番外編 リカルドの物語 その2
王都では、国王の即位十周年記念祭に関連して人々が楽しめる様々なイベントが開催される。だが、多くの祝典が予定されている王宮ではただただ忙しいだけである。
記念祭二日目の夜。
つまり今夜だが、王都の広場では一般庶民向けの祝祭が行われている。夜店などが立ち並び、男女がダンスを楽しむ賑やかな庶民のお祭りだ。
メイは料理人のニックから一緒に行こうと誘われたが、何となく気が進まなくて断った。その時に某副団長の顔が脳裏をよぎったことは誰にも言わずに胸に秘める。
この日も忙しく、一日中あちこち走り回って雑用をこなし、大声で叫ぶ料理長の指示についていくのがやっとだった。
(はぁ、疲れた。朝からずっと走り回ってもう足が棒みたいだ)
昼食も食べずに働き、夕方になってようやく休憩がもらえた。ホッと溜息をついて厨房の外側にある中庭のベンチに腰掛ける。
(ようやく少し休める)
そう思ったのも束の間、突然背後から大量の水をぶちまけられた。
「きゃっ! な、なに!?」
びしょ濡れになって水を滴らせながら振り返ると、三人の洗濯女がそれぞれ空のバケツを持って立っていた。
「あら~! ごめんなさいね。そんなところに人がいるのに気がつかなくて」
「ここは私たちが洗濯物を洗う場所だから」
「こんなところにいるのが悪いのよ~」
明らかな嘲笑と悪意にメイの顔は強張った。
確かにこの中庭の片隅には洗濯をするための水場があるが、それにしてもベンチに座っていたメイに対してわざわざ水をぶちまける行為に悪気がないなんてあり得ない。
(ここのみんなとは仲良くやってたつもりなんだけどな……)
思わず悲しい顔になってしまう。
「あ~あ、そんな風に媚びた顔をした方が男受けがいいのかもね~」
「リカルド様にちょっと構ってもらっているからって調子に乗って」
「厨房の下働きなんて相手にされる訳ないじゃない。貴族の令嬢達だってリカルド様を狙っているのに」
口々に罵りだす娘達。
(そうか……リカルド副団長が厨房に来るから嫉妬されたのね)
メイは状況を理解したが納得はできない。
「あのさ! 何を勘違いしているのか知らないけど、私は調子になんか乗ってない。リカルド副団長と何かあるように邪推するのは止めてよ。しかも、こんなびしょ濡れになったらもう仕事ができないじゃない! どうしてくれるのよ!? 厨房だって忙しいのに!」
メイの剣幕に三人の意地悪娘はたじろいだ。
その時。
「俺がなんだって!?」
聞きなれた声がした。
全員の視線が声のした方向に向かうと、そこには騎士服姿のリカルドが呆れた顔で立っていた。リカルドは冷ややかな目つきでバケツを持った娘たちを見据えている。
端整な顔立ちのリカルドが近衛騎士団の制服を着ると精悍さが強調されて、ますます男ぶりが上がる。
思わず頬を赤く染めた三人娘は、突然のリカルドの出現に驚き慌てふためいた。
「「「リ、リカルド様!?」」」
「あの、偶然水が彼女にかかっちゃって」
「こんなところにいるのが悪いんです」
「単なる事故で・・・」
それぞれ必死に言い訳する三人娘をリカルドはジロリと睨みつけた。
「俺はさ、性格がいい女が好きなんだ。人に嫌がらせをしたり、意地悪を言う女には近づきたくないよね」
そう言いつつ上着を脱いでメイの肩に被せた。
そして、すくうように彼女を抱きかかえるとさっさと歩きだす。
(こ、これは、噂で聞く『お姫様抱っこ』では……?)
背後でキィーーーーーーーというような、キャーーーーーというような、クゥゥゥーーーーというような変な金切り声が聞こえたけど、心臓がバクバクと飛び跳ねているメイはそれどころではない。
「り、リリカルド副団長。あの、その、私は厨房に戻らないと……。その、どこに行くんですか?」
「料理長に許可は取った。そんなずぶ濡れのままではいられないだろう? しかも……服が濡れて体の線が見える。そんな恰好で表に出るな!」
リカルドの頬が赤くなっている。そんな顔を初めて見るメイも戸惑った。
「そんなこと言われても好きで濡れたわけじゃ……」
「分かってる。ちゃんと着替えさせてくれるところに連れていくから」
リカルドがズンズン歩いていくのは王宮でもかなり上の方。つまり、エライ方々が多くいらっしゃる領域である。
すれ違う人達が驚きで目をひん剥いてこちらを見ていた。華やかなドレスの令嬢方は敵意の籠った眼差しで睨みつけてくる。
(ど、どこに行くんだろう?)
