父と母と子
021(土)?
「………………てあげるのがいいと思うんだけど」
「それは…………」
「朽木くん、お父さんなんだから」
「…………えっ?」
私は、ダイニングで食事をしている。
少し、いや、かなり焦げたハンバーグだ。しかもでかい。甘めのソースで、茹でたブロッコリーが大量に添えてある。これはおそらく晩御飯だ。
壁の時計を確認すると七時半を少し過ぎていた。
「ん、どうしたの?」
向かい側で怪訝そうな顔をしているのは小宮さんだ。少し疲れた顔をしているが。
「何の、話、だっけ?」
「えっ? 親権の変更の……、だよね」
「親権……?」
「もお、きのう中瀬さんとお話してたじゃん。朽木くんが茉弥花ちゃんの親権を持ったらって! ねえ、大丈夫?」
中瀬さん……、ああ、児相の美音か。
きょうの昼に茉弥花が来て、児相で保護することになって……。
きのう?
不安になって手元にあったスマホを覗いた。ディスプレイに表示される日付と時間。
土曜日?
茉弥花が来たのは火曜日。火曜日のはずだ。
だとすると、四日前?
私は何をやっていたんだ。
「小宮さん、僕、なんか変だった?」
「えっ、茉弥花ちゃんが帰ってから、なんかぼおっとして元気なかったけど……」
急いで頭の中をひっくり返す。
『台所の下だよ』
あのとき、床下収納庫を開けようとしていた……。
「ひょっとして、覚えてないの?」
「ん……、ああ」よく分からない。
「ゆうべ一緒にお風呂に入ったことも?」
「えっ!?」
「それは嘘だけど」
「ちょっとやめてくれよ」
茉弥花の一件があった翌日の水曜日に警察の事情聴取があって、結局、私の誘拐容疑は間違いということになりそう、らしい。
それで、きのう美音と会って茉弥花の今後について話があった、ということのようだ。
両親は否定しているが日常的に虐待があったのは確実なんだろう。児相で保護しているがいつまでもというわけにいかないかもしれない。そのために、茉弥花の親権を変更して私が引き取ればあの子を守れるというのだ。
小宮さんがあの後のことを話してくれると、ぼんやりとそういう風景が頭の中に浮かんできて、確かにそんなことがあったような気がする。
でも、それは私が頭の中で勝手に組み立てた記憶なのかもしれないけれど。
確かに、ゆうべのお風呂の件は全く思い浮かばないところをみると、一緒には入っていないのだろう。
「だから、中瀬さんが言ってたでしょ? 親権の変更って手続きをしたらって。茉弥花ちゃん絶対虐待されてるから、裁判所で認めてもらえるって」
確かに、いまの状況なら認めてもらえる可能性は高いのかもしれない。
しかし、私はこれからもずっと茉弥花を愛していけるのだろうか。茉弥花も、いまは懐いてくれているが、いずれ思春期を迎えるようになって、事実を知れば、私のことをどう思うようになるんだろうか。
それに、いまは暮らし始めたばかりで行き過ぎた躾があったとしても、本当の両親と暮らしていった方が茉弥花にとっても幸せなんじゃないのだろうか。
「朽木くん、もしかして、私のこと、気にしてる?」
小宮さんのこと? 私は小さく首を傾げた。
「親子で暮らすとしたら、私、邪魔かな? それで、茉弥花ちゃんを引き取れないの?」
「それは違う、違うよ」
「じゃあどうして、茉弥花ちゃんを助けてあげないの? ちゃんと親がいるのに施設とか、可哀そうだよ」
「小宮さん、僕はあの子の養育費を払ってないんだよ」
小宮さんは私の答えに、えっ、という怪訝そうな表情を見せた。私も、どう話を切り出していいのか分からなかったのだ。
「養育費って……」
「離婚するときに、子供を育てるために必要なお金をいくら渡すか話し合うんだ」
「うん」それは知っているという。もちろん中学生にもなればそうだろう。私は自分の頭の中を整える時間が欲しかっただけだ。
「うちの離婚は、妻が他の男と暮らすために別れたいと言い出してね。突然だった。まあ、何となく前兆はあったんだけどね、気付かない振りをしてたんだ。僕はそれを拒否することもできた。僕らの間に茉弥花がいたからね。あの子にはちゃんと両親が揃った家庭で育ててやりたかったし、そのためにお互い話し合えばもう一度やり直せると思っていたんだ」
小宮さんが、食べかけの茶碗と箸を置いて居住まいを正した。
「でも、妻が僕に出してきた資料は、あの子が妻とその男との間にできた子だっていう鑑定結果だった」
小宮さんの顔を見るのが怖くて、テーブルに置いた指先を見つめた。
「それで、僕は離婚を受け入れた。妻は養育費はいらないという。僕もその男に慰謝料を求めるなんてこともしない。ただ、茉弥花が本当の両親と平穏に暮らしてくれればいいと思った。茉弥花の4歳の誕生日が、君と出逢ったあの日が、あの子に会う最後の日だったんだ」
私は大きく息を吐いた。
「あの子は、僕の子供じゃあないんだ」
がちゃん!
