最後の仕掛け
最後の仕掛け
先日亡くなったオヤジの葬儀も無事に終わり、実家の整理をしていると、
「あ、これはまだ着れそうだわね。」母親の声が聞こえた。
どうやら箪笥から、オヤジが仕事道具にしていたジャケットが出てきたらしい。
母親もようやくオヤジを送り出せて安心したのか、
長年の夫婦関係があまりにも突然に終わりを告げてしまい、
まだまだ心の整理が付かないのか、その声にはいつもの張りがなかった。
「ねえ、ちょっとこれ、羽織ってみなさいよ。あんた似合うんじゃない?」
「そう?オレには小さくない?」」
見るからにわかる作り笑いでポンと渡され羽織ってみると、サイズはぴったりだった。
「お、ちょうどいいかも。」
「やっぱりね。後ろ姿なんてお父さんそっくりだわね。
沢山ある中でも1番のお気にいりだったの。まだ傷んでもないし、サイズも合うんだから取っておきなさいよ。捨てたらもったいないでしょ。」
「いや、でもこれ、柄が派手すぎでしょ。
赤地に金の刺繍って・・外じゃあ絶対着れない。」
「そんなことないわよ。そもそもあんたの事なんて誰も見てないって。
まだ外は寒いんだし、帰り道に着ていけば?」
「いやいや、目立ちすぎるって。どっかで絶対見られるし。下手すりゃ不審者がいるって通報されるわ。こういうのはステージで着るからいいんじゃん。」
「いいから、いいから。持っていきなさいって。」
「いらないっての。弟にあげればいいじゃん。」
「さっき別のを持って帰らせたわ。」
「そんな事聞いてなかったし。だからって俺に押し付けんなよ。じゃあ、母ちゃんが着なよ。」
「あんた私に喧嘩売ってんの?私にダイエットを強制するわけ?」
確かにそれは細身にできてるジャケットだ。
百歩どころか千歩譲っても今の母親の体形では着る事は不可能なのは明白だった。
オヤジは生前、マジシャンを職業としていた。
大人になってから母親に聞かされたのだが、それなりの実力派だったらしく、
1年中国内を駆け回り、何度か海外にも行ってたらしい。
たぶんその職業柄なのだろう、オヤジはいわゆる普段着をほとんど持ってなく、
そのかわりド派手なステージ衣装ばかりを山ほど持っていた。
若いころからマジック一筋で、俺たち兄弟がまだガキの頃から他人を驚かす事、派手な事が好きな人だった。
反面、ほとんど家におらず、遊んでもらった記憶は二人ともほぼない。
そのオヤジがもう還暦になろうとしたところ、突然旅立ったのだ。
オレが社会人になって街を出てからはオヤジとは全くというほど疎遠になっていたが、
代わりに、比較的近所で一人暮らしを始めた大学生の弟には、たまに電話をかけてきてたらしい。
第一報は、母親より弟が先に知らせてくれた。
母親は、そのあとも食い下がり、しまいには、じゃあ紙袋に入れてやるから持ってけと、
そのジャケットを最後までオレに押しつけ続け、仕方なく持って帰る事にした。
他にもシャツやらズボンやらあったらしいが、
それは、俺より一足先に帰った弟にも強引に持たせたらしい。
その後も整理は続いたが、特にこれといった物はなく、区切りのいいところで俺は自宅に帰る事にした。
外に出ると、辺りはすっかり夜になっていた。気温も昼間に比べるとだいぶ下がっていて、かなり寒い。
試しに、はーっと息を吐いてみると白くなるほどだ。このままでは体の芯から冷えてしまう。
カレンダーではもう季節は春に変わっているはずだが、体感的にはまだまだ冬だった。
しかも、今日に限って日中は今月で1番の暖かさとなり、オレはいつもの上着を着てこなかった。
「おお、寒い。失敗したな。どうしよ。」
ふと手元を見ると、片手に持ってるのは紙袋に入った、
着るのにどうしても抵抗があるド派手なジャケット。
目立つから着たくないなんて今は贅沢言ってる場合ではない。
柄の派手さを心配するより寒さを凌ぐのが優先だ。
