男として、女として意識する② **夏芽**
翌日、私は急いで夕飯を済ませて湯川家へ向かう。
「こんばんは。お邪魔します」
そう声を掛けていつものように勝手に湯川家にお邪魔する。
私の声を聞いて玄関まで来てくれたのは直生ではなくて、久しぶりに会う遥生。
「わ、遥生だー! 久しぶりだね。 あれ? なんか大きくなった?」
「ばーか! そんな急に大きくならねぇよ。相変わらずだな、夏芽」
「なっ! 遥生も相変わらずだね、その感じ。頭のいい学校に入ったから少しは大人になったかと思ったのに。残念だよ、遥生」
「るせー。っつーかさ、来るの早くね? そんなに勉強したいのかよ」
「ちっ、違うよ。勉強もするけどさ。今日は遥生に久しぶりに会えると思って楽しみだったんだもん」
私が遥生に会いたかったと伝えると、遥生は私に背中を向けてしまって。
「ばっ、ばっかじゃん。いつでも会えるだろ」
そう言って先に部屋へ行ってしまった。
「もう、変な遥生。さっきは私が来るのを玄関で待っていてくれたの知ってるんだから。先に行かなくてもいいじゃん」
私はブツブツ言いながらリビングを覗くと、おばさんと直生がいたから挨拶をした。
「こんばんは。お邪魔しまーす」
おばさんが私の方を振り返って挨拶を返してくれた。
「あら、夏芽ちゃんいらっしゃい。お勉強頑張ってね」
「はーい。今日からよろしくお願いします」
湯川家のご両親は厳しいんだけど気さくな人たちだから、私は何の遠慮もなく出入りできてる。
今では進学校へ進んだ遥生にしか厳しいことを言わないみたいだし。
だからって直生が見放された訳でもないんだけどね。
「直生、どの部屋で勉強教えてくれるの?」
「勉強は遥生の部屋でやるから先に行ってて。僕は片づけ手伝ったら行くね」
直生は偉いな。ちゃんとお母さんのお手伝いしてるんだ。
それに比べて私はダメだなぁ。
早く遥生に会いたくて、夕飯終わったら片付けもせずに家を出てきちゃった。
反省しながら遥生の部屋まで行くと、遥生は直生のテキストを広げて問題を見ていた。
「遥生、入るよ」
「ん? ああ。どうぞ」
「遥生の部屋に入るの久ぶり。なんかシンプルになった?」
「たくさん置いてあったフィギュアを片付けたくらいだぞ」
遥生の部屋をぐるっと見回すと、壁に遥生の制服が掛けられていた。
「あっ! 遥生の制服。本当だ、直生のブレザーとデザインが全然違うんだね。私、まだ遥生の制服姿を見てないんだよ。ね、着て見せてよ」
「はぁ、面倒だよ。さっき脱いだばっかだし。それに興味もないくせに」
「そんなことないよ、この制服ってかっこいいから人気あるんでしょ? 遥生似合いそうだし見てみたい」
「ふっ、俺が制服着てるの見たら夏芽が俺に惚れちゃうから、着ない」
「惚れません! いいもん。どうせそのうち見れるもん。遥生のケチ」
「はぁ? ケチってなんだよ。せっかく勉強教えてやろうと思ってたのに。帰れ、夏芽」
「ご、ごめん。謝るから勉強教えて、ねっ」
私は両手を顔の前で合わせて遥生の様子を伺う。
「分かった、もういいよ。ほら夏芽、そこ座って。どの教科やるんだよ」
良かった。
遥生はちゃんと勉強を教えてくれる。
遥生とこんな感じのやり取りをするのも久しぶりで楽しくなっちゃう。
直生とは言い合いになることなんて滅多にないけど、遥生が相手だといつも喧嘩腰の会話になるの。
でも本気の喧嘩じゃないから楽しいんだよね。
「何の教科を教えてもらおうかな。そうだな、私ね英語が苦手なの。授業中に先生が何言ってるか分からなくって」
「うーん、英語は自分で単語をたくさん暗記しろよ。グラマーは大丈夫なんだろ?」
「遥生、グラマーって何?」
「グラマーって・・・なんだろ、文法?」
「へぇ、文法のことをグラマーって言うんだ。初めて聞いた。てっきり遥生がエッチなこと言い出したのかと思ったよ」
「ばっ! ばっかじゃね、夏芽。もう本気で帰れよ。俺、もう知らねーから」
「嘘だよ、ごめんって遥生。怒ったの?」
遥生は顔を隠してしまい、私の方を見てくれない。
「変なこと言うなよな。仕方ないだろ、俺の学校の英語の授業は日本語禁止だから文法って言葉は使わねぇんだよ」
「ほんっとに、ごめんなさい。遥生、顔上げてよ」
遥生はやっと顔を私に向けてくれた。
「あれ、遥生の顔、赤いよ。もしかして熱でもあるの?」
私は昔そうしたように、熱がないかどうか確かめようと手をそっと遥生のおでこに当ててみた。
すると勢いよく遥生が私のその手を振り払い、
「熱なんてねーよ。ほんと、マジで帰って夏芽」
私は遥生に手を振り払われたことがショックで、遥生の顔から目が離せなくなって。
「ど、うして? 遥生? 私・・・、えっと」
私の顔を見た遥生がとても驚いた顔をして、
「はぁ? なんで夏芽が泣くんだよ。訳わかんねー」
私は瞬きもできず、大粒の涙を流していた。
「もう帰る。ごめんね、遥生」
そう言うと私は遥生の部屋を飛び出して、直生のいるリビングにも顔を出さず、湯川家を後にした。
びっくりした。
あんな本気で怒った遥生なんて見たことが無かった。
今までは冗談だって言い合ってたのに。
遥生はどうしてあんなに思いっきり私の手を振り払ったの。
振り払われた手よりも、心が痛かった。