1-1「魔法学校の卒業生」B
雑貨屋を出たルミは、彼女の自転車にまたがる。この自転車も、実はケイが廃品から作ったものだ。
夕暮れ時をとっくに過ぎ、刻々と暗くなる街を、彼女の自転車はガタガタと音をたてながら走っていく。彼女のアパートにはほんの数分で着いた。
「うーん今日は早めに帰っちゃったし、早めに寝ようかな。」
彼女はつぶやく。
「あらルミちゃん、早かったわね。おかえりなさい。」
扉を開けた所で出会ったのは、大家のお婆さんであった。いかにも老体齢七十、というような風貌の彼女は、ルミにとっては優しく
頼れる祖母のような存在だ。
「今日で卒業だったもので。」
「そうだったの?それはめでたいね。」
軽く会釈をしたルミは、階段をあがってゆく。木の階段はキシキシと音を立て、モルタルの壁はところどころひび割れて崩れている。 木造モルタル三階建て、この町では普通くらいの建物だ。そのアパートの三階を彼女は借りていた。
今日は夕飯ぬきかな。やっぱ新しいの買わないと。 彼女はつぶやく。
元々ケイと外食をする予定だったので、夕飯の材料は買っていない。ならストックはというと、彼女の低温保存庫の魔方陣は消えかかっていて使えないのだ。
軽く風呂に入って彼女はそのまま
床に就いた。
チュンチュンと鳥のさえずりが聞こえる。ガラヴァン鳥だろうか。白い腹にこげ茶の羽のその鳥は、朝の知らせの代名詞だ。
窓から差し込んだ光がルミの瞼を貫く。まだ寝ていたいのだろう。ルミはタオルケットにくるまれたまま、ごろんとベットからずり落ちた。それから彼女が起き上がるまで、実に三十四分。
さっと身支度をすませたルミは、モルタルの壁を左肩で少し削りながら、狭い階段を駆け下りてゆく。「おはようございます!」と大家さんに一声。扉を開けて駆け出したルミの黒いコートが一瞬空を覆う。今日は忙しいのだ。
彼女が最初に向かった場所は商店街だ。まずは尽きた食料を確保しなければならない。
この町、ジダの町は交易の町、つまりは商業の街だ。テラ・パシフィカのような大きな都市と違い、この町は全体が商店街のようなもので、多くの店はメインストリート沿いに比較的バラバラに分布している。それゆえ、誘惑も多い。
「いらっしゃーい、新鮮な果物だよ!。」
「肉ー牛肉はいかがかえー。海の向こうのルクレッド産だよー!」
「芋類穀類お安くしとくよー!」
各店舗そろって朝の稼ぎ時だと、客をつろうと必死である。
「お、ルミちゃんじゃないか。牛肉パティ焼きのバンズ挟み、どうだい?」
野菜を売っている商店に一直線だったルミの足は止まり、くるっと向きを変える。
牛肉パティ焼きのバンズ挟みに一直線だ。
「おっちゃん、牛肉パティ焼きのバンズ挟み、一つおねがい。」
「まいど。五十シリングね。」
「あー、大きいのしかないや。ごめんおっちゃん、おつりある?」
「金貨一枚で千シリングね。はい、銀貨九枚と銅貨五枚。はいこれ出来たて。」
「ありがとう~!」
彼女の誰に対しても絶えない笑顔は、町のみんなの心をつかむ。
「それにしても、もっといい名前ないの?牛肉パティ焼きのバンズ挟みって、そのまんまじゃん?」「まあなあ、そのうち考えないといかんとは思ってるんだが。」
海の向こう、ルクレッド共和国から伝わったその料理は、同じく
ルクレッドから輸入される安い肉とともにザツァ全土に浸透しているらしい。
少し重たい朝食の後、ルミはまた歩き出す。買い物を終え帰宅したころにはもう昼であった。
朝が重かったし昼はいいかな。そうつぶやいたルミは数日分たまっていた洗濯にかかる。
幸いなことに、彼女の魔動洗濯機械は今は壊れていない。先代は彼女が詠唱を間違え壊れ、これも一度は壊れるもケイが直している。
ルミは魔動洗濯機械に洗濯物を放り込みながら、昨日のことを思い出していた。
「なんでなんだろう。」
そう呟いたルミにとってのケイとの約束は、ただ祝ってもらおうというだけではなかった。
あのケイが約束に遅れたことなんてなかった。いつも約束の二十分前に来る彼が、よりによってあの日に居ないなんて。心の中でルミは嘆く。
