豚の角煮もどき
さて今回は、車麩を使った「もどき料理」のお話になります。
ある日、遠くに住む知り合いのお坊さんから、和尚さんのところへ車麩がたくさん送られてきました。
車麩というのは、練ったお麩の生地を鉄の棒に巻きつけ、回転させながら生地を重ねて焼いたものです。
輪切りにすると車輪のような形をしていることから、その名が付いたと言われています。
和尚さんは、里の人々にも車麩をお裾分けしてくれたので、みんなは大喜び。
「せっかくだから、車麩で『もどき料理』を作って、和尚さんにも食べてもらおう」
そんなふうに喜助が考えておりますと、同じようなことを考えていた者達が喜助の家へと集まってきたので、みんなで一緒にもどき料理を作ることになりました。
「さて、何を作ろうかね」
喜助が言いながらみんなを見回すと、ミツが思いつきを口にした。
「面白い形をしているから、それを生かせる料理がいいんじゃないか?」
すると五郎が首をひねる。
「こんな荷車の車輪みたいな食べ物なんか、あるかね?」
「このまんま使わなくたっていいんだよ。半分にしたり、四つに切ったり……」
ミツが答えると、今度は源太という鍛冶屋の倅が口を開いた。
「それよりも、こんなカチカチに固まってたら、食えたもんじゃないぞ」
それを聞いた、ハナという若い娘が呆れた声を出す。
「日持ちするように乾燥させてあるからカチコチなんだよ。このまんま食べるわけないだろう? 水や出汁でもどして柔らかくするんだよ」
みんなで話し合っていると、それまで黙っていた爺さまが口を開いた。
「昔、わしが暮らしていた土地では、『とんぽうろう』と呼ばれる異国の料理を真似て、豚の角煮を作ることがあってな。この車麩を四つ切りにして、濃い煮汁に漬け込んだら、似たような見た目と味になるかもしれん」
この爺さまは、ずいぶん昔に船で近くの浜辺へと流れ着き、里の人々に命を救われた過去をもつ。
その時、一緒に助けられた他の人々は故郷へと帰って行ったらしいが、爺さまは「恩返しがしたい」とこの地に残り、今に至るのだとか。
「豚の角煮か、旨そうじゃないか。爺さま、どんな味付けだったか覚えてるかい?」
喜助が尋ねると
「はっきりとは覚えとらんなぁ」
爺さまが自信なさげに答える。
そこへ、ウメ婆さんが
「いろいろ試しながら味をみているうちに、思い出すかもしれないよ。とりあえず、やってみたらいいじゃないか」
と言って、夫である爺さまの背を押した。
「よし、それじゃまずは煮汁作りから始めるか」
喜助の声かけに、みんなは早速作業へ取り掛かった。
「煮汁といやぁ、醤油と酒と……みりんかね? とりあえず、その辺を適当に混ぜ合わせて、爺さまに味見してもらいながら入れる量を変えていこうか」
初めは少量ずつ混ぜ合わせて味見してもらい
「もうちょっと甘かったはずだ」
とか
「これじゃ甘過ぎる。あと少しだけしょっぱくしてくれ」
などなど、爺さまの意見を聞きながら調味料を足していく。
そして、とうとう
「かなり似てる」
と言わしめる味にたどり着いたが、爺さま曰く、どうにもひと味足りないのだとか。
「ちょっと辛みがあって、さわやかな風味だった」
という爺さまの言葉に、みんなは頭を悩ませる。
「何だろうなぁ。貴重なものだと手に入らないしなぁ」
「辛いんだろう? 唐辛子ってのは、舌がピリッとするらしいぞ」
「山葵かもしれないよ。ツンとした辛みがあって、スウっとするじゃないか」
「そんなら生姜はどうだい? さわやかでピリッとするよ」
「生姜ならあるから、試してみるか」
そういうわけで、小さな器に煮汁を少し取り分け、擦り下ろした生姜を加えてみる。
味見をした爺さまは目を見開き
「これだ!」
と声を張り上げた。
「なんだい急に、びっくりするじゃないか。……って、もしかして生姜で合ってたのかい?」
喜助が尋ねると、爺さまは大きく頷いた。
「これで『豚の角煮もどき』が作れるね。それじゃ、車麩を柔らかくもどしておこうか」
ハナが立ち上がると
「そんなら昆布があるから、その出汁で車麩をもどそうか」
とミツも後に続く。
