後見人ができました
「エリザベス・マリー・ヴィクトリア・オブ・ハノーヴァー太皇太后陛下であらせられる!」
朗々と告げるセバスチャンの声に合わせて、その場にいた貴族は全員跪いて首を垂れた。
太皇太后は先々王の正妃。つまりケントのお祖母さまだ。前王妃にとっては姑にあたる。
最も正当な王家の血筋を引き、国の隆盛に貢献されたという噂は何度も聞いたことがある。貴族だけでなく国民からも敬愛され、非常に人気が高かった。
ただ、もう十年以上離宮に引きこもり人前に姿を現すことはなかった。私もお会いしたことはなかったし、ケントも子供の頃に会ったきりだと言っていた。
ケントとミシェル、リアムと私も当然最上級の礼をとったが、前王妃とアレクサンドラは跪くというより腰が抜けて立てなくなったように、床にへたり込んでいる。
「面をあげなさい」
ベスは大広間に入ってくると、その場に跪いていた貴族たちに謂った。
その威厳は私がワイナリーで出会った穏やかな老婦人と同一人物とは思えないほどの迫力で、この場で最も高貴なオーラを纏った人物であることは一目瞭然であった。
ベスの言葉で貴族らは顔をあげたが、誰もが畏怖の籠った視線を彼女に送っている。
ケントが「お祖母さま」と声をかけると、ベスが嬉しそうに微笑んでケントに向かって近づいた。
「久しぶりね。ケント。大きくなったあなたに会えて嬉しいわ」
「はい。突然のお願いだったのに来ていただいてありがとうございます」
ケントが深く頭を下げた。
「もう人と交わるのは止めようと隠遁生活を送っていたのだけど、ミラの危機と知ったら放ってはおけないわ。リアム。あなたがケントに知らせてくれたのね? ありがとう」
リアムも深く頭を下げた。
え!? リアムはベスが太皇太后だって知っていたの?
「ごめん。セブンズの試合の時にお会いして、子供の頃に両親と一緒にご挨拶したのを思い出したんだ。陛下は人に知られたくないようだったので、ミラには言えなかった。ただ、ケントは陛下とミラの関係を知っていたようでね。ミラが危険に晒されるかもしれないとケントが連絡したんだ。連絡を受けて、すぐに行くと言ってくださったらしい。離宮がここからそんなに遠くないのも幸運だった」
そうだったんだ……。本当に有難いことだ。
でも、あまりの驚きに現実のこととは思えない。
ベスはミシェルにも挨拶をしている。ミシェルの頬がピンク色に染まって、珍しくはしゃいでいる。
次にベスは私に振り返った。
「ミラ。あなたは私の大切なお友達よ」
ベスは微笑んで私の手を取った。
「私はミラ・ウィンザー公爵夫人の正式な後見人になります。今後彼女に害をなすものは、私を敵に回すものとみなします!」
エリザベス・マリー・ヴィクトリア・オブ・ハノーヴァー太皇太后は高らかに宣言した。
その場にいた貴族たちが衝撃を受けたように騒めく。
……こ、こうけんにん?
私の後見人? 太皇太后陛下が?!
パニックになりかけたが、ベスの瞳に宿る優しさを見て、心が落ち着いた。
ベスは……私を信頼してくれているんだ。そうでなかったら後見人なんて申し出てはくださらないだろう。
そこまで信頼してくださっていることに感謝して、応えなくては。
私は正式な礼をとり誓言した。
「太皇太后陛下。陛下のご温情に心より御礼申し上げます。真心を持って、陛下に尽くすことを誓います。私の忠誠心は永久に陛下と共に」
ベスが満足そうに微笑んだ。
しかし、それまで呆然と言葉を失っていた前王妃が吠えた。
「っ、お、お義母さま! その……その女に騙されないで下さい! そんな女の後見人なんてあり得ません! その女は見かけによらず強かで人を誑かす術に長けています!」
私に対しては温かい微笑みを向けてくれていたベスの端整な顔つきが、突然氷のように凍てついた。
「あなたはまったく変わらないわね。私はこれまで最大限あなたの我儘に譲歩してきました。ケントに近づくなと言われたらその通りにした。王宮から出ていけと言われたら、離宮に移り住みました。私たちが対立することが王家にとって、更に息子やケントにとっても悪影響を及ぼすだろうと思ったからです。でも、私は間違っていたようですね」
前王妃がグッと言葉に詰まった。
ベスがセバスチャンに目配せすると、セバスチャンがケントの前に進み出て、美しく装丁された書類を手渡した。
「この二人は悪だくみをするのに王家御用達のワイナリーを使っていたのよ。秘密にしていたけど実は私はそのワイナリーのオーナーなの。だから色々な情報が手に入ったわ。法に抵触するような悪だくみもあったようよ」
「……っ!? なんっ……!? あのワイナリーは王家直営ではなく民間の施設のはずなのに!?」
前王妃が顔面蒼白になり、額に冷や汗がぶわっと噴き出た。
「何年も前に私が買い取ったのよ。何しろヒマだったのでね」
ベスの笑顔は完璧だ。そしてケントに話しかけた。