「誰も見てないって。夜だし見えないから大丈夫。」
オレは自分に言い聞かせ、思い切ってそのジャケットを羽織り、駅に向かい歩き出した。
おかげで寒さは少し緩んだ気がした。
しばらく歩くと、気のせいなのか、
ジャケットののせいなのか、なんだか背中に重みを感じる気がしてきた。
はじめは小さな子供のリュックでも背負ってるような感覚だったが、
いくつかの交差点を曲がり、駅に近づくにつれ、そのリュックの感覚は徐々に重みを増してきていた。
普通に歩いてるだけの、俺の息も次第に上がりはじめ、「ちょっと待てよ。なんだこれ、おかしいぞ。」
どんどん足取りは重くなり、不安が増してきた。
T字路を過ぎて駅が目の前になると、もう最後は、大人ひとりおんぶしてるような感覚になり、
とうとう足がふらつくほどの重さになった。
あまりの重さに耐えかね、汗だくになり、一度ジャケットを脱ごうとしたが、なぜか腕が抜けない。
「は?嘘だろ?」
強引に力業で脱ごうとしてもびくともしない。
「ちょ、ちょっと待て。どうなってんだよ。勘弁してくれよ。」
脱げない苦しさと驚きと、あがりっぱなしの呼吸で頭が混乱し始めたオレは、
とうとうT字の真ん中で座り込んだ。
「くそっ、なんで脱げないんだよっ。」
改めてありったけの力で脱ごうとするが、どうしても腕が抜けてくれない。
何度か休み休みトライするがそれでもだめだった。
「これ、もうどうしたらいいんだよ・・・」
オレも、もう社会人だし、いい歳こいて30になろうとしてるのに、途方に暮れて今にも泣きそうな顔になりながら周りを見渡すと、俺が来た道と逆の方向から、どこかで見た事あるような男のシルエットが徐々に近づいてくるのが見えた。
顔はまだ見えないが、そいつも足がフラフラになりながらどうにかこちらに歩いてきているようだ。
酔っ払いか?
しばらく様子を見ていると「あ、兄貴?兄貴だよね?俺だよ、俺。おーい。」聞き覚えのある声に呼ばれ、見つめなおすと、そいつは俺の弟だった。手を振りながら苦し紛れの笑顔でこちらに向かってきた。
肩というか全身で息をしていて、汗だくで服も所々色が違っている。
見るからに、もう今にも転びそうだが、オレも体力の限界で動くに動けない。手を貸そうにも貸せない。
「お。おお、お前大丈夫か?こんなところでまた会うとはな。とりあえずいったん座れ。
にしても、お前も足フラっフラだな。オレより先に帰ったって、さっき母ちゃんから聞いたけど。もしかして、お前もオヤジの遺品、母ちゃんに渡されたのか?」
「そ、そうなんだよ。母ちゃんに強引にカバンににつめこまれたんだよ、オヤジのシャツとズボンをさ。いらないって断ったんだけど、どうしても持っていけってうるさくてさ。
それで、俺も家に帰ろうと思って駅に行こうとしたら、何故か道に迷っちゃって、
やっとここまでたどり着いたわけ。」
ぜいぜい息を切らしながら弟はオレの隣にドスンと座り込み、
酸素を少しでも多く吸おうと天を仰ぎながら肩掛けカバンを下ろそうとした。
「あーやっぱりダメか。下ろせない。さっきからこのカバンがどんどん重くなってきてね。
もう全然下ろせないんだよ。肩が折れそう。」
「ええ?そんな事ってあるか?どれ、手伝ってやるよ。」
半信半疑で俺は肩掛けベルトに片手を入れ、持ち上げようとした。
確かに重い。
まるでカバン全部が鉄の塊のようで、とても持ち上がらない。
「なんだこれ、マジか?」今度は両手で持ち上げてみる。全然上がらない。
何度かトライしたがびくともしない。
「ええー。どうすんだよこれ。ホントに上がらないぞ。」
「でしょ?ムリでしょ?俺もさ、どうにか首をずらしたりして下ろせないかなとも考えたんだけどさ、それやると窒息しちゃうんだよね。この重みで。」
弟はなんだかもう、あきらめの境地にいる言い方だった。
どうしたらいいんだ?何か方法は?
