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美少年1

すこし長めにします。

「向こうで一泊してゆっくり帰ってこいや、車は明日でええ」


 国境のハートレックでカンボジア側から迎えが来ていると思ったのでちょっと意外だったが、四千バーツの報酬は魅力的だった。


「まあそれくらいならいいですよ」

「よっしゃ決まりや、向こうではここのゲストハウスに泊まれ」

と住所と電話番号をおしえる。

 

ハートレックには二時に着き、国境越えに一時間かかった。私の入国審査は五分だったが、カンボジア人たちは時間がかかった。密出国ではなく、自分の国に入国するわけだから審査はゆるかったが、審査官は袖の下を要求していた。


 カンボジア側にはいってから、道路事情が一変した。タイ側は曲がりなりにも舗装道路だったが、トムが言っていたオフロードはここからはじまった。


 急峻なカーブとアップダウン、タイ側では右手は海か土産物屋だったのが崖になり、左手は山になる。ヘアピンカーブが続き、ところどころに地雷のマークと英語で「マインズ」の標識。休憩をとるガソリンスタンドもない。


 これはたしかに料金倍じゃなきゃと思いながら、運転に集中する。緑が多くて目が痛いくらいだ。たまにぬかるみにタイヤをとられそうにもなるが、このトラックは四駆なので無理やりすすむ。うしろのカンボジア人たちは国境前とはうらはらに、陽気にしゃべっているようだ。


 何度か対向のバスやトラクターに肝を冷やされながらも、目的の町に着いた。残照がまだ明るい時間だった。

 街の中心を探していると、年長の男が道を指示してくれた。彼はバスターミナルと呼んだが、茅ぶきの破風にがらんとした土肌のあき地だった。


 バンコクのターミナルのようにバス専用でもないようだったので、茅の日傘のおばけのような構造物のちかくに駐める。

 乗る時は沈鬱な表情だった乗客がはればれした顔で荷物を取りだす。先ほどの年嵩の男が代表してお礼を述べにきた。


「あなたのおかげで助かった、どうもありがとう」

と千バーツ札を三枚よこした、すると後にいた残りの乗客がそれぞれ袋入りだったりハダカだったりしたが、百から数百バーツの金をくれた。

 こんなことは当然という顔をして受け取り、トムの言った宿泊場所へ行った。


 宿泊所のオーナーは華僑だった。早口のマンダリン(北京語)で挨拶される、少し怒っているように聞こえるのは中国人の喋り方だ。

 カオサンよりはずいぶん広くて清潔な部屋に案内された、天井に裸の大きな扇風機がのろのろとまわっている。トイレは水洗、水シャワーもついていた。


 荷物を解くが、もともと日帰りの予定だったので最低限のものしか入れていない。逆に足りないものがつぎつぎ判明した、歯ブラシ、セッケンやシャンプーなどである。

 主人に市場へ行くというと、小学生くらいの女の子を同行させるという。痩せぎすで古いTシャツと短パン、サンダルの少女が無表情でついてきた。

 市場では必要なものはすぐに見つかった、タイ語もかなり通じたので助かった。少女はついてくるだけで特にガイドとしては役に立たなかった。


 夕食どきだったので、揚げ物とスープのある屋台にすわった。そこで名前を訊いたスンという少女にはコーラを、私はビールと氷をたのんだ。タイで氷入りのビールを飲んでこの飲み方が気に入っていた。適当に指さし注文した料理がくる、大鍋で作りおきだから早い。スープとなにかの揚げ物、焼き物、めん類ともち米。ちょっと多めに頼むのは、食べられないものがあった時のためと、大陸では食事はすこし残したほうがいいという理由だ。


「スンは何歳なの」とタイ語で訊いてみると、十歳という返事。体つきはそんなものだが、表情が大人びていたのでおどろいた。

 タイのシンハビールに肥えた舌にはうすあじだったが、カンボジアのアンコールビールが運転に疲れた身体を癒やした。


 スンは先ほどまでの緊張した雰囲気から打ちとけはじめて、料理を食べてコーラを飲んだ。宿に戻って、シャワーを浴びて、文庫本をひらいた。ウォークマンで音楽をききながら、うとうとしているとドアにノックの音がした。


「スンです、あけてください」


 鍵をあけてドアを開くと薄い寝巻きの少女がたっていた。

 その時は親子ゲンカかなと思って部屋に引き入れると、ドサッとからだを預けてきた。


「お父さんの仕事をよろしくお願いします」


というようなことを言って、さらに体を近づける。

 とりあえず落ちつかせて話を訊いてみると、これまでトムが送ってきた仲介人は少女との関係を迫ったほか、さらにカンボジア側の取り分を低くするように圧力がかかっているそうだった。