ドキドキと緊張のあまり背中に冷や汗がツーっと伝った。
ようやくリカルドが立派な扉の前で立ち止まる。手慣れた仕草で彼が軽くノックをするとすぐにドアが開いた。
いかにも仕事ができそうなきびきびとした侍女が顔を出した。
「あら、リカルド!? 久しぶりね!」
「エマ! 懐かしいな! ミラ様はいらっしゃるかい? 昨日お会いした時に約束はしてあるんだが」
明るく言うリカルドだが、びしょ濡れのメイを横抱きにする姿にさすがのエマも戸惑っている。
「えっと……そちらは?」
「彼女はメイというんだ。俺の……連れだ。嫌がらせされてびしょ濡れになっちまった。この後、一緒に広場のお祭りに行くんでミラ様なら服を貸してくれるかなと思ったんだが」
それを聞いてメイの頭が真っ白になった。
(ミ、ミミミミミラ様って!? 公爵夫人の!?)
「は!? な、なに言ってんの? とち狂ったの? 私なんかに……私は平民で単なる厨房の下働きなんですよ!?」
メイが必死に叫ぶとエマと呼ばれた侍女が笑顔を見せた。
「あら! 厨房で働いているの? それでしたらミラ様は喜ばれると思いますわ」
「メイは料理長の姪なんだ」
「でしたら、もう身内も同然ですわね」
(え!? なに言ってんの? この人達!?)
パニックになったメイが降りようとジタバタするが、リカルドはギュッと抱き寄せて離さない。
「私、びしょ濡れで、こんな姿で公爵夫人にお目見えする訳には……!」
必死で懇願するメイを無視して、リカルドはスルリと部屋の中に入った。
***
部屋の中心には女神と天使がいた。
女神が噂のミラ様に違いない。
アッシュブロンドの柔らかそうな髪を緩く編み込んで、薄茶色のリボンで纏めている姿はまだ少女と言ってもいいくらい愛らしい。菫色の瞳はキラキラと煌めいて、猫のようにちょっと吊り上がった目尻が印象的だ。透明感のある真っ白な肌は瑞々しい。ふっくらしたお腹も神々しく見える。
そんな彼女のドレスの裾に纏わりついている少年も妖精のような美少年だ。薄茶色の瞳は利発そうで、丸みを帯びた頬がとても可愛らしい。
女神の目がまん丸く見開かれる。
「あら!? リカルド。早速可愛らしい方を連れてきたのね。でも、濡れているわよ?」
女神は声も麗しい、とメイは聞き惚れた。
「ああ、彼女がメイだ。俺のせいで嫌がらせを受けたんだ。この後二人で出かけたいから服を見繕ってくれないか?」
女神と普通に会話をしているリカルドにメイは感銘を受けた。
「嫌がらせ!? まぁ、皆の憧れの副団長のハートを射止めた女性はやっぱり妬まれるわね」
(ハートを射止めた……? 何の話をしているの?)
相変わらずメイはパニックでどうしたらいいのか分からない。
「ああ。メイは料理長の姪で王宮の厨房で働いているんだ」
ミラ様のアメジストのような瞳がキラキラと輝いた。
「まぁ、そうしたら身内と同じね。王宮の厨房は私の実家みたいなものだから。メイさん、いらっしゃい。まずお風呂で温まった方がいいわ」
公爵夫人にしてはあまりに気さくな口調にメイはパニックになった。
(こ、これがミラ様……みんなが噂をしていた……こんな美しくて、いい匂いがする。女神が実在した……ここは……天国か? ……ああ、もういいや)
メイは思考を放棄した。
***
(私……ミラ様に恋しそう……)
メイはうっとりとミラの横顔に見惚れている。
お風呂に入ってさっぱりしたメイの隣で、ミラは真剣な顔でドレスを合わせどれがメイに似合うか考えている。
「あの……お洋服をお借りするなんて恐れ多くて、どうか本当にお気になさらず……」
必死に懇願するがミラから完全に無視された。
「リカルドにようやく素敵な人ができて私も嬉しいの! だからドレスを選ばせてちょうだい? 思いっ切り可愛くしましょう!」
ミラの弾む声を聞いて、メイは居心地が悪くなった。
『リカルドの素敵な人』?
(私はそんな人になった覚えはないし……)
思い当たるのは一つだけ。
(きっと、ミラ様への恋心を隠すためにわざわざ恋人役に私を連れてきたんだ)
そう思うと胸がチクチク痛む。
自分がこんなところにいるのが場違いでバカみたいに思えてくる。
勝手に名前を使いやがってとリカルドを恨めしく思うが、まさかここで『私とリカルドは何でもありません! リカルドが好きなのはミラ様なんです!』なんて叫ぶ訳にはいかない。
メイは、ミラに気づかれないようにそっと小さな溜息を吐いた。
*読者の方からご指摘を頂きまして、ヒロインの名前を変更しました。




