2-2「アルタイル」D
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薄暗い個室の中、まったく気づかなかったが確かにルミの服だ。
化けるのってこんな感じなんだな、服にすら感覚がある。しっかし、化けるといったってなぜにルミになんだろう。
「あの~、ルミさ~ん...、」
反応がない。こちらを見つめて何も言わない彼女の眼は、文献を読み漁ってるときの彼女の目それだった。
「あの~、そこの変化魔法研究の権威であらせらるルミさ~ん?」
「でも確かに...面白いかも。」
完全に脳内研究モードだ...。
「なにか、わかる?」
「わかるわけないじゃーん。私別に変化の魔法なんてしけた学問専攻してたわけじゃないし、そもそも古代ですら体系化できなかった代物でしょ?」
「西の帝国大の研究者全員に聞いたって、髪の色変えれるほどの人なんておらんだろうに」
「やなこと掘り返すねケイ」
そう、ルミの青い髪は変化の魔法の産物なのだ。
初めて会った彼女は黒の長い髪を姫カットにしていて、目も同じ色だった。あれは三年ほど前の、晴れた青い空の美しい日のこと、昼ももうすぐやってくる、そんなくらいの朝の事。彼女が明るいうちに店に来るのは、その時が初めてだった。それまでの彼女は、見た目だけはどこかミステリアスと言うか、中身は普通だったのだが...、いや、本になってからわかったが割とポンである。が今はそんなことはどうでもよくて、とにかく見た目は冷徹という感じで、闇に紛れて現れ、ひと時の夢のように、また闇の中に消え行く、そんな感じに見えた。だからこそ、そんなパッと見からは想像もできない笑顔を彼女がふっと見せたその時、私は脳を破壊されたわけなのだけど。...いかん、思考が脱線する。そう、そんな彼女はその日、青白い光とともに、店のドアから姿を現した。
「見てケイ!!」
私は一瞬、ほんとうに戸惑った。明かりはつけていなかったものだから、少し薄暗かった店内。開いた入り口の光のその中で立つ人影は、ルミのかたちをしていて、声もルミそのもので、それでも青に輝くショートヘアと、青い宝石のようにキラキラと輝く目は、それがルミとは思わないほどで。
「どちら、さまですか?」
ルミは変化の魔法の研究をして、自分の髪の毛で試して、そんでもって実際に青いショートへアに髪を変化させてしまった。
『あれどうやったのさ』
「わかんないんだよねー。」
『わかんないって...、そん時もたしかそう言ってたね。』
「出来ちゃったものはできちゃったのよ。戻し方わかんないし。」
『戻し方分かってなかったんかい。てっきりわざとそうしてるのかとばかり思ってたよ。てかそう言ってなかったっけか。』
「そんなこと言ったっけ。でも伸びないのは楽だし、別に戻したいとは思わないかな。」
いつの間にか私は本の状態に戻っていたらしい。
目まで青くなっていた時は、なんじゃそりゃと思ったが、今こんな魔法の未知なる渦に巻かれ、成り行きで終わりのない旅行を大した覚悟もないまま進んでいく僕らには、そんなことは大したことのない事に思える。
思えば、その日からだったろうか、彼女のイメージが変わったのは。見た目のせいも大きいだろう。というより、いや、人の中身は誰にもわからない。外から見たその人は、やはり見た目と言動で認識が作られるのだろう。しかしそれでも、やはりあの日から彼女は変わったように思えた。自信がついたのだろうか。それまでの彼女も、時たまアグレッシブなところを見せたが、やはり街中で見かけたときも、そんな感じは感じさせない、見た目通りと言っては失礼だろうが、そんな印象を受けた。そんな彼女が急に博物館に行こう!とか、魔動洗濯機械治して!とか、私はうれしかったけど、少し意外とも思って、やっぱり変わったと私は思う。”変わるっ”ていう彼女の覚悟みたいなものだったのかもしれない。彼女がそうありたい、ように生きるということへの。
覚悟、覚悟か。覚悟がないのは僕だけなのかもしれない。ルミの透き通る眼は、覚悟の証だ。だから彼女は、恐れてるんじゃないだろうか。僕と行くことを覚悟したからこそ、僕が人ならざる者になることを。彼女は学者だ、最悪を覚悟している。
見た目だけでも、人のかたちをとれたら、彼女の気はどれほど楽になるだろうか?。得体のしれない何某であっても、形だけでも人であれば。彼女は分かっている、でもそれでも、見た目だけでも僕には人であってほしい、彼女はそう願うかな。
『分からないって怖いよな。』
「...うん、そうだね。」
正直、私は自分自身のことについて、無頓着というのは少し違うが、本能的に受け入れているという意味で、まったく心配の気を起こさないのだ。本質、というやつから変わってしまったのかもしれないな。