「ケント。あなたならこの情報を正しく使うでしょう。もちろん、自分の母親や従姉妹に対して使うのは辛いと思います。あなたが彼女たちをどうするか長年思い悩んでいたことは想像できるわ」
それを聞いて、ケントの頬が紅潮した。
「ありがとうございます!」
泣きそうな顔で深くお辞儀をするケント。
「その二人についてですが……」
ベスは目線で前王妃とアレクサンドラを示した。
「とりあえず裁判で正式に裁かれるまで私の離宮で下働きをしてもらいましょう。離宮の使用人は皆厳しいですからね。彼らを鍛えなおしてくれるでしょう。しっかりと働いてもらうので安心してちょうだい」
というベスの言葉にアレクサンドラと前王妃は激高した。
「お、お義母さま!? 何を……何を仰っているのですか!? 意味が分かりません。私は何も悪いことをしておりません!」
「お黙りなさい!!! 招かれもせずに公爵の城まで押しかけ、国王陛下の御前で無礼を働くなんて、王族の恥だと思いなさい!」
ベスの言葉が正論だっただけに、前王妃はグッと口をつぐんだ。
「な、なによ!? あんた!? たかだが昔の王妃だった女でしょ!? なんでそんなにエラそうなのよ!? 勝手なこと言わないでよ!」
突然叫んだのはアレクサンドラだ。
それを聞いた隣のアバークロンビー侯爵が慌てて娘の口を塞ぐ。
「へ、陛下……大変申し訳ありません。娘の非礼をお許しください」
「アバークロンビー。王家との盟約を覚えておろうな?」
「はっ。勿論でございます。父からも決して決して太皇太后陛下に対して粗相があってはならないと、何があっても忠誠を忘れてはならないという遺言を受けております。陛下が最も正当な王統でいらっしゃることは周知の事実。決してそれを疎かに考えたことはございません!」
アバークロンビー侯爵の額から驚くほどの多量の汗がしたたっている。そのまま平伏せんばかりの勢いで頭を深く下げ、一緒にアレクサンドラの頭を手で押さえつけて無理矢理お辞儀をさせた。
「な、何を!? お、お父さま!? お父さま? なんで……!?」
抗弁しようとしたアレクサンドラの頭を更に乱暴に押さえつける。
「お前は黙っていろ!」
更に厳しい顔つきで娘を叱りつけた。
「アレクサンドラは自分が犯した罪を償わなくてはならない。法廷で司法の判断が下されるまで、私の離宮で下働きをしてもらう。当然、魔法学院の学院長の座は退いてもらう。宜しいな?」
ベスは冷徹に言った。
「はっ! もちろんでございます!」
アバークロンビー侯爵の返事にアレクサンドラが驚愕して顔面を大きく引きつらせた。
「お、おとうさま!?!?!?!」
叫んでも、父親は彼女の顔を見ようともしない。
「セバスチャン! 二人を地下牢にご案内して」
ベスが呼ぶと、セバスチャンと屈強な騎士が数名、前王妃とアレクサンドラを会場から連れ出した。
「な、なにをするのよ!? 失礼な! ……ち、ち、ちかろうですって!?」
「私が誰だかわかっているの!? 無礼なことをしたら厳しく処罰を・・・」
喚く二人に対して騎士は丁重に、しかし断固として彼らを会場の外に連れ出した。
去った後もしばらくは二人の喚き散らす声が聞こえた。甲高い居丈高な声が徐々に遠くなっていく。
アバークロンビー侯爵は心配そうに会場の扉を見つめている。
「……冗談よ」
ベスが言った。
「は!?」
侯爵がベスにポカンとした顔を向けた。
「地下牢というのは冗談よ。でも、二人をしばらく離宮に寄こしなさい。私が鍛えなおしてあげるわ。それでも悪事は法廷で裁かれ、正しい処罰が与えられることになります。覚悟しておきなさい」
彼女の言葉は厳しかったが、慈愛が感じられた。
「はっ! ご温情に感謝申し上げます。誠に申し訳ありませんでした」
頭が床につくのではないかと思うくらい低く頭を下げるアバークロンビー侯爵。
「あなたはあの二人を連れて王都に戻りなさい。あなたが妹と娘を正しく導くことができなかったからこのような事態になっているのよ? 今からでも遅くありません。彼らが悔い改めるように助けておあげなさい」
それを聞いた侯爵の目が真っ赤になった。こみ上げる感情を抑えながら侯爵は再び頭を下げ、涙声で叫んだ。
「心よりっ、感謝もうしあげますっ!」
そのまま急ぎ足で会場から出ていく侯爵を見送ると、ベスは手を叩きながら呆然と成り行きを見守っていた人々に笑顔を向けた。
「さぁ、余興は終わりよ。この会場では素晴らしいお料理が準備されていると伺っているわ! そうよね? ミラ?」
「は、はい! もちろんです!当城の料理人は超一流ですので、きっとご期待に沿えると思います!」
それが合図になったように、一時停止していた食事の給仕が一斉に動きだした。
*読んで下さってありがとうございます(*^-^*)。『王家の盟約』の話などこの後もう少し補足の回が続きます。もし良ければブクマ、評価を宜しくお願い致します<m(__)m>。




