耐え忍ぶ者
新しい王が即位してすぐ、大きな変化が起きた。
まず、手始めに新王は、宰相として弟のアラン殿下を任命した。これまで表舞台に出てこなかった身内の配置に当然不満の声は出たが、それを全て撥ね退けるほどの働きを彼はして見せた。
加えて、ゼクスの伝手を利用したのか、直属の兵力を秘密裏に用意するとこれまで私腹を肥やして来た貴族の取り潰しや領地の一部召し上げを断行した。
普通なら国を割るような反乱を招く可能性もあっただろう。だが、動きが表に見えるようになる頃には良識のある有力貴族には既に根回しも終わっていたようで小規模な諍いはあったものの全てが瞬く間に鎮圧されていった。
そして、回収された富はインフラ整備や生活支援等、中層や下層にも恩恵を感じられる形となって配分されるようになった。
まだ、新王が即位してから三か月しか経っていないが、この国は忙しなく変化している。
そして、私の生活も大きく変わりつつあった。
私は、以前のように自由に動けなくなってしまったアラン殿下の代わりに中層や下層での活動を精力的にするようになっていた。
毎日はとても忙しい、だが、目の前で下層の孤児の子供達にも食料や教育が届くようになってきたのを思うと、不思議と元気が出てくる。今、あの兄弟の手は確かにここに届いていると感じるから。
最初、彼はどれだけ忙しくても、二日に一度くらいは来てくれていた。だが、一度過労で倒れかけたと聞いた後は、強く諫め、無理はしないで欲しいと伝えた。
彼はそれでも引かなかったが、私もいつになく熱くなってしまい、初めて口論になった。
だが、それが続き、最後に私が涙を抑えられなくなったまま頼むとついに彼が折れた。
私は、彼に来てほしくないわけでは無い、むしろ、最近では居心地のいい彼の側にずっといたいと思っている。
でも、それではいけないのだ。彼には為すべきことがある。私のわがままで困らせてはいけない。いつものように私が我慢すれば全て丸く収まるのだから。
◆◆◆◆◆
夕方頃、家に帰る。昼が人に囲まれているからか、使用人が減ったからか、この家はとても冷たく感じてしまう。
王家が貴族に対する強硬策を取るようになってきてから、父は更に肩身の狭い思いをしているのか、不機嫌さに拍車がかかった。
そして、だんだんと貴族の優遇策が見直され始めると、以前よりも領地経営に苦労しているようで、更に不機嫌になっていく。
御用商人を活かしながら領地からの収入を改善する策をそれとなく提案してみたが、昔ながらの考えで男尊女卑の考えが強い父を怒らせるだけだった。
政治に女性が関わるなと初めて手をあげられた記憶は未だに強く残っている。
そして、不機嫌な父が周りに当たる頻度が増えるとともに、義母と妹が私に強く当たるのも当然増えていく。
以前は何も感じなかったその仕打ちに、外を知ってしまった今では辛く感じてしまうこともある。
私は憂鬱な夕食時を前にして少しだけため息を吐いた。
夕食の時間になり、食堂に入る。
しばらくして、義母と妹、そして、最後に父が入ってくる。
しかし、最近ではずっとイライラしているような父が今日は機嫌がいい。それは、私にとっても悪いことではないはずなのに、なぜか無性に嫌な予感がした。
食事が始まり少しすると、父が機嫌が良さそうに口を開いた。
「喜べ、いい話がある。実はな、最近勢いのあるダブリン商会の会長が後妻を探しているらしい。そして、由緒正しき我が家の歴史に尊敬を抱いたそうでな、当家にその話があった。悩みはしたが、儂はこの話を是非受けようと思っている」
父は自分が誇りに思っている血筋を引き合いに出されたのか大層ご満悦の様子だが、私はその話を聞いて血の気が引く。
少し前、アラン殿下が、ダブリン商会はきな臭い商売をしているが、かつて戦争を続けていた隣国と繋がりが深く、準備が整うまで手が出せないと言っていた。
それに、会長は確か五十歳を越えていたはずで、その後妻となると妹は本気で嫌がり、私がそこに収まるのは目に見えている。
普段は父の発言に逆らうことは無いが、私にも今はやりたいことができた。何とか防げないかと口を挟む。
「お父様。貴族の家から商家にというのは少々外聞が悪いかもしれませんがそれはよろしいのですか?」
「…………この国は変化を求めている。ならば、我が家も変わらねばならん。それには、新たな力を取り込む必要がある」
私が口を挟んだことに少し父が不機嫌になる。確かに正論だ。しかし、変化をするならこれまでにいくらでも機会はあった。私もそれを提案し続けていたのだし。
この様子を見るに父は何やら見栄えのいい理由を言い聞かせられているのだろう。それに、引くに引けない理由もありそうだ。
「確かにそうかもしれません。ですが、新たな力となると国外を基盤とする商会以外にも選択肢ははあるように感じます。最近力を付けつつあるブレア男爵家や国内で大きな販路を持つグレゴリー商会も視野に入れてみては?」
まだ妹が好むような適齢期の男性がいる家や商会を挙げてみる。だが、その瞬間、父の顔は真っ赤に染まり、食器が割れる音がする。
「うるさい!私に指図するな。この話は既に決まったことだ!!お前は黙って従っていればよい」
ここまで一顧だにしないところを見ると恐らく財政支援等が条件として提示されているのかもしれない。
父は帳簿を金庫にしまって誰にも見せようとしないが、使用人の減り具合や生活品の出入り具合から見て、かなり苦しくなりつつあるのは何となくわかっている。
だが、こうなってしまっては何を言っても変わらないだろう。もう私にできることはないと、いつものように諦める。
「旦那様。後妻と言うと、お相手はどれくらいのお歳の方なのでしょうか?」
義母が控えめに父に尋ねる。父はまだ少し気が経っているようだが、先ほどと違い、反論でないことが分かると素直に答えた。
「五十歳ほどと聞いている」
その言葉を聞いて、妹の顔が引きつる。そして、義母はそれを理解しているようで、誘導するように言葉を重ねていく。
「そうですか。となると、少しでも歳の近いクレアのがよろしいでしょうね」
「そうか、そうだな。クレア、お前を嫁がせることにする。来月頃には先方の家にいけるように準備しておけ。それと、万が一があってはならんから、しばらく外に出ることも許さん。わかったな」
「………………かしこまりました」
◆◆◆◆◆
夕食が終わり、部屋に戻ると私は声を押し殺して泣いた。
屋敷の外の世界は変わった。だから、中の世界も変わるのを期待していた。
だが、それは甘い考えだったようだ。
父にとって、私は道具の一つでしかないのだろう。
義母と妹にとって、私は邪魔者でどうでもいい存在でしかないのだろう。
彼、彼女らには私がどうなろうが構わない。自分が良ければそれでいいのだ。そして、私はどんな仕打ちを受けても耐えるしかない。どれだけ言葉を尽くそうとも、態度で示そうとも、ここでは何も変わらないのだから。
どれだけ泣いただろうか。心は徐々に諦観に染まり、冷たくなっていく。
これは仕方が無いことだ。それが運命だと諦めよう。
カテジナ嬢もそうしていたように、これも貴族の娘の務め。自分の好きなように生きられる人などいないのだから。
何も与えられることの無い人生で、素晴らしい思い出を貰えた。それだけでも幸せだったじゃないか。
「大丈夫、前と同じ。皆は光の中で、私は影の中で生きる。それが普通で、正解。だから、仕方が無いじゃない」
尽きない涙を拭いながら、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。