突然、ルミがおもむろに本の中に入って行った。
『ルミ?』
私も追うようにして意識を義体のほうへ。すっと足をつけた彼女の目の前で、義体のような何かが目を開けた。その次の瞬間、私の視界はその義体からのものに変わっているのだ。何とも不思議そのものである。空間系情報干渉は研究真っただ中の分野。〈完全解説!古代魔導文明と古代魔法の全て!(第四版)〉にも多少の記述しかない、体系化の内容すらも分析が進んでない分野なのだ。今度じいさんがたにあったらそのことについても長い談義になるだろう。
「ルミさんやつまり?」
「思いついたってこーと。」
「必要なものは?」
「私の名前、入れてくれたじゃん?あれってどうやるの?」
「そういうことねー。」
完全に理解した。
彼女は何でも慣れるのが速い。そこらへんに転がってる余っていた革切れで練習してもらったが、すぐに上手くできるようになってしまった。これなら小一時間もあれば、刻印と媒介結晶のはめ込み接続、いけちゃうな。さすがにそんな長い時間個室を占有するわけにはいかないから、彼女は私をもって元の席に戻った。
現代技術と同じ深度までになるところだが、彫られてる対象が対象だから何とかなることを願う。ルーンを彫る用の印を作っておいてよかった。革に打つことなんてないからか、市販されているのは見たことがない。
ライラ氏は完全に沈黙している。さすがに手洗いに行くと言い二十分近く戻ってこなかったのだ。そりゃ変にも思うだろう。それでもって帰ってきたと思ったら、いきなり小さな手帳のような本の裏表紙に、金属の印を何本も持ち出し、革を湿らせぐいぐいぐいと、ルーンを刻み込み始めると来たわけだ。ルミじゃあるまいし、聞けるわけないか。
それでもやはり、別の席ではなくライラ氏のいる元の席に戻った彼女は優しいな。私がライラ氏側で、ルミが戻ってこなかったら、何か気に障ることをしたんじゃないかと気にしてしまうだろう。かといって私がルミだったら、変に思われるんじゃないかと、別の席を選んで隠れてしまうだろう。
「...なんてことがあって、でこれがその奴なんですよー!」
ん、ルミ、ライラ氏と話してる?
ライラ氏は...固まってる。何の話をしたんだろう、考え事で全く認識していなかった。
そういえば、あの空間の中の整理、ちゃんとやらないといけないな。さっき工具を探していて思ったのだ。タンスやら机やら、家具レベルでは整頓したがその中身までぐちゃぐちゃになっている。
『ルミさんや』
「...でね、これは一昨日の事なんだけど、あごめんちょっと待って...」
『会話ふさいじゃってごめん、ライラ氏と盛り上がってるみたいだし、俺例の空間の中の整理してきたいんだけど、ルミの家具とかも含めてレイアウトしていいかな?中身までは触らないから。』
「いいよ、あ、あと濃い茶色のタンスが服入れてるのだから、それ以外なら中身も整理してくれて大丈夫!」
整理してほしい、だなつまり。
ぼそっとライラ氏に気づかれないほどの小声で私にそう伝えると、ルミはまた会話に戻っていく。すごいよなあ、だれとでもすぐ打ち解けちゃうんだもん。ライラ氏のほうも、何やら楽しそうに話している。騎士団に入るとか言ってたし、期待と不安の門出なんだろうな、軌道列車の少しの間、されど長い少しの時間、一人より二人の旅のほうが楽しくないわけがない。
私は中へ、四時間ほどしかなかったから大体でしかできなかったが、ある程度はいい部屋になっただろう。壁はないけれども。
ルミとライラ氏は、結構仲良くなったようだ。目指すところに目指すものに、多少の違いあれどしかし同じ魔法の道をすすむ仲間、話の通じるところも多いんだろう。
列車の戸が開く。蒸気が噴き出る音がして、放送用の伝声管の口から、車掌が声を張って「テラ・パシフィカ到着です」と繰り返す。わっと列車から飛び出たルミの見上げた空はもう星空に。早めに宿を見つけなければならない。駅を出たところでライラ氏と別れ、私たちは町の北の方へ。裏路地にすっと入り、ルミが入れてくれたルーンを起動する。成功した、完全に私だ。不思議だ、指を動かそうとすると指が動くように、起動しようとすると起動する。本質の干渉範囲に入れたからなのか...よくわからん。あと媒介結晶組み込み接続、やんなくてもいけた。これも謎だ。最近未知の現象に遭遇しすぎて、研究テーマが噴水のように湧いている。正直キャパオーバーだ。
「...できたね、ケイ。」
「できた、な...。」
「じゃ宿探しにいこっか。」
「その前に飯食わん?」
服もいつもの服、場所が違うだけで、一日のおわりに二人雑談して、そのまま飯となるいつもの私とルミだった。
「...ねえケイ、旅の目指す場所、決めてなかったよね。ねえケイ、私絶対あなたにかけられた呪いの謎を、その祝福の真実を見つける。それまで、…」