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幸せに繋がる扉

 翌日、早朝に目が覚めた。そして、ぼやけた頭のまま、水を飲みに天幕の外に出ようとすると、腕が何かに引っかかっていることに気づいた。

 

 なんだろうとそちらを見ると、そこにはアラン殿下が寝ており、私の手を掴んでいる。


 そして、私の頭にはだんだんと昨日の記憶が蘇ってきた。


 

「そうか、あの後…………これからのことを話して、そのまま」



 服を着ていない自分の姿に、記憶が事実であったことを確信すると、何とも言えない幸福感に包まれる。


 しばらくそうしていたが、ようやく私は殿下の手をそっと外し、脱ぎ捨ててあった服を着ると外に出た。 


 川の方に歩いていくと、ゼクスが焚火の番をしているようだ。彼はこちらを見て挨拶するように軽く手を上げる。



「おはようございます。お早いお目覚めですね」



「少し喉が渇いて、目が覚めてしまったの。貴方は、ずっとここに?」



「いえ、多少は寝ましたよ?でも、ほとんど蹴散らしたとはいえ、敵地の真っただ中なのは事実です。坊ちゃん……宰相閣下に何かあるといけないですからね。本当に無茶をする人ですよ、あの人は」



 彼は苦笑しながら肩をすくめる。



「私のせいでもありますよね。本当にごめんなさい」



「いえいえ、あの自分勝手な宰相閣下を止められるわけがないんですから仕方がないですよ。それに、その歩き方を見ると、愛はちゃんと通じ合ったんでしょう?それだけでここまで来た甲斐はありましたよ」



 下半身に少し痛みがあるのが分かったのだろうか。彼は穏やかな笑みでそう言うと火に薪をくべた。



「こりゃ、俺も身の振り方を考えないといけないですかね。主人が二人になりますんで」



「今まで通りで大丈夫ですよ。例えそうなっても、何も変わりません。むしろ、私はすぐに貴族でなくなる身ですし、逆の立場になるかもしれません」



「そうですか。でも、俺相手に態度を変える必要はありませんよ。『公の場ならまだしも、私的な場で下層だから、中層だからということで対応を分けることの意味を感じない』、そうでしょう?」


 

 以前、私が言った言葉を彼は返す。その揶揄うような目には、冷たさではなく、温かさを感じ、私は微笑む。



「そうでしたね。今後もよろしくお願いします」



「はい、こちらこそ…………それに、最近貴族が召し抱えて離さなかった医者や学者達の知識が中層や下層にも降りてくるようになって、妹の病気も治る目途が立ってきたんです」



 そこまで彼は言うと、一目で業物とわかる立派な剣を引き抜くと、天に掲げた。



「俺はこれまで以上に宰相閣下を全力で守ります。それは、あの人の生きる原動力となりつつある貴方も同じです。だから、安心してください。貴方に危害を加えようとするやつは全て排除しますから。あの人に貰ったこの剣に懸けて」



「ありがとうございます。その時は期待しています」



「ええ。こう見えて、少しは名も知られているんです。そんじょそこらの奴に負けることは決してないですから」

 


 敵の精鋭が恐れを為して逃げ帰るほど知られていることは知っている。恐らく、殿下や私が直接的に傷つけられることはないだろう。


 不浄の場所と揶揄される下層から殿下が掘り出して来た無銘の剣は、どんな名剣にも負けないほどに強く美しく輝いているように私には見えた。

 




◆◆◆◆◆




 

 その後、歩兵と合流し、指揮官に何かを伝えた後、私達の一団は自国の領地へ足を踏み入れた。


 数日後、王都に着くと、アラン殿下は私を連れたまま王の執務室へと向かった。


 私の手は力強く握られており、逃げることはできそうにない。 



 

 そして、ノックもせずに乱暴に扉を開くと、目を見開く国王陛下に構わず、声を発する。



「兄上、俺は、クレアを嫁にする!!それだけ言いに来た」



 その一言を聞いて、陛下は頭に手をやって上を見上げた後、ため息を吐いた。



「お前がそう決めたなら、何を言っても無駄だろうな。だが、それには多くの障害があるが、何とかするんだな?」


 

 覚悟を確認するように陛下がそう問いかける。それに対して、アラン殿下は、紙とペンを取り、何かを書きなぐった後、口を開いた。



「詳細は後で詳しく話すが、ある程度は道中考えて来た。俺は、この国を貴族以外にも開けたようにしたい。そして、父親の罪で平民になったクレアを娶る。彼女が誰かを知って文句を言う人間は中層や下層にはほとんどいないだろうしな」