あれ俺、約束に二十分前も早く行ったことなんてあったっけ。
「あったでしょ!いつだったか忘れたけど確か冬の日だった...って、あれ...。」ルミは振り返りながら言う。しかしそこには誰もいない。
「確かにケイの声だった気がしたんだけど...。」
待て待て待て待て、俺のつぶやきがルミに聞こえた?というか俺どうしてたっけ。
昨日の夜から今までの記憶がなだれ込んでくる。水を掛けられて急に目が覚めたときのような気分だ。寝起きのもうろうとしている
間の記憶のような、昨日から今までの記憶がある。
ってまて、牛肉パティ焼きのバンズ挟み、名前そのまますぎんだろ誰だよ。てかルミ朝から牛肉パティ焼きのバンズ挟み...。
彼女が華奢なほうだからに、朝から肉ってのは衝撃が、すごい。
次から次へと出来事が思い出されていく。一つ一つ鮮明に。
よく考えてみると、こんなことが昨日にもあった。昨日はこんな急にではなかったが、叩き起こされた時のような感覚。意識が戻り、しかし意識がなかった時にもしっかり見て聞いていたような感覚。
てか寝起きのルミ...。
私の中で築かれていた彼女の印象。明るく、まじめで、しっかりしていて、それでもって優秀で...。
てかあの魔動洗濯機械、詠唱間違えて壊したんか...。
ガラガラと、いや、爆発するようにと言ったほうが正しい。彼女の印象が崩れていく。
かわいいかよ。
最初に出た感想はそれだった。
一つの仮説が浮かんだ。
昨日と今日の二つに共通すること、それはルミが私のことを考えているか否かなのではないか、ということだ。
突拍子もない発想だが、確かに今ルミは私のことを考ええている。
厄介だ。それではルミが私のことを考えていないと私は思考ができない、ということになる。
まったく困った。
これとはまた別に、もう一つ不
思議なことがある。こうやってルミの背後霊のような状態な私だが、
文章を書いている感覚がある。
不思議だ。今の私はただただこう思考しているだけの存在と思われるが、その内容を文章に表している感覚があるのだ。
とここで、私は今重大なことに気が付いた。
風呂の記憶がある。
これはまずい。忘れろ忘れろ。
記憶が鮮明によみがえってきた。
本当にヤバイ、背徳感と言うかなんというか、消えたい。逃げたい。というかこれダメだろ本当に待ってほしい。あーまってくれ。頼む、忘れさせてくれ。あー。
理性が拒んでも、思い出されるものは思い出されるのである。
一転、気持ちを切り替えたルミは起動した魔動洗濯機械を後にし、
次は部屋の掃除をと部屋を見回す。
「あれつかってみようかな」
思い出したかのように言った彼女がポケットから取り出したのは、例の魔導書だ。
しばらく掃除していなかった天井は、やはり梁がむき出しの構造だけあって蜘蛛の巣が張っている。
まだ正式にもらったわけじゃないけど、使わないってわけにもいかないしね。そう考えたルミは机の上に魔導書をおき、手を乗せた。
長い付き合いの友達の作品を手に取り、それを使えるというのは幸せなことだ。そう感慨深く思い、感傷にふける。
「ケイの魔導書...」
そうルミがつぶやいたその時だ。
彼女の魔導書は開いた。
ページがどんどんと捲れていく。百、二百、五百。その小さな本には到底入らないページ数だ。
「なにこれ...」
驚いた彼女は数歩後ずさる。しかしページは止まらない。
千、一万、百万...。遠目のルミにはパラパラとめくれるページの下の数字が、あり得ないほど大きい桁なことしか分からない。
部屋に風が吹き始める。その風はだんだんと強くなり、魔導書へ吸い込まれてゆく。
物は飛び、ルミ本人も踏ん張るも、フローリングの床に靴下だ。滑って魔導書に近づいていく。
ついにはその魔導書は、部屋の物を飲み込み、ルミをもその本の中に吸い込んでしまった。
ゆっくり書き進めてこうと思っています
小説執筆は初心者ですので生暖かい目で文章下手をあざ笑ってもらえれば
宜しくお願いします