王子から実は転生した三十代主婦だと告白されたが私が実は転生した百歳ジジイだとは言えていない
「母とはやはり違うな」
王宮の庭園にて。
第二王太子ツェジュン様は、初めましての挨拶をした私の胸をいきなり鷲掴み、私の爽やかだった微笑みを瞬時に凍り付かせた。
ひっ。と固まった私が硬直から動けずにいるのを肯定と勘違いしたのか、もみもみと指を動かし、たゆんたゆんと手のひらで戯れる。
「なかなかぐぎゃんっ」
「ふん、ぬっ」
私は、固く握りしめた拳を巻き込むようにひねり、ツェジュン様の顎に思いっきり振り抜いた。
我関せずと俯いて立ち尽くしていた第二王太子付き侍女や侍従が目を剥き狼狽える目の前を、ツェジュン様は生垣までぶっ飛んで、生垣に映える美しい花のようにただそこに横たわった。
「殿下は変わった場所で居眠りされるのですね。ではおさきに」
起きる気配のないツェジュン様に美しいカーテシーから流れるようにドレスの裾をひるがえし、私は颯爽と立ち去った。
公爵令嬢フランシーヌ・カルヴァン。すまぬ。と、フランシーヌは思いながら歩いていた。
王子を振り抜くように殴ったフランシーヌは、さきほどの破廉恥な衝撃からか、前世の記憶を思い出したのだった。
フランシーヌは王宮の休憩室に飛び込むと、化粧直しの鏡の前で仁王立ちした。
「美しい。……何ということだ」
金色の髪はやや艶やかにウェーブを描き、細くくびれた腰が、豊満な胸と色気を隠しきれない尻を際立たせ、フェチでなくとも凝視せずにはいられぬ長い足に赤いハイヒールは似合い過ぎていた。
これが孫が好きだと言っていた悪役令嬢というやつか。紫のグラデーションにスパンコールのドレス。うむ。悪くない。
前世で百歳の大往生を遂げ、中将にまでなった男、武田民男は鏡の前で色々とポーズを決めた。
その頃、王子は。
ハッ!
ここは。私はまさか。
第二王太子ツェジュンもまた、前世の記憶を思い出した。
三十代主婦、鈴木静香、酔っぱらい運転の犠牲者だった。
お腹の中には子供もいた。まだまだ人生これからだった。
それが、今はどうだ。この第二王太子ツェジュン、十六歳にもなろうというのに初めて会う婚約者の胸をいきなり鷲掴むという暴挙。これじゃまるでざまあ確定馬鹿王子じゃないか。
な?!まさか!これが異世界転生か?!
ツェジュンは生垣に乗っかったまま、くるくると表情を変え、狼狽える侍女や侍従が青ざめて医者の手配をと騒ぎ出した時。
「静まれ。これくらい大丈夫だ。それよりも、先程の……カルヴァン公爵令嬢を呼び戻せ」
ツェジュンは生垣に乗っかったまま、侍女に命令した。
早く帰っていればよかったと、休憩室で侍女に捕まったフランシーヌは再び庭園に戻ってきた。
白く華やかなガゼボで、ツェジュンは優雅に茶を飲んで待っていた。
「お待たせしてしまい申し訳ございません」
「なに。私が勝手に待っていたのだ。座ってくれ」
「ありがとうございます」
何事もなかったように、静かな時が流れ、フランシーヌがお茶でひと息つくと、ツェジュンは口を開いた。
「さきほどはすまなかった。真摯な言葉に偽りはない。心からの謝罪を受け取って欲しい」
頭は下げないが心から悔いているのだと、ツェジュンは真っ直ぐにフランシーヌを見て言った。そして、その匂い立つような美しさに息を飲んだ。気高く美しいとはこのことだとツェジュンは思った。
「勿体ないお言葉の数々。胸に刻みましたわ」
フランシーヌは、謝罪を受け入れながらもチクリと嫌味を含ませることも忘れなかった。だがしかし、改めてよく見てみるとこの馬鹿王子、可愛い顔をしている。まるで少女のように可憐な唇に、人形のようなぱっちりとした瞳は青く透き通る海のように美しい、とフランシーヌはごくりと喉をならす。
「ツェジュン様〜ぁ」
そこへ、甘ったるい語尾で遠くから駆けてくるピンク頭とピンクドレスの女。
ツェジュンは、きたー!と顔を引きつらせる。馬鹿王子をたぶらかし堕落させる男爵令嬢だ!
その時、フランシーヌの手元がキラリと光る。
「きゃっ」
ピンク頭が突然眩しそうに体勢を崩し、グキッ、と嫌な音をさせて倒れ込んだ。
フランシーヌは素知らぬ顔でコンパクトを隠す。
キーキーと痛い怖いフランシーヌ様がと叫ぶピンク頭を、執事の指示で顔立ちのいい侍従が取り囲むと、上機嫌ですんすんと上目遣いで甘え出した。
「カルヴァン嬢……私に婚約者を愛称で呼ぶことを許して貰えないだろうか」
「構いませんわ、殿下」
「嬉しいよ、フラウ。私の事もツェウと呼んでくれ」
ツェジュンは立ち上がって腕をフランシーヌに向けると、フランシーヌもまた立ち上がり、ツェジュンの腕に手を乗せた。
「移動しよう。ここは騒がしい」
「ええ。花の香りがキツくてお茶が楽しめませんもの」
漂ってくるピンク頭の香水が、むわりと生暖かい風にのってガゼボに侵入してきていた。胸焼けがするので気分的に生暖かい風を感じる。
ツェジュンはフランシーヌを連れ出す事に成功して心の中で、ストライカーが如きガッツポーズを決めた。このままピンク頭を排除して、このカッコいいお姉様と生涯を共に。
フランシーヌはピンク頭の排除に成功し心の中で、胸に右腕を当てて国歌斉唱した。このままピンク頭を排除して、この清廉可憐な乙女、いや王子を生涯守り抜こう。
二人は王宮の荘厳な回廊を歩いていく。まるで教会のバージンロードのように。
そして再び庭園のガゼボに、大きなお腹を抱えたフランシーヌと、側に跪くツェジュンの姿があった。
「今、お腹を蹴ったわ」
「うん。私の手に当たった」
とても幸せだと言うフランシーヌに。ツェジュンは告げる。
「実は私には前世の記憶がある」
昔ここでフランシーヌに殴られた時に思い出したと。
「フランシーヌのおかげで今がある。愛してる」
前世は三十代の主婦だったと、愛らしい瞳を真っ直ぐに向けてくるツェジュンに、フランシーヌは優しく微笑む。
「私の可愛いツェウ。本当に、可愛いらしい」
フランシーヌの手がツェジュンの頬を包む。
ふふ。三十代といえば女の盛りではないか。素晴らしい。私こそ幸せ者だよ、ツェウ。だがしかし、実は私にも前世の記憶があるという事は伏せておかねばなるまい。百歳のジジイなどと打ち明けてしまっては、ツェウの「カッコいいお姉様」ではいられなくなってしまう。介護の妄想などされてはたまらん。
ツェジュンは、温かいフランシーヌの手と、お腹の中で遊んでいる我が子を思い、フランシーヌは、可愛いらしいお腹の子とツェジュンの柔らかい頬を感じて、幸せだと呟いた。