悩みながらそのカバンを見つめているうちに、オレにふと考えが浮かんだ。
「そうだ。そのカバンて開くのか?」
「ああ。開くには開くよ。ほら。」弟がチャックをずらすと、カバンは簡単に開いた。
その中には、財布、スマホ、家の鍵、ペットボトルジュースの他に、ステッキとシルクハット、白い手袋、オヤジのきっと1番のお気に入りというか、仕事の勝負服にしてたであろう白シャツと黒いズボンがきれいに畳まれて入っていた。
「全部出せばカバンも少しは軽くなって下ろせるんじゃね?」
「確かにそうなんだけど、それがムリなんだよ。なにせこの服だけやたら重くてさ。なんでこんな重いんだろ?ただの服なのに。さっきも出そうとしたんだけど、ダメだったんだよね・・。どうしようもなくて。あれ?ステッキとかも入ってる。いつの間に?」
「もっかいやってみ?やっぱり重いか?」
弟はカバンに手を入れ、中身をひとつづつ取り出していく。
「あれ?服も軽いぞ。うっそ。なんで?全然重くない、ほら。」片手でいとも簡単に取り出した。
「おお、やったな!カバンも下ろせるか?」
「どうかなあ?」再度トライすると、まるで何事もなかったように簡単に下ろせた。
「ええーっ。あの重さはなんだったんだ?信じられないな。気のせい?んなわけないし。」やったと言わんばかりに弟は喜んだ。
「おお、でもまあ良かったじゃんか。ひとまず安心だな。」
「ああ、そうだね。もう、どうなるかと思ったよ。」どうにか解決し、
一息ついているとまた異変が起きた。
「あ、あれ?」
「どうしたの、兄貴?」
ふと気が付くと、今度は俺の背中が軽くなっていた。
重くて重くて、脱ぎたくても脱げずにいたジャケットが、嘘のように軽くなっているのだ。
「いや、このジャケットも、さっきまで死ぬかと思うぐらい重くてな。
脱ごうとしても腕が引っかかってどうしても脱げなかったんだよ。
でもいま、メチャクチャ軽いんだ・・・。信じられん・・・」
夢でもみてるのかと自分の頬をつねりたくなったが、落ち着いてゆっくり袖を引っ張ってみると、
両腕はするするっと抜け、ようやく脱ぐ事ができた。
「おおっ。やっと脱げた。いやあ、しかし重かったなぁ。こっちもどうなるかと思ってたぜ。」
「よかったね。」
「ああ。助かったよ。」
二人とも緊張の糸が緩んだのか、安堵の表情に戻り、呼吸の乱れが収まってくると、
「あれ?ねえ、兄貴。ここってもしかして・・あー全然気が付かなったな・・・ちょっと周り見てみて。」
弟が切り出した。
「うん?どうした?ああっ!!ここはオヤジの・・・」
「そう。ここだよ、間違いないよ。ここが現場。」
「そうだな。間違いない。警察からも聞いてたし。おまけにお前、もう一つ気が付いたか?」
「え?何?カバンとかジャケットに気を取られてたからわからなかったけど?」
「ほら、見ろよ、あそこは・・」・・
「そういえば・・・そうだ。」
オレが指さした先には・・・
今、オレたちがいる場所は、オヤジが最後を迎えた場所。その現場。
オヤジはここで酒酔い運転の車にはねられ命を落とした。
そして、オレが指さした方向には、まさに今夜、オヤジがマジシャン人生で初のワンマンショーを開く予定だった、この街で1番大きい市民ホールが見えていた。
実力派ではあったけど、ワンマンショーだけは未経験らしかったオヤジは、
数日前、リハーサルをしに来た帰りに事故にあったのだ。
「きっとオヤジは今日、ここに来たかったんだろうな・・・。心残りが相当あったんだろう。だって良くみりゃあ、俺とお前でオヤジの衣装セット持ってきたようなもんじゃんか。オレはジャケット。お前はシャツとズボンで。小道具まで入ってて。すごく楽しみにしてて、やる気まんまんだったって母ちゃんも言ってたしな。」
「もしかしたら、オヤジは亡くなる前に俺たちに手伝わせたかったのかもね。」
「そうかもな。そう考えると、ジャケットもお前のカバンも重くてどうしょうもなくなって、とうとう立ち止まったってのもわかるわ。何事もなく、このまま駅まで行って、家に帰られたら困るわけだ、オヤジは。だからここで止めようと思って、何かしらマジックを仕掛けたのかもな。マジシャンだけに。オヤジはもういないから姿は見えないけど、ジャケットに何か仕掛けをして乗り移り、オレにおんぶさせてここまで来たのかもしれない。そしてお前には一番お気に入りのシャツやらズボンやら小道具まで運ばせた。だから、ここに来るまでは死ぬほど重かったのに、2人とも着いた途端、すっと軽くなった。おまけに今日は、まさにその当日だ。事故さえなけりゃあ、ちょうどこの時間に実際やってたわけだし。母ちゃんにもなんか仕掛け使って持たせたんじゃないか?それぐらいの事やりそうだぜ、あのオヤジならな。それぐらい想いがあったんだろうな。」
「そうだね。たぶん。そう考えると全部納得できるな、その最後の仕掛けもうまくいって、これできっと成仏してくれるかな。」
「ああ。きっとしてくれるさ。納得してくれないと困るよ。」
さらに見上げると、星空の中から、一瞬オヤジがオレたちに向かって微笑んでるように見えた・・・。