情況悪化? 王女のたくらみ
よくわからない出来事でしたが、わたくしとハヴェルの心には残りました。
数日後、ロゼンが動かなくなり、解いて布と綿に戻した後、綺麗に洗って乾かしました。再び縫い合わせると、いつもなら別の人格が宿るのに、そのぬいぐるみはまたロゼンになりました。
「ヒメ」
「ええ」
「ロゼン、オソウジ」
はたきをしっぽに絡めとって、ロゼンは元気にお掃除しています。わたくしの錬金術は、進歩したのかもしれません。
その、帰り道のことでした。
「姫さま」
ゆっくり進む馬車の横に、ひとりの男の子が来て、馬車に会わせて歩き始めました。ハヴェルが剣の柄に手をかけます。
男の子は扉に手を置いて、にやっとしました。何日も洗っていないような脂じみた顔で、もさもさした髪で目許は見えません。服も、めったやたらに着込んでいて、しかもそのどれもが破れているか裂けているかで、靴は左右で違います。宿無しです。
「姫さま、幾らか恵んでくれないか。弟が熱を出して、薬を買わなくちゃならない」
「弟さんが?」
つい、同情してしまいました。宿無しさんは、ますますにこにこします。
「そうなんだ」
「姫さま、そういうのは常套句だよ」
「姫さま」宿無しさんはハヴェルの言葉を無視して、わたくしにだけ話します。「俺はあんたの将来に関わってる。あんたの子どもや、そのまた子どものためだと思って、今、俺を助けてくれ」
どきっとしました。もしかして、このかたが、わたくしが数年後にやることに関わっている……?
わたくしはお財布をとりだすと、金貨を二枚、宿無しさんの掌にのせました。宿無しさんは驚いたようでしたが、ありがとうと叫んで走っていきます。「姫さま、金貨が一枚あったら半年は揚げ菓子を」
「フロイント・ハヴェル、彼を追いなさい」
ハヴェルが戻ったのは、翌日の朝でした。
たまたま、学校はお休みだったので、わたくしはハヴェルの報告をしっかり聴くことができました。普段は食べるか寝るかのハヴェルですが、剣と隠密行動は得意なのです。
「彼はラナーンとなのってる。エラストスの生き残りみたい。貧民街の子ども達の頭だったよ」
ハヴェルの報告によると、彼はわたくしのあげた金貨をつかって、薬局でお薬を買い、パン屋でパンを買い、貧民街へ戻ったそうです。彼には家族は居ないものの、弟同然の子どもが病になったというのは本当で、その為に薬を買ったようだとのこと。
彼は子ども達にパンを配り、自分もパンを食べて、余ったものは大人達に配ったそうです。
「いいかたではないの」
「でも、姫さまの考えは的外れだったよお。あの子、ああいう口上でいろんなひとから恵んでもらってるんだってえ」
がっかりしたものの、どちらにせよひと助けはしたのだと思うと気分が軽くなりました。
貴族の集まる祭典があり、王女としてわたくしも出席しました。シェケル公爵との顔合わせも兼ねています。
シェケル公爵はわたくしよりも十歳上の、二十三歳です。シェケル公爵家の先祖にはイノヴァシオン王家のひとも居て、ですので遠い親戚です。
シェケル公爵はわたくしと結婚できたら、研究を続けられるようにしてくださるそうです。わたくしの人造生命に、とても興味を持っているようでした。
「状況が悪くなってる」
あずまやへ行くとティオが居て、わたくしとハヴェルはまた、啞然としました。
ティオは以前と同じような格好でしたが、白と黒の太い横縞の靴下をはいているのが見え、なんと悪趣味なのだろうとわたくしは思わず顔をしかめます。
ティオはわたくしの表情など気にせずに、立派な装丁の本を振りました。手の爪が真っ黒です。わたくしははっとして、ティオの手に触れようと手を伸ばしました。
「怪我でもしましたの?」
「は? ファッションですけど」
「ふぁっしょ……?」
「おしゃれでしてるの。アタシの生きてる時ではこんなの普通だから」
どうやら、あまりいい世のなかではないようね……。
ティオは本を、あずまやのなかにある机に叩きつけます。
「革命の時期がはやまってる」
「へあ!?」
なんですって!
