刺身もどき
ある日の夕暮れのことでした。
畑仕事を終えた喜助の家にミツが訪ねてきて、何やら二人で作ったものを食べながら、話をしております。
「どうだい?」
そう尋ねる喜助に
「見た目も味も、ただの薄っぺらいコンニャクだね」
とミツが答える。
皿の上には、薄切りにしたコンニャクが並んでいる。
喜助はそれを刺身に見立てて、和尚さんに食べてもらおうと思っていたのだ。
しかし、味見をしたミツからは
「こんなもの、『もどき料理』でも何でもないよ。似ているのは形だけじゃないか。『刺身もどき』だって言うんなら、もう少し柔らかい歯ごたえにしなきゃ」
と辛辣な感想を浴びせられてしまった。
喜助とミツは以前、和尚さんにのために『ウナギもどき』を作ったことがきっかけで親しくなり、喜助が新しい『もどき料理』を考案するたびに、ミツが味見をしている。
ミツは、良いことも悪いこともハッキリと言ってくれるので、喜助はとても信頼していた。
「刺身に似た、柔らかい歯ごたえか……」
その晩、喜助は布団の中でも色々と考えてみたものの、結局いい案は浮かばなかった。
あくる朝、畑で採れた野菜を売りに町まで行くと、何やら行列の出来ている店がある。
「何の行列だい?」
一番後ろに並んでいた若者に尋ねると
「蕎麦粉で作った刺身が食べられるんだとよ。安くて旨いって評判なんだ」
と答えが返ってきた。
蕎麦粉の刺身と聞いて、ぜひとも食べたくなった喜助は、持ってきた野菜を売った後に、行列の最後へと並んだ。
しばらく待たされてから店内に入ると、右も左も皆んながみんな、平べったい蕎麦を箸でつまんで食べている。
「あれが蕎麦粉の刺身かい? 同じものをもらおうか」
注文してすぐに、他の客が食べているのと同じものが運ばれてくる。
喜助は箸でつまみ、麺つゆをつけて口に入れた。
わずかに弾力はあるが、歯ごたえは柔らかく、コンニャクよりはよほど刺身の食感に近い。
喜助はお代を払うと、店主に頼み込んで作り方を教えてもらうことにした。
肉や魚を食べられない和尚さんに、もどき料理を食べさせてあげたい。
喜助が事情を説明すると、誰にも口外しないという約束で、作り方の詳しい手順を教えてもらえた。
翌日、喜助はミツを家に招いて、二人で蕎麦粉の刺身を作り始めた。
「よし、まずは寒天を水に溶かしてから火にかけてくれ」
喜助に言われて、ミツは粉状の寒天を水で溶き、小鍋に入れて温める。
その間に、喜助は蕎麦粉を入れた器に少しずつ水を加えながら、だまにならないようによく混ぜる。
「寒天が溶けたよ」
ミツの声かけに
「それじゃ、裏漉しを頼む」
と喜助が返す。
ミツが、ザルに布巾をかぶせて寒天を裏漉しすると、喜助は溶いた蕎麦粉とよく混ぜ、再び鍋に入れた。
「こいつを弱火でじっくり温めながらよく混ぜると、ツヤツヤしてくるんだとよ」
「へえ、おもしろいねぇ」
ミツが感心したように相槌を打つ。
しばらくの間かき混ぜながら火を通しているうちに、ツヤが出てきた。
「よし! こんなもんで良さそうだな」
喜助は鍋を火から下ろして、中身を四角い型に流し込んでいく。
「その四角いのは何だい?」
ミツが不思議そうに尋ねる。
「寒天を固める時に使う型なんだってよ。蕎麦屋の店主が一つ貸してくれたんだ」
「ずいぶん親切な人だね。今度、何かお礼をしなきゃいけないよ」
「そうだな。型を返しに行く時に、野菜も一緒に持って行くことにするか」
寒天が固まるまで待つ間、二人は使った鍋や何かを井戸水で洗って片付け、茶を淹れた。
「寒天は冷やさなくても固まるのかい?」
「そうらしい。一度固まると、ちょっとやそっとの熱じゃ溶けないんだとよ」
「それは良いね。暑い日でも安心だ」
話しているうちに寒天が固まり、蕎麦粉の刺身が完成した。
喜助は包丁で切り分けて小皿に載せ、ミツに手渡す。
「食べてみな」
「はいよ。それじゃ、いただきます」
ミツは早速箸でつまんで、口へと運ぶ。
「うん、美味しいじゃないか。刺身そっくりとは言えないけどさ、コンニャクよりもずっと良いよ」
「よし、後で和尚さんのところへも持って行くとするか」
「それじゃ、私はそろそろ帰るよ」
「もう帰るのか? ……そんなら、ミツも一緒に寺まで行ってくれないか?」
「あたしもかい? 別にいいけどさ。わざわざ二人で行く必要もないんじゃないか?」
「うん……。まあ、そうなんだけどさ。なんだろうな、もうちょっとミツと一緒にいたいなと思ったんだよ」
喜助が耳まで赤くして下を向く。
ミツは目を瞬いて、そんな喜助を見つめながら口を開いた。
「あんたも、もの好きだねぇ。あたしみたいな口うるさい跳ねっ返りと一緒にいたいだなんて」
「仕方ないだろう。惚れちまったんだから」
「何だい、仕方ないって。そんな口説き方じゃ、誰も嫁に来てくれないよ」
お互いに言いたいことを言い終えると、二人は顔を見合わせて笑った。
さて、二人の仲は、この後どうなったのか。
それはきっとご想像のとおりです、とだけ申し上げて、今回のお話は締めくくらせていただきたいと思います。