「そうか……私もそれには賛成だよ。どこまでできるかは分からない。だが、俺達で優しい国を作りたいものだな」



「ああ。兄上と俺なら必ずできるさ。それに、父上達も俺達を応援してくれている」



 アラン殿下は、以前と変わらず、信頼しきった目で兄を見ている。



「そうだな。必ずできるはずだ。俺とお前なら」



 以前の不安は完全に払しょくされたのだろう。今の陛下も弟を信頼し、それに応えた。



「では、そろそろ行くよ。ウォルター侯爵家の差配は俺に任せて貰っていいか?」



「ああ。だがその前に、クレア嬢に一つだけ聞かせてくれ。君の意志は確かにアランと共にあるか?」


 

 それは、弟を心配するというよりも、私を気遣って出されたように私には感じた。だから、それに真心を込めて応える。



「はい。私の心は殿下と共にあります。これまでも、そして、これからも」



「そうか、わかった。これからは義兄としてよろしく頼む。それと、以前の君の言葉を訂正させてもらうよ……君は手に入れられるさ、お前が望んだものを」



「………………ありがとうございます」



 その言葉を聞いて、涙が出そうになるのを堪える。私には届かないものだと思っていた。


 とても貴重で、素晴らしいもの。


 だが、それは今、確かに私の目の前にあるようだった。






「じゃあ、そろそろ行くよ。邪魔して悪かったな」



 殿下が私を気遣うように肩を抱くと、共に部屋を出た。


 そして、扉が閉じた後、堪えられずに涙を流し始める私に、殿下は服が濡れるのにも構わず、その胸を貸してくれた。


 



◆◆◆◆◆ 





 どれだけ泣いていただろうか。恐らく私の目が真っ赤になっているのだろう。


 優し気な口調で殿下が聞いてきた。



「日を改めるか?」



「いいえ。今から行きます」



「そうか。わかった」



 そして、自分の屋敷に向かうと、周りを見張っていたゼクスと兵士達に合流する。


 


「どうだ?侯爵は中にいそうか?」



「はい。先ほど侯爵の姿が窓から確認できました」



「そうか、ならば行こう。罪を為したならば裁かねばならん。たとえそれが昔から我が家に使える伝統ある貴族だったとしてもな」



 ゼクスが先導する形で兵に囲まれた殿下と私が中に入る。

 

 事態を察した数少ない使用人たちは、家人を守る気は無いのだろう。一目散に逃げていき、すぐに誰もいなくなった。


 そして、一つの部屋に集められた父と義母、妹が、私を目にした途端に怒りの声を上げた。



「これはどういうことだクレア!?」


「これはどういうことなのクレア!?」


「これはどういうことなのですかお姉さま!?」




 その声を、ゼクスが剣を引き抜くことで黙らせると、殿下が口を開いた。



「ウォルター侯爵。今日は二つの話がある。一つは、貴方の娘を私が貰い受けること。そして、侯爵家を取り潰しの上で侯爵自身は国外追放とすることだ」



 最初の部分で喜びかけた父は、繋がらないその後半の部分を聞いて怪訝そうな顔をしている。

 

 それに対し、殿下は婚約の時の条件書を持ち込んでいたようでそれを父に見せつけた。



「貴方がした行為は国を裏切る行為に等しい。本来ならば死刑であるところ、未遂であったこと、それとこれまでの忠誠を鑑みての裁定となる」



「お待ちください、宰相閣下!!私は騙されただけです!そんなことだとは知らなかった」


 

 父が知らなかったこと、騙されていただけであったことを言い連ねていくが、それは理由にならない。


 貴族として、いや、大人として、知る努力もせず、過ちを犯した。しかも、それが他者にも害を与えかねない形で。事情を鑑みればむしろ死刑にならないことが奇跡のようなことなのに。



「お父様。おやめください。知らなかったでは済まされないことなのです。貴方は罪を犯した、例えそれがどんな理由であったとしても、それは覆らないのです」



「うるさい!!それに、お前が王族に嫁ぐだと?何かお前が宰相閣下に嘘を吹き込んだのではないだろうな?いや、そうに違いない。これまで育ててやった恩を裏切りおって!!」



 父は理解が追い付かないのか、支離滅裂なことを言い始める。自分の過ちを認めず、他者のせいにする。そして、それが出来なければ怒鳴りつけて黙らせるのだ。


 これまで何度も同じ光景を見て来た。殿下に会ってからは私も変わらなければと思い、不機嫌になるのを承知で積極的に諫め、導こうとしてきた。だが、それは何も意味は無かったと思い知らされる。