 とにかく、自分は臨時のドライバーであり、価格交渉はできないと言って帰らせた。

 先ほどまでのゆったりとした労働後の心地よさから、カンボジアの国の現実に引きもどされた気分になった。


(まあ、しかし、しょうがあるまい)


 インドやタイでの経験から、そう考えたほうが楽だと思った。

 貧しさと、日本に生まれた幸運を天秤に掛けているうちに寝入った。


 いつも夜明け前に目が覚めるのだが、今朝は眩しい朝日で起きた。しかしまだ宿は静かだ。散歩に出ると、ウシやヤギが早起きして空き地をウロウロしている。道は土で朝の湿っぽいにおいがする。


(子供のころみたいだな)


 もちろんウシやヤギはいなかったが、一昔まえの練馬あたりでは土くれの道で小学校にかよったものだった。またそれより、自分の中の縄文からの遺伝がそう感じさせるのかもしれなかった。


 コーヒーとフランスパンのサンドイッチを売る屋台で、熱いカフェオレとハムとチーズ、野菜のハーフサンドイッチをたべた。ハーフと言ってもフランスパンの半分だからかなり食べごたえがある。生野菜がすこし心配だったが、事後のトイレ事情からすると結果的に新鮮だった。旧仏領インドシナだけあって、パンもカフェオレもうまい。そのうち町が起きてきた。


 宿にもどり朝食をことわって、自室で荷物をつめる。


 八時ごろに「さあ帰るか」と下階におりると、来たときのようなオジサンや親子づれが待っていた。皆、真剣な目で私を見つめる。また代表のような年かさの男が来て、


「バンコクまで連れていってほしい」

と頼んできた。


「これはトムに言われた金だ」


 タイバーツの紙幣の束をだす。ざっと見て四千バーツ内外だと分かる。

 さぁ困った、密出国より密入国が難しいのは当然だ。国境でトムから出国させてカンボジアまでなら倍額といわれ即答したのも、出るのは楽だからだ。逆にタイに入るには正規のパスポートやビザが要る。しかしこの当時タイにくるカンボジアやミャンマーの人たちは、非正規つまり偽造パスポートやビザが当たり前だった。

 中国人の亭主をよぶ。


「私はここまで人をはこぶことを条件に仕事を受けた、帰りもつれていくという話はきいていない」

 中国人には合理的に話すのがよい。

「しかしトムからの仲介人はいつもつれていってくれた」


 ワンという宿の亭主はにこやかにこたえた。

 ここでトムに連絡するのはムダだと思えた、どうせ電話してものらりくらりとかわされるだけだ。

「じゃあ、料金の値上げをしてほしい」と言うと、「ゆうべ娘を抱かなかったのは貴様の勝手だ」とこたえる。主人の娘を歓待に出していたのもびっくりだったが、ここでやってみようと思ったのは、子供ながらの義侠心だったか。


 空荷で帰るより、今の生活を少しでも良くしたいと願うカンボジア人をタイへ届けるほうが、たとえ違法でもやるべきことのように思えた。


 亭主にわかったと手を振り、代表の男のところへもどって、全員のパスポートとビザを確認した。

 十六人中、正規のパスポートとビザはなんとゼロ人。

 偽造パスポートでできがよいのは八割くらいだった、ビザは国境の審査でなんとかなる可能性が高い。


「俺の名前はヒロだ、お前は」

と訊くと、代表はカンボジア名を言ったが聞きとれなかった。


 私はたっぷり朝食を入れているし、どうせ道ぞいにろくな店はないと昨日わかったので、国境まで一息に行く。


 睡眠と営養、なにより若かった私のカラダがそれを可能にした。乗客は静かで緊張していた。

 この路線のタイ側国境はハートレック、小さな浜といった意味である。逆にカンボジア側からはココンという町が国ざかいだ。


 国と国の間に一本線が通っているイメージは島国のそれであって、大陸では国境線より隣りあった町どうしがさかいになる。


 ココン側から見るタイのイミグレーションは威圧的だった。来るときは素どおりだったが、今回は適当なパスポートのカンボジア人十六人の入国審査がある。


「ABCツアーのものです」


 なるべく明るく手近のオフィサーに声をかける。

「パタヤとバンコクのツアーに十六人つれていきたいんですが」

 オフィサーは私の身なりを見て、「その客を連れてこい」と返事した。


 ここからはあうんの呼吸である。あきらかにツアー客というほど金を持っていないクメール人、ラフな格好の自称ガイドの日本人。ほどほどの金額で越境できた。


 タイ語の看板が見えはじめると、荷台の客たちははしゃぎだした。来たときの倍の人数で騒がしかった。


 ハートレックに着くと、半数くらいはここでいいとバンをおりた。


 西洋人向けのホテルをさがし、電話をかりた。バンコクのトムを呼びだす。この頃は、まずホテルの呼び出しから連絡するしか方法がなかった。


 数コールのあとトムが出る。


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