貴人は秘密を身に纏う
あの後、社交界は特に問題も無く終わり皆が帰路についた。
しかし、私は少し甘かったらしい。流石にそこまではしないと思っていたが馬車は既に妹と共に出発していた。
恐らく私は仲良くなった誰かと一緒に帰る等何か理由を付けるつもりだろう。
まあいい。今日はお父様は家にいるはずだ。そして、この時間帯に帰れば声をかけられる。
いつものように『失態は無いか?』と。
一人で馬車で帰る合理的な理由を彼女は持たないだろう。そして、私が仲良くなった誰かと一緒にと話せば『ならば、お前はなぜ一人で帰った。姉ができることもできんのか』と言うのが容易に想像できる。
たぶん私が徒歩で帰って二人とも折檻、そして、その後可愛い実の娘が泣きついてお義母様が私に当たってくるというのが今回の決着点だろう。
憂鬱だが今できることは無い。今後は妹の行動パターンの予測を少し変えよう。
そう思いながら屋敷に向かって歩き出した。
◆◆◆◆◆
今日会った貴族の名前と顔、その他の情報を頭に刷り込みながら歩く。
私にとっては死活問題にもなるから顔を見た貴族は全て覚えている。過去に一度見ただけだが、ぼんくらと言われる第二王子の顔すらいまだに鮮明に思い出せた。
記憶力はかなり良い方だろう。それが役に立つことはあっても、それで幸せになったことは今まで無いが。
今日の会場が王都から遠くなくて本当に良かった。貴族街に入るのに家紋が入った馬車が無いと少々問答が面倒だが、そこは何とかなるだろう。顔なじみも多少いることだし。
切りそろえられた林を抜けるとすぐに王都に入った。
夜とはいえまだ早い時間ということもあるのだろう。酒を飲んで騒いでいる平民達の横を通り過ぎて歩いていく。
初めてこの時間に外に出たが皆笑顔だ。内心何を考えているかわからないが。
その騒ぎ声を少々煩わしく歩いていると、酔った男が一人絡んできた。
「おいおい姉ちゃん。なんだ、ドレスなんか着て。夜の祭りをしたいってか?がはははは」
相当酔っているのだろう。濃厚な酒の匂いが漂ってくる。危険を避けるため明るいところを歩いていたが、もう少し経路を選ぶべきだったかもしれない。
「いえ、お邪魔して申し訳ありません。急いでいますのでこれで」
「つれないこと言うなよ。ほらこっち来いって」
男の手が迫る。こうなっては仕方無いと忍ばせたナイフを出そうとした瞬間、誰かが割って入った。
「マルコ。酔い過ぎだ」
「アール、いいじゃねえか。ちょっとくらい。そっちの姉ちゃんも乗り気だって」
アールと呼ばれた男性が黙って視線を送り続けていると、マルコはたじろいだようだった。
「悪かったってアール。そう怒るなよ。俺は大人しく飲みに戻るから」
「別に怒ってはいないよ。工事の完成を祝う会だ、楽しめ」
アールとやらはどうやら助けてくれたらしい。酔った男が去っていくのを見届けるとこちらを振り返った。
「すまないね。悪い奴じゃないんだ」
お礼を言おうと口を開く瞬間、強い違和感を感じた。
茶色の髪に瞳、それに土に汚れた質素な服。どこからどう見ても平民だろう。
だが、この顔の造形、背丈、立ち振る舞い。私は無意識にその名を口ずさんでいた。
「アラン殿下…………」
ぼんくらと呼ばれるこの国の第二王子の名を。
アラン殿下が目を見開いているのが分かる。失言に気づくが、もうどうしようもない。じっと瞳を見ていると彼は苦笑し、こっそりと耳打ちしてきた。
「やっぱり君は貴族なんだね。このことは内緒にしておいてくれ。俺の悪評ならいいが、最悪ここのやつらに迷惑がかかる」
「……はい。深入りするつもりはございません」
「それは良かった。別に怖がらなくていい。脅すつもりは無いんだ。しかし、帰る足が無いのか?私で良ければ力になろう」
正直、不思議に思うことはたくさんある。だが、厄介事はごめんだ。追求しないというのであればここらで退散させてもらおう。
「いえ。殿下の手を煩わせるわけには参りませんので。これで失礼いたします」
「…………いや、やはり送っていく。少し待っていてくれ」
彼は何か思うところがあったのだろうか。私を送ると言い、さっきまで酒を飲んでいた人たちにその旨を説明していた。
流石に上位者の言ったことを覆して一人だけで帰るわけにはいかないのでその様子を眺める。
周りの人たちはそれを聞いてお前らしいと笑っており、日ごろからそういうことをしているのが分かった。
噂とは明らかに違う。才が無く、努力を嫌う第二王子。毎日昼まで寝ては風呂と昼食のみを取り、その後は再び部屋に引き籠る。公の場に出ることはほとんど無く、国家の大事な式典のみと聞いていた。
あの姿を見ているとどうにもその噂は信ぴょう性に欠けるようだ。
「すまない。待たせたね」
「いえ。大丈夫です」
彼は狭い路地に進んでいく。そして、こじんまりした家の前に立ち鍵で扉を開けると中に入っていく。
不思議に思っていると、彼が開けた床下に地下に繋がる道があった。どうやらここから出入りしているらしい。
「この国の地下は昔の戦争の名残でこういった場所が多いんだ。ほとんどの人は知らないと思うけど」
「はい、存じ上げませんでした。このことは王家の方なら皆様?」
「いや、知らないと思うよ。僕も王宮の蔵書室でたまたま図面を見つけただけだし」
この人は不思議が多い。あまり深入りするのは得策ではないかもしれない。考えを巡らせていると月明かりが見え、外に出た。
「お待たせ、ゼクス」
「今日はお早いお帰りですね坊ちゃん。ところで、そちらの方は?」
この人は確かアラン様の護衛騎士。一世限りの準騎士という護衛騎士としては明らかに格が低いことから当時話題になっていたと聞いている。
ただ、その腕だけで爵位まで得たということから実績は本物、なめてかかった貴族の子息達が返り討ちに合ったという噂は少々有名だ。
「私はクレア・フォン・ウォルター。ウォルター家の長女です。ゼクス様」
「なるほど。貴方があの……いえ、失礼いたしましたクレア様。私の方が爵位は下、敬称等は不要でございます」
あの、というのがどれを指すかはわからない。だが、最近噂になってきた氷の令嬢とかその辺りだろう。私はただ邪魔をするものを排除してきただけなのだが。
「とりあえず遅くなっても悪い。さあクレア嬢、馬車に乗ってくれ」
殿下が私を馬車に乗せようとこちらに手を差し出す。王族に直接触れるという行為に少し躊躇する私の手を彼は優しく掴む。穏やかな微笑みと共に。
今宵は満月。月明かりが差し込み、足元は仄かに照らされていた。
とりあえず、前話だけだとジメジメ感だけで引っ掛かりがあったのでここまで書きました。