場所に、御茶ノ水という駅はあった。
こころなしか、息が上がっているつむぎ。
「つむぎ、疲れていないか?」
「あ、大丈夫です。それにあそこの橋で、少し休むので」
「橋?」
息を整えるつむぎの視線の先に、車も通れるほどの立派な橋が。
嬉しそうに微笑みながら、つむぎは我を橋へ連れ立つ。
「これは……見事な渓谷だな」
橋の下は川の流れる渓谷になっており、電車の道が交差するように二本続いている。
上の道にはオレンジの線の電車が、下の道には赤い車体の電車が走り抜けていく。
「絶景ですよね。電車を入れて、写真撮れるかな……」
少し焦りながら、スマホを構えるつむぎ。
周囲を見回してみると、つむぎと同様にスマホを構える人が何人か見られた。
それも納得できるほどに、橋からの景観は素晴らしい。
「しかし、東京にこのような自然の景観があるとはな」
「ふふふ……」
「ん?」
ふと我がつぶやいた言葉に、つむぎが含みのある笑い方をする。
そして得意げに、語り始めた。
「実はこの渓谷、人工的に開削されたものなんですよ」
「なにっ!?」
「戦国武将にして初代仙台藩主――伊達政宗公が、開削普請を担いました」
この渓谷は、人の手によって作られたものなのか。
それも、武人の手によって――
「防衛のための外堀と、洪水対策の面もあったとか。そして仙台藩の工事の後、神田川と呼ばれるようになったそうです」
歌に歌われたりもして有名な川なんですよと、つむぎは言う。
人々を惹きつける美しさを併せ持つ、自然の防壁か。
なんとも粋な武人がいたものよ。
「ダテマサムネとやら、洞察力の高い人物であったのだな」
「そうですね。戦国時代の武将として有名ですが、私は太平の世で土木で才能を発揮されたお話も好きです」
「そうか」
戦の将から、都の事業家か。
また一つ、面白い話を聞かせてもらった。