車麩を出汁につけている間、爺さまから豚の角煮についての詳しい話を聞き出す。
とろとろの食感であることや、かなり濃い味わいであることなどから、味が染み込みやすいよう揚げ焼きにした後で煮汁とからませよう、という話になった。
しばらくして車麩が柔らかくなると、もどき料理作りが再開された。
まずは、喜助が車麩の水気をよく絞り、四つに切り分ける。
それを受け取ったミツが片栗粉をまぶし、多めの油を入れた鍋に並べていく。
鍋の前で待機していた源太は、箸でひっくり返しながら車麩に火を通し、両面にこんがりとした焼き色がついたところで、五郎に声をかける。
「煮汁を入れとくれ!」
五郎が鍋に煮汁を注ぎ入れ、しばらく煮立たせてから喜助は火を止めた。
「もっと煮込まなくていいのかい?」
ハナが聞くと
「車麩は鍋に入れる前に柔らかくもどしてあるし、味が染み込むのは冷めていく時だから、こんなもんで大丈夫だろう」
と喜助は答えた。
ウメ婆さんが茶を淹れてくれたので、それを飲みながら味が染みるのを待ち、ほどよく冷めたところで皿に取り分け、まずは爺さまに食べてもらう。
皆に見つめられながら、爺さまが口に入れる。
「どうだい? 爺さまの言ってた豚の角煮と同じ味かい?」
尋ねられた爺さまは、「うむぅ」と小さく唸った後、なんとも言えない表情で口を開いた。
「なんというか……見た目や味付けはそっくりだと思うんじゃが、どうもふにゃっとしすぎてるように思えてなぁ。豚の角煮と言うには無理があるかもしれん」
爺さまの言葉に一同は肩を落としたが、ウメ婆さんだけはシャキッと背筋を伸ばし
「豚の角煮なんか、私らも和尚さんも食べたことが無いんだから、ふにゃふにゃだって構やしないよ。味が旨けりゃいいんだから」
と言って、他のみんなにも角煮もどきの皿を配った。
「さぁ、旨いかどうか食べてみようじゃないか」
ウメ婆さんに促されて、みんなもそれぞれ口に運ぶ。
「おや、美味しいじゃないか」
「うん、味が濃くて旨いよ。酒が飲みたくなるな」
「じゅわっと煮汁がしみでてくるのがいいね」
「そこまでふにゃふにゃだとも思わないよ」
「本物を食べたことのある爺さまには物足りないかもしれないが、これはこれで旨いんじゃないか?」
「みんなもこう言ってるし、もどき料理は大成功だよ。ほら、そんな辛気臭い顔してないで一緒に喜びな」
ウメ婆さんが最後にそう言うと、爺さまは皺だらけの顔をさらにクシャクシャにして、ようやく笑顔になった。
その様子を見ていた五郎が
「なぁ、爺さまが故郷に帰らずここに残ったのって……もしかして、ウメ婆さんに惚れてたからなんじゃないか?」
と小声で言うと
「そうかもしれんなぁ」
と源太が相槌を打つ。
その後、今回のもどき料理の発案者である爺さまと、ウメ婆さんが、みんなの代表として和尚さんの寺まで届けに行くことになりました。
豚の角煮もどきを手渡すと、和尚さんは大喜びで
「他のみんなにも伝えて欲しい」
と、何度もお礼を口にしていたそうです。
そしてその帰り道、爺さまがずいぶんとしんみりした表情をしているものですから、ウメ婆さんは気になって尋ねました。
「どうしたんだい? 懐かしい味の料理を食べて、故郷が恋しくなっちまったのかい?」
爺さまは、ゆっくりと首を横にふります。
「いんや、違う。出会った頃のことを思い出してたんだよ。嵐に巻き込まれてこの地に流れ着いて……船に積んでた商材もみんな駄目になって、途方に暮れてたわしに、『あんたは運が良いね。命が助かった上に、こんな別嬪に怪我の手当てをしてもらえるんだから』って言って、笑ってくれただろう? あの時のウメの言葉と笑顔に、どれほど救われたか……」
「いやだねぇ。そんな昔のこと、いつまでも覚えてないで、早く忘れとくれ」
そう言うと、ウメ婆さんは爺さまを置いて先へ先へと歩いて行ってしまいました。
その時のウメ婆さんときたら、まるで乙女のように華やいだ表情をしていて、それはそれは可愛らしかったものですから、爺さまが故郷へ帰らずこの地に残ったのも、至極当然の選択だったと言えるでしょう。