「いいえ。お父様、これは純粋に貴方の行いに対する報いです。抵抗すれば、罪が重くなります。どうか、受け入れてください」



「っ!!この愚か者が!!!」



 父が私に手を上げようと立ち上がろうとした瞬間、ゼクスがその首に剣を突き付ける。



「ここで死ぬのも選択肢の一つですが、どうします?」



 殺意とともにそう投げかけられ、冷や汗を流し座り込む父は、それきり黙り込んでしまった。


 そして、そんな父の様子を見て、義母と妹も事態の不味さを実感してきたのだろう。



「……宰相閣下、私達はどうなるのですか?私と、リリスは」



「何も知らなかった他の者は国外追放にはならん。だが、侯爵家は無くなる。つまり、君達は平民になるということだ」



「そんな!?こんな結果になってしまえば、私の実家にも戻れません。それでは死ねということと同じではないですか」



「それは違う。ただ平民になるだけだ。自分の力で生きていけばよい。皆そうしているのだから」



「…………クレア、貴方は王族になるのでしょう?だったら私達の生活も貴方と同じにしなさい」


「そうだわ!!お姉さまがそうなるなら、私達もそうなるべきよね!」



 義母は、冷たく言い放った殿下には期待できないと思ったのかこちらに話しかけてくる。


 そして、妹も、殿下との話し合いでなくなったからか、口を挟んでくる。

 


「お義母様達は知らないかもしれませんが。私は屋敷にいない時、ずっと中層や下層で昼間を過ごしてきました。畑仕事や、孤児院の炊き出し、下層の子供も受け入れる幼学校の手伝い等、それが私の過ごし方です。そして、宰相閣下もそれをご存じで、嫁いだ後もそれを続けることを話し合って決めました。だから、もしそれを手伝うならば、労働に見合った対価は得られますが、それでよろしいですか?」



 義母と妹は、信じられないといった顔で殿下を見るが、彼が頷くのを見ると、それが本当のことだと理解したようだ。


 私は、もし手伝ってくれるならば丁寧に教えるつもりだ。当然、正当な対価を彼女達に渡すことも補償する。


 だが、服を着るのも自分でしたことが無いような生粋の貴族令嬢として育ってきた彼女達には到底考えられないような生活のようだ。中層、ましてや下層の人間と関わっていることに嫌悪感を隠せないような顔で私のことを見ている。



「それが無理ならば、私が助けられることはありません。僅かですが、しばらく生活できるだけのお金はそれぞれに準備しました。これが無くなるまでに、意思があれば、何かしらの仕事にはつけるでしょう」



 これまでに自分で稼いできたお金をほとんど分けるような形で三人に渡す。彼らは中を確かめると、苦々しい顔になるが、それが平民の普通なのだ。それをわかって欲しかった。




 





「私は、この血、この家、そして、自分自身を含めて世界の全てが嫌いでした。」



「でも、それは宰相閣下に会ってから変わっていったんです。好きなものはだんだん増えて、自分のことも少しは信じられるようになりました。」

 


「だから、私もこの家を変えようと努力した。でも、この家は相変わらず冷たいままで、何一つ好きになれません」



「私は、貴方達が嫌いです。自分では何もせず、ただ周囲を傷つける。そんな貴方達が」



「それでも、もし、努力して、それでも無理ならば手を貸しましょう。他の人にもそうするように、当然過去のことなど関係なく。ただ、努力もせず、変わる気もないなら、私達の縁はこれで終わりです」



「お父様、お義母様、リリス。さようなら。機会があれば、またいずれ」







 その言葉を最後に私は部屋を出て行く。彼らの叫ぶような声がかけられるが、それを無視して歩く。



 恐らく、彼らの性格、生き方では破滅が待っているだろう。



 だが、全ての人は救えない。欲しがるだけの人を助けられるほど私の、いや、人間の手は大きくない。


 それでも、私はできる限り手を伸ばす。殿下が、兄にされたように。私が、殿下にされたように。救われるべき人はどこかにいるはずだから。





◆◆◆◆◆ 




 屋敷の外に向かう私に駆ける足音が近づいてきたと思ったら、それが横に並ぶ。


 そちらを見ると殿下が寄り添うように隣を歩いていた。



「大丈夫か?」


 

 気遣うような優しい目が問いかける。



「はい。少し、すっきりしました」



「そうか、だったら行こう。一緒に」



 そのまま黙って歩き続け、やがて外に繋がる扉が見えてくる。


 この家から外出することはあっても、本当の意味で外に出ることは、逃げることはできないとずっと思っていた。



 でも、今日からは違う。それを象徴するこの扉を見ることは二度となくなる。



 私は彼と生きていく。あの日誓ったように、信じ合い、手を取り合い、未来を作っていくのだ。


 そして、私達は扉を開くと、外に出た。

 





◆◆◆◆◆ 


 




 私は自分の立場が恵まれた立場だと感じたことは無かった。


 もし、誰かと代わらなくてはいけないということになっても恐らく特に感慨も無くこの立場を差し出すことができるだろう。

 

 そう思っていた。




 だが、それは変わった。


 もし、誰かと変わらなくてはいけないとしても、私は命がある限りそれに足掻くだろう。

 

 この世界は嫌いではない。なぜなら、大好きなものがたくさんあるから。

 

一応これでラストです。

ざまぁがこれじゃないという人も多いかもしれませんが、ご勘弁を。


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