食器のぶつかる音に顔を上げたら小宮さんが箸を掴んでハンバーグに突き刺し、かぶりついていた。口の周りをソースだらけにしながらふた口で全部を押し込むと、ご飯を味噌汁に放り込んで箸で二、三度掻き回してズルズルと音を立てて、まだハンバーグで頬っぺたが膨らんでる口にかき込んだ。
それで、空になった汁椀と箸を怒ったようにテーブルに叩きつけた。
「朽木くんは、なんで私を家に置いてるの? 一緒にいたらそのうちエッチなことができると思ってるから?」
「いや、そんなんじゃないよ」何を言ってるんだこの子は?
「じゃあ、なんで茉弥花ちゃんを引き取ってあげないの? 茉弥花ちゃんとは一緒にいてもエッチなことをする訳でもないでしょう? それとも、私と暮らすのに茉弥花ちゃんは邪魔だって思ってるからなの?
朽木くんは私のこと、好きだって言ってくれた。私、すごく嬉しかった。私、大好きな朽木くんと一緒に暮らしたいの!
ねえ、私と茉弥花ちゃんのどこが違うの? 朽木くん、茉弥花ちゃんのことが好きなんでしょう? 茉弥花ちゃんも朽木くんのことが好きだからこの家に逃げてきたんでしょう? 朽木くんを信じて助けを求めてきたんでしょう! 好き同士なら一緒に暮らしたらいいじゃない。
朽木くんと茉弥花ちゃんが本当に赤の他人だったら、私、茉弥花ちゃんを引き取ったら、なんて言わない。でも、好き同士なんでしょう? しかも、いまの茉弥花ちゃんを助けられるのは朽木くんだけなんだよ。好きな子が大変なときに助けてあげないなんて、私の好きな朽木くんじゃないよ!
朽木くん、もし私が困っててもいらなくなったら見捨てちゃう? そんなだったら、私、朽木くんのお嫁さんなんかにならないからね、絶対!」
小宮さんはテーブルを両手で叩いて立ち上がって、リビングのソファーに回る。
「小宮さん、気持ちはわかる。言いたいことはわかる。でも、そんな簡単に割り切れるもんじゃ……」
ソファーに置いたバッグから何かを取り出すとこちらに戻って来た。
「私、茉弥花ちゃんのお母さんにだったらなるから。私をお嫁さんにしたいんだったらちゃんと茉弥花ちゃんのお父さんになって!」
手にしたものをテーブルに置いた。ゆうちょ銀行の封筒だった。
「ねえ、きのう中瀬さんが言ってた弁護士の先生に相談してみよ。ね」
「これは?」持った感じで中身が想像出来る。
「私の貯金。お財布の中にカードがあったから昨日おろしてきたの。弁護士さんって、お金がいるって言ってたでしょう? お年玉とか、ずっと貯金してたから。ちゃんと私のお金だから大丈夫」
「わかったよ、その弁護士に相談してみる」
「ほんと?」
「ああ、僕は茉弥花が好きだ。確かに血の繋がりなんかで割り切れるもんじゃない」
とにかく、話を進めよう。それで、茉弥花の親が考えを変えてきちんと育ててくれるようになれば、それはそれでいい。
「朽木くん、お茶入れるね」
小宮さんがほっとした顔でパタパタとキッチンへ向かう。
彼女は本当に茉弥花の母親になるつもりなんだろうか。