ティオはわたくしを睨んでいます。
「もしかして、お相手をさがそうとしたんじゃない?」
「そのような……あ」
「やっぱり。あのね、そいつと子どもをつくってもらわないとアタシは消えちゃうから、それはかまわないけど、革命は起こさないでほしいの」
お相手と、もう知り合っている……ということでしょうか。
わたくしとハヴェルは顔を見合わせます。ティオはまだなにかいいたそうでしたが、一旦口を噤みました。それからいいます。
「なに? ばか王女とあほ従者」
な!
怒りに震えるわたくしにかわり、意外と冷静なハヴェルが、ラナーンさんのことを説明しました。
聴くうちに、ティオの眉間の皺が深くなっていきます。
「まさか、そいつとまた接触した?」
「姫さま、可哀相だからって、なけなしのお小遣いからまた金貨をあげたんだよお。おかげで姫さま、好物の揚げ菓子を我慢してるのお」
「はっ、ハヴェル、余計なことをいわないの!」
慌ててハヴェルの口を塞ぎましたが、すでにティオには聴こえてしまったようです。きつく睨まれました。
「ばか」
「ばっ……!」
「ほかに男と会ったりしてないんでしょ。そいつで確定だね」
「で、ですが」
「幾らなんでも、ホームレス……宿なしとの結婚なんてゆるしてくれないでしょ」
「う!」
それはそうです。
ついでに、彼は、十数年前に滅んだエラストス王国の生き残り。エラストスとイノヴァシオンはいがみあっていて、エラストスを滅ぼしたのはイノヴァシオンです。
ティオはそのことを知らないようでしたのに、ハヴェルがご丁寧にも説明し、呆れた目を向けられました。ぐぐ、どうしてイノヴァシオンの王女であるわたくしがこんな扱いを……!
ティオはまた、「そいつは愛人にしたら」と助言になっていない助言をして、消えてしまいました。
わたくしはその日の研究をはやめに切り上げ、宮廷へ戻ることにしました。駐車場に御者はおらず、近くに居ためしつかいに宮廷へ戻ると告げて、ハヴェルに御者をさせました。
「姫さま、どうして怒ってるのお」
「あなたがなんでもかんでもぺらぺら喋るからですわ!」
「うー、ねえ、揚げ菓子分けてあげるからさあ、機嫌直してよお」
ぷいっと顔を背けると、ラナーンさんが走ってくるのが見えました。
その時、わたくしの頭に閃きが走ったのです。
「姫さま、今日はいつものお礼に、これを」
「ラナーンさん」
「え? どうして俺の名前を?」
「あなた、宮廷で働く気はなくって?」
ラナーンさんの目は見えませんでしたが、戸惑った様子でした。
わたくしはラナーンさんを馬車にのせ、ハヴェルの家へ馬車を走らせました。ハヴェルの家族は驚いた様子でしたが、わたくしが命じるとそのようにしてくれました。ラナーンさんをお風呂にいれ、髪を調え、あたらしい服を用意しろといったのです。
さっぱりとしたラナーンさんはなかなかの美男子でした。わたくしが好きになる相手だけのことはあります。
わたくしはラナーンさんが持ってきてくれた揚げ菓子を食べていました。彼は、わたくしがいつも恵んでいるので、せめてものお礼にと、これを手にいれたそうです。ハヴェルなどよりも余程義理堅いかたです。
「あのさあ、姫さま……」
「あなたには是非、イノヴァシオンで高い地位についてほしいのですわ」
「はあ?」
「わたくしを助けると思って、頑張ってくださらない?」
わたくしがにっこりして頼むと、ラナーンさんはしばらく困った顔でしたが、頷いてくれました。うふふ、わたくしの美貌も捨てたものじゃございませんわね。